『孤独の太陽』桑田佳祐の最高傑作です

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日はサザン・桑田佳祐ソロ作品として1994年にリリースされた2作目のオリジナルフルアルバム

『孤独の太陽』

を語っていきたいと思います。

いや~ついにこの日がやってまいりましたね。

サザンと桑田ソロの全アルバム紹介を記事にしたのが、かれこれ約2年前⇩

サザンの全アルバム解説は納得行かなくて消したのですが、桑田ソロの方は残しました。

で、そこから2年ぶりにサザンのアルバム解説記事を1枚ずつ書き上げ、ようやく15枚全てを終えましたので、今日からは桑田ソロを1枚ずつやっていくとしましょう。

初っ端は本作しかないでしょう。

皆さんの周りで

「オレ、サザンよりも桑田ソロのほうが好きだな」

っていう人見たことありません?

You Tubeでサザンのアルバム解説してる人とかでも、このセリフを吐く人はよく見かけます。

私も含め、こういう人達がこのセリフを吐く原因は本作にあります。

つまり本作を聴いたサザンファンが

「これはサザンを超えた!」

っていう衝撃を受けたからなんだと思います。

「桑田ソロはすんげぇ!」

って言ってるのは99%このアルバムのことを指していると思ってください。

『ミュージックマン』や『ロックンロール・ヒーロー』で『KAMAKURA』『世に万葉~』を倒すことは出来ませんが、本作ならばそれも可能でしょう。

そういうわけなので、本作の解説を終えたら、私の願望の99%は満たされるので、他のアルバム解説はしないまま終わるかもしれません(笑)。

人ってやっぱりね、一番好きなことを演る時が一番輝くものなのかもしれませんね。

ストーンズだってやっぱりブルースのカヴァーアルバム(『ブルー&ロンサム』)やった時にいきいきと輝くように、

「憧れのあの音楽に近づきたい」

というティーンの頃にその胸に刻みつけた願望を形にする時っていうのは、ブーストでもかかるのか?

桑田さんにとってそういうアルバムが本作『孤独の太陽』なんじゃないかな?

ストーンズがバディ・ホリィやボ・ディドリーになりたかったように、桑田さんもジョン・レノンに、エリック・クラプトンに、そしてボブ・ディランになりたかったんですよ。

しかし、そこはやはり桑田さんなので、もちろんそれだけじゃないです。

ディランのフォーク、クラプトンのブルース、ビートルズのポップさといった先人たちのエッセンスをその身に宿しながらも、日本人の歌謡曲のエッセンスがミルフィーユみたいに層をなして一筋縄ではいかない深みのある作品ができあがっております。

それではたっぷり語っていきますよ!

『孤独の太陽』リリースまでの流れ

本作がリリースされたのは1994年です。

ソロアルバムとしては前作『KEISUKE・KUWATA』から6年ぶりとなります。

ここまでに至る流れを振り返ってみましょう。

1985年『KAMAKURA』のリリース後に活動を休止していたサザン。

サザンの活動休止中に組んだハードロック路線の「KUWATA BAND」は、大好評を博しながらも本人はピンとこなかったようで、1年あまりで活動を停止しました。

そしてサザンは1988年シングル『みんなのうた』で復活。

その直後に桑田さんは自身初となるソロ・アルバム『KEISUKE・KUWATA』をリリース。

KUWATA BANDの反動から今度はポップ路線を追求したのがこの『KEISUKE・KUWATA』だったんですね。

小林武史との共同制作となった『KEISUKE・KUWATA』はきらびやかに都会的に洗練され、AORの傑作でした。

桑田ソロでは一番好きだという人も多くいる作品です。

桑田さんはこの出来にかなり満足し、以降はソロだけでなくサザンでも小林さんを重用するようになります。

ここからサザン自体が桑田ソロの流れに飲み込まれていくような感じになっていきます。

サザンの9thアルバム『サザンオールスターズ』(1990年)

10th『稲村ジェーン』(1990年)

11th『世に万葉の花が咲くなり』(1992年)

と、アルバムを追うごとにサザンのメンバーの存在感が減退し、さながら桑田・小林プロジェクトの様相をていし始めます。

この二人のコンビは凄まじく、1980年代は一度も届かなかったミリオンセラーをシングル・アルバムの両方で連発していきます。

ライブもスタジアム・ドームクラスの会場になっていきます。

サザンがモンスターバンド化していく時期ですね。

この時期は桑田さんが作曲家として脂が乗りまくってて、個人的にはサザンで一番好きなアルバムも『世に万葉の花が咲くなり』です。

この頃の桑田さんは神がかってます。

しかし桑田さんも流石にこの流れにバンド崩壊の危機感を感じたのか?

1993年リリースシングル「クリスマス・ラブ」を最後に小林さんとの共同作業を打ち止めにします(サポートミュージシャンとしては本作にも参加してます)。

そしてサザンとしての活動を一旦停止し、2作目のソロアルバムに着手します。

1990年代に入り、ずっとポップ路線で進めてきた桑田さんですが、ここで大きく舵を切るんですね~。

それまでのシンセを多用したきらびやかな作りを辞め、ギターなどの楽器の生音にこだわった作風へと切り替えます。

桑田さんはこう例えます。

「『KEISUKE・KUWATA』が様々な色を塗るための絵の具を多用したとすると、今回はデッサン用の木炭で書いているようなイメージ」であると。

カラフルからモノクロへ。

都会的ではなく土臭い作風。

そうしたコンセプトで持って生み出されたのが本作『孤独の太陽』になります。

『孤独の太陽』の内容は?

本作は前作「KEISUKE・KUWATA」とも、それまでのサザンのアルバムの流れともガラッと変わります。

まず、これまでのサザン・桑田ソロ・KUWATA BANDにはかつてなかったほどのアコギの使用ですね。

なんてったって本作のテーマは

「ギター1本でどこまでロックできるか?」

らしいので。

アンプラグドアルバムとまで言うのは言いすぎですが、とにかくアコギがアルバムのど真ん中にある感じですね。

中学生の頃には本作のこと訊かれたら

「あ、アコギのアルバムね」

って言っていたぐらいです。

このギターを弾いているのは小倉博和さんという人なのですが、この人が只者ではありません。

「僕のお父さん」ではいわゆる王道的なフォークプレイをしっかり聴かせながらも、「漫画ドリーム」では完全にフォークという範囲を逸脱しているというか。

単にコードをかき鳴らすものとはアプローチが根本的に違い、自由奔放に動き回ります。

「鏡」でもアルペジオを使った繊細な音世界を表現しながら、スライド・ギター入れてます。

エレキを弾かせても「すべての歌に懺悔しな!!」のようにベンチャーズプレイをしてみたり、「貧乏ブルース」のように切れ味鋭いファンキープレイをしたり。

何を弾かせても抜群にセンスがいいんですよ。

この人のプレイなしにこのアルバムは傑作足り得ませんね。

ここ数作は桑田さんの相棒として全般に携わっていた立場が小林武史さんだったのですが、彼はいちサポートミュージシャンとしての扱いとなり、今回はこの小倉博和さんがその小林さんの立場に入れ替わったイメージですかね。

ギタリストとしてアレンジ全般に関わっています。

なので本作は『桑田&小倉プロジェクト』と呼んでも良いのかもしれません。

そして本作のもう一つの個性はやはり『歌詞』でしょうね。

これまでになくメッセージ性が高いです。

ただ、本人も言っているように、「こうであるべきだ」「こうしなさい」って説教臭い歌詞ではないんですよ。

自分を「孤独な太陽」に例えるように、現代社会を俯瞰で見た感覚というか。

見たまんま、目に映った感じたまんまをただ表現していると言うか。

そこに桑田流の皮肉や風刺が効いているんですよ。

この風刺のセンスが素晴らしいからエンターテイメントできるんですよね~。

これは桑田さんにしか出来ない天才の所業です。

私流の表現をすれば『ピエロ』『道化師』という感じですかね。

歯に衣着せぬ毒舌で、ケラケラ笑いながら世の中をぶった斬ってる感じですね。

そこに自分の主義主張があるわけではなく、子供のような素直な視点で素朴に感じたままを、忖度(そんたく)することなくぶちまけちゃったみたいな。

なので、そんな歌詞に反応して長渕剛みたいに「名誉毀損だ!」とか言ってるのは、大人げないというか(笑)。

これとは対象的に矢沢永吉なんかは大人の貫禄を見せつけましたよね。

また、風刺の効いた歌詞ともう一つの特徴が、ほぼ捻りなしの心情描写ですね。

「僕のお父さん」なんかでは『上手いこと比喩表現を使う』という考えを捨て去っているというか。

本作には『道化師の仮面を付けてピエロのようにおどけている桑田佳祐』と、びっくりするくらい『素の自分をさらけ出している桑田佳祐』がいます。

『孤独の太陽』楽曲解説

#1『漫画ドリーム』

最高傑作アルバムの幕開けに相応しい衝撃のオープニングです。

もちろん、初めて聴いた中学生の頃にはそんな風に感じなくて

「なんか地味だな。サザンの方がいいな」

ぐらいのものでしたが(笑)。

この曲に象徴されるように、本作は大人にならないと良さは理解できないと思います。

ビールみたいなもんですよ。

酒を飲みはじめの20歳かそこらのころは梅酒とかサワー・チューハイ関係しか飲めなくて

「ビールなんて何が美味いのか分かんない」

とか言ってるみたいなものです。

世の中には『苦味』っていうのも美味しいうちに入ると気がつける曲ってことです。

#2『しゃアない節』

牧歌的に平和なメロディ。

けれどそれはこの歌の世界が平和なのではなく、主人公の心の持ち方が平和だと言っているんでしょうか?

馬鈴薯(ばれいしょ)を調べると、北海道が特産とのことなので、北海道のある町に派兵された兵隊さんのことを歌ってるみたいですね。

いきなり徴兵され、彼女にサヨナラも言えず、ラーメン屋のオヤジにありがとうも言えないまま、こんな遠くまで派兵されたというのに、「お国を守るため」という建前のもと、自分が普通に感じていた感情の全てを押し殺し、それどころか国を守る使命に気持ちを昂揚させている自分がいる。

そんな自分を不思議には思うし、いつかは愚痴もこぼすのだろうが、「しゃあない」と流す。

けど、自分の気持ちに正直に生きるなんてことが許されるはずもない戦時下。

「しゃあない」と気持ちを整理するしかなかった時代もあったんですよね。

他の曲では『資本主義(拝金主義)で本来の人間らしい感情を失っている大人』を風刺しているのに、この曲では『本人が望む望まずに関わらず感情を殺すしかない時代に生きた大人』を描いているところがこの曲のおもしろさ。

本作で一番考えさせられたナンバーです。

「うちのじいさんもこんなこと言ってたな~」みたいな。

#3『月』

第2弾シングルカットですね。

原さんのピアノ伴奏に桑田さんのハーモニカが乗っかります。

桑田さんはハーモニカも絶品ですね。

本作で最も『情念』を感じる曲で、最初効いた時は演歌かと思いました。

ボブ・ディランっぽい歌い方の多い本作では珍しく、正統派な歌唱で、それだけに泣かせてくれます。

桑田さんのお母さんを歌ったと言われていますが、そうでもないような?

#4『エロスで殺して (ROCK ON)』

ノリの良い軽快なロックナンバー。

メッセージ性の強い本作ではかなり浮いているあまり深い意味のあることは歌っていないナンバーです。

真面目に解説するようなものでないことだけは確かです。

「縛られて慕情」って(アホか)。

やっぱりこういうのが1曲はないと桑田作品らしくないですからね(笑)。

#5『鏡』

アコースティックで不思議な世界観が描かれてます。

歌詞は本作イチ難解で、何を言いたいのかはさっぱりです。

喜劇音楽っぽいコミカルな雰囲気もあり、結構好きですね。

ちょっとしたスナックなんかでもその場で演奏できそうなこじんまりした感じが素敵。

#6『飛べないモスキート 』

本作でもっともポップなナンバーのうちの1曲ですね。

これは名曲が生まれましたね~。

バースは明るめなんですけど、サビになって急に哀愁が出てくる不思議なナンバーで、歌詞もしっかり刺さってくるという、ポップソングとは安直に判断し難い奥深さを持ってます。

歌詞は読まない派の私にもバンバン刺さってくる『殺しのワンフレーズ』を持ってます。

#7『僕のお父さん』

なにやら幼き頃の桑田家の複雑な事情を思わせる歌詞ですね。

下世話な詮索はせずとも、『親の不仲が子供に与える孤独感』は普遍的なテーマとして胸に刺さってきます。

アコギとハーモニカのみによる飾りっ気のなさが、余計に心を打ってくるんですよね。

扱う楽器が増えれば表現の幅が広がるわけじゃないってことをこの曲が教えてくれます。

#8『真夜中のダンディー』

最初にシングルカットされたポップナンバー。

ビジネスに明け暮れ、心が空っぽになっている現代の男たちの哀愁を歌っていますが、曲調が明るいのでそれが救われるというか。

『世に万葉の花が咲くなり』収録の「ニッポンのヒール」みたいにくすっと笑えるというか。

これが「僕のお父さん」みたいな曲調で歌われたら、結構凹むサラリーマンが続出すると思います(笑)。

どっかに優しさがあるんですよね。

対象を風刺はしていても攻撃はしていないからなんだと思います。

#9『すべての歌に懺悔しな!!』

「歌詞が長渕剛や矢沢永吉のことを歌っている」

としてマスコミが取り上げたせいで、長渕さんと揉めることになった問題作です。

けど、それで怒るのもすごくカッコ悪い話で、

「おだてりゃ木に登るエテ公ってのは俺のことか!」

って認めているようなもので、間抜けな絵面というか(笑)。

で、この論争は長渕さんが大麻所持で捕まって

「儲かる話とクスリにゃ目が無い」ことを証明してしまうというオチが付きます。

ただ、こんな話のせいで、この曲のもつ普遍的なテーマが安っぽくなってしまったのが残念。

これは世界中のいわゆる『業界あるある』を暴き出した曲であって、特定の個人の悪口を言うような安っぽい曲ではないんですよね。

本作では一番ロックを感じたナンバーで、私は大好きです。

ボーカルがビートに乗ってて快感指数が高いし、小倉さんの弾きまくっているリードギターが秀逸。

なんかもう全編ギターソロ状態に弾きまくってます。

#10『孤独の太陽』

タイトルナンバーですけど、影が薄い地味なナンバーです。

ただ歌詞がヘヴィで、いろんなコミュニティに属すことが出来ない、いわゆる『引きこもり』について歌ってます。

この曲なんてまさに『俯瞰の視点』しかないですよね。

ただ描写があるだけで、そこに救いもなければ解決策も提示していないんですから。

桑田さんの本作における立ち位置を象徴しているナンバーとも言えます。

それはある意味の優しさだと思うんですよね。

誰もアドバイスなんて欲していないのに、勝手にアドバイスをしようとしたり、本人が実現できそうもない解決策を提示したり、価値観を押し付ける人って多すぎです。

答えなんて提示しなくても、ただ話を聞いてもらえるだけで救われることがある。

ただ知っていてもらうだけで救われることがある。

そんな現実(引きこもり)を「認知してる人がいる」ことが伝わるだけでも救われることっていうのもあるのかもしれないですね。

これは戦争や被災地に対してのスタンスもそうなんですが、ただ「見守る」ということも実はとても大切で、もっとも絶望的なことは『無関心』なんだと思います。

#11『太陽が消えた街』

本作で一番好きなナンバー。

もう好きすぎます。

このメロディ、世界観ともにツボりましたね~。

『曲先』と言われる桑田さんの作曲の場合、曲から感じられる世界観と歌詞の世界観が乖離(かいり)することも多いのですが、この曲なんかは

「この歌詞にはこのメロディしかないだろ」

ってくらいバチッと合っているというか。

これもいたずらに希望的観測を入れたり、解決策を提示したりなど一切なく、ただ薄汚れた社会の闇を描き出しているだけなんですよね。

なので、生々しいほどにリアル。

この頃の桑田さんって、サザンでメガヒットして世間一般的には世界で一握りに入るセレブの世界の住人なわけでしょ?

芸能人長者番付とかに名を連ねるような存在ですよ。

それなのにこういう社会のピラミッドの最底辺の住人たちの闇を題材にするのってすごいな~。

だって、そんな臭いものに蓋をして見ないようにして暮らしているわけじゃないですか、『セレブの天上人』たちって。

「隣の空は灰色なのに幸せならば顔を背けてる(『真夜中のダンディー』)」

そうでしょ?

そんな立場になっても、この観点を持ち続けている桑田さんは生まれながらのアーティストなんだと思いますよ。

どっかの『クスリにゃ目が無いバカヤロ様』に爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいです(笑)。

#12『貧乏ブルース』

まさに道化師・桑田佳祐の真骨頂。

強烈で痛快すぎる。

中学生の頃なんかはま~るで意味分かんなかったですね(笑)。

本作はやっぱりアダルトなんですよね。

子供じゃあ、本作の魅力は絶対分かんないでしょう。

さっきのお酒の話でいうとこの曲はシングルモルトウイスキーの滋味といったところでしょうか?

大人になってから聴くと、この桑田さんみたいな視点を持ったまま大人になることが出来なかった自分に気がついてしまいます。

「俺が風刺されてる側にいるのかも」

なんか悔しいな~。

しかしこれも桑田さんのボーカルがリズミカルで小気味いいですね。

ビートに乗っかるボーカルをやらせたら桑田さんの右に出る人いないですよね。

#13『JOURNEY』

この頃、お袋さんを亡くしているのですが、母を送る歌になってます。

サザン、桑田ソロのラスト曲が好きなことって実はあんまりなかったんですが、これは素晴らしい。

道化師・桑田佳祐が最後の最後でその仮面を脱ぎ、『素』を見せます。

これが泣かせるんですよね。

等身大の自分を表現するかのように、アコースティックで統一された世界観には優しく包み込まれるようです。

 

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