『フォーリング・イントゥ・インフィニティ』ドリームシアターが最も苦しかった時代の試行錯誤がにじみ出ている作品

どうも、Simackyです。

本日はドリームシアター1997年リリース4作目『フォーリング・イントゥ・インフィニティ』をご紹介します。

これはドリームシアターの全15枚のオリジナルアルバムでもかなり問題作とされる作品で、13作目『アストニッシング』とトップ2なのではないでしょうか?

どのあたりが問題作とされ、実際の音楽性はどうなのか?

ビシバシ語って行きますよ~。

「とにかく売れなければならない!」危機的状況

本作を語る上で『セールス』は非常に重要なキーワードになってきます。

それは本作がかつてなく『売ること』を課された作品だったからです。

そのことが本作の作風に強い影響を与えています。

それでは、ドリームシアターがデビュー以来どのようなセールス結果を辿ってきたのか?

説明していきましょう。

まず、ドリームシアターのデビューは1989年。

ヴォーカルはジェイムズ・ラブリエの前任でチャーリー・ドミニシを擁していました。

前評判では「メタリカ・ミーツ・ラッシュ」とも「超絶技巧集団」とも言われ、鳴り物入り感が半端ないデビューを飾ります。

しかし、セールスはまったく振るわずチャートの圏外。

そこでヴォーカルをラブリエに替え、満を持してリリースした自信作は見事ゴールドディスク(全米50万枚)を獲得します。

そう、メタル史に残る屈指の名盤となる1991年2作目『イメージズ&ワーズ』ですね。

ヒットシングル「プル・ミー・アンダー」がシングルヒットしたこともあり、名実ともに『プログレッシブメタルの雄』としての存在を確立しました。

「やった!頂点取ったど~!」

というのも束の間。

1991年といえば、ニルヴァーナが『ネヴァーマインド』、メタリカが『ブラック・アルバム』というシーンの流れを大きく変えるモンスターアルバムを同時にリリースした年です。

それまでのヘヴィメタルの要素、すなわちハイトーンヴォーカル、ギターソロ、大作主義、現実離れした歌詞といったいわゆるヘヴィメタルの様式美はダサいものとされ、グランジ/オルタナティブが一気に台頭したんですね~。

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う~ん、これって…

ドリームシアターの音楽性の9割くらい否定されてないかな(当てはまらないのは歌詞だけか)。

時代は『ブラック・サバス的』『ヘヴィさ』『生々しさ』が合言葉になります。

ドリームシアターはプログレッシブメタルという一大ジャンルを築き上げたと同時に、ジャンル自体がいきなり大逆風にさらされるわけですよ。

前作のヒットから上昇気流に乗りたいレーベルは

「時代はヘヴィさが重要だ。取り入れろ!」

と音楽的方向性を指し示します。

そこで時代の風潮に合わせ、7弦ギターを取り入れたドリームシアター史上屈指のダーク&ヘヴィアルバム1994年3作目『アウェイク』をリリース。

これがセールス的に大コケしちゃうんですよ。

セールスは前作の半分ほどの売上。

ヒットシングルが生み出せなかった。

次にこかしたらレーベルから契約を切られかねないという危機的状況のなか、レーベルから音楽的内容に関して何かと注文をつけられたり、ダメ出しをされながら生み出したのが本作『フォーリング・イントゥ・インフィニンティ』というわけです。

作風としては「短めの曲を増やす」、「テクニカルなインスト部分を減らす」、「キャッチーでラジオで流しやすい曲」という

およそそれまでのドリームシアターの特徴が減退した作風

だったために、少ないながらも、せっかくそれまでのドリームシアターを支持してきたファン層からすると、

「な、なんじゃぁ~?なぜにこないなことになったんや!」

って感じだったんですね。

私も当時

「で?一体何がしたいの?やっぱ『イメージズ&ワーズ』はまぐれだったのかな?」

ってなりましたから。

シングルヒットも生まれなかったため、新規ファン獲得にも失敗し、旧来のファンも戸惑わせる…

こんなことわざが脳裏をよぎります。

『二兎を追うのもやめて必死で一兎しか追ってないけど一兎も得ず』

そんな散々な結果に終わってしまったのですが、実はこの内容が振り返ってみるとめちゃめちゃ面白いんですよ。

リアルタイムってのはそれまでの作風の流れからあまりにも逸脱していると酷評され『問題作』扱いされるのですが、長いスパンでアーティストの作品を見た時に再評価される作品があります。

本作はまさにそうした作品だと思います。

マーケットに見るドリームシアターの音楽性の変遷

アーティストなんて自由業のように見えて実際は営業マンのようなものなんです。

ちゃんと売って、会社に実績を見せつければ何も言われることはない。

会社から信頼のある営業マンは報告書の提出も少なくて済むし、会議でネチネチと営業のやり方を否定されないわけです。

「売上目標クリアしてんだからそのままのやり方で問題ないんじゃね?好きにやっときな」

ってなわけです。

で、ドリームシアター(=売れない営業マン)はその作曲に関すること(営業方法)にまで会社からネチネチ言われるというわけですね。

大作を作れば

「そんな長い曲なんか作ってるから売れないんだ!もっとラジオで流せる短い曲を作れ!」

2枚組140分の楽曲が揃えば

「今どき2枚組なんて売れるわけ無いだろう!?そんな売れない発想してるから売れないんだ!却下ぁっ!」

散々なわけです(笑)。

しかし、散々な思いして作ったのに結局、本作は売れません。

それどころか前作のさらに半分ほどの売上になります(全米14万枚)。

そうしたことからの開き直りからか、本作で収録を見送った「メトロポリスPart2」をコンセプトアルバムとしてリリースすることになります。

ファンの間では『起死回生の最高傑作』とは呼ばれていますが、実はこれも売れ行きは本作とどっこいどっこいなんです。

しかし、長年のワールドツアーを続けてきた結果として、ドリームシアターの熱烈なファンを水面下で地道に増やしていたのでしょう。

会心の力作『メトロポリスPart2』をリリースした頃には、プログレッシブメタルという様式を愛するコアなフォロワーを世界中に抱えるバンドになってました。

つまり、アルバムを出せば大きくはないけれど確実に一定数の固定ファンが買ってくれるマーケットが出来上がっていたのだと思います。

それに、固定ファンがいると動員数がブレないから、

「大きな会場押さえたけど全然集客できなくてコかしてもうた。思いっきり赤字だ」

みたいなリスクがない分、確実に収益を出せます。

適切なキャパの会場を数こなしていけばちゃんと収益出せるんですよ。

実はこうした理由で、大きなヒットがなくとも、なんとかレーベルから契約を切られることなく活動を続けることが出来たのです。

そして、こうした固定ファン層の獲得がその後のドリームシアターの作風にものすごい影響を与えています。

ドリームシアターの4作目である本作までは

「あの手この手で新規マーケット(ファン)を開拓しようとする作風」

が見られるのに対し、5作目『メトロポリスPart2』以降は

「できあがった固定マーケットを満足させる作風」

になっているからです。

キーボードがジョーダン・ルーデスに変わったから、とかいうのは本質的な問題ではありません。

ファンの皆さんは気づいていないかもしれませんが、客観的に見ると5作目以降は実はマニアックで閉鎖的なんですよ、ファンでない人から見ると。

内側に向けた作品なんです。

『メトロポリスPart2』が最高傑作だという意見は、ドリームシアターファンの視点としての典型的なもので、一般リスナーの目線ではないと感じます。

決して否定しているわけではなく、どちらがいいという話ではありません。

クオリティではなく作品の持つ特性・性格の話です。

その後の作品たちも内容はどれもすばらしいです。

しかし、プログレッシブメタルというジャンルの外にいるリスナーをも開拓する作風として評価するならば、初期4作ほどのものを強く感じないんです。

これはもう全然違います。

5作目以降は実は根本的なところがファン目線からあまりぶれておらず、基本フォーマットが共通しているんです。

というより『メトロポリスPart2』でファンを納得させられる黄金パターンを確立したと言ってもいいでしょう。

「これが皆が喜ぶプログレッシブメタルだな」みたいな。

その後はドリームシアターの各要素である明るさと暗さ、テクニックとメロディという配分を変えているだけに過ぎません。

右に左に振り切ってもあくまで同じフォーマットの中から逸脱しません。

だから8,9作目辺りから各種レビューで「マンネリ」って言葉が見え隠れしだすんです。

8作目『オクタヴァリウム』のようにバランスの取れた作風も、一見売れ線風と捉えられがちですが全然違います。

あくまでさまざまな好みが混在するファン層の最大公約数を狙ったものであり、一般層の開拓としては若干弱いかなと(それでもチャートアクションは以前よりは良かったですが)。

だって一般リスナーを開拓しようという時にラスト曲が1曲24分なんてありえないでしょう?(笑)

そんな曲を収録していることからして、これを当たり前に受け入れてくれるマーケットに向けて投下している証拠ですよ。

1曲24分を当たり前に思ってるそこのあなたは立派な『ドリムシ中毒者』ですからね?自覚しましょう(笑)

この基本フォーマットは11作目まで続き、12作目でようやく軌道修正を加えます。

各曲の平均タイムを大幅に短くした『脱大作主義』でも、まだまだ同じフォーマットの中から飛び出したほどには感じませんでした。

まあ、CDが売れない時代になったので、固定層のファンを囲い込まなきゃならない必要性もあるわけですが(何度も言いますが、新規開拓だから素晴らしいという話ではありませんからね?)。

それに対し、初期の4作はアルバムごとにフォーマットがバラッバラ。

見事なくらいとっちらかってます(笑)。

「あちゃ~…迷走しちゃってんな~」

って感じです(笑)。

つまり、何を言いたいのかというと、本作はドリームシアターにとって1つの節目だということです。

本作までのドリームシアターは『一般リスナーたちの目線』という戦場で戦っていたんですよ。

現在のようにホームグラウンドで戦っているんじゃなく、圧倒的なアウェイの地で戦いを挑んでいるんです。

「もう色々言われすぎてごちゃごちゃになって、どこのどなたに向けて作品作ってんのかも分かんなくなっちゃった…」

みたいな(笑)。

それぐらい混沌としちゃってますが、初期4作には混沌から生まれるパワーが秘められています。

だからこそ私にはこの初期が愛すべき作品たちに見えてくるんですね~。

チャレンジしてる感じが凄い伝わってくる。

自分たちの基本フォーマットに全く頼ってない(出来上がってもないし)。

ストリーミング配信時代になってからは5作目以降をディープに聞きまくってたので、久々に全然聴いてこなかった本作を聴いた時の衝撃はそりゃすごいもんでした。

実は本作はかなり私の中で評価高いです。

やっぱり自分たちを応援してくれる人たちに向けて作るものと、自分たちのことを知らない人たちに向けて作るエネルギーは違うってことなんでしょうか?

そんなことを考えさせられてしまう作品です。

『フォーリング・イントゥ・インフィニンティ』のおすすめ曲レビュー

初期4作はフォーマットがバラッバラだと書きましたが、その中でも本作はとりたてて異色です。

それが非常に面白いので、リアルタイムで大嫌いになった人は是非もう一度聴くことをオススメします。

ドリームシアターを長く聴き続けてきた人ほどここに立ち戻ってほしい。

発見がたくさんあります。

なんでこんな作風が違うのでしょうか?

まず、レーベルから課された『売れる』条件という外部的要因、そして本作のみキーボードを務めるデレク・シェリニアンの存在です。

デレクはこの前にリリースした『ア・チェンジ・オブ・シーズンズ』でもプレイしていますが、あちらはオリジナルアルバムとしてはカウントされておりません。

20分超えの大作が1曲とカヴァー曲という異色のEPです。

内容はいいですよ。

しかしデレクはルーデスを聞き慣れたあとで戻ってくると、どっちかというと前任のケヴィン・ムーアに近いと感じましたね。

ソロでガンガン目立つというより曲の雰囲気づくりに長けています。

このアルバムのオリエンタルで摩訶不思議な空気感は彼の貢献度が高いです。

まあ、本作が嫌いな人にとっては何も入ってこないでしょうが(笑)。

特筆したいのは、周りを活かすためにペトルーシが空間を空けていることです。

ギターの音量も大きくないし、弾いていないときの無音空間が目立ちますね。

それは前作でもそうだったのですが、それ以上です。

この音の隙間が目立つことから、本作と前作は「プロデュースが詰めきれていない」とか言われるのですが、音を埋め尽くせばいいというわけではありません。

これがいいんです。

まあ、たまにはスカスカしすぎて間抜けに聴こえてしまう場面もありますが(笑)。

ペトルーシが空けて、デレクは出しゃばらず周りの雰囲気を作っているから、ど真ん中のマイアングのベースもすごく生き生きとして聴こえてくるのも本作の特徴ですね。

こういう風に空間を空けるとポートノイの繊細なハイハットワークが非常に生きるんですよね。

ラブリエに関してはこの頃までが高音域という点ではピークかな?

久々に聞くと「ラブリエ声出てんな~!」ってなりますよ。

軽く感動を覚えました。

長くなったので今回はおすすめ曲だけレビューいきますよ!

#4『ホロウ・イヤーズ』5:53

え、演歌が始まるのか?

一瞬細川たかしが登場するのかと思いました(笑)。

ナチュラルですね~、スタンスが。

あまりにリラックス効果が高いため、肩の力が抜けすぎて脱臼してしまいそうです。

チープな表現ですが、『自然』とか『川のせせらぎ』とか、そういうイメージを湧かせる楽曲が多いですね、今回。

ドリームシアターのバラードではかなり人気高いです。

#5『バーニング・マイ・ソウル』5:29

おそらく本作で一番人気の曲。

一本気で変化球がない!

極めてシンプル。

ちょ、このドラム私でも叩けますよ(笑)。

ドリームシアターには珍しくストレートなアンセムソングで、これはライブで大合唱が起きること請け合いですね。

なんとギターソロがなく、代りに珍しくデレクのソロを聴くことができます。

#8『テイク・アウェイ・マイ・ペイン』6:03

これほど異色な楽曲はドリームシアターの歴史でもそうはないでしょう。

本作に違和感を感じる理由の大半はこの曲の存在ではないでしょうか?

しかし私は本作中で一番好きだったりします。

この曲は『ドリームシアターに求めるものが強い人』ほど拒否反応を示すでしょう。

リズムがレゲェというわけでもないのに、カリブ海が浮かんでくるのは何故でしょう(笑)。

世界遺産とか旅番組とかのイメージがグワーッと浮かびますよね。

この方向だけで一枚作ってもらいたいくらい浸れます。

#9『ジャスト・レット・ミー・ブリーズ』5:28

なんかファンキーだなぁ。

こういうノリノリのグルーヴ感で攻めてくるドリームシアターって珍しいですよね。

ベースがグイグイ引っ張って、短く歯切れの良いヴォーカルがビートにガンガン乗っかる感じたまらないです。

明るくてどストレートなファンクロックのように思えて、実は変拍子も入り、キーボードがまるでゲームサントラのような雰囲気で曲を締めます。

かなり好きなんですが残念ながら、このノリは12作目『ディスタンス・オーバー・タイム』まで封印されることになります。

#10『アナ・リー』5:51

2回目のバラードです。

静かなピアノ弾き語りで始まるので、中期から後期の作品に耳が慣れすぎていると「ボヘミアン・ラプソディのオマージュでもおっぱじめるのか?」と思わず身構えてしまいます(笑)。

まあ、こそっとブライアン・メイみたいなギターの音が聞こえますが(笑)。

前作『アウェイク』に比べハイトーンの声に力強さをあまり感じないので、やっぱりヴォーカルとして声質が変わる過渡期に来てたんじゃないかな。

けどメロディは気持ちいいです。

で、やっぱりボヘミアン・ラプソディみたいな終わり方しやがった(笑)。


はい、というわけで本日は『フォーリング・イントゥ・インフィニンティ』の解説でした。

『リアルタイムで駄作扱いされた作品は未来の傑作』を地で行く作品です。

今のドリームシアターをレビューで「マンネリ」とか言ってる人はこれ聴いてください。

あなたの知らないドリームシアターがいます。

no music no life! 

”音楽なしの人生なんてありえない!”

Simackyでした。

それではまた!

●ドリームシアターの全アルバムレビューはこちら⇩(そこから各アルバムの詳細レビューへ進むこともできます)

【ドリームシアターの最高傑作はどれだ!?】おすすめアルバムは?~全アルバムの歴史を語る~

 

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