『アストニッシング』ドリームシアターが映画的な作風に挑戦した意欲作!
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
本日はドリームシアターが2016年にリリースした13作目のオリジナルアルバム
『ジ・アストニッシング』
を語っていきますね。
さあ、いよいよドリーム・シアター全アルバム解説シリーズも佳境を迎えてきました!
本作はドリームシアター史上、最も物議を醸した大問題作と呼んでもいいのではないでしょうか?
こういう『叩かれた』作品をプレゼンする時ほど私は燃えるんですよ(笑)。
しかも私、結構、いえ、かなりこのアルバムを好きだったりするものだからなおさらです。
本作が現在の評価を覆し、10年後に「ドリームシアターの傑作だ!」と呼ばれる作品になることを期待して、あなたが速攻でポチりたくなるほどのプレゼンをカマしますので覚悟してくださいね!
そして今回は曲が多すぎるため各曲のレビューはしません。
34曲2時間10分もあるのでそんな事してたら日が暮れます。
それよりも本作を低評価の深海からサルベージしてあげるために時間を使います。
それでは行ってみましょう!
『メトロポリスPart2』以来のストーリー型アルバム
本作は一応『コンセプト・アルバム』とされています。
『一応』と表現した理由はあとの項で説明します。
ドリームシアターのコンセプトアルバムといえば、5作目まで遡って名盤の『メトロポリスPart2』ですよね。
まあ、ドリームシアターの作品には何かしらのコンセプトが大なり小なりいつもありますので、久々な感じはしないのですが。
通常のコンセプトアルバムよりももっと具体的に、説明的な歌詞になってます。
『歌詞』というよりもはや『物語』を読み上げているような感すらあります。
はい、ここ重要ポイントですよ。
歌詞を聞くだけでストーリーが分かりやすく頭に浮かぶような工夫をしてあるんですね。
で、肝心のストーリーは近未来モノです。
「音楽の失われた世界において、主人公が音楽の力で世界を変える」
というストーリー。
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ねぇねぇ、この脚本ってさぁ?
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クラスメートの田中くんが文化祭用に書いたのかな?
い、いかん。思わず毒舌がこぼれ落ちてしまった。
サルベージするんだSimacky、低評価の深海から。
引き揚げてる途中で「やっぱり見なかったことにしよう」としちゃ駄目だ。
だって、だって、だって、なんか
設定聞いているだけで恥ずかしくなってくるんですもの!
ストーリーに関してもかなり酷評されてはいますが、私はいつものことながら『歌詞は読まない派』なので、まったく意に介しません。
音楽が良ければいいです。
そして音楽は掛け値なしに素晴らしいです。
にもかかわらず、評価は『メトロポリスPart2』と雲泥の差。
もちろんあっちが雲で本作が泥です。
一体どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?
なぜこうまで評判が悪いのか?
レビューを読むと罵詈雑言が溢れてます。
「ドリームシアターらしくない」
「もっとテクニックの応酬を」
「スリルがない」などなど。
これは比較的まだ軽い方の否定レビュー(笑)。
あなたもレビューを読んでみてください。
ここまで否定的なレビューが多いのはドリームシアターで他にないです。
何故か?
それは、本作がちょっと”特殊な”作品だからです。
このカラクリは普通はなかなか気が付きませんのでじっくりプレゼンします。
しっかり付いてきてくださいよ?
本作は、まあ一見するとコンセプトアルバムなんですが、普通じゃない生い立ちを持っています。
通常のコンセプトアルバムは各曲の歌詞がストーリーとしてつながっていたり、印象的な主旋律が各曲に共通していたりします。
『メトロポリスPart2』も本作もこの点は共通してます。
しかし、結果は同じでもアプローチの仕方が根本的に違うんですね。
コンセプトアルバムはまず『楽曲ありき』であるのに対し、本作は『ストーリーありき』『映像ありき』で作り始めているんです。
先に表現したいストーリーなり映像的なものがあって、その場面、場面に合う音楽を作っていった、という過程を経ているので作り方が全然違う。
ここまで話を聞くと
「要はサントラ的な作り方をしたってことでしょ?」
と思われるかもしれませんが、サントラ”的”ではなく本作はまごうことなき
『サントラ』
なんです。
この作品をサントラと私が断言する理由
「本人たちがコンセプトアルバムっていってるんだからそれは馬鹿にし過ぎででしょ」
と思われるかもしれません。
これはこき下ろしているわけでも馬鹿にしているわけでもありません。
本人たちも知らず知らずのうちにサントラを作ってしまっていることを自覚していないんです。
作曲というのは『詩が先で曲が後』の場合もあれば、『曲が先で詩が後』の場合もありますよね?
『メトロポリスPart2』は後者で本作は前者のパターンだと。
皆そう思っているんです。
「単にそれだけの違いじゃん」と。
しかし、今回のこの『歌詞』は単なる歌詞ではなく『ストーリー』であり『具体的な映像まである場面』なんです。
世界観やキャラ設定がヴィジュアル的にも出来上がりすぎている。
映像作品としても出そうとしていたくらいなので。
そしてその映像的な場面、場面に最適な音楽を作り当てはめていくという作曲プロセスは、これはもう完全にサントラの作曲プロセスになってしまっているんです。
皆さんもサントラを依頼されたときの制作場面を想像してみてください。
多分、いくつかの曲を作り、映像と一緒に流してみた上で
「あちゃ~。音楽自体はいいと思ったんんだけど、ここで使うと雰囲気壊すよね…」
みたいな試行錯誤を繰り返しながら進めていくと思うんですよね。
そこにあるのは、映像作品をより良きものにするためのプロセスであり、自分たちの音楽を探究するというプロセスではありません。
つまりサントラであるということはドリームシアターの純粋な作品とは呼べないということです。
所有権がバンドではなく映像作品に帰属するといえば語弊があるでしょうか?
コンセプトアルバムではないし、そもそもオリジナルアルバムとさえ呼べないものなんですよ本質的に。
コンセプト(オリジナル)アルバムは純粋にミュージシャンの自己表現作品であるのに対し、サントラは映像作品の補助作品なんです。
この違い分かります?
つまりサントラは作る人の自己表現の場ではないんですよ。
ジャンルが違うんです。
コンセプト(オリジナル)アルバムには『ドリームシアターらしさ』が出てないといけないけど、サントラは『そのストーリーらしさ』や『その場面らしさ』『そのキャラらしさ』が出ていないと駄目なんです。
ドリームシアターらしくない?
当然じゃないですかサントラなんだから。
本作が物議を醸したのは出し方を間違っちゃったからだと思うんですよ。
『本来であればサントラ(映像作品の補助)としてのスタンスで聴くのがちょうどいいのに、リスナーがコンセプトアルバム(ドリームシアターの自己表現作品)を期待して聴いている』
という”ねじれ”が生まれているためなんだと感じました。
なぜコンセプトアルバムだと思ってしまうのか?
先に結論を言いましょう。
今回、コンセプトアルバムとサントラを混同してしまったのは
『サントラを当てはめるべきストーリーが同時に歌詞の役目も果たしている』からであり、さらにそれ自体を外部の映像制作会社ではなく、サントラ作ってる本人が歌詞(ストーリー)を作ってしまっているからなんです。
だからこの混同が起きてしまう。
ちょっと⇩の仮定を想像してみてください。
あるミュージカル監督が『アストニッシング』というミュージカル作品を作り始めました。
で、今回はロックオペラな感じにしたいので、音楽担当をドリーム・シアターに一任しました。
「なんならユーも出ちゃいなよ」
ってことでボーカルのジェイムズ・ラブリエも出演して、劇中でドリーム・シアターの曲を歌い上げました。
その後、ミュージカルは大ヒット。
そして後日2枚組で『アストニッシングサウンドトラック』が発売されました。
こういう流れで本作を手にしていたならばどうでしょう?
これをコンセプトアルバムだとは誰も受け取らないし、そもそもサウンドトラックって書いてあるのに『ドリームシアターの13作目のオリジナルアルバム』だと思っては聴かないでしょう?
「あのスリリングな演奏が聴きたい!もっと大暴れしてほしかった」
とか言う人はいないと思うんですよ。
主体はミュージカルであり、サントラは主体の補助だからです。
ストーリーを活かすための音楽を手掛けているのに「オレがオレが」とドリームシアターの個性が出張っちゃ駄目なんですよ。
それぐらい誰でも分かるから上記のような文句は出ようがない。
しかし、本作はそのミュージカル脚本自体をジョン・ペトルーシがやってしまったことがねじれの始まりなんです。
このおかげでファンも本人たちですらも、これがサントラだということを認識できていない。
外部の人の脚本に音楽提供すれば『サントラ』と見なされるのに、ミュージシャンが自分で作った脚本(歌詞)に音楽提供すれば『コンセプトアルバム』と見られてしまうという構造的なカラクリがあるんです。
しかも、ミュージカルはお蔵入りして世には出ず、本来サントラとして出すはずのものが、ドリームシアターのオリジナル作品と銘打たれて出てしまった、というイメージが今回のリリースですね。
しかもそれに『今回はコンセプトアルバムですよ!』と宣伝文句までつけちゃったのだから始末が悪い。
ファンから見るとドリームシアターの正規のオリジナルアルバムが発売されたように見えるわけです。
で、物議を醸すんです。
完全にサントラとして作ったものを、リスナーはコンセプトアルバムと思って買うわけですから
「なんじゃいこりゃ!期待していたものとちゃうやないかい!これのどこにドリームシアターがいるんじゃい!」
となるんだと思います。
サントラなんだからドリームシアターはどこにもいなくて当たり前じゃないですか。
さらに始末が悪いのは、ペトルーシ本人も別にサントラを作ったという自覚がないため、その説明は当然ありません。
ペトルーシはあくまで『コンセプトアルバムの歌詞を書いた後に作曲に取り掛かっただけ』と思ってるんですから。
この失敗パターンは音楽の世界では割りとあると思うんですけど。
本作から遡ること35年前、キッスにも昔ありましたよね、1981年の『エルダー』って作品が。
『アストニッシング』が置かれた状況と酷似してます。
ジーン・シモンズが主導して、映画を作りながらサントラも作ってたけど、結局映画は出ずにサントラがコンセプトアルバムとして出ます。
当時はボロカスに叩かれたらしいです。
全然キッスらしくない作風だからそりゃあそうでしょう。
サントラとして作ってるわけだし。
「え、え~~~~~…」
ってなります(笑)。
リアルタイムのキッスファンは愕然としたようですよ。
けれども、現在は見直されてまして、意外に評価が高いどころか、「最高傑作!」とまで言っている人がいるのでレビューを読んでみてください。
つまり本作も今後評価が好転していく可能性を秘めているということです。
サントラはオリジナルアルバムとは根本的にジャンルが違います。
目的も概念もアプローチも違うからです。
カヴァー・アルバムをオリジナル作品としてはカウントしないのと同様に、本作も『13作目』に入れるべきものではありません。
半分カヴァー・アルバムだった『ア・チェンジ・オブ・シーズンズ』を4作目とは呼ばなかったでしょう?
そういう企画物とかタイアップものという位置づけでリリースしなかったマーケット戦略が悪かったわけで、これはレーベルの失態ですよ。
ファンを戸惑わせないためには、映像作品を何なりかの形でCDより先に出すことがマスト条件だったんですよ。
バンドと本作に非はありません。
みんなペトちゃんをいじめないで(笑)。
先入観を取り払ったその先に見えるもの
こんなにくどくど長たらしい説明したのは、これをサントラと思って聴くかどうか?が非常に重要だからです。
あなたの先入観はあなたが思っている以上に、作品を感じる感度に影響を与えています。
この説明を読んで
「理屈は分かったけど、音楽が良くないことに変わりはないじゃん。俺は理屈じゃなく本当に心に響かないから嫌いなんだよ!」
という声が聞こえてきそうです。
そんなこと考えたそこのあなた!
果たしてそうでしょうか?
音楽は同時代性にものすごく影響されます。
その当時に流行っていた音楽だったり、そのアーティストが出してきた作風の流れ、その時代に期待されていた音楽、自分がそのアーティストに求めるらしさなどなど。
それらから無縁ではいられません。
あなたの頭には自分でも意識しないバイアスが常にかかっています。
本作から遡ること20年前。
私も1996年メタリカの『LOAD』がリリースされた時はなかなかの衝撃度でしたよ。
人生であれほどの問題作に出会ったことはありません。
我々ファンが求める『らしさ』なんて微塵もなかった…。
聴くとイライラしてきて必ず過去の名作に手が伸びてましたね(笑)。
おそらく『アストニッシング』を聴いた多くのファンたちがイライラしてかつてのドリームシアターに手を伸ばしたに違いありません。
『トレイン・オブ・ソート』とかね(笑)。
だからそんな方たちにはかつての私に言うつもりで言います。
「とりあえずメタリカ(ドリームシアター)と思わないで聴いてみな」
と。
先入観がなくなると音楽は全然違って聞こえます。
まあ、そんな簡単に先入観なんてなくならないから、駄目な時は駄目です。
時間が経たないと解決しないかもしれませんけどね。
その時は5~6年は空けてまた聴いてみてください。
もし、2016年リリース当時に買って聴いたきり、もう6~7年は放置している人であれば、今(2023年現在)こそタイミングですよ。
自分の感性が変わっていることに、バイアスがなくなっていることに気がつけるかもしれません。
そしてまだ本作を聴いたことがない人であればすぐにでも聴くことをオススメします。
ドリームシアターを聴いたことがない人であれば最初の1枚としてオススメしたいほど。
先入観なしに聴くことができるから。
これは本当にいい作品です。
それだけに現在の低評価は非常にもったいないと感じています。
レビューには
「途中で寝た」
と言う人も結構いましたけど、私はこれをプラスで捉えます。
良い意味で本当に寝れます。
かなり安らかに。
それほど美しく優しい気持ちに包まれるハートフルな作品です。
だからあえて寝る時に流してみてください。
流し聴きで構いません。
理屈ではなく、心で聴いてみてください。
歌詞を読む必要なんてありません。
2時間以上もあるし、集中して最初から最後まで歌詞カード見ながらって、そりゃ無理ゲーですよ。
ファイナルファンタジーやドラクエのサントラを流している感覚でちょうどいいんです。
その意味ではCDではなくまさにストリーミング向きですね。
それが本作との心地いい付き合い方だし、他のドリームシアター作品が与えてくれない唯一の感覚を与えてくれる作品であることは保証しますよ。
最後にこれは断言します。
『アストニッシング』はサントラの超名盤です。
はい、本日は『ジ・アストニッシング』を語ってまいりました。
ぜひ聴いてみてください。