『ザ・システム・ハズ・フェイルド』メガデスの逆襲が始まる!

どうもSimackyです。

本日はメガデスが2004年にリリースした10作目のオリジナルアルバム『システム・ハズ・フェイルド』を語っていきたいと思います。

メガデス混乱期の真っ只中にリリースされた作品のためレビューでもかなり混乱が見られます。

この当時のデイブ大佐の言動、行動には不可解なものが多いです。

当時のレビューではよく本作がメガデスの解散前最後のアルバムだと思って書いている人がいるのですが、それだけ当時は情報が錯綜していたということですね。

なのでまずは時系列を整理してみましょう。

前作から本作に至るまでの流れ

マーティが抜け黄金メンバー期が終わった後、2001年にリリースした9作目「ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー」で新生メガデスとして再スタートを切ったメガデスですが、わずか1年後の2002年にはデイブ大佐が「腕が動かなくなった」とか言ってメガデスを電撃脱退します。

当時、メタル雑誌「BURRN!」でインタビューに答えていたのを思い出すと、なんか割と軽い感じだったんですよ。

「ただ寝てて起きたら腕がいきなり動かなくなってたんだ。なんか腕を体の下にして寝ていたのがいけなかったみたいでね。医者からはもう二度とギターは弾けないと言われたから、ギタリストとしてメガデスに参加することは無理で、これからは作曲業に専念していくことになるだろうね」

まとめるとこんな感じだったと思います。

もうツッコミどころ満載のインタビュー(笑)。

なんかね、「もう二度とギター弾けない」って宣告された人の割にはやけに普通に話してるんですよね。

普通もっとなんかあるだろ?

自分の運命を嘆いたり呪ったり、自分にとってギターを弾くことがどれだけ生きがいだったのかとか。

そんなコメントは一言もなかった記憶があります(笑)。

もうこの時点で白々しさが全開なんですよ。

そもそも腕を下にして寝ると二度とギターって弾けなくなるものなの?

青天の霹靂というか寝耳に水とでもいいますか。

「コーラを飲むと骨が溶ける」とかいう話くらい眉唾(まゆつば)ものなんですけど。

そんなことがあるなら、ある時突然ギターを弾けなくなった不運のギタリストで世界は溢れかえると思うんですけど。

BURRN!「ザック・ワイルドさん、突如の引退宣言ですが、一体全体どうしたんですか!?先月のムステイン氏に引き続いての悲報で、ファンも驚きを隠せませんが…」

ザック「いや~、大佐と全く同じで俺もうっかり腕を下にして寝ちゃってね。もう一生弾けなくなっちった。」

んなアホなことがしょっちゅう起きてたらロックシーンはとうの昔に崩壊してます。

それに脱退も何もメガデスはあんたのバンドやがな。

あんたが辞めたいと思ったら解散すれば良いんちゃうん?

胡散臭(うさんくさ)さ満載の楽しませてくれるインタビューでした(笑)。

これは『解散』なのか『脱退』なのかが当時は正直分かりづらく、解散ならばメガデスは消滅、脱退であれば新たにエレフソンか誰かがバンドを継続していくのか?よく分かんなかった。

で、結局、脱退後に解散になったんじゃなかったかな?

大佐もやっぱり二度と弾けないとかいうのは大げさで、治った後にソロとしてアルバムの制作を開始していた。

それが本作『システム・ハズ・フェイルド』です。

しかし、それをソロ名義でリリースしようとしたところ、レーベル(もしくはPR会社)からメガデス名義で出すように言われてメガデス名義でリリースする、と。

きなくせぇ~(笑)。

ここで大佐にはこんなスピードワゴンさんの名言を送りましょう。

こいつはくせえッ~!ゲロ以下の匂いがプンプンするぜェッーッ!こんな悪(ワル)には出会ったことがねえほどになぁ~!環境で悪人になっただと?ちがうねッ!!!こいつは生まれついての悪(ワル)だッ!!!!」(ジョジョの奇妙な冒険1部より)

そもそも大佐は脱退したんじゃなかったの?

脱退した人がなんでメガデス名義でアルバムリリースできんの?

権利関係しっかり握ったまんまやないかい。

どこまで大佐の話がホントかは分かりませんが、結果だけ見れば

メンバー総入れ替えでメガデス再始動

この事実が残っただけです。

色々インタビューなどから見えてくるのは、メンバーを総入れ替えするために脱退や解散といった茶番劇を演じたに過ぎず、旧メンバーたちは騙された形になった、というシナリオ。

相棒のエレフソンが裁判起こすくらいなので、かなり納得の行かない進め方をしたものと思われます。

大佐はそこまでしてメンバー入れ替えをしたいほど、そんなにラインナップに不満があったのかな?

さらにインタビューを読み漁ってみると、どうもこの時のメンバーがというより、バンドにおける『民主的な話し合い』とやらが性に合わなかったみたいですね。

メガデスは御存知の通り最高傑作と言われる『ラスト・イン・ピース』の頃からエレフソン、マーティ、ニックの黄金メンバー期になります。

この作品の時にメンバーの個性が際立ち、すごくアルバムに貢献したし、各メンバーにかなりの人気が出始めたこともあり、大佐はそれまでのワンマン主義を変化させ、らしくもなくこれ以降の作品でメンバーの意見を尊重するようになります。

その頃を振り返ったマーティの談では

「メンバーを褒めて理解を示してくれたし、メンバーの才能を開花させてくれた」

と表現されるほど、メンバーを褒めて伸ばすマネジメントをやっていたらしいです。

いがみ合って脱退したと思われていたメンバーから知らされる驚愕の事実!

なんとあのデイブ・ムステインがそんな金八先生みたいな状態だったなんて。

その結果メンバーがどんどん意見を言うようになり、我が強くなり、どんどん人のアイデアを聞き入れなくなり、衝突するようになり、大佐はらしくもなく調整役に回っていたとのこと。

「え~きぃみぃたぁちぃ、人という字は互いに支えあってヒトとなるのでぇす」

そんな大佐見たくない…。

最後の方は

「メンバーをバンドに引き留めるために彼らが満足の行く作品を作っていた」

と本人も語るほど気を使っていたらしいです。

でもそれだけ気を使ったにも関わらずニックもマーティも結局辞めていった。

で、新生メンバーを入れてみたけど、まだ若干1名、旧メンバーの頃の『民主的な意見の出し合いが当然だ』と思っている奴が残ってるぞ、と(エレフソンのことね)。

エレフソンとは兄弟のような仲だと私は思っていたのですが、もうすでにそのような関係ではなかったことはインタビューでも分かります。

そしてエレフソンがまるでフランク・シナトラみたいなピアノバラードを作って来る段階に至って長年の不満が爆発。

「これを俺に歌えってか!?冗談じゃねぇ!メガデスは俺のバンドだ。俺がやりたいようにやるし、やりたいことを具現化できるメンバーをその都度集める。意見は聴きたくない!」

で、突然バンドを解散させたかと思うと、今度は自分抜きでメガデス作品を勝手にリリースされたエレフソンは大激怒。

裁判沙汰となり本作から3作はエレフソン不在です。

こういう経緯でエレフソンと別れているので、13作目『13』でエレフソンが復帰しても14作目のオープニング曲『キングメーカー』までの間、エレフソンは作曲に関与させてもらえていないというわけですね。

こういう話も含めて「メガデスってオモろっ!」と喜んでしまういけない私がいるのですが(笑)。

反撃の狼煙~スラッシュメタルへの回帰~

前回『ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー』の記事では、

「メガデスは『リスク』までの歌モノ路線であまりにもメタルから遠くまで離れすぎ、もともとの立ち位置(判断基準)を見失ってしまったことが、『ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー』での迷走に繋がった」

と書きました。

さっきはボロクソに言ってしまいましたが(笑)、大佐が一旦解散という手段をとったのは、そうすることで意見の違うメンバーとの調整、レーベルからのプレッシャーやら時間的制限などから開放された上で、腰を据えて自己内省を行う狙いもあったのかもしれません。

自分はどこからやってきてどこに向かおうとしているか?

ファンはどうあることを臨んでいるのか?

それを分かった上で自分はどうしたいのか?

中長期的にメガデスというバンドをどういう風に持っていきたいのか?

具体的に考える時間をたっぷり持ったのでしょう。

10作目である本作からは前作にあったような迷いが見られません。

ここから15作目『ディストピア』でグラミー賞を受賞するまでは、迷いなく突っ走っているように見えるんですよね。

同じく『LOAD/RELOAD』を作ることで『判断基準』を見失い『セイント・アンガー』で迷走してしまったメタリカは、『デス・マグネティック』で原点回帰するまでに随分時間がかかりました(ちなみに『セイント・アンガー』は迷走しているとは言ってもそれはそれなりに面白い作品だし、セールス的落ち込みはないのですが)。

ここでメタリカ、メガデス両者の迷走からの復活の軌跡を追うと面白いことが分かります。

メタリカは迷走作2003年『セイント・アンガー』の後から現在2023年までの間に3作のオリジナルアルバムをリリースしました。

メガデスは迷走作2001年『ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー』の後から現在までに7作をリリースしてます。

つまりメガデスはメタリカに比べリリースペースが倍以上のスピードなんです。

それが何を意味しているのか?

求められる音楽を想像し、作品を生み出し、ライブでファンに聞かせ、反応を見て、次の作品に活かす。

このサイクルが倍のスピードで回転しているということです。

これはビジネスなどではいわゆるPDCAサイクルと呼ばれるもので、『仮定→行動→検証→改善』というサイクルを回すことで『成功』に近づいていくことができるという原則みたいなもの。

「そんなもん、バンドは皆やってることじゃないの?」

そう思ったそこのあなた!

これは『個人レベル』でやることはそう難しくありませんが、『グループレベル』でやろうと思うと至難の業なんですよ。

バンド活動における『成功』とはファンも喜び、セールスも好調で、自分たち自身もその音楽内容に満足していることを指すとしましょう。

しかしバンドが民主的な状態だと、満足しているメンバーもいれば満足しないメンバーもいるわけですよ。

あるメンバーが

「改善が必要だ」

と思っても他のメンバーが

「いやいや、ここはこれだったから良かったんでしょ?」

となると改善しようにもここでぶつかり合いが生じるわけですよ。

前に進まない。

メンバーが一枚岩のバンドであれば皆が一緒のゴールを目指しているからいいんでしょうけど、メガデスは残念ながらそうではなかった。

なのでデイブは再びワンマン体制に戻すことで、メンバーの満足という部分を切り捨てたことにより、自分の納得とファンの満足に集中することができたのではないでしょうか?

なのでこのPDCAサイクルがうまく回転した。

それも高速回転しました。

リリースペースが大御所とは思えないくらい早い。

人は自分が考え、自分で決定したことに関しては反省も改善もするけど、他人が決めたことに関しては自分の責任じゃないから反省も改善もないんですよ。

「あのアルバムは俺がやりたかった方向性じゃなくて、他のメンバー主導でああいう風になったんだ…」

みたいなことを考えていちゃ前に進めないんです。

人のせいにするからです。

一旦、全部の決定権を自分が握る体制を作ったことで、全てが自分の責任になる。

言い訳できないので、とにかくもっと良くなるようひたすら考えるしかないんです。

その結果、それまで民主的に進めていた頃よりPDCAサイクルがうまく機能するようになった。

「でもそれじゃあバンドじゃなくてソロプロジェクトじゃん」

と思うかもしれませんが、大佐にはそのやり方が合っているし、もともと黄金メンバー期以前のメガデスはそのやり方だったでしょう?

現に本作から明らかにメガデスらしくなっていきますから。

黄金期メンバーの印象が強すぎて忘れられてますけど、

メガデスの正体(本質)はデイブ・ムステインのソロプロジェクトです。

メガデスは本質的には『オジー・オズボーンバンド』みたいなものです。

こういうブログを書いているので毎回レビューをたくさん読むのですが、メガデスの近年の作品はファン目線にピントがドンピシャに合っていることが分かります。

ファンも本人も納得する作品にどんどん近づいていきます。

グラミー賞はまぐれや偶然ではなく取るべくして取っているというか。

これに比べるとメタリカはまだファン目線との間にズレが有ることが分かります(あくまでコアファンとの間の話ですが)。

具体的にどういうことかというと、近年の作品で自身のマスターピースとも言える過去作品にどれだけ近づけたか?

そこの差です。

単にリフとかスピードが似ているという薄っぺらい話ではなく、テンションとかスリル、殺気とかの話です。

メガデスは特に次作『ユナイテッドアボミネーション』次次作『エンドゲーム』で『ラスト・イン・ピース』もかくやというようなゾクゾク来る瞬間がはっきりと、そして何度もあります。

メタリカは『ハードワイアード~』のみで数曲のみあるかな?ってぐらい。

つまりメガデスのほうが先に進んでるんですよ。

それは試行錯誤のペース、つまりリリースペースが違うからです。

大佐…あんた今メタリカに勝ってますぜ?

デイブ・ムステインという人は破天荒なお人なのですが、音楽には常に誠実だし、ビジネス的には非常にクレバーですね(時に腹黒いのですが)。

本作からは毎回、作品制作で掴んだものを捨てることなく積み重ねていっている感じが伝わってくる。

その意味では本作は『メガデス怒涛の快進撃が始まった作品』とも言えるのではないでしょうか?

ファンを混乱のドン底に叩き落した脱退・解散劇ですが、長期的に見てあの判断は良かったのだと思います。

しかし、この方法論で進めていく場合、あまりバンドメンバーの発想に頼れなくなる分、負担やプレッシャーは大佐一人の肩にのしかかるでしょうに。

この先、かなりクオリティの高い作品を連発していくのは驚異的です。

デイブ・ムステイン恐るべし…。

 

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