『ステレオ太陽族』サザンがちょっと都会的に洗練された作品

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日は1981年リリース、サザンの4作目のオリジナルフルアルバム

『ステレオ太陽族』

を語っていきますよ。

『ステレオ太陽族』の評価は?

さて、本作『ステレオ太陽族』は私のような90年代のサザンから入った世代からすると、あまり印象が強くないアルバムです。

それは「この時期のサザンと言えばこれ!」っていう決定版のようなシングル曲がないためと思います。

1作目には『勝手にシンドバッド』、2作目には『いとしのエリー』という世代を問わず歌い継がれるシングルヒット曲が収録されていましたが、前作『タイニイ・バブルス』や本作には見かけられないからです。

とっかかりがないから、手が伸びなかったという表現がぴったりかも。

これは「3,4作目が良くない」と言っているわけじゃないので誤解しないでくださいよ?

もちろん収録されている曲は佳曲揃いで、中にはファンから長年愛され、今でもライブで演奏される曲だってあります。

前作では『涙のアベニュー』『C調言葉に御用心』や本作では『栞のテーマ』がそうですよね。

まあ『C調言葉に御用心』はシングルとしても、この時期の『ファイブ・ロック・ショウ』の5枚に比べたら全然売れてますが、先述のシングルヒット2曲に比べると半分くらいなんですよね。

けど、やっぱりシングルヒットした曲とでは露出のされかたが違うから、リアルタイムでない世代にとってはあんまり耳にすることがないんですよ。

「友達とカラオケに行ったら誰かが歌っていた」

とか

「ものまね王座決定戦や夜もヒッパレで誰かがあの曲歌ってた」

っていうことは、シングルヒットした曲じゃなきゃあり得ないわけで。

なので、リアルタイム世代ではかなり評価が高い作品であるにも関わらず、のちの世代にあまり手に取ってもらいにくい作品が前作『タイニイ・バブルス』と本作『ステレオ太陽族』なんだと思います。

ちなみにこの次の5作目『ヌードマン』にはシングルヒットと言えるほどのビッグヒットは出ませんでしたが、アルバム自体が100万枚近く売れて、堂々たる『名盤』の地位を築いているので、わりかし手に取る機会が多いんじゃないかな?

ジャケットデザインとタイトルが敷居を上げる

さらに言うとこの『イロモノ感』の強いアルバムジャケットも手に取りにくい原因でしょう。

猫の顔がドアップで写っていたかと思えば、今度は『セーラー服を着たひょっとこ』ですよ?

ちなみに『世に万葉の花が咲くなり』でサザンに入門した当時中学生の私は、

「よし!昔のアルバムも開拓しよう!」

とCDショップでサザンアルバムをあれこれ見るんですけど、これらのジャケットには面食らいましたからね。

「う~ん、うさんくさい」

もうね、色物バンドにしか見えません(笑)。

「あれ?好きになるバンド間違ったちゃったかな?」

みたいな。

サザンの全カタログを並べてみて、何も知らない人にジャケ買いで選ばせたら一番最後まで手に取ってもらえない可能性が大きいのが本作だと思いますよ(笑)。

すぐにスマホで調べられる現代と違って、何の情報も持ってない当時の中学生が、過去作を掘り返す時なんて結局ジャケ買いになるわけですからね。

ジャケットって大事です(笑)。

ましてやタイトルが『ステレオ太陽族』ですよ?

意味分からん(笑)。

『太陽族』っていうのは石原慎太郎(元東京都知事)の書いた『太陽の季節』という小説がブームになった時に、その小説の中に出てくる若者たちのライフスタイルを指して『太陽族』と呼んだみたいで、そこから取ったそう。

この小説をたまたま昔読んだことがあるんですが、まあ、胸くそ悪くなるような内容です。

不道徳な金持ちボンボンたちが社交界で女をとっかえひっかえしてヨットに乗って女に乗って腹ませた挙げ句、飽きたら捨てるみたいな、ク●みたいな若者しか出てきません(怒られるよ?)。

悪役がじゃなくて主人公がそもそも『う●こ野郎』です。

読んでいて不愉快さしか残りませんのであまりおすすめはしませんが、当時の若者をかなりリアルに描写している点だけはすごいです。

その『太陽族』に『ステレオ』ってつけるのは、『太陽族のバンド版』みたいなイメージなのかな?

つまりは自分たちのことを指して

「俺たちはヤリ●ンバンドだぜ!」

っていうことを高らかに宣言されておいでなのかもしれませんが、まあ、『女呼んでブギ』や『ブルースによろしく』のようないかがわしさ極まりない変態ソングを作ってきた彼らなので、今さらこんな宣言をされても

「はい、存じ上げております」

としか答えようがないと言うか(笑)。

この不可解なジャケットに不可解なタイトルが本作をして『後追いファンに手に取ってもらえない敷居の高さ』をもたらしているのは間違いないでしょう。

そんな感じなので、CD時代は結局手に取らず、私が本作を聴くのはストリーミングの時代になってからです。

収録曲はジャケットとは真反対の内容

しかし、本作の内容はと言えば、このふざけきってバカにしたようなひょっとことは真反対で、

『妙に生真面目なサザン』

の印象があります。

全曲がそうではないですよ。

1~3作目までにあった『悪ノリしたやんちゃな若者たち』の印象はもちろん一部に残ってますが、随分薄れて、妙に大人びているんですよね。

実際はっちゃけてるナンバーでもサウンドは洗練されていると言うか。

AOR(アダルトオリエンテッドロック)ですね、これこそまさに。

乱痴気騒ぎをやめて、洗練されて、ジャズやブルースの静かで大人の色気を漂わせます。

もちろんこれは後のサザンが持ち合わせる音楽要素なので、私のような『遡り組』にとっては、このアルバムを聞いた時に

「ああ、あのアルバムのあの曲っぽい雰囲気!」

っていうのが、本作には感じられるんですよね。

「お?俺たちの知ってるサザンにちょっぴり近づいてきたぞ」

みたいな。

個人的にはやたらと8作目「KAMAKURA」が頭をよぎる瞬間がありますね、聴いてて。

その意味では本作って過渡期の作品だと思います。

私流に表現すると『私たち世代の知らないサザン』と『私たち世代の知っているサザン』をつなぐ橋渡し的な位置づけのアルバムになるんじゃないのかな?

なので、新旧どちらのファンも取り込むキャパシティをもった作品とも言えるかもしれません。

このアルバムは前作同様、ガツンとくる曲は個人的にはなかったのですが、ずっと聴いているといつまでも聴けるというか。

フックがあんまり効いていない曲って飽きが来るのも時間がかかると言うか。

地味だけど何回流してても苦じゃないし、なんかじわじわ気持ちよくなってくると言うか。

それでも冒頭#1~2あたりではつかみはオッケーですよね。

オープニングの『ハロー・マイ・ラブ』は、おだやかに貫禄までにじませてます。

そこから今度は真反対の緊迫感を感じさせるピアノリフで引っ張る『マイ・フォープレイ・ミュージック』の緩急がすごくいい流れ。

ただ、それまでのサザンらしさを求めて聞く人からすると、#3~5はAORな雰囲気が3曲連続で続くから、初めて聴いた時はこのあたりで

「あれ?なんか違うような?オレ無理かも…」

って当時なったんじゃないかな?

けど#6『我らパープー仲間』でバカやってやっとらしくなってきたかと思えば、#7『ラッパとおじさん』で割とストレートなロックになります。

このあたりが上記3曲と交互に出てきたらまだ聴きやすいのに(笑)。

で、今度は「ちょっとダンスっぽいかな?」と思わせながら思いっきりブルージーに展開する#8『レッツ・テイク・ア・チャンス』、またもやダンスっぽいベースの#9のタイトルナンバー。

このあたりの流れがその後の『KAMAKURA』とかに発展していったイメージを感じるんですよね。

#12「ビッグ・スター・ブルース」はサザン史上一番売れなくて一番順位が低かったシングルという汚名を着ていますが、このアルバムでは結構好きな方に入るかな。

この時期のサザンのシングルはあまりにも売れ行きが良くないので過小評価されがちですが、かっこいい曲ですよ。

このあんまり洗練されてなくて野卑な感じが好き。

なんか初期のストーンズがカバーしてそうな曲で、ハーモニカや裏に入るギター、スラップベース、コーラスなどなど、非常にブラック・ミュージックのドロ臭さがにじみ出てます。

これライブでは大森さんがギターソロ弾きまくってめっちゃかっこいいんですよ。

ラストを飾る『栞のテーマ』はまだカラオケで歌える収録曲が全然少なかった時代から入ってたのを覚えてます。

カラオケでまだ100円入れながら歌ってたくらい昔の話ですよ(笑)。

仲間内で誰も知らないんだけど、どこで歌っても必ず入っている曲なので、昔から気にはなっていたのですが、結局この曲を聞くのはそこから20年後とかになってしまいました。

言わずとしれたファンの人気が高い曲ですが、個人的にはそこまで思い入れはないかな。


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