『シャイン』(アルバム)LUNASEA:評価が低い理由とは!?評価を覆す逆転レビュー

どうもSimackyです。

本日は1998年リリースでLUNASEAの6枚目のオリジナルアルバムであ

『SHINE』

を解説していきたいと思います。

LUNASEAきっての問題作

さあ、ついにこの日がやってまいりました。

本日はLUNASEA史上最大の問題作『SHINE』に関しての賛否両論に終止符を打とうと思います。

1998年リリースから2023年現時点で早25年。

もういい加減、再評価されて然るべきではないでしょうか?

本作のことをファッ○ン嫉妬なクソアルバムなどど言っているのは、どこのどいつでございますか!(誰もそこまでは言ってない)

私もこの音楽ブログで様々なバンドのアルバムをレビューをしてきましたが、作品への評価は時代の流れやタイミングというものが無関係ではないと強く感じております。

作品によっては素晴らしい作品であるにも関わらず長い間、まるで”憑き物”でも憑いているかのような低評価に甘んじているものがあります。

なのでそういった作品に関しては『憑き物落とし』をしなければなりません。

私の音楽ブログのコンセプトは『ストリーミング時代に失われたライナーノーツの復活』にあるのですが、この『憑き物落とし』も重要な役割としてやっていこうと考えているからです。

というわけなので、今回は楽曲レビューはしません。

京極堂ばりの憑物落としをご覧にいれましょう!(京極堂って知ってる?)

当時何が起きていたのか?

まず、本作を語るに当たり、本作がリリースされた1998年という時代はどんな感じで、LUNASEAを取り巻く状況はどうだったのか?を語らねばなりません。

もう25年も前のことになるんですね。

1998年と言えば私が大学に入学した年であり、入学から1ヶ月ほどしたある時、「Xは好きだけどあんまり詳しくない」という先輩に、Xの素晴らしさを一晩中熱弁してました。

翌朝、その先輩が血相を変えて私のうちに来て、

「おいsimacky、ちょっとテレビつけてみろ!」

で、驚くべき事件を知ります。

hideの死です。

「自殺?嘘だろ!?今度ジルチ出すって楽しそうに話してたじゃん!?」

ファンとしてはパニック状態です。

そう、日本ロック史における大事件が起きた年が1998年ですよ。

テレビはどこをつけてもその話題ばかり。

築地本願寺に集まった参列者は、美空ひばりの時を大きく上回り、後追い自殺まで出始めるほど社会現象となります。

ロックなどに無縁だった多くの一般人が、テレビから流れる異様な光景に衝撃を受けることになるのです。

本願寺に集まる膨大な数の人、人、人…。

発狂したように泣き崩れるファンたち…。

霊柩車を走って追いかける若者とそれを制止する警備員の混乱…。

後追い自殺を辞めるように促すYOSHIKIの緊急記者会見…。

「若いファンたちをこんなに熱狂させるロックミュージシャンって何なんだ?」

と一般人の目には全く理解できない光景だったことでしょう。

こんなことは現代では起きえません。

そう、当時のミュージシャンには異様なまでの『カリスマ性』があったんですよ。

現代においてミュージシャンはあれほどのカリスマ性を持ち合わせていはいません。

というより持ち合わせることは不可能です。

どうしてか?

それはミュージシャンが『秘密のヴェールの向こう側の人』だっだからです。

現代はミュージシャン自身が情報発信をしていて当たり前。

彼らのYou Tubeチャンネルを登録していれば、いつでも好きなだけ彼らの潤沢なまでのコンテンツに触れることができる。

秘密のヴェールの向こう側の、プライベート映像やスタジオでのレコーディング風景までYou Tubeで見れる時代ですよ。

カリスマは丸裸になり、すごく身近な『こっち側の人』になっちゃった。

そこに秘密のヴェールなんてないんです。

でも、1998年なんて全然今と違うんですよ。

テレビなどのマスコミ媒体が情報発信を牛耳っているから、小出し小出しにしか情報が入ってこない。

我々ファンはその少ない情報の中から、想像し、妄想し、幻想の中で彼らのイメージを培養していたんですよ。

情報が少ないほど幻想は大きくなる一方。

そんな時代にあって、人気絶頂の1997年の1年間を活動休止し、個々人のソロ活動に当てていたLUNASEAなどは、その幻想がマックスに膨れ上がっていたと言っても過言ではないでしょう。

「あのLUNASEAが1年間の沈黙を破りついにニューアルバムを出す」

この期待度の高さといったら尋常ではなかったし、マスコミも相当あおってましたからね。

つまり、ファンたちの幻想が膨らみまくって、ハードルがかなり高い中で発表されたのが本作なんですね。

さらにhideの死から2ヶ月後のリリースで、”あのhideが見出したバンド”という強烈な付加価値まで付いてるものだから、一般リスナーの注目もかなり集まっていたのではないでしょうか?

さまざまなレビューを読んでいると、賛否両論の『否』は旧来ファンに多く、『賛』は本作でLUNASEAに入門した一般リスナーに多い、という印象を受けますね。

必要以上に酷評されてる理由は、こうした当時のリアルタイムの構図が見えてこないと分かんないんですよ。

こうしたファンの過度の期待は『LUNASEAらしさ』を強く求め、変化を受け入れにくいという保守的な土壌を作っていたと言ってもいい。

当時の私はいわゆる『スレイブ』(LUNASEAファン)と呼ばれる人たちほど熱狂的なものではなかったのですが、それでも本作における変化を受け入れることは出来なかったです。

タイミング的には

「お前たちはhideから何を学んだんだ?」

と憤ったロックファンも多かったでしょう。

なぜなら『SHINE』と同月同日にリリースされた、hideのソロプロジェクト=ジルチ『3・2・1』が、思いっきりコアな方向に振り切ったインダストリアル・ロックの名盤だったからです。

このジルチの“コア“という方向性と、『SHINE』の”大衆化“という真逆の方向性はあまりにも対比的でしたね。

変化として、最も多く挙がっている声でいうと、タイトルナンバー『SHINE』に代表される異様なまでのポップさ、RYUICHIの歌唱方法などですね。

私も当時、そう感じていたので、やっぱりリアルタイムで感じたことは、みんなある程度近いのだと思います。

しかし、私自身が本作を大嫌いだった過去があるからこそ、憑き物落としもできるというわけですね。

当時の感想は

「ファッ○ン嫉妬なクソアルバムだぜ!」

だったですけど。

いや、言ってたのお前だったんかい。

本作を聴いた人に付きまとう”色眼鏡”

本作における酷評の原因として、先程は『期待値が上がりすぎていたこと』『LUNASEAらしさを求めすぎてしまっていたこと』などを挙げましたが、それだけではありません。

実は最大の要因が『バンドの顔であるヴォーカル/RYUICHIの変化』です。

実はこれがバンドを揺るがすほどの事件だったんですよ。

このあたりの流れも説明します。

LUNASEAが1997年に一旦活動休止を宣言してソロ活動にいそしんだのは、表向きは「メンバーそれぞれが成長するため」と発表されていますが、音楽的な衝突が極限まで達したがための”ガス抜き”的な意味合いがあったんじゃないかな?

あまり前向きな活動休止ではなく、なんとかバンドを繋ぎ止めるための活動休止に感じてはいました。

LUNASEAというバンドが凄いのは、サザンの桑田佳祐のように一人のメインソングライターの才能だけで引っ張るバンドではなく、全員が作曲に関与しながら進めていくところだし、その中でかなりの衝突はやはりあると思うんですよね。

そのストレスを解消するために、一旦全員ソロでやりたいことをやりきって、また集まろう、と。

それは苦肉の策というより、もはやその選択しか残されてなかったのかもしれません。

しかし、ここでRYUICHIが売れすぎてしまったんです。

ソロで最初にリリースしたミニアルバム『Cranberry Soda』は

72万枚

そして5ヶ月のスパンでリリースした2作目『Love』はなんと歴代男性シンガー史上最高となる

279万枚

を記録してしまうんです。

たった2枚のアルバムで合計

350万枚。

ソロでINORANが出したアルバムなんて15万枚くらいしか売れてないんですよ?(まあ、ソロで15万枚って実はすごいんだけど)

350万枚という数字は、LUNASEAのインディ時代から直近『STYLE』の5枚の売上合計である180万枚の約2倍に相当します。

わずか1年で

LUNASEAのアルバム10枚分のセールス

を叩き出したことになります。

さらにシングルも4枚リリースした合計が326万枚

LUNASEAでは歴代最高売上の『STORM』でも72万枚なのに、この4枚のうち一番売れなかった『LOVE IS』でさえ72万枚なんですよ!?

これだけのセールスを全て1997年の1年で実現していることが驚異的。

そりゃ長者番付1位にもなるわ。

そしてLUNASEAでさえ出演していなかった紅白への出演をあっさり決めます。

たった1年でRYUICHIは『LUNASEAのRYUICHI』ではなく『ソロ歌手河村隆一』として広く認知されることになってしまったんです。

セールス規模だけで言えば、業界トップクラスの大御所ですから。

LUNA SEAは『河村隆一が率いるバンド』として、ソロより格下に見られていたと思いますよ、世間一般には。

まるで元のバンドであるスモール・フェイセズからソロとして大ブレイクしちゃったロッド・スチュワートみたいな状況(みんな知ってる?)。

ソロアルバム『LOVE』を買った280万人のうち、LUNASEAのファンはそれまでのアルバム売上から推測してもせいぜい70~80万人くらいしかいないわけですよ。

残り200万人はLUNASEAファンではない新規の河村隆一ファン。

ということはですよ?

LUNASEAの新作『SHINE』には、『河村隆一の歌』を期待する声が圧倒的多数を占めて、それまでのロックなLUNASEAを期待する既存ファンの声を、遥かに上回っている状況なんですよ。

じゃあ、それに合わせた作風にするのは音楽ビジネスとして当然のこと。

その結果、『河村隆一の歌唱方法』を、新作にそのまま持ち込むことになってしまったんです。

メンバーもそれに対して、誰も文句言えない状況だったのかもしれません。

売った実績がある以上、レーベルも文句は言えないでしょうし。

想像してみてください。

「ちょ、ちょっとRYUICHI、その歌い方はLUNA SEAとかけ離れすぎてない?」

とか言っても

「え?でもこの歌い方に変えてからすごく皆支持してくれてるんじゃん?」

って言われたら、言い返せないというか。

要するに全員対等の関係だったのに、RYUICHIの発言権が強すぎて誰も文句を言えない状況になったというか。

それは別にRYUICHIが偉そうにしたからとかではなく(若気の至りもあったかもしれませんが)、スッタフとかバンド周囲の人達がそういう空気感を作った部分はあると思いますよ。

XのTAIJIもかつて語っていましたが、バンドがビッグになると色んな人が入り込んでくるから、メンバー間がギクシャクする部分はあると思うんですよ。

この状況は本作の作風にだけじゃなく、後々の終幕にまで影を落としている気がします。

私などの『ロックなLUNASEA』を好きな人間からすると、ソロでのRYUICHIの楽曲はほぼ完全にJ-POPに感じていました。

「誰が聴くんだ、こんな甘ったるいラブソング」

とか思ってましたから。

でも、それはソロであってLUNASEAではまた歌い方を戻すのかな、と。

しかし、蓋を開けてみればあの歌い方そのままでやっちゃった

しかもそのうち最も『河村隆一』の雰囲気を持つ『I FOR YOU』はドラマの主題歌になり、世間一般に「LUNASEAと言えばこの曲」と認識されることになります。

「うわちゃ~終わった…」

おそらく私のように感じた多くのLUNASEAファンはここで離れます。

ロックなLUNA SEAを期待していた私なんかからすると、RYUICHIがバラエティやドラマにまで引っ張りだこっていう状態は完全に”調子に乗っちゃってる”状態にしか見えなかったし、そんな『色眼鏡』でしか見れなくなっているところへ、それを助長するような歌唱法だったものだからそうなるでしょう。

「あなたはミュージシャンじゃなくてもはやタレント気取りなのですか?」っていうね。

売れ始めた最初の頃はかなりチヤホヤされていた印象がありましたが、途中から「勘違い」「キモい」というアンチ的な人が目に見えて増えましたね。

もう笑いのネタにされていたというか。

「LUNA SEAが好きだ」

って言うと

「あの河村隆一がいるバンド?(笑)」

ってちょっと半笑いされるような空気感がテレビにも漂っていました。

モノマネ番組の格好のネタにもされてて、

「これじゃあ、LUNASEAの扱いがまるでコミックバンドじゃん」

みたいな雰囲気もありましたよ、当時は。

他の4人のメンバーの面目は丸潰れだったと思いますよ。

なので、メンバーからの不満が募っていたのは間違いないと思います。

しかし、こうした良くない内部事情をよそに、アルバムはLUNASEAとして過去最高の90万枚を記録。

出すシングルも次々とチャート1位を記録(意外にも『I FOR YOU』は2位だったけど)。

売れまくるんですね~。

もう『ブーム』というものがきている時ってのはすごいですね。

魔法がかかっているかのように、何をどうやっても売れるんですから。

けれど、そんなものは一時的なまやかしでしかありません。

『河村隆一フィーバー』が冷めた2年後に発表したラストアルバム『LUNACY』は、

セールス枚数28万枚と大幅に売上を落とします。

ライバルであるラルクは近い時期にリリースしたアルバムセールスが『ARK』227万枚、『RAY』213万枚、『REAL』109万枚。

同じくライバルのGLAYは『pure soul』242万枚、『HEAVY GAUGE』235万枚。

セールス的にはライバルたちに大敗しているんですね(まあ、このあたりのバンドをライバルとか言うのもちょっとズレているのかもしれませんが)。

それほど、今作で失ってしまったLUNASEAファンの数は致命的だったのかな、と。

その意味で本作は勝敗を決する分水嶺だったと言ってもいいでしょう。

しかし、皆さん。

ここまで述べてきたことは全て当時のリアルタイムだった人の先入観の話であって、25年の時を経た今のあなた達には関係のない話です。

音楽作品は音楽作品でしかないですよ。

その『曇りなき眼(まなこ)』で本作を聴いた時に、世間一般的に言われているものとは別のものが見えてくるでしょう。

『SHINE』を再評価~曇りなき眼で見定める~

レビューを読むと高評価は他のアルバムに比べかなり少ないですね。

そもそもレビューって否定的なこと書くよりも肯定的なことを書く人のほうが本来多いんです。

ブログ書くたびに大量のレビューを読むので、私にはその傾向が見えます。

嫌いなアルバムのことをわざわざ書く人は少ないってことですね。

私のブログだって『好きだから他の人に知ってもらいたい!』っていう気持ちがモチベーションになってますし、嫌いなアルバムは取り扱いません。

それでもこれだけ否定的な意見が多いということは、腹を立てたレベルを超えて、もはやアンチを生み出してしまっているんじゃないかな。

私が本作を再評価したのは、例のLUNASEAカヴァーバンドでコピーし始めてから。

それまでの私は『STORM』以外は全く受け付けていなかったのですが、本作から『STORM』『I FOR YOU』『Unlikelihood』『SHINE』の4曲を演ることになったんです。

「お前ら正気か!?」

って思いました。

LUNASEAは『STYLE』までで終わってて最後の2枚は聞く価値もない駄作。

それがLUNASEAファンの共通認識だと思っていました。

バンドマンであるならなおさらだろうと。

っていうか思ってるだけにとどまらず、思いのたけを全てぶちまけたんですけど(ヘルプで叩いてる身で偉そうに文句言うなよ)。

しかしそのメンバーたちは全然そんなこと思ってなくて、

「むしろラストアルバムが一番好き」

とか言って、ラストアルバムまでカヴァーすることになったんですよ(オイオイ)。

所詮ヘルパーでドラムを叩く身なので、選曲に関しては「どうぞ好きにやってくれ」と任せました。

しかし、

「そんなキラキラした眼差しで素晴らしさを語られると、なんかオレのほうが間違ってる気がしてきた。オレって偏見丸出しで聴いてたかも…」

とか思い始めて、10年ぶりにちゃんと聞き返してみました(10年前だって別にちょい聴きしたわけじゃなく、わりとちゃんと聴いてはいたと思うのですが)。

で、気は重いながらも耳コピし始めると、最初は

「え~やっぱ『Unlikelihood』は何度聴いてもピンときませんけど~」

みたいな感じで印象は良くなかったんですよね。

けれども『I FOR YOU』『SHINE』の2曲は、あれだけ忌み嫌っていたのになぜか気持ちいい。

っていうより『気持ちいいと感じる自分を受け入れている自分がいる』ことに気がついたというか。

それまでの自分は、感性は反応しているのに、感情が拒否していたのかもしれません。

若かりし頃っていうのは「ロッカーはこうだ!」みたいな決めつけがすごく強くて、「それから外れたものは認めてはいけない!」っていう意識が働いていたんじゃないかな?

「あんな『モテ』に走った男(RYUICHIのこと)の浮ついた歌唱なんぞ認めん!」

みたいな(笑)。

あの頃の若かりし日の私に言ってあげたい。

「言うほどモテてないし、それどころか途中からのテレビの扱いは芸人並みに雑だったよ」

と(笑)。

そうして受け入れることが出来た数曲を足がかりにして、さらに聴き込んでいくと、これがなんとスイスイ心に入ってくるではないですか。

っていうか「す、すごいアルバムだぞ!」と。

特にもともと大嫌いだった『I FOR YOU』『SHINE』の2曲は大好きになっちゃうんですよね。

『I FOR YOU』は好きすぎて、思い入れがどんどん強くなっていき、

「オレだったらここはこうしてもっと盛り上げる」

とかってドラムパターンを全てオリジナルに作り変え始めるくらいハマりましたね。

やっぱり10年の月日は大きいということでしょうか?

楽曲をコピーしている時に、「河村隆一がタレント然として調子こいてること」なんてまったく1ミリも関係ないし、しかもこの時点でアルバムリリースから10年も経っているんですから、色々腹が立っていたことももはやどうでも良くなったのでしょうね。

つまり『曇りなき眼』状態で楽曲に向き合うことができたんですよ。

そうした段階に至って、ようやく本作にこれまでは全く感じなかったクオリティの高さを感じることができた。

当然、一緒に耳コピーした次作『LUNACY』も。

『LUNACY』なんかは本作以上に大嫌いだったのに。

あれだけ嫌悪感をもよおしたRYUICHIのヴォーカルが逆に

「これはこれでいいじゃん!いや、これがいいんじゃん!」

ってなりました。

自分でも驚きです。

こればっかりは好みでしょうが、かつてバンドに求めていた理想像みたいなものがなくなるだけでも、驚くほど違って聞こえますよ。

うちのバンドメンバーに感謝です。

これをもって私の憑き物は落ち、LUNA SEAの終幕までのオリジナルフルアルバム7枚はすべて素晴らしい作品だという認識になったんですね。

ブログやYou Tubeを見渡しても、いまだに本作のことをよく言っていない解説動画とか見かけますけど、まずはあなたの曇りなき眼で見定めてください。

私に起きたことはあなたにも起きえます。


はい、というわけで本日は「SHINE」の解説をしてまいりました。

さて、皆さん!

長々語ってまいりましたが憑き物は落ちたでしょうか?

私のようにかつて1回聴いてほったらかしにしていたそこのあなた!

今こそもう一度聴き直してみるべきです。

あなたの感性も25年前とは変わっているはずですから、驚くべき発見が見つかるでしょう。

やっぱ、LUNA SEAすげーわ…。

 

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