「ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン」(レッチリ)その魅力の核はマッチョにあり!

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日はレッチリが1987年にリリースした3作目のオリジナルアルバム

『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』

を語っていきます。

バンド史上最高の結束力です

このレッチリ3作目のアルバムは非常に貴重な作品です。

何故ならば唯一のオリジナルメンバーでの作品だからです。

「?????」

となっている方のために説明しましょう。

レッチリのオリジナルメンバーは高校同級生のなかよし4人組です。

フリー(ベース)、ヒレル(ギター)、ジャック(ドラム)、アンソニー(ヴォーカル)ですね。

なのにヒレルとジャックは別のなかよし友達とバンドを掛け持ちしてて、1,2作目には参加していないんです(ヒレルのみ2作目参加)。

で、レッチリ本体の最初の2作はセールス的に(音楽的にも)大コケしていて、レコード会社から契約を打ち切られる寸前までいきます。

今の超ビッグなレッチリしか知らない人からは信じられないでしょうが、セールス的にはチャート200位圏内にすら入っておりません(!?)。

そこで掛け持ち先のバンドでもうまくいかなかったオリジナルメンバーが戻ってきて、背水の陣で臨んだアルバムがこの3作目になります。

一蓮托生、運命共同体のメンバーたちが最高の結束力を見せた力作ですよ。

当時の本人たちとしては会心の出来だったのではないでしょうか?

1,2作目で大問題だったあのチープなサウンドが、ここにきてようやくパワフルになってきてますしね。

セールス的にはチャート150位くらいまでは行き、決して『売れた』と表現できるほどではありませんが、エアロスミスのスティーブン・タイラーを始めとして感度の高い音楽業界の人たちから注目される存在になります。

ロックにブラックミュージックの要素であるヒップホップやスラップベースを盛り込んだレッチリのスタイルは前衛的(最先端)なものとして受け止められたんですね。

この頃は日本でも『知る人ぞ知る』的なミュージシャンズ・ミュージシャンとして語られるような位置づけでした。

レッチリはジョン、チャドの『黄金メンバー』が加入する4作目『マザーズミルク』の以前・以後で区別されがちに感じます。

『マザーズ・ミルク』

1~3作目はまとめて「パッとしない時期」と思われがちですが、個人的にはこの3作目は4作目に匹敵する作品と思っているので、今回紹介するわけです。

しかしアルバム発表後、ヒレルが麻薬の過剰摂取で亡き人となり、そのショックでジャックも脱退(精神病院へ)。

アンソニーは橋の下で麻薬の売人と会うようなどん底生活まで落ちていくことになります(その時のことを歌ったのが名曲『アンダー・ザ・ブリッジ』)。

オリジナルメンバーの再結集と崩壊という、光と影が錯綜する死線スレスレをひた走っていた時期のレッチリを余すことなく詰め込んだ傑作。

それが『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』です。

『メロウ』ではなく『マッチョ』なレッチリ

#1『ファイト・ライク・ア・ブレイブ』

#9『ノー・チャンプ・ラブ・サッカー』

聴いてみてください、この『男子中学生』のような男ノリしか感じることのない2曲を(笑)。

マッチョすぎて色気のかけらもないじゃないですか。

この歳でこれがかっこいいって言っている私は、まだまだ青臭いガキのままなのかもしれません。

1999年の7作目『カリフォルニケイション』でジョンがカムバックしてからのレッチリは「メロウになった」と表現されます。

『カリフォルニケイション』

音楽で言う『メロウ』とは『心地良い感じ』という意味合いで、主にアンソニーのヴォーカルスタイルを指して『聴いていて心地いいメロディ』ということだと解釈していいでしょう。

そういう意味では『カリフォルニケイション』以降の作品とは一番対極に位置するのがこのアルバムではないでしょうか?

1000万枚レベルのセールスで広く認知されていくのが『カリフォルニケイション』以降なので、『メロウ』なレッチリを聴いてファンになった方が日本でも多いかと思います。

であれば、このアルバムの『マッチョ』さを是非とも一度味わっていただきたいですね。

多分、暑苦しくて汗が吹き出てきますし、胸焼けもし、吐き気をもよおすかもしれません(笑)。

『メロウ』であることはある種、自分の弱さも含めた『等身大の自分』をかっこつけずに表現しているわけで、その意味では精神的に余裕がある状態とも言えます。

しかし『マッチョ』であることはそれとは逆に

「戦え!お前たち(俺たち)は強いんだ!負けるな!」

と鼓舞しているわけですね。

そうしないと生きていけないのでしょう。

余裕なんて微塵もないんですよね、死線スレスレ走っているだけに(笑)。

そんな崖っぷちで足掻(あが)きまくっているレッチリが、世界に対して雄々しく宣言しているのが#1『ファイト・ライク・ア・ブレイブ』。

そしてレッチリで5曲選べと言われたら、おそらく私が選ぶであろう1曲が#9『ノー・チャンプ・ラブ・サッカー』です。

このスピード感、アンソニーのマシンガンラップにハードコアなヒレルのギター、そこに常識では絶対に組み合わさることのないであろうフリーのスラップベースがのっかり、そして全員でのパワーコーラス。

まったくこの世に前例のないハードコアナンバーが出来上がっています。

もう『全員で一丸となった』感がすごい。

ど直球で小細工なし。

これはアルバム全編を通してそうなのですが、音楽もメッセージもどストレート過ぎるので私のようにハマった人間にはすんなり入ってくるのですが、そうでない人にはピンとこないかもしれません。

でも、もしこれがあなたのハートに響いたのなら、かなりディープなハマり方をするでしょう。

ヒレル・スロヴァクとはどんな人?

初代ギタリストであるヒレル・スロヴァクは2,3作目の2枚にしか参加しておりませんが、現在のレッチリに非常に影響を与えている人物です。

今ではアンソニーとフリーがレッチリの『両輪』だと皆思っていますが、当初は実質的リーダーはこの人だったのでしょう。

何を隠そう、今では世界的なベースの名手として名を馳せているフリーにベースを教えたのがこの人です。

そして今では『世界の3大ギタリスト』の1人にも数えられるほどとなったジョンにとっての憧れのギタリストでした。

ジョンはレッチリの熱狂的なファンでヒレルをお手本にしてギターを練習していたので、加入直後はギターの弾き方や立ち居姿までヒレルにそっくりでアンソニーとフリーも驚いたというエピソードがあるほど。

そんなヒレルのギターの特徴はずばり『ジミヘンばりに鳴かせるギター』。

『泣き』ではなく『鳴かせる』んです。

たっぷりディストーションのかかったギターでエモーショナルにギャンギャン鳴かせます。

『ジミヘンの亡霊が乗り移った』と言われるほど(笑)。

ギターのバッキングはジョンのような細かくリズミカルなカッティングはあまり使用せず、豪快にガーンと鳴らします。

それがこのアルバムをパンク/ハードコアな匂いのするものにしている要因でしょう。

2作目『フリーキー・スタイリー』では音質の問題もあり本領を発揮できていませんでしたが、このアルバムではそのプレイを十分堪能できるでしょう。

アルバムラストの『オーガニック・アンチ・ビート・ボックス・バンド』はヒレルの魅力が凝縮された1曲です。


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