『マザーズ・ミルク(レッチリ)』初めて黄金メンバーが揃ったマストな一枚

本記事はプロモーションを含みます。

Simacky(シマッキー)です。

本日はレッチリが1989年にリリースした4作目のオリジナルアルバム

『マザーズ・ミルク(母乳)』

を語っていきます。

『ミクスチャーロック』と呼ばれたレッチリの最高傑作

日本では『世界最強のバンド:レッチリ』という触れ込みで、もはやロックリスナーで名前を知らない人はいないほどの人気を誇るレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。

ウィキペディアを読んでいただくと分かるのですが、レッチリは『ミクスチャーロック』という今ではほとんど使われることのなくなったジャンルの草分けです。

かなりマニアックな部類にカテゴライズされる特殊な存在だったんですね。

ロック、ファンク、パンク、ヒップホップ要素までごった煮状態の音楽性を他に形容のしようがなかったのでしょう。

1990~2000年代にヒップホップがチャートを席巻しだす時代のはるか前です。

そんな時代にあって、ロックバンドの編成にヒップホップのヴォーカルがのっかるスタイルはかなり異色で強烈なインパクトがありました(あと変態的なライブも:笑)。

しかし、その傾向が強かったのは1990年代の中期までで(6作目まで)、それ以降は非情にシンプルでメロウなロックへとシフトチェンジし、今に至ります。

本日入門アルバムとしてご紹介するこの『マザーズミルク』は、まさに『ミクスチャーロック』と呼ばれていたレッチリの1つの完成形を見た作品です。

一般的に『最高傑作』の呼び声が高いのはこの次の5作目『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』になります。

しかし、『ブラッド~』はそれまでの方向性をガラッと変え、ロックとファンクをスロー&ヘヴィに聞かせるという、別の方向性を目指したアルバムであるため、『ミクスチャーロック』と呼ぶより『ファンクロック』と呼ぶ方がしっくりくるのかなと。

それに対し、この『マザーズミルク』はロック、ファンクに加え、バラードにスピードメタルと、1曲の中に混在する要素や曲ごとの多彩さが他に類を見ない広がりを見せています。

ミクスチャーとはいえ、レッチリにハードロック・ヘヴィメタルの要素まで加わったのはさすがにこのアルバムくらいでは?

その要因は、このアルバムで加入した黄金期メンバーとも言われるギターのジョン・フルシアンテとドラムのチャド・スミス、この二人のどんな音楽性にでも対応できる音楽的素養の広さでしょう。

さらに言えば3作目『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』よりプロデューサーを請け負ったマイケル・ベインホーンの「ハードロックテイストを盛り込む」という指向性も影響しています。

ここまでのはちゃめちゃさと猛烈な疾走感、自由奔放で縦横無尽に暴れ回る4人のプレイを堪能できるのはこのアルバムを置いて他にないでしょう。

純粋にヒップホップというわけでもない唯一無二のヴォーカル

ヴォーカルのアンソニー・キーディスのスタイルはラップなのですが、初期2作はかなり濃厚です。

人によっては拒否反応を起こすほどに(笑)。

それが3作目で若干『歌メロ』的なものが見え隠れし、この4作目でついに「純粋な歌モノと呼んでもいいのでは?」という曲も出始めます(もちろん初期のマシンガンラップも健在ではあるのですが)。

そんな『歌うアンソニー』がもっとも強く感じられるのが当時、初のスマッシュヒットとなった#6『ノック・ミー・ダウン』です。

麻薬の過剰摂取で亡くしたオリジナルメンバーのギタリスト:ヒレル・スロヴァクのことを歌ったこの曲は、レッチリで初めて『鼻歌で口ずさめる』曲となりました(笑)。

ドラマティックで泣きの要素がある名曲です。

この人のヴォーカルは上手い下手とかいう技術的なことはあまり関係なく、感性のみでの自己表現です。

そのアンソニーのマシンガンのようなラップも、歌心のあるヴォーカルメロディも両方楽しめるのがこの『マザーズミルク』ですね。

世界に衝撃を与えたフリーのスラップベース

フリーは世界でもトップクラスに有名なベースプレイヤーですが、「ベースというものがロックの主役になることができる」ということを、世界中のロックリスナーに知らしめたのがこの『マザーズミルク』でのプレイでしょう。

そんなフリーのベースプレイが思う存分味わます。

このベースの音なんですが、バンド経験者でない限り、ベースの音だとは分からなかった方も多いと思われます(私がそうだったので)。

まさか、指で引っ掛けるようにして強めに弾(はじ)いたり叩いたりするとこんな音がでるなんて、高校生の私は当時思いもしませんでした。

これが『スラップベース』と呼ばれる奏法で、当時は日本独自の呼称で『チョッパープレイ』と言われていましたね。

#1からいきなりスラップベース全開のオープニングなのですが、どの曲がということではなく、最初から最後までこのスラップベースは楽しめます。

かっこいいプレイが目白押しで甲乙つけがたいのですが、もっとも有名なのはスティーヴィー・ワンダーのカヴァーである#2「ハイヤー・グラウンド」です。

このプレイを聴いてベースを手にしたベーシストは多いのではないでしょうか?

他にも#5『ノーバディ・ウィアード・ライク・ミー』のイントロ、#8『ストーン・コールドブッシュ』の1:17時点での間奏部分で、その冴えわたるスラップベースを聞かせてくれます。

この頃のレッチリを象徴するこのスラップベースは、次作『ブラッド~』は大幅に減り、7作目『カリフォルニケイション』以降のアルバムでは完全に鳴りを潜めていますので、まずは原点であるこのアルバムであますことなく堪能してください。

本人の意志に反したファンクメタルのギタープレイ

歴代のレッチリギタリストの中でもっとも在籍期間が長く人気もナンバーワン。

いえ、それどころか『世界の3大ギタリスト』とまで呼ばれる存在となったジョン。

そのジョンもこのアルバムの加入当時は若干18歳。

かなり粋(いき)がってましたよね(笑)。

くわえタバコしながらギター弾いてました。

そんなジョンですが、この当時は前任ギタリストのヒレル・スロヴァクに心酔しており、最初にジャムったときはまるでヒレル・スロヴァクの弾き方まんますぎて、アンソニーとフリーがびっくり仰天したとか(笑)。

音楽性としてはファンクをこよなく愛していたジョン。

そのファンク愛は#3『サブウェイ・トゥ・ヴィーナス』でのカッティングプレイで聞くことができます。

しかし、プロデューサーであるマイケル・ベインホーンから「ハードロックのディストーションの効いたギターを弾け」と指示されます。

だからこんなギターの音がギンギン鳴っているんですね。

聴いてくださいこの#5『ノーバディ~』のギター。

もうメタルと言ってもいいですよね。

本人は相当反発して喧嘩になったらしいですが、私はこのギター大好きなんですね。

個人的には「3大ギタリスト」と呼ばれるようになる後期のプレイより、元気ハツラツなこの時期のプレイがイチオシです。

根本にファンクの素養があるので、ファンクとメタルの融合した誰にも似ていない独特のギタープレイが堪能できます。

そのファンクとロックが理想的な形で融合したプレイが#8『ストーン・コールド・ブッシュ』

この時期のレッチリのライブでの定番曲になるほど人気があります。

ちなみに加入時はまるで白人の金持ちのお坊ちゃんのようだったサラサラの金髪が、このアルバム発表後の頃のライブになると、真っ赤な髪に側頭部を刈り上げて三編みするというかなり奇抜でかっこいい髪型になります。 

チャドのパワフルドラミング

最後にこの人はドラマーとして語っておかなければいけません。

ドラマーのチャド・スミスは私がドラマーとして最もお手本にしたプレイヤーです。

この人の何がすごいかって、#5『ノーバディ~』のような誰よりもタフでパワフルなドラミングをしながら、

#6『ノックミーダウン』のような繊細なハイハットプレイもできたり、

#9『ファイヤ』のような手数が多い超高速プレイもしながら(このアルバムの音源は別のドラマーのテイクですがライブではすごい)、

#10『セクシー・メキシカン・メイド』のように非常にタメと間を絶妙に活かすプレイもできるという、ほぼ万能のドラマーっぷり。

おまけに#4『マジック・ジョンソン』のようなスネアロールを使ったトリッキーなプレイをやってみたりと発想もすごく柔らかいというか。

あのガタイからは想像できないほど柔軟な対応力と発想の持ち主です。

私の私見ですが、プレイヤーとしての技術では、おそらくベースの世界におけるフリーがいる境地と同じレベルにドラマーとして存在していると思われます。

バンドとしてレッチリをコピーすると分かるのですが、チャドのバスドラとフリーのベースはかなり面白いユニゾンを仕掛けていて、一般リスナーだけでなく玄人の欲求まで満たしてくれる世界最強のリズム隊がこのアルバムで完成しました。

後期レッチリはジョンのギターがメインでリズム隊が影薄くなるのですが、この頃はリズム隊の生み出すビート感が間違いなくレッチリの『』であり、『唯一無二の個性』だったのは間違いありませんん。

ライブではさらに圧倒されますので、You Tubeで探してみてください。

『マザーズミルク』はレッチリ入門におすすめ

私がレッチリと出会ったのは高校2年、1995年頃です。

当時は6作目の『ONE HOT MINUTE(ワン・ホット・ミニット)』がリリースされる直前で、ギタリストは解散した伝説のオルタナバンド『ジェーンズ・アディクション』からデイブ・ナヴァロが加入していました。

日本での一般的な世間の認知度は、台風直撃のさなか開催された第1回フジロック(1997年)への出演で一気に高まり、それに続くジョン・フルシアンテの復帰と大ヒットアルバム『カリフォルニケイション』で一大レッチリ旋風が巻き起こるのが1999年。

そのインパクトが強かったため、割と初期は軽視されがち。

しかし、私が記憶する高校生当時の音楽雑誌では、この『マザーズミルク』は5作目『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』と並ぶほどの最高傑作として語られていたのを覚えています。

ずっと売れなかったし、バンドメンバーも安定しなかったレッチリが、ようやく満を持してオリジナルメンバーで3作目の傑作『ジ・アップリフト・モフォ・パーティプラン』を生み出す。

しかしギタリスト・ヒレル・スロヴァクを麻薬過剰摂取で失い、どん底を味わうも、そこから黄金メンバーで復活したのがこの『マザーズミルク』というストーリーで語られることが非常に多かったですね。

それほど評価を受けていたアルバムなので、この機会にぜひ皆さんにこの作品を味わっていただきたいと思いご紹介しました。


 

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