『パンチドランカー』イエモン流“オルタナ“の始まり

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日はイエローモンキーが1998年にリリースした通算8作目のオリジナルフルアルバム

パンチドランカー

を語っていきますよ。

『パンチドランカー』までの経緯

セールス結果とミュージシャンからの評価

1997年のイエモンは通算7作目となるオリジナルフルアルバム『Sicks』が2作連続となるオリコンチャート1位を獲得、そして過去最高となる60万枚超えのセールスと、バンド始まって以来の全盛期を迎えました。

現在でも「日本のロックにおけるマスターピース」とまで呼ばれる『Sicks』は、作ったロビン本人としても、またファンたちの間でも最高傑作と呼ばれ、それまで洋楽ばかりを聴いていたリスナーたちにもアピールできる作品でした。

しかし、ロビンはこのセールス結果に不満で、本人はミリオンセラーを狙っていたらしく、

「シングル曲が1曲(『楽園』)しか収録されていない作品では100万枚は届かねぇってことか」

とか語ってます。

で、今作は前作をさらに上回るセールスを狙ったのか、アルバムリリースの約1年も前から先行シングルを出していきます。

1997年4月に『ラブ・ラブ・ショウ』(4位)、

『ラブ・ラブ・ショウ』

7月に『バーン』では過去最高のオリコン2位と、イエモンシングルで最大となる

66万枚セールス

『バーン』

そして1998年2月の『球根』ではついに初のオリコン1位(そして唯一の1位)と、まさに準備万端の状態で3月にアルバムリリース。

『球根』

チャートは3作連続となる1位を獲得。

『Sicks』の枚数には届かなかったものの、

50万枚以上

のセールスを記録し、イエモン史上2番目に売れたオリジナル・アルバムとなりました。

う~ん…納得いかない(笑)。

これだけ用意周到に売るためのプロモーションをかけている上に、前年の夏にはフジロックで日本バンドのトリを飾っているんですよ?

当時の私の印象としては『ラブ・ラブ・ショウ』リリースあたりからイエモンの人気は爆発していたように感じていたのですが。

本作がリリースされた1998年と言えばCDバブルの最盛期でありピークです。

1999年からCDの市場は落ち込み始めるので、タイミングとしてはこれ以上ないタイミングだったはず。

なぜに100万枚届かなかったの?

セールスっていうのはほんとに分かんないものですね。

なので、ミュージシャンたるものセールス結果で一喜一憂しなくてもいいのかもしれません。

それは営業努力の問題と言うか、これを売れなかったレコード会社が悪い、ぐらいに割り切る姿勢も時には必要なのかもしれませんね。

だって同時代に、もう、どうでもいいような作品が100どころか200や300も売ってるんですよ?

誰とは言いませんが、「バブルで浮かれやがって!」って言いたくなるような作品が散見されていた時期です。

「商売の仕方うめーな、おい」みたいな。

唯一の救いは、そんなセールス結果を慰めるように他のミュージシャンが本作を支持してくれていたことですかね。

シングル『球根』はX解散後ソロとなったhideが、お気に入りナンバーとして雑誌のインタビューで語っていましたし、確かエアロスミスのスティーブン・タイラーがメロディを褒めていたんじゃなかったかな?

「イエモンとX?まったく接点のないところからまさかの援護射撃?」

と、思われるでしょうが、実はhideとロビンはお互いがX、イエモンに加入する前からの知り合い。

hideはサーベルタイガー、ロビンはアーグポリスに所属していた頃にインディで対バンしてました。

メジャーデビュー後も『吉井和哉のオールナイトニッポン』にhideがゲスト出演して、

「お互い中学までは太ってた」

みたいな話をしてましたしね。

hideの死後、ロビンは

「hideさんのことは勝手に“同士“だと思っていた。」

みたいなこと語っています⇩

『SONGS hideが遺したもの』でのインタビュー映像はこちら

全然接点がないように見えて、お互いを意識していたのかもしれません。

それに関してはまた後ほど解説します。

また、エアロスミスと言えば、イエモンにとって神のような存在で、その象徴であるスティーブンにそんなコメントされたりしたら、そりゃ100万枚売れるより嬉しいってもんでしょう。

フジロックで味わうどん底

私の場合、昔からXやLUNASEAを好きでしたが、本作リリースの当時は完全に90年代オルタナティブ・ヘヴィロックにどっぷりで、日本の音楽を殆ど聞いていない時期だったのですが、まあ、ハイスタやブラフマン、ニコチンといったメロコアは洋楽感覚で聴けていました。

自分のバンドでやんなきゃいけなかったってのもありますが。

イエモンはそれらのバンドとはまったく印象が違って、どっちかというともっと歌謡曲ノリに近かったんだけど、グレイやラルクなどのヴィジュアル系のバンドたちと違いJ-POP臭がしなかったんですよね。

なので、あの時期にもかかわらずイエモンを聴いていたということが、彼らの受け取られ方の全てを物語っていると言うか。

私が大学時代に所属していたバンドサークルでも、ヴィジュアル系に抵抗を示す洋楽ファンからも、イエモンは受け入れられていた記憶があります。

それはうちのサークルだけじゃなく、全国的にもそうだったみたいです。

なんと日本ロックフェスティバルの先駆けとも言えるフジロックフェスティバルの第1回開催に、日本人バンドとしてのトリに抜擢されるのですから。

これは主催したSmash(コンサートプロモーター)の責任者である日高(ひだか)氏に音楽評論家の渋谷(しぶや)陽一氏がイエモンを推したことで実現しました。

ビデオでイエモンを観た日高氏のイエモンに対する第一印象は

「ギリギリのバンド」

つまり『ショービジネスとロックの境目であがいているバンド』というニュアンスです。

実際、この時期のイエモンはシングルはヒットさせながらも、洋楽ロックファンにも支持される音楽性を持っており、一目でそのことを見抜いて抜擢したこの日高氏はやはり只者じゃないと思うのですが、推薦したのが渋谷氏というのもなかなかに興味深い。

渋谷陽一さんって言ったら、洋楽を辛口批評する第一人者みたいなイメージがあるのですが、日本のバンドを推したりする人だとは思いませんでしたね。

なんか

「日本のロックなんてロックじゃないし、本物のロックは70年代で終わっている」

くらいは言いそうな勝手なイメージがあるのですが(笑)。

渋谷氏は音楽雑誌「ロッキンオンジャパン」を立ち上げた人で、その雑誌での人気投票でイエローモンキーが1位だったことから目をつけていて、

「今、洋楽リスナーに最も支持されている邦楽アーティストはイエローモンキーだ!

と日高氏に推したとのこと。

で、フジロックの話に戻るのですが、イエモンはヘッドライナー(トリ)であるレッチリとレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに挟まれる形で、日本人としてのトリを飾ります。

日高氏がかなりの雨男だったのか?

まあ、天候は台風直撃という予想しうる限り最悪のコンディションで、初回開催のため道路渋滞などのトラブルも多発。

バス停から数時間歩かされた上に、雨でぬかるんだ足元、雨で冷え切った体、さらにフー・ファイターズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンでのモッシュも激しく、失神者は続出。

いや、ほんとに死人が出なかったのが不思議なほどの最悪の環境で、出ていたら間違いなく2年目以降の開催はなかったでしょうね。

しかし今思えばですよ?

真夏の7月開催であの盛り上がりであれば、モッシュによる圧死事故も起き得たし、台風が来てなかったら熱中症で死亡者が出てもおかしくなかったと思うんですよ。

ダメ押しで2日目が台風で中止になり、主催者はかなりのバッシングを浴びましたが、まあ、死亡者が出なかっただけでいいじゃないですか。

そんな中、イエモンのファンは女性客が多く、こういうモッシュにも慣れていなければ、体は冷え切って震えている状況なのに、イエモンを見るためだけに最前列の鉄柵にしがみつき、泣きながらイエモンの登場を待っていました。

うん、地獄(笑)。

客席はスタンディングなので、まあ、せっかく来たからには最前列で見たい気持ちもわかりますが、危険すぎですね。

日高氏は、一度最前列から離れるよう話をしますが、彼女らは聞く耳をもたず。

「一度離れたら、せっかく確保した最前列が奪われる」

押されたり踏まれたりしながら寒さに耐え、興味もないバンドの音楽を聴き(聴いてないか…)、必死に最前列をキープするその彼女らを評して

『イエモン地蔵』

という言葉が生まれました(笑)。

で、途中ストップなども入り、1時間ほど時間が押してやっとイエモンが登場。

セットリストは8曲だったのですが、ここで

「みんな俺たちのことをシングルバンドかなにかと思ってるみたいだから、本物のロックを聴かせてやるぜ!」

みたいに気負いすぎたのかな?

ロビンの選曲は7曲アルバム曲、1曲のみシングル曲。

しかも7曲のアルバム曲も

「イエモンを知らない一般客がたくさんいるフェスでその曲演るかな?」

っていう選曲。

イエモンを世間一般的にしか知らないお客だったら

「あ、イエモンだったらちょっとは分かるよ。『太陽が燃えている』とか『JAM』『楽園』『スパーク』とかでしょ?」

っていう感覚だと思うんですよ。

当然、それを期待していたはずです。

けれども、全然知ってる曲を演ってくれない(ラストの当時新作の『バーン』だけ)。

で、体は冷え切っているし、疲弊しきってるし、レッチリの前に体力も残しておきたい。

そうなると、結構な数のお客がテントに雨宿り&休憩に入るわけですね。

というわけで、

「イエモンの演奏では全然盛り上がらなかった」

という印象がついてしまったんだと思います。

まあ、You Tubeに上がっていたので見つけてみてください。

確かに最前列の一部の女性客は手を降っていますが、会場全体としてはほぼ盛り上がっていません。

ロビンも

「もう目を背けたい」

みたいな感じで、らしくなく伏し目がちに下を向いて歌ってます。

まあ、色々憶測がとびかってましたが、所詮、結果論ですよ。

ロビンの考えも分からなくはないし、もしかしたら天気さえ良ければあの選曲でも盛り上がったのかもしれません。

フジロックを機会に

「シングルでは売れ線バンドとか思ってたけど、生で見たらめっちゃ硬派なロックバンドだった」

という印象を与えた可能性だってるわけです。

しかし、当のロビンにとってはかなりショッキングだったらしく、『Sicks』での音楽的セールス的充実で頂点に達していたロビンは、このフジロックで『解散』の二文字が頭を過るほど奈落の底に叩き落されたとのことです。

つまり1997年という年はロビンにとって『栄光』と『挫折』がダブルパンチで押し寄せた稀有な年だったと言えるでしょう。

本作『パンチドランカー』は、そんな流れの中で制作を開始しました。

さらに無骨なロックサウンドへ

フジロックで共演し、またその盛り上がりを目の当たりにしたことで、最先端のロックのトレンドを意識したのか?

この『パンチドランカー』は、時代のトレンドから強く影響を受けた作風になったと私は感じています。

トレンドと言ってもポップなどの売れ筋トレンドということではなく、若者たちに支持されているロックのトレンドという意味ですね。

まあ、『Sicks』で演りたいことを演り尽くしてしまったんで、ここらで新機軸を打ち出すに当たって直前のフジロックに影響を受けた部分は少なからずあるでしょう。

その意味では『再スタート』みたいな意識はあったと思います。

装飾を排し、無骨でラウドで生々しい、そしてヘヴィなサウンドが特徴的で、これは『ニューイエモン』と呼んでも言いすぎじゃないんじゃないかな。

そのままライブで再現できるような作りになってて、イエモンの『バンドサウンド』をたっぷり楽しめますよ。

私にはイエモンが“オルタナ化“したように感じましたね。

華美なギターソロがありません。

っていうかあんまり印象に残るギターソロがないというか。

一聴すると、前作までに少しはあった明るいメジャー調が鳴りを潜めてるように感じるのですが、曲の途中から展開がガラッと変わるっていうパターンもあるかな。

なんかね、『楽園』のようにイントロから「うわ~明るいな~」っていう始まり方はナッシングで、どれも不穏な始まり方なんですよ。

けど、聴いているうちに「あら?なんか印象が変わってきたぞ」みたいな楽曲が数曲ありはします。

しかし、放っている雰囲気はオルタナティブそのもので、いつものイエモンと違い近寄りがたい雰囲気も持っています。

ここまでの雰囲気の変化は『ジャガー・ハード・ペイン』→『スマイル』の時以来で、『スマイル』から『フォー・シーズンズ』『Sicks』と続いてきたポップで明るい雰囲気は殆ど感じないかな。

正直、リアルタイムでこれを聴いた時は、

「なんか俺がイエモンに求めているものと違う」

と感じましたね。

聴く曲は聴くのですが、聴かない曲は聞かない。

飛ばす。

頑張って聴くけど、いつまで経っても受け付けないというか。

『パンチドランカー』『球根』『バーン』『ラブ・ラブ・ショウ』の4曲と『それ以外の曲』っていう風に完璧に分けて考えていたっていうか。

なんというか、イエモンってシングルヒットを通して「これぞイエモン!」っていうステレオタイプなイエモン像が確立されてしまったがために、そうじゃない曲で落差を感じた時に、聴き込むことを諦めて『良くない曲』と決めつけてしまうという『罠』にハマってしまうというか。

聴き込んでそこを通り抜けてみると、他の楽曲の良さがようやく分かってくると言うか。

しかし、私の場合そこに行き着くまでに結構時間がかかりましたね。

なので、本作、そして次作の『8』は、多少抵抗があっても聴き込んでみることをおすすめしますよ。

『パンチドランカー』楽曲解説

#1『パンチドランカー』

アニーのスネアの音と跳ねたリズムがとにかくシンプルに気持ちいいタイトルナンバー。

なんかツェッペリンっぽくもあり、レッチリっぽくもありますね。

とやかく言わず、このビートにノリまくってください。

リフで押しまくる曲で、イエモンとしてあったようでなかったようなシンプルさですね。

しかし間奏部分ではこれまた珍しい辺拍子が入ります。

とにかく「ストレートにかっこいい!」の一言。

#2『球根』

第3弾の先行シングルナンバーです。

初のオリコン1位を獲得しましたが、セールス枚数としては実は落ち込みました。

『JAM』~『バーン』までのシングル5枚の平均売上(55万枚くらい)の半分くらいしか売れていないんですよね。

このことが原因で『離れるな』をアルバムリリース後にシングルカットすることになりました。

しかし、『球根』は本作で最初に作られたナンバーであり、ロビンが「一番気合い入れて作った曲」というだけあり、内容は素晴らしく、本作随一のキラーチューンとして知られる代表曲。

頭のギターのコード音からもろにオルタナですね。

ソニック・ユースみたい。

弾き語りで始まり、スネアの大音量一発でガラッと盛り上がっていくのですが、そこからの歌メロにはなんていうか、どうもXっぽさを感じたんですよね、当時は。

ちなみに私、Xが好きだし、このサイトでも散々書いてきているのですが、『紅』のバラードバージョンのように感じたんですよ。

この歌メロの持つ独特の叙情性というか、哀愁というか。

冷静に聴くとまったく別物なんですが、雰囲気というか、楽曲から感じるカラーが似ていると思いました。

込められている『情念』のレベルが近いと言うか。

なので、後にhideがこの曲のことを絶賛しているのを『ロッキンオン』で読んだ時に

「おお、さすがhide!やっぱあんたも分かってくれてたのか!」

って1人で感動していた日のことを思い出します。

どうして『くれてたのか!』と過去形になっているのかというと、この直前にhideは亡き人になっていたからです。

本アルバムのリリースは1998年3月4日、hideの死は2ヶ月後の5月2日、ロッキンオンで読んだのが6月号なので、hideのインタビューは3~4月に行われていたことになります。

アルバムリリース後のイエモンは、史上最大の国内ツアーである『パンチドランカーツアー』(1年間で全113公演)が始まったばかりで、ちょうどhideの地元である神奈川県民ホールへの移動中に訃報を聴いたそうです。

当日のライブでは「hideさんへの追悼にこの曲を捧げた」と語っています。

その時の貴重な映像を中国のサイトで見つけました。

ロビンの魂の叫びを聴いてください⇩

1998年5月2日のライブ『球根』はこちら

#3『間違いねえな』

これなんかもろにレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを想像したんですが。

スロー・ヘヴィ・タメの聴いたグルーブが気だるくも心地良い。

本作でのエマは、リズムギターでは印象に残るリフで引っ張りますが、リードギターはどことなく変態チックなんですよね。

分かりやすいメロディという手法を選択していません。

パンチドランカーツアーでは、序盤のホールツアーでは演奏されていたのですが、「今回のツアーは失敗だった」発言以降、アリーナツアーでのセットリストからは外されました。

かぁわいちょ。

#4『ゴージャス』

前曲からメドレーみたいな流れで始まります。

実際にライブでは続けて演奏されてました。

「今回はボーカルのボリューム絞ってるな」

と気が付かされる曲ですね。

歌詞はシンプルで、ストーリーもありませんが、

「愛はなんて便利なんだ 悲しさなんて愛の工場」

「運命は差し足だ」

など、印象に残るフレーズが光ります。

アルバム曲の割にはかなりの人気曲で、ベスト盤「ファンズ・セレクション」での人気投票では44位に入ってます。

#5『見して 見して』

下ネタソングです。

ちょっと直接的すぎるぞ(笑)。

ファンキーテイストと歌詞の内容が妙にマッチしてます。

終始キーボードがリフを引っ張るというのは、イエモン初では?

ラスト1分でテンポアップし、シャッフルに変わります。

#6『クズ社会の赤いバラ』

これまたいかにもオルタナティブなギターリフで始まります。

アニーのバスドラがノーミュートにしてある部分があり、重低音に奥行きがあります。

このバスドラがこの曲の不穏な雰囲気を演出するのに一役買ってます。

この曲もツアーの後半はセットリストから外されましたね。

#7『セックスレスデス』

初っ端からギターが変態的ですね。

本作ではかなりアップテンポな方の楽曲で、ドタバタしながら突き進みますが、サビではテンポダウンし、大きなメロディで聴かせます。

サビの時のスライド・ギターが気持ちいい。

#8『エブリデイ』

「暗いな~。このアルバムって暗いよ~」

とかって聴き始めると、サビでガラッとメジャーに切り替わるのでびっくりします(笑)。

本作一のポジティブソングではないでしょうか?

#9『SEA』

1分ほどのポエトリー・リーディングです。

これ聴いた時に真っ先にhideのライブが頭をよぎったんですよね。

やっぱりお互い影響を与えあっていたんでしょうかね。

「道の反対を…行った…」

のところで狂気を感じました。

『行った』が『逝った』にしか聴こえないんですよね。

次曲へのイントロダクションとしての役割を果たしてます。

#10『BURN』

第2弾となった先行シングルナンバーで、タイミング的にはフジロック出演の2日前にリリースされたため、フジロックのセットリストではラスト曲に持ってきました。

オリコンチャートでは2位と過去最高、セールス的にはイエモンシングル史上ナンバーワンの売上枚数(66万枚)です。

本作で一番好きですが、作ったロビン本人もリリース当時

「『バーン』はデビューしてからのイエモンの頂点」

と評してます。

ラテンの情熱を感じさせるナンバーで、ローリング・ストーンズの『悪魔を憐れむ歌』のような雰囲気も持ち、明らかに意識した「フーッフー!」というコーラスが入ってます(笑)。

ファズのかかったエマのギターも緊張感を高めていてグッド。

それにしてもこのメロディに次ぐメロディの波状攻撃はすごい。

最初から最後まで繰り返しはあまりなく、ずっと展開し続けていきます。

#11『甘い経験』

とっても明るいナンバー。

本作に入っているのが不思議なほどで、雰囲気的には前作『Sicks』や前前作『フォーシーズンズ』に入っていたほうが違和感がないですね。

『ホテル宇宙船』とか『見てないようで見てる』に近い雰囲気を放ってますからね。

っていうかこれを先行シングルにしてりゃ良かったのに。

英語版の『シュガー・フィックス』としてイギリスで先行リリースされた後に、日本でも英語版としてシングルカットされました。

なんと、本作は先行シングル3枚、シングルカット2枚の合計5枚もシングルとしてリリースされたという、イエモンでも珍しいアルバムなんですね。

そしてその内4枚が10曲目~ラストに固めてあるんですよ。

『バーン』『甘い経験』『離れるな』『ラブ・ラブ・ショウ』ですね。

なので、本作は後半になって本気を出し始めるアルバムだと言えます。

#12『離れるな』

『球根』のセールス不調を受けシングルカットされたナンバー。

「これをシングル・カットとかするなよ」

とか思わなくもないのですが、『ロックなイエモン』を一般リスナーに知ってもらおうという意識があったのかもしれません。

明らかに暗めの始まり方をする、本作のアルバム曲の典型といった趣なのですが、これも途中から雰囲気が変わり、イエモン節が炸裂します。

エマのギターはボーカルメロディに絡まりながら、最後はギターユニゾンで仕上げます。

#13『LOVE LOVE SHOW』

第一弾先行シングルです。

本作収録のはアルバムバージョンでテンポがアップしてます。

っていうかこれシングルとアルバムで全然違います。

シングルバージョンは『王道イエモン』なのですが、アルバムバージョンは他のアルバム曲にカラーを合わせてあるんですよ。

まずボーカル音量を絞り、抑揚のあった歌唱法をがなり立てるシャウトに変え(?)、ギターの音をオルタナっぽく変え、サイバーな効果音を追加して、いわゆる『売れ線っぽくなくして』ます。

ただ、ボーカルはこれ録り直してる?

もともと録ったテイクをテンポアップかけてるのかな?

なんか機械処理的な匂いがしないでもないです。

全体的にハードなエッジが効いてテンポも上がってるんで攻撃的な印象を残すんですよ。

そのため、あのままでは本作で浮いていた楽曲がしっくり馴染んでいるんですよね。

まあ、この曲のシングルリリースからアルバムリリースまでに約1年も経っているため、他の楽曲の仕上がりに合わせて見直しをしたんでしょう。

個人的にはシングルバージョンの方が本領を発揮している楽曲だと思います。


はい、というわけで本日は『バーン』を語ってきました。

日高氏が語るようにこの頃のイエモンは『ギリギリ』です。

万人受けするポップさを持ちつつ、「意地でもポップバンドには見られたくない」という自意識が楽曲の中でせめぎ合っています。

このバランス感覚こそがイエモンです。

それではまた!

 

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