【流し聴き】「音楽が趣味」という方にぜひおすすめしたい
本記事はプロモーションを含んでおります。
音楽が趣味の人なら是非とも『流し聴き』を試してみて!
こんにちは。
あいも変わらず1日24時間音楽を聴き続ける『ミュージックドランカー』のSimackyです。
こんなサイトに訪れるあなたは相当な音楽好きであることとお見受けします。
なぜなら私が普段書いている記事は、今どき音楽をCDで聴いているようなディープな音楽フリークが好んで読むようなものが多いから(笑)。
だってこの時代にあってアルバムレビューばっかりしているんですよ?
そんなサイトにティーンエイジャーは集まってこないでしょ(笑)。
今時の若者はアルバム単位で音楽を聞くっていう習慣すらないんじゃないですかね?
こんな時代にアルバムレビューサイトに群がってくる皆さんにこそお伝えしたい。
本日は『あなたにぴったりの曲を見つける~サブスクの『流し聴き』~』と銘打って音楽の聴き方を語りたいと思います。
『流し聴き』
って言われると何か音楽を軽く聴いているような気がしませんか?
「流し聴きなんかで曲って頭に入るの?」
と思われるかも知れませんが、これが意外に侮れません。
流し聴きはあなたの本能と直感に直接働きかけてきます。
それを説明するために、そもそもどんな経緯で私が流し聴きをするようになったのか?
そこからお話しますね。
「音楽なんてもうウンザリ!」という気持ちになったことありますか?
私は二十歳前後の時期にプロのドラマーになりたかったもので、スタジオに1日に8時間くらいこもって、ひたすら叩きまくっておりました。
ちなみに、ドラムの練習ってどうやってやると思います?
『耳コピ』です。
耳で聞いて覚えて、そのフレーズを楽器で再現して近づけていくという練習方法です。
難しいので最初からは出来ませんけど、耳コピができるようになると、スタジオにCDを大量に持ち込み、それを聴きながら練習します。
それを毎日、毎日、明けても暮れても繰り返すと、別にCDを持ち込まなくても「頭に入っているフレーズは再現できる」ことに気が付きます。
この段階に入ると、『脱耳コピ』の状態に入ります。
聴いて覚えさえすればそのフレーズは叩けるということなので(もちろん再現するために練習は必要ですが)、家で聞けば聞くほど、色んなフレーズを覚え、それが『ドラマーとしての引き出しの多さ』に直結します。
ここからは家でひたすら音楽を聴き、貪欲にフレーズを吸収していくステップに入ります。
明けても暮れてもヘッドホンで1日15時間以上は聴いていましたね。
ヘッドホンを15時間もつけっぱなしにするとどうなるか知ってます?
耳がもう触れるだけでもめっちゃ痛くなります。
あの程度の締付けでも15時間も締め付け続ければ激痛になるんですよ。
さて、『悲劇』はここからです。
ドラムのフレーズを増やすために、ドラムに注意して聴く聴き方ばかりをした結果、そういう聴き方しかできなくなったのです。
それまで大好きだったアーティストの音楽も、音楽として全然楽しめなくなります。
全部、「ああ、ここはこういう風にして叩いているな」と分析ばかりしてしまうのです。
ある時ふと
「もう、ドラムの音聞きたくない。8ビート聴くだけで気持ち悪くなる」
という状態になりました。
これはなにかの楽器を極めてプロを目指そうとする人は通る道なんだと思います。
おそらく根詰めすぎたのでしょう。
練習に「楽しみ」の要素を入れる工夫が足りなかったのだとも思います。
ついには完全に音楽が嫌いな状態になりました。
音楽をやる意味も、プロを目指す意味もなくなりました。
これをやっていくのは、酒屋の店員をやるよりも苦痛だぞ、と(笑)。
音楽を好きだからこそプロを目指して、そのために音楽嫌いになるというのは本末転倒。
この時は音楽が苦痛な存在になることに、なんか喪失感がありましたよね。
「これは距離の置き方とか、自分の考え方を変えなきゃ駄目だな」と思いまして。
プロを目指すこと、いやそれどころかバンドを続けることは一度頭からなくして、もう一度音楽を普通に楽しめるように初めからやり直そう、と考えるようになりました。
『流し聴き』してても曲が心に”引っかる”
ここからはリハビリですね。
大好きな音楽を取り戻すためには、「人が演奏している雰囲気を感じない」音楽を聞くしかありませんでした。
人が演奏しているとプレイの詳細を追ってしまうので。
ここで私は小学校の時に大好きだった「ゲーム音楽」に思いっきり舵を切ります。
たまたま大学の研究室の後輩でゲームサントラマニアがいまして、その後輩に頼んで片っ端から焼いてもらいました。
CDに焼いてもらった50枚以上のゲームサントラ(曲は5000曲以上は収録されていた)を流しまくっていましたね。
『全てが打ち込みで楽器の生音が皆無』であるコンピュータミュージックは、まさに当時の私にはうってつけの特効薬でした。
何も考えないで浸れる。
ただ音の波に漂っておけばいい。
「ああ、ここのドラムはこういう風に叩いてて、、、、」みたいなことは一切考えなくて良いのです。
聴き方が劇的に変わりました。
それまでのような「CDオーディオの前に鎮座して15時間、身じろぎ一つしない」という聴き方ではありません。
漫画も読むし、ゲームもするし、小説も読むしといった感じで、基本、「音楽をちゃんと聴く」ということをしません。
歌詞もないのでただただ流し聴き。
一切耳を傾けません。
なのにいつの間にやらメロディを覚えています。
どうして聴いていないのにメロディを覚えるのでしょうか?
ある時、気が付きました。
無意識に流しているだけでも、ある特定のメロディのところでは、勝手に自分の注意が向くことに。
そのため、
「あれ?またこの曲が流れている」
という奇妙な現象が起こります。
他のたくさん流れている曲は耳に一切入ってこずに、ある曲だけとか、あるフレーズの部分だけで「ふっ」と耳が傾くんですね。
「引っかかる」とでも表現しましょうか。
まるで宝石の原石を『ふるい』にかけているようです。
『キラリと輝くフレーズ』だけが耳に残るのが実感できます。
まるで他の曲は流れていなくて、その曲ばかりが流れているように感じしまう。
つまり、人は、自分の心の琴線に触れる音楽を、無意識に取捨選択しているのだと。
いや、音楽に限らず、もっと広い意味で、『自分に関係ある情報とそうでないものを選り分けている』のかも知れないな、と。
例えばこんな場面を想像してみてください。
今、結婚式などの宴会の会場で、ステージではスピーチが行われています。
皆、スピーチは真面目に聞いていないため、会場は結構ガヤガヤしています。
自分もスピーチは聴かずにテーブルの人と熱心におしゃべりしていたりします。
けれど、スピーチしている人が、話の中で自分の名前を口にした瞬間
「ん?今オレの話しなかった?」
ってなぜかぴくんと反応する。
こういう経験って私はあるんですが、皆さんはありませんか?
「もしかしてあれってこういうことなのか?」と。
この時の体験が自分の考え方を大きく変えました。
『聴く』ではなく『感じる』
つまり、「人は無意識下でも音楽を聴いているのではなかろうか?」と考えたわけです。
それは意識していないので、『聴いている』というより『感じている』という表現が正しいのかも知れません。
『頭で聴く』ではなく『心で聴く』というニュアンスでしょうか?
それまでの音楽の聴き方は『理解しようとしていた』部分もあったのかもしれません。
歌詞を読むこともそうだし、どう演奏しているのかを考えながら聴くこともそうです。
それって、本来の音楽を「感じる」という部分をないがしろにする行為だったのではないか?と。
流し聴きで「引っかかる曲」は、驚くほど的を射ています。
自分にとってドストライクゾーンなんです。
中途半端に気に入る曲なんかは引っかかりません。
逆に「引っかからない」曲をどんなに集中して聴き込んでも、その時に好きになることはあんまりないです。
好きになるのはその「引っかからなかった曲」がある時「引っかかる」ようになった時です。
「引っかかる」状態が「気づくと鼻歌で口ずさんでいる」の状態になると、もう相当好きになってます。
何を言いたいかというと、自分で意識して聴いても、琴線に引っかかるかどうかに影響を与えていないということです。
つまり、音楽というのは理解しようと努力しても無駄なのだな、と。
そう考えるようになってからは、ゲーム音楽だろうが、これまで聴いてきたバンド音楽だろうがすべて流し聴きをするようになりました。
『流し聴き』にはストリーミングがぴったり
流し聴きをするようになって、また音楽を楽しめるようになりました。
あれだけ聴きたくなかったバンドサウンドも普通に聴けますし、ドラムばかり追ってしまう聴き方もほとんどなくなりました。
また、『無意識でも音楽を感じている』と考えているので、寝ている間も音楽は流しっぱなしです。
タイマーもかけていませんので、8時間寝るときでも8時間流しっぱなしです。
これは眠りが浅い状態の時に、どうやら『感じている』というのが分かります。
『寝入りっぱな』や『起きて直後』、また『夜ふと目が覚める時』などの起きてはいても半分寝ているような状態の時に、どういうわけか、音楽が信じられないくらい素晴らしくよく聞こえるという現象が起きます。
『感性が丸裸になっている状態』とでも表現すればいいでしょうか?
「これいつも聴いているあの曲か?」と驚くほどです。
これが楽しみで流しっぱなしにしているのですが、これは毎日起きる現象ではないようですね。
脳科学に詳しくはないのでメカニズムを説明はできませんが、本当にそういうことがたまに起きます。
You Tubeを流しっぱなしにしながら寝落ちすると、夢でその内容がそのまま出てきたりした経験ないですか?
あれって、夢を見ていると言うより頭が半分寝て半分起きている状態なんで、寝ながら内容を聞いているから起きることなんだと思うんですよね。
そういうわけで、現在では24時間音楽流しっぱなしの日常になっているわけです。
流し聴きをするようになると、「引っかかる音楽」が実際はどれだけ少ないことかに気が付きます。
1枚のアルバムの中でも1曲あるかないか。
1曲も引っかからないことはザラですね。
心の琴線に本当の意味で触れる曲は一握りなのです。
なので「自分の琴線に引っかかる」曲とたくさん出会いたければ、一つの作品を聴き込むことよりも、多くの作品を聴くことのほうが大事だと思っています。
もちろん
「いや、聴きこむほど良さの分かる作品もあるから、それを簡単にスルーするのはもったいなくない?」
という方もいらっしゃると思います。
あくまでこれは私の考え方なので無理強いするつもりはありません。
昔は新譜で2000円で買ったアルバムが、あまりピンとこなくても1ヶ月位は熱心に聞いていました。
そしてそれが1週間後に好きになる場合もあれば、半年後に好きになりだしたり、20年後に良さに気づいたりします。
つまりそれって自分の感性が変わった時に初めて琴線に触れるということなので、今ピンとこないものをその場でどうあがいてもあまり効果はないと、経験上感じました。
しかもピンとこない作品であるほど、『理解しようとして』聴いてしまうので、追えば追うほど作品を『感じる』という本質から離れていくのです。
意識的に聴き込んでも、そこで好きになれないのであれば、その時間に1つでも多くの『心を打つ』作品と出会いたい。
けれど、多くの作品を次から次にCDで買い揃えるとなると、お金がかかりすぎ、現実的ではありません。
だから昔は1枚2000円以上も払って買ったCDを、大事に聴き込んでいたにすぎないのです。
けれども、今はストリーミングの時代でCD一枚を購入する時代ではないので、「引っかからなければ」次に行けばいい。
世の中には一生かかっても聴き尽くせないほど膨大な量の作品があるのですから。
という考え方の変遷(へんせん)があったわけです。
まあ、「次に行く」とは言っても、最低20回は流しますけどね。
皆さん、ストリーミング時代なればこそ、この『流し聴き』、試してみてはいかがでしょうか?
あなたにとって本当に『心の琴線を鳴らす音楽』との出会いのために。
サブスクで音楽を聴く環境が変わる
はい、今回はちょっと変わった新提案でしたね。
自分の過去の経験から気づいたことを深堀りして整理してみました。
ストリーミングで音楽を聴くというのは、CDという『モノ』に愛着をもっていた我々世代からすると、少し寂しい気がしますよね。
歌詞カードもなければアーティストの写真もなし。
私などは大好きなアーティストの情報は主にブックレットの中のライナーノーツ(解説)から仕入れていたもので特にです。
しかし、音楽をCDプレイヤーではなくスマホで聞くことができるため、実はそれらの不足を補って余りあるくらい楽しむことができるんです。
アーティストの情報はウィキペディアや音楽雑誌がアップしている記事、ファンブログで読めますし、その作品を買った多くの人の感想がレビューなんかでいくらでも読めます。
「その気持わかる!」とか1人で言いながら聞くことができるわけですよ(笑)。
ちなみに私のやっている音楽作品の解説ブログは、昔CDライナーノーツが大好きだった私が、
『サブスクの時代に読みごたえのあるライナーノーツを蘇らせる』
というコンセプトで制作しております。
また、動いているアーティストが見たくなれば、ストリーミングではPV(プロモーションビデオ)の動画配信もやっていますのでそのまま見ることができます。
スマホひとつであらゆることが簡潔している凄い時代ですよね。
音楽聞いている時間が幸せすぎます(笑)。
私はこの新しい時代の音楽の楽しみ方を1人でも多くの方に知っていただきたくこのサイトを立ち上げました。
「若い頃にCDで聴いていたけれど、CDプレイヤーが壊れたっきり音楽聞かなくなった」
というかつての私のような人にはこのストリーミング流し聴きをおすすめします。
『no music no life!』
”音楽なしの人生なんてありえない!”
Simackyでした。
それではまた!
音楽ストリーミングサービスを解説した記事はこちら👇