『マイ・ワインディング・ロード/O.K.』イエローモンキー 初のディスコナンバー
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
本日はイエローモンキーが1998年にリリースした17枚目のシングル曲
マイ・ワインディング・ロード
を語っていきます。
『CDバブル』期に間に合わなかった無冠の傑作
この『マイ・ワインディング・ロード』を語るに当たって、この曲がリリースされる前後のイエモンのリリース状況をお話しましょう。
前回『スパーク』の記事でも少し触れましたが、イエモンにとってソングライティングの全盛期とも言える1995~1997年は凄まじい名曲のオンパレードでした。
シングルでは『追憶のマーメイド』『太陽が燃えている』『JAM』『スパーク』『楽園』のあたり、アルバムでは『フォー・シーズンズ』『SICKS』のあたりですね。
実はこの後のシングルも名曲達で、1997年に『ラブ・ラブ・ショウ』『バーン』、1998年には『球根』をリリース。
シングルに関しては相変わらずのイエモン節全開で、『バーン』は自身最高セールスの66万枚を記録し、『球根』では自身初となるオリコン1位を獲得しました。
そんな中、アルバム『パンチドランカー』では音楽の方向性がガラリと変わります。
ヘヴィな音楽性を取り入れ、オルタナティブな要素が入ってくるんですね。
この『パンチドランカー』リリース後に、アルバムからシングルカットした『離れるな』はもともとアルバム曲だったんで、このオルタナティブ要素が結構あります。
明らかに世間一般的なそれまでのイエモンのイメージと違うんですよね。
先にアルバムを聴いていた人からすると
「え?その曲をシングルいっちゃうの?売れる?」
と感じたと思うのですが、やっぱり案の定、ここでセールスを落とします。
この『離れるな』をリリースしたのには実は理由があります。
実は、その前の『球根』がセールス不調だったからなんです。
「え?だってイエモン唯一のシングル1位曲なんでしょ?」
と思われるかもしれませんが、1位を獲得した割にはトップ10から転落するのが早く、28万枚くらいのセールス結果でした。
シングルの売上は、
『JAM』60万枚
『スパーク』56万枚
『楽園』46万枚
『ラブ・ラブ・ショウ』48万枚
『バーン』66万枚
という流れできて、いきなりそれまでの半分のセールス結果に終わったわけです。
実はこれには理由がありますが、それは後ほど。
ついにオリコン1位を取ったと喜んでいたら、水面下でセールスが落ちているなんて、ファンの誰が知りましょうや?
こういう事情があり、『球根』での売上補填のために急遽リリースが決まったのがこの『離れるな』です。
しかし、『離れるな』のセールスは5万枚と、それまでの流れが一体何だったのか?というほど売れませんでした。
「ちょっと攻めすぎたな」と感じたのか?
それに続くシングル『シュガー・フィックス』は、『パンチドランカー』に収録されていた『甘い経験』の英語版で、この曲はかなりポップだったのですが、やはり日本語ではないためか?
これも10万枚と撃沈します。
こういうちょっと良くない流れを断ち切るべく、期待を込めてリリースされたのが今回ご紹介する『マイ・ワインディング・ロード』になります。
『シュガー・フィックス』から2ヶ月後、1998年10月にリリースされました。
ここまで「いかにもイエモン!」という明るくポップなメロディをもったナンバーは「ラブ・ラブ・ショウ」以来、5作ぶりだったと思いますよ。
当時の私も
「これこれ!やっぱイエモンはこの路線をやんなきゃ!」
ってすぐ思いましたもんね。
しかし、残念ならが、すでに時は1999年。
そう、1998年に『CDバブル』がすでに終演を迎え、
CDが売れない時代に差し掛かっていたんですよ。
そのため、起死回生の内容だった割には、セールスは20万枚までしか伸びませんでした。
思えば、ロビンが魂を込めて制作した力作である『球根』のセールスが伸びなかった頃には、すでにCDバブル崩壊の足音が聞こえていたのかもしれませんね。
そういうわけで、この『マイ・ワインディング・ロード』。
個人的には『太陽が燃えている』や『JAM』『スパーク』ら、最盛期のヒットシングルに匹敵するクオリティをもった後期の傑作だと思っております。
歴史に『if』はありませんが、この曲があと1年早くリリースされていれば、イエモンファン以外の一般リスナーにとっても、もっと知られている名曲足り得たんじゃないかと。
痛快ディスコナンバー
この『マイ・ワインディング・ロード』はまさにイエモン節が炸裂するディスコナンバーです。
16ビートを刻むアニーのハイハット、低音と高音を行き来するヒーセのファンキーなベースラインが、ダンサブルなグルーブを生み出してます。
サビで一気に展開がパ~っと明るくメジャーに転調するところでいつも鳥肌が立ちます。
そして4:00過ぎからはさらにもう一段階展開し、大サビへと突入。
この曲がその全貌を見せる瞬間は得も言われぬ高揚感で、鼻血が出そうになります。
私の中ではイエモンで5本の指に入ってくるほど素晴らしい曲だと思っているのですが、ファンが選ぶベスト盤『イエモン・ファンズ・ベスト・セレクション』では36位でした。
せめて10位以内には入ってほしかったな~。
同じくオリジナルアルバム未収録であり、この曲の直後にリリースされたシングル『ソー・ヤング』は6位なので、ちょっぴり悲しいかな(笑)。
『O.K.』に見る海外バンドへのコンプレックス
シングルのカップリングは『O.K.』というハードロックナンバー。
これがかなりヘヴィでダーティでかっこいい。
ゴリゴリに骨太なギターハードロックで、ここまでイエモンの『男らしさ』が出ているナンバーもそうそうないですよ。
らしくなく思いっきり縦ノリですもんね。
イエモンって自分たちのファンに女性が多いことを気にしていた時期もあると思うんですよ。
「ロックは男に認められてなんぼだ」みたいな。
アルバム『ジャガー・ハード・ペイン』制作時のインタビューでは
「男性ウケを狙った」
みたいなことも発言していたし。
フジロックなんかに出演すると、フー・ファイターズやらレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやらレッチリみたいなパワフルなバンドと共演することになるでしょ?
彼らの演奏中なんて思いっきり縦ノリで、モッシュとかヘドバンウェーブとか起きるわけですよ。
会場全体が生き物のように揺れている感じというか。
特にイエモンの直前に登場した、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンはものすごかった。
これフジロック出演時のライブ映像⇩
どうですか?ヤヴァいでしょ?
この後に出ろって言われたら、世界中のバンドが嫌がるでしょう(笑)。
ロビンも自伝で語ってましたが、レイジのリハーサル音合わせを目にして
「いや無理無理!この後に演るのは絶対無理!」
って思ったらしいです。
この頃のレイジは全盛期ですからね。
よくこの時期のレイジを呼べたものですよ。
あれを共演者として見せつけられた時に、“バンドとして“、あるいは“男として“敗北感があったんじゃないかな~?
イエモンのライブってそういうノリじゃないので、ああしたフェスでは観客のウケの違いが浮き彫りになるというか。
海外のバンドって言葉の壁があるにも関わらず、日本人の観客を暴れさせるわけじゃないですか?
そのパワーたるや凄まじいものがあると思うんですよね。
その経験から
『グルーブで男たちの野生の本能を直撃するような楽曲』
を作ろうと思ったのかもしれません。
この曲はまさにそう感じるし、次作『8』でのさらに増したヘヴィグルーブにもその意図を感じるんですよね。
それだけに、もし『8』に伴うツアーが行われていたらどういうノリになっていたのか興味深いですよね。
『マイ・ワインディング・ロード』が収録されたベストアルバム⇩
解説ありがとうございます。
時代背景と絡めた考察面白いです。
私は、「OK」の方が好きなんですが、縦ノリの曲が好きだからかなと思いました。
「全てに勝って」という歌詞に、なんというか、同年代に圧倒的な支持を得たミスチルやスピッツのようなドメジャーな歌手になれなかった悲哀を感じるんですよね。
というか、イエモンってカップリングもいい曲多いですよね。「DEAR FEELING」とか、「STONE BUTTERFLY」とか。こっちが表題曲になってもよかったって思ってしまうくらいのレベルです。
コメントありがとうございます!
そうなんです。
イエモンはシングルのカップリングに名曲が隠れてます(笑)。
『イエモン・ファンズ・ベスト・セレクション』でもベスト50位にカップリングから選ばれたものが多いですもんね。
「STONE BUTTERFLY」は私も個人的に大好きなんですよ。
あと、「全てに勝って」の解釈おもしろいですね(笑)