『LULU』メタリカがルー・リードと奇跡的な共演!

どうもSimackyです。

本日はメタリカが2013年に他界したあのルー・リードと奇跡的な共作をした2011年『LULU』をたっぷり語っていきますよ!

20世紀以降における最重要アーティストの一人」とさえ呼ばれるあのルー・リード最後の作品がメタリカとのコラボになるとは…。

「なんかこの前もこんなことあったような?」

と思ったら、ジェフ・ベックが生前最後に関わったオジーの最新作『ペイシェントNo.9』をこの前ブログ書いたばかりでしたね。

メタリカには長生きしてほしいものです(オジーにも)。

さて、そんなメモリアルな作品であるにも関わらず、メタリカファンからはまあ、評判悪い作品です。

私は実は最近だんだん好きになってきたので今回記事にする気になりました。

なので例によってこういう作品の解説は燃えます(笑)。

ところで

ルー・リードって誰?

という疑問はほとんどのメタリカファンの頭に浮かんだはず。

名前の知名度は高くても実際彼の音楽に触れてみた事がある人は決して多くはないと思います。

そう、メタル界隈では1ミリたりともかすらないアーティストですね。

そのために、メタリカファンからすると本作をどのように受け止めたら良いのかよく分からないし、そもそもジェイムズが歌わないというコラボが異色ですからね。

普通、ゲストミュージシャンってギターソロだけ手伝ったりとか、ボーカリストであればコーラスを一緒にやってみたりとかでしょ?

アルバム丸丸1枚を別のボーカルが歌うというのはコラボと言うより、別のプロジェクト、もしくは別のバンドという呼び方が近い。

ルー・リードは知らない、コラボの仕方がよく分からない…

これじゃあメタリカファンは混乱必至です。

各種レビューを読むと、意外にもルー・リードのファンで本作を手にしたという人も多い、ということでした。

メタリカもルー・リードも両方好きって言う声もわりとありました。

しかし一番多かったのはやはりメタリカしか聞いていない、ルー・リードは知らないという人達でしたね。

批判的な声はもっぱらこの人たちであり、今回の記事で語る制作に至るまでの経緯を知らないで聴いてしまった人たちですね。

本作は『作詞作曲:ルー・リード、編曲:メタリカ』と表現するのが一番適切なのかな?

これはルー・リードの作品であり、メタリカ作品として過去作品と比較したり、らしさを求めたりというのはお門違いなのだと思います。

そのあたりをSimackyがズバッと解説やっていきますよ!

ちなみに私はメタリカファンであり、ルー・リードはあまり詳しくないため、メタリカファン目線での解説になります。

ルー・リードってどんな人

実は私もそんなに好きで聴き込んだ人ではないので、めっちゃ簡単に説明します。

1960年代に活動した実験的なバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下VU)の実質リーダーでした。

このジャケットは見たことある人も多いのでは?⇩

VUは芸術家として名高いアンディ・ウォーホルが見出したバンドで、日本でいうと『AKB48を秋元康がプロデュースした』みたいなイメージです(かなり雑な例えですが)。

勝手に女性ボーカル(ニコ)を入れた編成にされたりします。

「ユー今日からセンターね」

みたいな(それはジャニー●川だろ)。

上の有名なジャケもアンディ・ウォーホルが描いてます。

VUのその斬新で実験的過ぎるサウンドは後進のミュージシャン、特にパンクなどに音楽的にも思想的にも影響を与えており、ミュージシャンズ・ミュージシャンという単語を聞いて真っ先に挙げられるバンドと言ってもいいでしょう。

ニルヴァーナに代表されるオルタナティブムーブメントの元祖がソニック・ユースだとしたら、そのソニック・ユースの元祖となるのがVUです。

ということはメタルにとっては『もっとも縁遠い存在』と言えるかもしれませんね。

やり手のアーティストにプロデュースされたという意味ではセックス・ピストルズの元祖モデルとも言えます。

しかしVUは主導権をアンディ・ウォーホルが握っていたため、ルーとしては音楽的に納得の行く制作ができず脱退します(VUはその後すぐに解散)。

商業主義の真反対に存在するような人で、

「ビートルズなんか眼中にない」

と言って憚(はばか)らないなかなかの頑固おやじです。

その姿勢はソロになっても貫き続け、ミュージシャンたちへの影響力が絶大なわりにはそんなには売れてません(たまにヒットはありますが)。

VU時代からノイズをバンドサウンドに大々的に取り入れるなど、非常に前衛的な側面を持っていましたが、ソロになってからもその前衛性は失われず、「ノイズのみで埋め尽くされたアルバム」まであります。

「キーンウイーンピーピー」

って鳴ってるだけのが1時間収録されているんですよ?

狂気の沙汰

としか思えません(笑)。

こういうとこがソニック・ユースの元祖たるゆえんです。

実際1時間聴いてみたんですが(よく聴いたな)、思ったより不快ではなく、BGMとして流していたら妙に心地よかったりさえするので、ポピュラー音楽の範疇(はんちゅう)の外のセンスを持ったお人なんでしょう。

しかし、前衛性の中にも非常にキャッチーで素朴なメロディが同居しており、敷居は高そうに見えて音楽は意外にもとっつきやすいです。

本作でも聴くことのできるボーカルスタイルは『ポエトリーリーディング』と言って、詞の朗読をするように歌い上げる独特のボーカルスタイルが特徴です。

メタルの系譜の中でその名前が出てるくことなんてまったくありませんので、このコラボまで「名前しか聞いたことがなかった」という人も多かったと思いますが、そんなルー・リードとメタリカの接点が生まれたのが、ロックの殿堂25周年を祝うライブにて共演したのがきっかけ。

そこでお互いがインスピレーションを感じていたのでしょう。

ちょうどその頃、ルーは前衛的な舞台「ルル・プレイズ」に提供する音楽を依頼されていて楽曲・歌詞はすでにある程度作り終えていました。

で、「ルル・プレイズ」の舞台監督と「アレンジはどういう感じに仕上げようか」と話し合っていた際にメタリカの話が出たので、レコーディングに誘ったとのこと。

ちなみに演目のストーリーは、ルルというぶっ飛んだ女性主人公が有り余る性欲のため男を取っ替え引っ替えした挙げ句、最後は切り裂きジャックにぶっ●ろされるというお話

いや、お前がぶっ●ろされるぞSimacky。

ひどいぞ、色々と。

恣意的な解釈がだいぶ入っております。

なんという、身も蓋もないストーリー解説。

説明が雑すぎてルーのファンに●されそうですが、もともとモチーフとなったのはエドガー・アラン・ポーの『大鴉』という物語詞をアレンジしたものらしいです。

前提条件を知らないと”えらいこと”になる

この話で分かる通り、今回の作品はゼロから一緒に作曲したものではなく、ある程度の外枠が決まった段階で限定的な役割としてメタリカにオファーがあったことが分かります。

当然、舞台音楽(サントラ)なので演目のストーリーに沿った形の内容にならなければならないし、歌詞、そしてボーカルをルーが担当することは決まっているわけです。

私はルー・リードのファンではないので、彼のことはよく知りませんが、おそらくルーが表現しようとしていた世界観をメタリカのサウンドであれば表現できるという直感があったのではないかと思います。

こういう前提条件を知らずにメタリカの新作か何かと勘違いして本作を高い金払って買ってしまうとどうなるか?

レビューが荒れ狂います。

ドリームシアターでいう13作目「アストニッシング」で起きたことが起きます(本作のコラボが先ですけど)。

これも以前ブログで書いてますので興味がある方は読んでみてください⇩

『アストニッシング』ドリームシアターが映画的な作風に挑戦した意欲作!

「これのどこにメタリカらしさがあるんじゃい!」

となるわけです。

で、言わなくていいのに

「この念仏唱えてるじじぃは何なんだよ!」

とか言っちゃうものだから、ルーのファンが激怒して

「普段メタルしか聞かない頭の硬い奴らにはルーの良さが分からんのかね?『ベルリン』聴いて出直してこい!」

みたいに喧々囂々(けんけんごうごう)の激論になる。

あなたたちレビューサイトで喧嘩するなんてみっともないよ?

大人げないのでやめましょうね。

私を見習ってください。

素直に『ベルリン』聴き始めたんですから(あとノイズだけのアルバムも)。

そもそも舞台のサントラ用の楽曲だし、ルーがすでに書き下ろしているものなので、ここは純粋にメタリカの自己表現の場ではないのです。

つまりストーリーや世界観が出来上がっているものに対して、それをメタリカなりの解釈によって演出していく、というプロセスなんです。

どんなプレイをすればこの時の主人公の気持ちが音で表現できるか?

どんなニュアンスにすればこの場面の悲劇が演出できるか?

そういうことをするのが今回のメタリカの役目であって、自分たちのメッセージを曲に込めてきたこれまでの通常作曲プロセスとは根本的に違います。

自分たちがクールだと思うリフを演奏する』ことが正しいのではなく『その場面に最適なリフを演奏する』ことが正しい。

分かりますか?この違い。

極論するとこのコラボによって『バッテリー』のような超名曲ができたとしても、ストーリーの世界観とギャップがありすぎたら却下ということです。

いい曲を作ることが今回のメタリカの役目ではありません。

ということは我々ファンはどのようなスタンスで本作に臨むべきなのでしょうか?

そのためにはメタリカが今回のコラボに臨んだ理由を想像してみるのが良いのではないかと思います。

常にその場に甘んじないメタリカの革新性

ファンならご存知のことと思いますが、メタリカの真髄は革新性です。

スラッシュメタルをやっていたから、リフがかっこよかったから、とんでもなく速かったから凄かったということではなく、同時代に誰もやらなかった音楽を始めた革新性こそ彼らの彼らたるゆえんなのです。

なので、スラッシュメタルが市民権を得て、類似のバンドがたくさん生まれてくると、自分を生まれ変わらせます。

それを続けることに興味がなくなるんです。

『ブラック・アルバム』から彼らはずっと変わり続けました。

支持を受けた音楽性の上にあぐらをかかず、時にはそれまでの音楽性を支持してくれたファンさえも裏切って前に進みます。

そのメタリカが2008年の『デス・マグネティック』で初めて後ろを振り返りました。

まさか二度と戻ってくることはないと思われたメタリカがスラッシュメタルのフィールドに戻ってきました。

未開の地、アウエーの地で戦ってきたメタリカがホームグラウンドに戻ってきた。

そこは安心できるやり慣れた場ではあり、間違いなく喜んでくれる多くのファンが居る場所なのですが、そこは果たして彼らにとってこれ以上の創造性を刺激する場所だったのでしょうか?

世界中を回るワールドツアーを何年もやってきて、「クリーピングデス」や「バッテリー」といったスラッシュメタルの定番曲をプレイし続けることは、世界中のファンは喜んだとしても、それをプレイしている本人たちにとっては

「たまには違うことやりたい」

と思うことも多々あると思います。

ぶっちゃけスラッシュメタルはもう演りすぎているわけですよ。

どんなに好きな音楽でも限度はありますから。

それが苦痛で仕方なくなったらこれはもう『お仕事』以外の何物でもありません。

そんな彼らがクリエイティビティを保つためには、せめて新作くらいはやったことないこと、実験性の高いことしなきゃ息が詰まってしょうがなかったんじゃないかな、と。

それなのに新作でさえもスラッシュメタルに戻してしまったので、

「なんか思いっきり違うことしたい!」

となっても不思議じゃないかな、と。

彼らのミュージシャンとしての生存本能がこの時「挑戦が必要だ」と告げていたのかもしれません。

音楽のようにクリエイティブな活動は煮詰まったり、マンネリになったりしがちです。

そりゃジャズやブルースアルバムでも作り始めれば新鮮だし刺激的なことでしょう。

初めてのことなので。

けれどメタリカのようにビッグになりすぎてしまったバンドにそんな選択肢は取れないんです。

巨大組織メタリカを食わせていくために、このCD不況の時代では既存ファンを囲い込んでいくしかない。

新規開拓とか言っている場合じゃないんです。

音楽マーケット自体が縮小しているんですから。

既存ファンを失ってしまったらおしまいなんです。

ファンの望む音楽性に答えなきゃいけない時代なんですよ。

もうすでに思いつく限りのスラッシュメタルをやり尽くした彼らが、再びスラッシュメタルというフォーマットでやっていく選択をしたからには、まったくこれまでと違った発想・プロセスを持つことが必要だと痛烈に感じていたのではないでしょうか?

そこにきてルー・リードというポピュラー音楽の外の視点を持つアーティストと仕事をするということはまたとないチャンスだと捉えたのかもしれません。

他の誰とも違う道を突き進むメタリカにとって、ルー・リードはその筋の代表格のような人ですから何かしら学べるはずだ、と。

そしてそれは予想通りだったらしく、そのレコーディングプロセスはなんと『フリージャム』です。

単なる『ジャム』ではなく『フリー』です。

即興演奏。

こういうのってオールマン・ブラザーズ・バンドなんかのブルースバンドが取る手法ですね。

延々とジャムり続けるっていう。

レッチリなんかもこの手法取りますよね。

上記2バンドに共通するのはどんな音楽にも即対応できる凄腕揃いだということ。

実はメタリカって自分たちの技術に関しては自己評価が低くて、ジェイムズなんかは

「俺たちは下手だから他のミュージシャンとセッションすることはできない」

とまで言ってます。

「そんな下手じゃなくね?」

と思うかもしれませんが、決まったフレーズを巧く弾くことと、即興で演奏することは全く違うスキルなので、ジェイムズが言っている『下手』というのはそれを指しているのでしょう。

ラーズは

「スタジオでのまったく知らなかったアプローチ」

と語っています。

しかし慣れない即興演奏だったとは言え、意外にもルーのファンからラーズのドラミングを褒め称える声が多かったのは面白いです。

本作はどういうスタンスで聴くべきか?

ここまで本作の制作背景を説明し、メタリカの当時の心情などを想像したりしてきました。

それでは我々メタリカファンはどのようなスタンスで本作を聴けば、レビュー書いていた人たちみたいにがっかりせずに済むのか?

それは

メタリカは今回のプロセスで何を掴んだのか?

その後の作品への影響はあるのか?

いつもと違う工夫はどこにあるのか?

そういう風な観点で本作を聴き込んでいけば非常に興味深い作品だということが分かるかと思います。

それまでのメタリカの作品では見られなかった側面が見えてくると思います。

まあ、これは『メタリカのかっこいい作品が好き』という域を超えて『メタリカという人が好き』の域にまで行かないとちょっと苦痛かもしれませんが。

なので『メタリカのかっこいい作品が好き』という方は本作を聴くことをおすすめしません。

メタリカという人が好き』という方であれば必ず何かを拾えるはずです。

また、「彼らの狙いは何だ!?」みたいに頭でっかちに構えなくても、何も考えず聴くのも全然ありです。

最初は苦痛ですが途中からなんか気持ちよくなってきますしね。

久々に強烈な固さのスルメを噛んだ気分です(笑)。

実は最終的にはめっちゃソリッドでかっこいいし、その美しさに癒やされます。


はい、今回は『LULU』をたっぷり語ってきました。

ほぼ瞬間の閃(ひらめ)きとインスピレーションのみで押し切ったため、レコーディングにかかった時間は

わずか3週間!

素晴らしっスね(笑)。

「3週間っていつものやり方だったらドラムを置く場所さえまだ決まってないよ!」

とのこと(ラーズ談)。

じゃあその3週間はあんたいつも何してんだ(笑)。

この記事を読んだメタリカファンの皆さんはルー・リード掘り下げていってみませんか?

今『ベルリン』聴いているんですけどすごくメロディが綺麗で心が洗われますよ。

皆さんによき音楽ライフがあらんことを!

 

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