『キラーストリート』サザンが陥った“ワナ“とは!?

本記事はプロモーションを含みます。

どうもsimackyです。

本日はサザンオールスターズが2005年にリリースした14作目のオリジナルフルアルバム

『キラーストリート』

を語っていきますよ。

大問題作として賛否両論真っ二つに分かれた作品です。

こういうの解説するの大好きです(笑)。

「そう言えば、サザンで問題作って言われるアルバムは初めてじゃないよな?ちょっと調べてみよう」

と思い、グーグルで「サザン アルバム 問題作」で検索したら、『KAMAKURA』を解説した自分の記事が一番上に表示されてびっくりしました(笑)。

それからその下に『さくら』のウィキペディアページが表示されたので、やっぱり世間一般的には『さくら』なんでしょうね。

鬼才・桑田佳祐の衰えることのない創作意欲

本作は1998年リリースの前作「さくら」から7年ぶりという、80年代に活動停止していた期間以上に長い時間が空いてしまいました。

1998年『さくら』

こんなに長い間期間を空けるなんて、桑田さんはスランプにでも陥っていたのでしょうか?

いえいえ、ちゃんと活動はしておりました。

桑田さんに関しては、通常運行ですよ。

いえ、この時、50歳手前ぐらいの年齢ということと、サザンの音楽業界での立ち位置(=大御所)を考えれば、ありえないくらいワーカホリック気味というか。

まず、『さくら』から『キラーストリート』リリースまでの7年間の間にサザンは

シングル9枚

をリリースしており、収録曲の合計は

25曲

にもなります。

シングル1枚2曲じゃないですからね?

そんなん昔の話で、2000年代に入ってからのシングルは多い時で5曲とか収録されますから。

アルバム2枚を出せるくらいの曲はリリースしてるんですよ。

「既発シングル曲が多く入りすぎた」

と揶揄される『キラーストリート』ですが、既発曲25曲のうち、本作に収録されたのは

12曲

になります。

いうても半分しか入れてないんですよ。

大ヒット作「ツナミ」を始めとする残りの13曲は本作には収録されていません。

そしてこの期間に桑田ソロではシングルが3枚、アルバム『ロックンロール・ヒーロー』(2002年)をリリースしてます。

2002年『ロックンロール・ヒーロー』

3枚のシングル収録曲9曲の内、アルバムに収録されるのは2曲だけなので、『ロックンロール・ヒーロー』13曲に既発7曲を加えた合計20曲がこの期間にリリースされたことになります。

つまりこの7年間の桑田さんのリリースとしては、サザンで25曲、ソロで20曲、

合計45曲

にもなるんですよ?

これってアルバム3~4枚分くらいにはなるわけです。

こんなにベテランの大御所で、そんなペースで曲を出してた人なんて他にいませんよ?

年齢で言うと50歳前くらいの時期に、彼らの敬愛するボブ・ディランやクラプトン、ストーンズがこんなに曲出してましたっけ?

ほぼ隠居してますよね。

立派ですよ、桑田さんは。

サザンの活動にだけ焦点を当てれば、たしかにアルバムは7年間も空けすぎたにしても、25曲もリリースしてるんだからファンを楽しませるのに十分な新曲を出し続けているんですよ。

さらに言えばですよ?

これだけの曲をリリースしながら、本作『キラーストリート』に収録されたアルバム曲18曲を同時進行で制作していたんですから驚きです。

つまり作曲数だけで言えば、先程の45曲に18曲を加えて、なんと

63曲

をこの7年間で作ったことになります。

アルバム5枚分くらいですよ?

このペースってもう天才プリンスとかの領域ですよ?

しかもプリンスと違いヒットチャートの上位を維持しながらですから、とんでもないですよ。

遊んでたって思ってた人、桑田さんにあやまんなさい!

ミュージシャンとしての“エゴ“を貫くためにヒットを生み出す

まあ、このことから分かるように、この時期はアルバムよりもシングルを重視していたことは明らかです。

これだけの曲があれば少なくとも2年に1枚のペースでアルバムは出せたはずですから。

なぜ、そうしなかったのか?

Winnyに代表される違法アップ/ダウンロード、You Tubeや配信が主流になり、アルバムが売れない時代になったからですよ。

『さくら』がリリースされた1998年をピークに、音楽業界におけるCDの売上はみるみるうちに落ち込んでいきます。

この7年間っていうのは音楽業界が大激震した期間なんです。

アルバムが売れないから、少しでも単価が稼げるシングルに戦略をシフトしたんだと思います。

ここでやっぱりすごいと思うのが、桑田さんの万能っぷり。

80年代のサザン、初期の8作『熱い胸さわぎ』から『KAMAKURA』までのサザンは、疑いようもなく

アルバムで売るバンド

でした。

アルバムは毎回トップ10入りしてたけど、シングルはそうでもない。

シングルヒットは30~50万枚がたまにあるくらいで、ミリオンセラーとかは一作もありません。

けれど、90年代のサザンは『涙のキッス』で初ミリオンシングルを達成して以降、シングルヒットを連発。

アルバムもシングルもヒットさせることが出来るバンドになりました。

アルバムでは『ヤングラブ』を250万枚売りながら、シングルも『ツナミ』を300万枚売り上げるという離れ業を出来るのが桑田佳祐というヒットメーカーなんです。

これが桑田佳祐の『トップ・オブ・ザ・ポップス』たるゆえんなんですよ。

そして桑田さんがいつだってすごいのは、ヒットメーカーとしての才能を発揮しつつも、決してそれだけに染まるわけではなく、ミュージシャンエゴの詰まったアルバムを生み出すところなんですよ。

以前から私の勝手な持論で

『桑田佳祐はミュージシャンとしてのエゴを貫くために、定期的に売れ線を巧みに入れる』

というのがあります。

売れていないとレコード会社は好きなことをやらせてくれないんです。

だから『ヤングラブ』を250万枚売った後に、好き勝手にやりたい放題やった『さくら』を作る。

今回は7年間に「ツナミ」300万枚を始めとしてシングルヒットも連発したし、ベスト盤『海のYeah!!』480万枚、『バラッド3』290万枚といった具合に圧倒的セールスでレコード会社を黙らせる。

CDマーケットが縮小していってるにも関わらず、こんな売るなんてモンスターですよ。

で、そうやってレコード会社を喜ばせておいて、今回はまた『さくら』の時みたいに3000時間を超える制作時間でとことん追求する。

おそらく制作費だって制作期間だってかなり制約がゆるい環境を手に入れたんじゃないかな?

桑田さんは

「サザンとしてやれることをすべてやりきった」

とまで言ってるので、並々ならぬ気持ちで制作に挑んだのでしょう。

「全身全霊作品」の系譜に連なる作品

サザンが一切の妥協をせずに、自身の全てを注ぎ込んだと言われる作品はこれまでもいくつかあります。

まず、学生~アマチュア時代までの総決算で作ったデビューアルバム『熱い胸さわぎ』

メジャーデビューして以降、自分たちが吸収してきた全てを、そして当時できた最先端の実験までをも注ぎこんだ2枚組の大作『KAMAKURA』。

過去最高の制作時間をかけ、マニアックにダークにサザンの『エゴ』を追求し、収録時間78分ギリギリまで詰め込んだ『さくら』。

桑田さんの本作に対してのコメントを読んでも、『キラーストリート』はこれらの系譜に位置づけられる『完全燃焼作品』だと思われます。

収録曲は30曲

2枚組でその収録時間は

2時間16分。

サザン全カタログの中で最大のボリュームを誇る作品です。

既発シングル曲12曲は含まれていますが、その12曲の中にはカップリング曲(B面曲)も当然含まれており、よく言われるように

「既発シングルが多く含まれているからベスト盤みたい」

というのは正確ではありません。

ベスト盤のように感じられるのは“とある理由“のせいですね。

そしてその理由が、本作が大問題作として物議を醸した理由でもあるんですね~(笑)。

それを解説していきましょう。

『キラーストリート』の陥った“ワナ“

先程は本作のことを『完全燃焼作品』と書いたくせに妙な表現をしますが、私の本作に対しての印象を一言でいうと

『整っている』

ですね。

伝え聞く本作に対する桑田さんの意気込みと、作品から伝わってくる印象にギャップがあるというか。

「サザンで出来ることは全てやった」

というほど、あらゆる方面に実験的なことが押し進められているようには感じないし、これまでの己の殻を破ってる感じがしないというか。

「桑田さん、それホントに本気で言ってる?」

みたいに感じました。

要するに、本人は『完全燃焼作品』のように言ってるけれども、私的には

「ホントに完全燃焼してるのかな?」

と感じているんですよ。

『KAMAKURA』や『さくら』にはあった“予想を超えてくるヤバさ“がなくて、我々ファンの想像の範囲内で収まっている作風と言えばいいでしょうか?

売れるためのフォーマット(黄金パターン)に忠実というか。

どうして私がそう感じたのかを説明しますね?

『KAMAKURA』までのサザンにはその要素はなかったのですが、90年代に大きな影響を受けた小林武史と作り上げた『ポップの鉄板フォーマット』みたいなのがあると思うんですよね。

『世に万葉の花が咲くなり』に収録された『涙のキッス』『君だけに夢をもう一度』といったナンバーがそれです。

ここが雛形でありスタートなんじゃないかな。

ここから始まったフォーマットはその後のシングル『素敵なバーディ』『クリスマス・ラブ』でも継承されます。

そしてアルバム『ヤング・ラブ』では『あなただけを』『太陽は罪な奴』といったシングルナンバーに、

アルバム『さくら』では『ラブ・アフェアー』『ブルー・ヘブン』といった具合に、その後のシングルに継承されていっているように見えます。

ここでいう“フォーマット“はメカニズムを詳細に説明することは出来ませんが、曲調やメロディが似ているとかいう話ではなく、

『型』

とでも表現すればいいでしょうか?

妙に整えられているんですよ、まるで業界のヒット職人が磨き上げたみたいに。

なので、ここに挙げた曲は全て、シングルでリリースされたという事前情報を知らなくても、最初に聴いたときに

「あ、これシングルで出すやつだ」

って誰でも分かると思います。

サザンファンの人でなくとも

「あ、これサザンの曲だ。ヒットしそうな曲だ」

って感じるような、日本国民がイメージするところの典型的なサザンのイメージ。

曲によっては、もう出だしのイントロを聴いた瞬間に分かるくらいです。

それが私の言うフォーマットです。

何となく言いたいこと伝わるでしょ?

サザンには一般大衆にだけ見せているシングルという表の顔と、アルバムを購入したファンだけが知っているアルバム曲という裏の顔があるってことですよ。

シングルしか聞いたことなかった人が「コンピューター・チルドレン」なんて聞こうものなら腰を抜かすことでしょう(笑)。

で、この鉄板フォーマットは『ヤング・ラブ』のあたりから少しずつなんですが、アルバム曲にまで流用されるようになります。

アルバム『ヤング・ラブ』では『ドラマで始まる恋なのに』がまさにそれ。

続くアルバム『さくら』では『湘南セプテンバー』がモロにそうですよ。

これらは聴いた瞬間「はいはい、シングルで出すやつね」って思うんですけど、違うことを知ってびっくりするパターンです(笑)。

皆さんもそんな経験ありません?

こうした流れできての本作『キラーストリート』なのですが、このフォーマットが多用されすぎた印象があります。

シングル両A面曲の8曲はもとより、それ以外のアルバム曲にもけっこう多いですね。

ちなみに私がこのフォーマットに整えられていると感じたアルバム曲は

「セイシェル」「夢と魔法の国」「ロックンロール・スーパーマン」「ごめんよ僕が悪かった」「八月の詩」「別離」「恋人は南風」「雨上がりにもう一度キスして」の8曲です。

これをシングルA面の8曲と合わせると16曲。

つまりアルバム30曲中の過半数の曲が、この『鉄板フォーマット』に忠実に作られている、というわけです。

なので、どれもこれもまるでシングル曲のように感じる。

「ベスト盤みたい」

という声が多いのは、シングルA面曲の収録が多いからではなく、

アルバム曲までシングルみたいな型の仕上がりになってきている

からなんですよ。

桑田さんが行儀よくまとまりすぎているように感じてしまいます。

いつものような変態的な禍々しいエネルギーを感じないというか(笑)。

「それは『ヤングラブ』も同じじゃん」

って思う方もいらっしゃるかもしれません。

けれども、『ヤングラブ』はポップで明るいナンバーは多いけれども、この『フォーマットに整えられている』と感じる曲は驚くほど少ないです。

先述した『あなただけを』『太陽は罪な奴』『ドラマで始まる恋なのに』の3曲くらいですね。

この鉄板フォーマットっていうのは、文句なしにメロディが良い時は不快に感じません。

『涙のキッス』や『ラブ・アフェアー』を聴いて

「売れ線狙い過ぎだから嫌いだ」

という声はレビュー読んでても見かけたことがありません。

けれども、シングルとしての水準に達していないような楽曲にまで、このフォーマットを適用してしまうと、

「中身はあんまり良くないけど、いかにも売れ線って感じには作られてるよな」

って感じるんだと思います。

そこに『やらしさ』を感じてしまうんだと思います。

さらにそう感じてしまった人にとって、作った本人が

「サザンで出来ることのすべてをやった」

なんてコメントした日には、

「大人って嘘つきだ!」

ってなるんだと思います(笑)。

これはもちろん人それぞれだと思いますが、この『キラーストリート』が受け付けない人の感覚を代弁するとこんな感じでしょうか?

私も最初の頃はまったく受け付けませんでしたので、自己分析してみてこの結論に行き着きました。

本作までの7年間はアルバムよりもシングル作ることの方が多かったため、知らず知らずのうちに桑田さんにとってのデフォルトがアルバム曲ではなく、この鉄板フォーマットになってしまったのかな?

だから、本人も自覚しないままそうなってしまったのが本作なのかな、と。

それが『キラーストリートの陥った“ワナ“』と思ったというわけです。

桑田さんはソロアルバム『ミュージックマン』の制作に当たり、インタビューでこの頃を振り返って次のように語ってます。

「『僕は音楽をやってるんだ!』という熱意とかノリとかをまた取り戻したい。ここ数年、どうも手元で作ってしまうようなところがあるっていうか、歌っていてエクスタシーを得られるような感覚が稀薄な感じもしてね。もう一度『気持ち』で音楽に接していく感じを得たかった」

やっぱり本人もそう感じてんじゃん(笑)。

それじゃあ、「全てをやり切った」という発言はやっぱり嘘なのか?というとそうでもないと思うんですよ。

桑田さんの2012年著書『やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん』でもこの“ワナ“に関係すると感じた記述があります。

「すべての楽器の特性・仕組みを把握しようと努力したり、レコーディングノウハウに精通しようと努力したりしていた。それって振り返ってみると音楽そのものの追求にはなっておらず、聞く人にとってはどうでもいいことで、自己満に過ぎなかった。けれどもそこに膨大な時間を費やしてこだわっていた。だからロジックが先行しすぎたり、自己盗作のような状態になっていた」

これってソロアルバム『ロックンロールヒーロー』を作っていた時代(2002年前後)を2012年に振り返っているので、本作『キラーストリート』の制作時期とも被るんですよね。

ここで語っていることは、ようするに

全力で妥協なくやりきったけど、人の心を打つ曲を作るための努力にはなっていなかった

というわけですね。

フォーマットはあくまで弁当箱であって、大事なのは中身の料理です。

前の晩から弁当箱を徹夜で完璧に美しく作っても、それで中身が美味しくなるわけではありません。

ただ、私は本作のことを駄作だなどと言うつもりはありません。

最初は戸惑いましたけど、ここまで聴き込むとなんだかんだで好きになってくるものですよ。

このアルバムがあんまり好きになれずにショックを受けたそこのあなたも、お気持ちは分かります。

酷評なんてしないで、まあ、肩肘張らずにイージーリスニングだと思って軽く流し聴きしてみてください。

作品というのは付き合い方がありますから。

サザンのアルバムの中でも稀に見るほど自然でシンプルなバンドサウンドしてて、好感は持てます。

外部ミュージシャンやらバンド以外の楽器やらシンセやらを、こんなに駆使しなかったアルバムってサザンではホントに珍しいですよ。

このアルバムの中に超名曲は有りませんが、流し聴きには向いています。

バーベキューをやってる時とかに『KAMAKURA』を流す気にはなりませんが(笑)、『キラーストリート』はハマりますからね(試しました)。

本作は、例えばサザンの楽曲が全部でざっくりと250曲あるとしたら、好きな曲順に並べたときに、このアルバムの30曲は殆どが100~150位あたりに入る感じですかね?

あくまで私の中での位置づけですけど。

100位以内に入る曲もないけど、200位台になってしまうような曲もあんまりないというか。

私にとってはそんな作品だし、別にこれが悪い作品だとは思ってません。

だってアルバム全てが素晴らしいサザンなんだから、その中で上位200位代っていうのは、やっぱりクオリティ高いと思いますしね。

 

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