ディオ(ジョジョ第1部)吸血鬼になる前にこそ本当の魅力がある!

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どうもSimackyです。

本日は『ジョジョの奇妙な冒険』第1部における悪役ディオ・ブランドーを語っていきたいと思います。

ここで語るのはあくまで第1部の『ディオ』であり、第3部の『DIO』ではありませんからね。

「あの地味な頃のディオ?スタンド使えないんでしょ?そんな強かったっけ?」

と思ったそこのあなた!

侮らないでね。

第1部のディオやばいから、マジで。

まあ、読んでみてください。

ディオの魅力の秘密に迫る

皆さん、突然ですが第1部は好きですか?

私は大好きです。

しかし、現在2023年時点で第8部が完結しているJOJOにおいて、1部は人気ランキングを見てもあまり人気が高くない印象があります。

スタンドではなく波紋で戦いますし、コミックで言うと1~5巻、掲載期間で言うと1年に満たない長さなので確かに印象は薄いかもしれません。

しかし振り返ってみても、当時としては普通の漫画とは一線を画す世界観と独特なセンスが光っています。

それを象徴しているのが『ディオ』の存在です。

序盤から圧倒的な魅力で読者をぐいぐい惹き付けます。

悪役なんですけど、従来の悪役とは違うんですよ。

こんな悪役めったにいません。

単に特殊能力がずば抜けているボスキャラという第3部のような描かれ方ではありません。

強さや能力をまったく抜きにして、非常に人間的で個性的な魅力を放っているんです。

私達はどうしてディオに惹きつけられるのか?

その理由を私なりに考えてみました。

その答えは『能力バトルものになる前のジョジョ』にあります。

このジョジョの第1部開始時点ではジョナサンもディオも『何の能力もないただの少年』なんです。

金持ちのボンボンとストリートの悪ガキといった程度の違いしかありません。

吸血鬼でもないし、波紋使いでもないし、スタンド使いでもありません。

能力バトルが売りのジョジョにおいて、実はコミック1巻はただの『サスペンスドラマ』なんですよ。

ディオが吸血鬼になるのはコミック2巻の中盤から。

そしてジョナサンがツェペリと出会い、波紋を身につけるのはコミック3巻から。

つまり、このジョジョという漫画は最初の15話くらいは能力バトルものの漫画などではなく、純粋なサスペンスドラマが展開されるんです。

これはジョジョ35年の長い歴史の中で唯一の非常に特殊な期間だと言えます。

そして同時に荒木先生の魅力的なキャラを描く才能をたっぷり味わえる贅沢な期間とも言えるんですよ。

なぜかというと、その後、能力バトルものになるということは焦点が能力・駆け引き・勝敗というところにフォーカスせざるを得ないからです。

ジョジョは全シリーズを通して魅力的で個性的なキャラがたくさん出てきはしますが、それでもいざバトルが始まると人間性よりバトルに焦点が当たりますからね。

それに対し、この初期はそういった能力がないため、人間性とストーリーにおもいっきりフォーカスしているんです。

貧乏な育ちの少年ディオが、金持ちジョースター家に引き取られるという千載一遇のチャンスをモノにして成り上がるために、周囲の信頼を獲得し、後継ぎであるジョナサンを貶(おとし)め、父ジョースターを病気に見せかけて殺し、財産を乗っ取ろうという計画。

そしてそれに気づき野望を阻止しようとするジョナサン。

サスペンスドラマ以外の何物でもありませんよね?

さらにそのドラマ性を引き立てるために、ディオの人間性、狡猾さや残忍さ、賢さ、激しさ、行動力などがとにかく濃く描かれます。

それが濃ければ濃いほどジョジョのテーマである『ジョースター家に受け継がれる正義の心』が対比的に強く浮かび上がる、という構図になっているのです。

そのためディオの持つ『悪』を印象づけるシーンが一つ一つ丁寧に描かれ、そんなディオに私達読者は強烈に惹きつけられるんですよ。

マフィアや宗教団体における『悪のカリスマ』に惹き付けられる人の気持ちを、我々一般人は理解できないでしょう。

それは住んでいる世界が違いすぎるから。

しかしディオを見ていると『悪のカリスマ』に惹きつけられる気持ちが分かるというか。

第1部の舞台は、国や時代こそ違えど、一般人の日常という意味では我々の日常世界に極めて近いんです。

そんな中で見せつけられる具体的なディオの『悪』の行動は、凄くリアルなんですよ。

犬にいきなり膝蹴り食らわせたり、女の子に無理やりキスしてカップル仲を引き裂いたり…。

現実世界でも起きそうで起きない、できそうでできない。

そういう微妙に『届かない』ところを突いてくるディオに、男の子としては

「シビれるあこがれるぅ!」

という、ある種の爽快感さえ感じてしまうんだと思います。

ジョジョにおいて能力バトル以外で荒木先生のテイストを味わえるのはこの最初期だけ。

あらためて読み返してみてください。

シビレますよ(笑)。

実は少年たちを勇気づける存在

ジョナサンとディオでは人気で言うともはや雲泥の差でディオに軍配があがるのではないでしょうか?

ある意味ロックンローラーに憧れるような気持ちに近いのかもしれませんね。

なぜ、私達はロックスターであるオジー・オズボーンに憧れるようにディオに憧れてしまうのでしょうか?

それをちょっと考えてみたいと思います。

まずねぇ、ジョナサンは優等生じゃないですか。

大人になってからやんちゃの抜けたJOJOは優しくて紳士で人望がある学校のスターです。

現実の世界でもクラスにたまにいる『全てが完璧な人気者』ですよ。

でもね、あれは憧れるけれどほとんどの人がなれないんですよ。

正しすぎる。

いや、憧れるというより嫉妬の対象になってしまうし、コンプレックスを感じてしまうというのが本音でしょうか。

あんなのがクラスにいたら「それに比べてどうせ俺は、、、」って引け目に感じちゃう。

勉強でも運動でも目立たないクラスでも地味な存在で、部屋の隅っこでジャンプ読んでる全国の少年たちにとって、ディオっていうのは『こっちがわの人間』と感じるんだと思います。

そんな普段は日陰者なジャンプ読者の少年たちにとって、ディオっていう人は

『日陰者の英雄』

みたいなものなんですよ。

「ディオなら俺たちが現実では絶対に敵(かな)いっこない『全てが完璧な人気者』に勝ってくれるんだ」みたいな。

ディオには人として正しくない行いに対しての『引け目や後ろめたさ』がまったくない(笑)。

自分全肯定です。

これが勇気をもらえるんですよ。

「これが俺で何が悪い」っていう。

まさにロックじゃないですか?

逆にジョナサンや父のジョージ・ジョースターっていうのは『正しいものの象徴』なんですよ。

そして世の中ってのはこういう『良識ある大人達』が社会のルールや規範や常識といったものを決めていることが多いものですが、その決められたルールや価値観に違和感を感じる年頃じゃないですか、思春期の若者ってのは。

大人や親、学校、社会ってのは敵なんですよ、この年頃って。

「彼らの決めた『正義』は本当に正しいのか?俺がおかしいのか?」と。

「勉強やスポーツができる者だけがもてはやされて、自分のようにゲームが得意な人間は落第者。それっておかしくないか?」

と思っているわけです。

けれども相手が世の中の多数派である『強大な壁』であるがために、少数派の若者たちは「おかしい」と声に出すことすら封じられている。

せいぜい学ランを改良したりカバンをぺったんこにしたり髪を染めたりといった『ささやかな抵抗』しかできない(笑)。

さらに言うと自分の正当性を主張できるほどの信念があるわけでもない。

そこには『迷い』もあるわけです。

けど、ディオには『迷い』なんてありません。

かわりに強烈な『自我』があります。

ディオ、どうしてそんなに強くいられるの?

ディオ、どうしてそんなに自分を信じきれるの?

そんなに悪いやつなのに。

そんなディオに強烈に惹きつけられるんです、男の子っていう生き物は(笑)。

「こんな俺でも自分を肯定しても良いのかな?」

とまで思えてしまう。

「こんな悪い俺には生きる価値がない」

なんて思考はディオには1ミリたりともありません。

だって石仮面を被るっていうことは、人間であること辞めて、全人類を敵に回しても自分を肯定して生き延びるっていうことなんですよ?

どんだけ強い自我なんでしょう(笑)。

そこにシビれるあこがれるゥ!

これを言いたかったんです。

長々と引っ張って(笑)。

ジャックダニエルをあおりながら、加えタバコをして、世間に中指立ててるロックスターたちと共通する『強さ』。

それがディオに惹きつけられる理由なんでしょうね。

逆に言えば、それが主人公・ジョナサンの人気がない理由でもあるのですが、私は後半のジョナサンは大好きなんですよ。

どうしてか?

先程は『正しいものの象徴』だと表現したジョナサンは、父・ジョージや恩師・ツェペリを次々とディオに殺され、『恨み』を原動力にディオに立ち向かうからです。

「僕の気持ちを聴かせてやる。紳士として恥ずべきことだが、正直なところ今のジョナサン・ジョースターは

恨みを晴らすために貴様を殺すのだ!ディオ!」

紳士や正義という規範をかなぐり捨てて、『恨み』という見苦しいものが自分の中にあることを否定せず、『迷い』なくディオを倒そうとするその姿勢もまたロックを強烈に感じるんですよね。

第3部の『承太郎vsディオ』における「最強主人公vs最強ボス」という構図もかっこいいのですが、『ジョナサンvsディオ』に見られる「信念vs信念」「生き様vs生き様」という構図がやっぱり一番美しさを感じます。

ディオはジョジョの象徴

能力的には3部のザ・ワールドのような超絶の力があるわけではありませんが、この1部のディオには強烈な『魅力』があります。

3部の『ヴェールに包まれた悪のカリスマ』という描き方もボスとしてはかっこいいのですがね。

しかしディオというキャラクターの魅力を描ききっているのは間違いなく1部です。

スピードワゴンやツェペリなど他にも魅力的なキャラは出てきますが、ディオのキャラが強すぎて、

ほぼディオのための1部

と言ってもいいほど。

ジョナサンファンに殴られますね(笑)。

先程ディオは「日陰者の代表」と書きましたがこれって何かに似てませんか?

そう、ジャンプの他の華やかなる人気漫画たちに比べ

JOJOのジャンプにおけるマイナーな立ち位置

と似ているんですよ。

クラスの皆とはドラゴンボールの話題では盛り上がれても、JOJOの話ができる友達はほぼいない(笑)。

休み時間はサッカーでキャプテン翼のシュートの練習するのが定番だったし。

だからディオというのはまさにJOJOを象徴するキャラクターだったのだと今更ながらに思えます。


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