『クリプティック・ライティングス』メガデスが脱メタル化した作品!

どうもSimackyです。

本日はメガデス1997年リリース、7作目のオリジナルアルバムである

『CRYPTIC WRITINGS』を語っていきますよ。

むぅ!

ここんとこ毎回ジャケットをいじるのが密かな楽しみだったのに、これはいじりようがない!

よし、たまには真面目にやるか(笑)。

メガデス初の『ポップ』要素

前2作との違い

さて、本作は私が勝手に呼んでいる『歌モノ4部作』の3作目となります。

『破滅へのカウントダウン』から始まったこの歌モノ路線なのですが、この4作は段階を踏んで変化していってるんですよ。

歌モノの印象が強くなったとは言え、まだ前前作『破滅~』ではダークさ、リフのソリッド感、ラウドさなどは相変わらずで、スラッシュ要素もわずかばかりのこっており(ラスト曲など)攻撃的なアルバムという印象でした。

それが前作『ユースアネイジア』ではそのダークさや攻撃性がさらに減退し、より美しいメロディ、ダークではなく中性的な世界観を強調した作風になったように感じます。

しかしギターやドラムの音にはメタルを感じる要素は残っていましたね。

それでは本作はどうなったかというと、ドラム、ギターの音が硬質なものからかなりソフトになったため、『メタル』を感じる部分がほぼなくなったように感じます。

キャッチーなメロディ主体の楽曲という部分では前作路線なのですが、音が変わるとやはり印象はガラッと変わります。

そしてその影響で『ポップさ』が出てきました。

音楽を形容する言葉で『キャッチー』とか『ポップ』とかいう言葉は、近い状態を表すものだと漠然と思ってはいても、明確に区別して使ってはいませんでした。

しかし、本作を聴いた時に

キャッチーとポップは違うんだな

ということをすごく考えさせられましたね。

『キャッチー』と『ポップ』の違い

メガデスは『破滅~』からキャッチーな歌モノ路線へと舵を切り、過去最高のヒットチャート2位にまで到達したのですが、あれもその次の『ユースアネイジア』も『ポップ』だったかと聞かれたら「ノー」だと断言します。

キャッチーという点でいえば、メガデスもメタリカも初期はそうで、とんでもなく速くて凶暴なスラッシュメタルをやっていてもキャッチーさも持ち合わせているんですよね。

けれどあれを『ポップ』だと形容するメタラーはおそらくいないでしょう。

もちろん何をもってキャッチー/ポップだと感じるのかは人それぞれでしょうから、私なりの『キャッチーとポップの違い』の解釈をお話しておきますね。

『キャッチー』は覚えやすい、耳に残るといった感じでしょうか?

なので『フック』という言葉とほぼ同義で認識してます。

本作までのほぼ全てのメガデス作品には、これがあったと私は感じています。

それに対して『ポップ』は

①多くの人に受け入れられやすい要素                            

②多くの人にすでに浸透している要素

③ヒットチャートなどに入るような印象の音楽性(=流行っている音楽)

④売れる音楽のフォーマット(パターン)に整えられている(=嫌われる要素を極力なくしている)

といったところでしょうか。

この内のどれかにひっかかると「ポップだな」という言葉が出てくるのかな、と。

そして本作「クリプティック・ライティングス」は①や④の雰囲気を感じて『ポップ』だと感じたのだと思います。

どこに『ポップ』を感じたのか?

私が①や④に該当すると感じたということは、本作が「多くの人に受け入れられやすい要素」を持っていて、「売れる音楽のフォーマット(パターン)に整えられている(=嫌われる要素を極力なくしている)」と感じたということです。

この決定的な要素は何だったのか?

①「多くの人に受け入れられやすい要素」に関しては、その一番大きな要素が先程も話した『音がメタルだとは感じない』ということに集約するのかな、と。

「いや十分メタルでしょ?」

と感じる人もいるかとは思いますが、私はそう感じていません。

これは明確に「ここからがメタルの音だ」という基準なんてないんだから個人差があって当然だし、議論しても仕方がありません。

ボーカルラインは『破滅~』の頃からキャッチーで前面に出てきていました。

ダークな曲調が薄まり、スピードも落ちたし、大作主義の作風(複雑な構成)でもくなったし、インスト部分も短くなってきました。

これらは別に本作から始まったことじゃないですよね?

そうすると、本作から明確に『ポップ』だと感じた理由は、残るは『サウンド』しかないんですよね。

前作まではメタルの音だと感じますが、本作のこの音から受けるイメージはハードロック、またはパンク・ハードコアっぽさですね。

どうしてそう感じたかっていうのは、皮肉にも前作には入っていなかったスピードナンバーの存在ゆえです。

疾走感があるし、メタルのイメージを象徴する「ツーバスドコドコ」があるからこそ、それがまったくメタルには聞こえなかった瞬間、

「これはメタルとは似て非なるものだ」

と感じてしまったんですね。

スラッシュメタルのようないかにもメタルのサウンドには抵抗があった人も、本作は拍子抜けするほどあっさり受け入れることができたのではないでしょうか?

④「売れる音楽のフォーマット(パターン)に整えられている(=嫌われる要素を極力なくしている)」に関しては、そう感じる要因として『タイムの短さ』と『分かりやすい構成』が挙げられます。

トップ10を賑わせる売れ線の楽曲って、タイムがコンパクトで、王道パターンってあるじゃないですか?

本作はまさにそこに近づけているのが感じられるんですよ。

今回調べてみてびっくりしました。

まず本作はトータルタイムが46分と非常に短い(前作は50分)。

同時期のメタリカが『LOAD』『RELOAD』でそれぞれ78分、75分だったことを考えると、それよりなんと30分近くも短いんですよ。

メタリカのに比べたらこれはほぼミニアルバムのように感じる(笑)。

各楽曲も非常にコンパクトに仕上がっており、平均タイムはなんと3分48秒しかないんですよ?

4分切ってるんです。

後半なんて、10曲目からは3分台が3曲続き、ラスト12曲目『FFF』は2分台で終わります。

そのため聴いててダレることがまったくないんですよ。

ダレるどころか、むしろ後半に進むにつれスピードナンバーが増え、楽曲もコンパクトになるという仕掛けがしてあるんです。

やけに聴き心地がいいとは感じていたのですが、そこにまったく気づかなかった(笑)。

また楽曲の構成が王道パターンのものに近い楽曲が多い印象も受けます。

例えば

Aメロ→Bメロ→コーラス→Aメロ→Bメロ→コーラス→ギターソロ→コーラス×2

みたいな耳馴染みのある典型的なパターンですね。

本作がここまで単純だとは言いませんが、少なくとも想定内の構成=『聴き慣れた型』である楽曲が多いことも『ポップ』要因としてあるのではないかと。

前作では曲が途中からガラッとチェンジする構成が見られ、その『意外性』が前作の面白さでもありましたが、今回はそれはほとんど見られません。

本作を聴いてて不思議な安心感を覚えるのは、予定調和があるから。

リスナーにとってその『聴き慣れた型』を裏切られるっていうのは、意外性がある一方で、無意識的に曲に対するストレスを生んでいるのかもしれない、とか思ったりました。

本作はそういうものをできるだけ排除している印象を受けます。

ようするに『毒』がないんですよ、本作は。

なので、普段ヒットソングなんかを聞いている一般リスナーにはうってつけなんですが、耳の肥えた批評家からするとそれが『いやらしく』感じたのかもしれません。

本作が一部の批評家からこき下ろされたのは、これらの『売れっ子プロデューサーがやるような配慮』の匂いを敏感に感じたからなのかもしれませんね。

私もそれは最初聞いた時に感じていて、『上手く出来すぎている』『上手くまとまりすぎている』とは感じましたね。

『ポップ』のメカニズムとは?

なんてことを非常に考えさせられるアルバムです。

メタリカ『LOAD』から見える本作の凄み

こうした変化が

「小賢しく売れ線に走りやがった。こんなアルバムを好きとかいう奴はメガデスに騙されてる。にわかファンだ!

という一部の批評に繋がったのだと思われます。

「破滅へのカウントダウン」に比べると半分くらいしか売れていない作品にも関わらず批判が当時挙がっていたのは、売れたかどうかという事実よりも、『ポップ』な要素が裏切りに感じたからでしょう。

それはメタリカでも『LOAD』で起きたことです。

1作前の『ブラック・アルバム』時点でスピードや攻撃性は減退していたのですが、一番大きな批判を浴びたのは『LOAD』でサウンドがアメリカンハードロックに変化した時だったので。

しかし本作の特徴は『LOAD』よりもポップ要素がさらに強いのにも関わらず、高評価の意見がオールドファンからも多いということです。

リアルタイムでは批評家がこき下ろしていた一方で、実はオールドファンの多くが本作を否定しているわけではないんです。

レビューを調べてみて驚きました。

スラッシュメタル時代の作品である『ラスト・イン・ピース』が最高傑作だと言ってはばからないオールドファンからさえも

「これもかなり好き。『ラスト・イン・ピース』と張り合うかも」

という声がレビューで見かけられるんですよ。

少なくともメタリカのオールドファンで、『LOAD』を『マスター・オブ・パペッツ』と同格に扱うコメントなんて見たことも聞いたこともありませんから、それに比べると本作がいかに高い音楽性を秘めているかが分かります。

これは私の勝手な区分けなんですが、メガデスは初期4作を『スラッシュメタル期』、音楽性を変えた中期4作を『歌モノ4部作』と仮に分けたとしても、そのどちらからも最高傑作の呼び声高い作品を生み出している、ということになります。

しかも『破滅へのカウントダウン』『ユースアネイジア』そして本作、と4作中3作で最高傑作に推す声は挙がっています。

残念ながら次作の『RISK』でその声は挙がっていませんが。

初期4作はすべて最高傑作に挙げられることがある、ということを考えると、『7作目(本作)までのどれもが最高傑作に挙げられることがある』という事実は驚嘆に値します。

メガデスはオルタナティブムーブメントの脅威にさらされ後手に回りながらも、新しくシフトチェンジした音楽の方向性で確実な成功を掴んでいるんですよ。

おそるべし、デイブ・ムステイン…。

マーティの影響

「おそるべし大佐」とは言ったものの、実はこの『ポップ』な方向性に進んだのは、メガデスというバンドが『民主的』という、およそメガデスらしくない状態にあったことが理由でしょう。

通常であればそれはバンドとして健全な状態と言えるのですが、メガデスの場合は元々が大佐のワンマンで音楽的方向性を決めてきたという経緯があるので、メンバーの意見を取り入れ始めれば、メガデスとして歩んできた方向性がズレていく危険性ははらんでいたのだと思います。

本作までがいわゆる黄金メンバー時代なのですが、アルバムを重ねるごとにメンバーの発言権がどうやら高まっていったようですね。

人気も実力もあるメンバー達でしたから。

大佐は1990年代後半を振り返って

「意見の対立が多くなり、マーティやニックをバンドに引き止めるために音楽性に妥協した部分はある。後悔はしていないが」

と語っています。

そして本作ではレーベルからもマーティにある程度のイニシアチブを取らせるよう指示が出ていた模様。

そのため、マーティ色が強くなり、メガデス作品でかつてないほど『ポップ』という要素が出てきたんだと思います。

現在の日本での活動を見れば分かるように、マーティはバックボーンに『日本のポップ』を強く持っている人なので。

日本に来てまず最初にやったのが相川七瀬のバックメンバーですからね。

苦悩する大佐の顔が目に浮かぶようですが、それでも最高傑作と呼ばれるまでの作品に仕上げた力量には感服しますよ、ほんと。

私の推し曲

それでは私の推し曲行ってみましょう。

はっきり言ってメガデス全カタログの中でも例を見ないほどスキのないアルバムで、途中スキップするような曲はないのですが、その中でも特にお気に入りを数曲だけ紹介します。

#5『ディスインテグレイターズ』

前作、前前作には登場しなかった久しぶりの疾走ナンバーです。

パンキッシュだな~。

『ラスト・イン・ピース』の『ポイズン・ワズ・ザ・キュア』を思い出しのは私だけではないはずです。

疾走しながらもリフが非常にメロディアスという点も似てますね。

クライマックスでのツーバス連打では鳥肌たちます。

#10『シーウルフ』

本作のポップさを象徴する曲であり、おそらく最も人気の高い曲ですね。

ギターリフは紛れもなくスラッシュメタルだし、ニックの迫力のあるドラムプレイもそうなんですが、これをメタルだと思ったことはありません。

だからこそ『サウンド』が楽曲の印象、ジャンルさえも決める重要な要素だということがよく分かる曲ですね。

で、ちょいちょい入ってくるマーティのリードギターとか、楽曲の展開パターンがまさに『ポップ』の王道パターンなんですよ。

大佐とマーティにヒットメーカーの神が舞い降りていますね。

#11『ボーテックス』

ハードなナンバーがアルバムの後半に固めてあります。

これまたザクザクのダウンピッキングが非常にかっこいいい。

3分半足らずの楽曲なのですが、後半1分半はインストという、メガデスらしがようやく顔をのぞかせる曲ですね。

本作では珍しく『ポップ』の王道パターンを崩していておもしろい。

マーティのギターソロもいいのですが、この曲はずっとエレフソンのベースが気持ちいい。

#12『FFF』

ラストは攻撃的なナンバーで締めるのはメガデスのお約束ですね。

本作で一番好きかな。

サビのところの哀愁あるツインリードギターがこの曲のカラーを決定づけています。

 

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