【ジョジョ第1部解説】荒木飛呂彦は何が『偉大』なのか?~ジャンプ全盛期の中で登場したJOJOの衝撃!~
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
本日は『ジョジョの奇妙な冒険』の第1部を語るとともに、作者:荒木飛呂彦先生の偉大さに迫ります。
かつて大人気漫画ひしめく日本漫画の頂点に君臨していた『週間少年ジャンプ』とはどんなものだったのか?
そこに登場したジョジョは当時の少年達にはどのように映ったのか?
ジョジョが2023年現在に至ってもこれだけの熱烈な支持を受けている理由は一体どこにあるのか?
日本少年誌が誇る金字塔『ジョジョの奇妙な冒険』を生み出した作者:荒木飛呂彦先生の揺るぎない信念とは?
まだジョジョを読んだことがないあなたも、子供の頃読んでいたというあなたも、これを読めばジョジョを読まずにはいられない。
私流のプレゼンで語りまくっていきますので…
Simacky、、、容赦しま
裸族「ストレイツォ、容赦せん!」
被せてくんなって。
誰が勝手に出てきていいと言いました?
無関係な一般人女性の歯を引っこ抜いた挙げ句、ディオの必殺技を真似したものの波紋修行さえしていない素人ジョセフにあっさり返されてやられた『へたれ中ボス』のあなたはすっこんでなさい。
そりゃジョセフに『アホレイツォ』呼ばわりもされるわ。
それから、私の気持ちとしては『JOJOをすでに知っている方にも再度読んでもらいたい』という思いがある以上、この記事はネタバレを含みます。
ですので、もう読むことを決めている方は読まないほうが良いかもしれませんね。
それではいってみましょう!
ジャンプ全盛期に登場したジョジョの奇妙な冒険
『週刊少年ジャンプ』を、そしてジョジョの登場を語る上で避けて通れないのは、我々の世代(1978年生まれ)にとって漫画という文化がどのような存在だったのかです。
そしてロック好きの私個人としては、ロックで味わった悲哀と切っても切れない関係にあります。
このサイトで私は現在、メインで音楽ブログを書いています。
1日の殆どの時間、音楽を流しているほど音楽を愛してやみません。
しかし1993年(中学3年)辺りからロックを聞き始めた私は、ロックの歴史的名盤のほとんどを遡って聴くことしかできなかった世代です。
1962~1994年までの33年間、その時代その時代のロックがもたらす革新性や衝撃というのをリアルタイムに体験することができなかった。
この期間っていうのはロックの進化が詰まった33年間だと思います。
ビートルズの登場からカート・コバーン(ニルヴァーナ)の死までです。
’60年代ビートルズが登場した時の世界の熱狂も。
社会現象になったヒッピー文化も。
’70年代レッド・ツェッペリンがとんでもない荒っぽくハードな音楽を切り開いた興奮も。
’70年代に活躍したバンドがパンクムーブメントで蹴散らされていいくさまも。
’80年代にメタリカが過激すぎる音楽でアンダーグラウンドの雄からメジャーシーンをどんどん席巻していくさまも。
’90年代カート・コバーンが『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』でそれまでのヒットチャートの顔ぶれを総入れ替えさせる様も。
全ては『伝え聞く話』でしかありません。
私がロックの世界に入った時期は、もうロックの進化が行きつくとこまで行き尽くした時代だったのでしょうか?
人生で一番大好きなロックという分野で『ロックが社会現象を起こす時代の目撃者になれなかった』悲哀をたっぷり味わってきた世代と言えます。
しかし、そんな私の世代でも誇れるものがあります。
それは日本が世界に誇れるお家芸とも言える3大サブカルチャー
『アニメ・ゲーム・漫画』
が世界のトップを独走する様を、
私達少年の想像を遥かに超えるスケールで進化していく様を
リアルタイムで味わえたことです。
ロックでは悔しい思いをしましたが、私達は当時における世界最高のサブカルチャーを思う存分享受することができた、とても幸せな世代だと言えます。
これは自慢ではありません。
『誇り』なのです。
そんな世界トップ水準のサブカルチャーの1つ『漫画』において、世界最大の市場を誇ったかつての日本。
その漫画大国日本において頂点に君臨し、ピーク時はなんと週間650万部を超える発行部数を誇ったモンスター週刊雑誌
『少年ジャンプ』
でJOJOは産声(うぶごえ)を上げました。
この少年ジャンプが日本人の精神に与えた影響力たるや凄まじいものがあります。
というより日本人にとっての『バイブル』と呼んでもいいでしょう。
650万部っていう数字がピンとこないと思うのでご説明します。
世界の雑誌の発行部数で見てもこれは歴史上、ダントツの
『ギネス記録』です。
書籍でいうと販売冊数が日本歴代1位の黒柳徹子『窓際のトットちゃん』でも580万部です。
1981年の発表以来すでに40年経ちましたがいまだその記録は塗り替えられていません。
・・・・・・
…えぇ、言いたいことは分かりますよ。
「日本歴代1位が徹子だったことが衝撃すぎて、これ以上は何も頭に入ってこない」
という方は、一旦お風呂にでも入ってまた戻ってきてください。
つまり40年に1度クラスの大ベストセラーをゆうに上回る冊数を毎週毎週発行していたようなもの。
しかも1991年から1996年までの6年間はずっと週間平均600万部超え(ピークが1995年)ととんでもない販売量なんです。
やばくないですか?
あんな分厚くて読んだ後は邪魔にしかならないものが毎週600万冊もご家庭に投下された日には
日本中がパニックです。
『子供部屋』は子供が生活するスペースよりも『ジャンプに占拠』されたスペースの方が大きくなります。
3歩歩けばジャンプに突き当たる状態です。
そりゃ至るところでベッドやタンスの下敷きに使われたり、ヤンキー映画のナイフで刺されるシーンで服の下に仕込まれたりといった
およそ読むことと関係ない用途
にも使われますわ。
ピークの6年間だけでも発行部数は600万部×年間52週×6年間=
18億7200万部ですよ?
これたったの6年分ですからね!?
「少年ジャンプの累計発行部数」ってググってみてください。
75億部以上
ってAIが答えてくれますから。
人類史上最大のベストセラーと呼ばれるキリスト教の『聖書』でも60億部とか言われてるんですよ?
世界3大宗教にジャンプも入れて世界4大宗教に呼称を変えたほうが良いのでは?
だってキリスト教徒が聖書を読んだ時間より、日本人がジャンプ読んだ時間のほうがおそらく長いので。
ここまでの量っていうのは、子どもたちの読み終わったジャンプで
離島に橋が架けれる勢いです。
公共事業に利用できるくらいの量ってことですよ。
実際、進撃の巨人の『壁』は、巨人ではなくジャンプで出来ているとかなんとか噂を耳にしたこともあります(あれって公共事業だったの?)。
ちなみに『一般社団法人 日本雑誌協会』が公表したデータによると、2021年7月から9月にかけて算定された『週刊少年ジャンプ』の印刷証明付き発行部数は約137万部とのこと。
2位のマガジンが50万部ということを考えてもいまだにすごいのですが…。
とはいえ、全世界のコミック史上最大の販売記録をもつ『ワンピース』を筆頭に『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『僕のヒーローアカデミア』など、あれほどの大ブームを巻き起こす漫画が揃っていても137万部。
当時のジャンプがどれだけ凄まじかったかが分かりますよね。
個性派揃いの中においてもジョジョは『異端』だった
1978年12月生まれの私は少年ジャンプでJOJOの連載が始まった1987年1-2号の時にちょうど8歳になったぐらいです。
小学校2年生ですね。
当時のジャンプは
ドラゴンボール、北斗の拳、キャプテン翼、キン肉マン、聖闘士星矢、シティハンター、魁男塾、ついでにとんちんかん、山下たろーくん、ハイスクール奇面組、こち亀・・・
といった時代に社会現象を巻き起こしたそうそうたる大傑作漫画がキラ星の如くラインナップしており、
冒頭から最後までほぼ全ての漫画がアニメ化されていたのではないか?というほどの人気ぶり。
ピーク時には及びませんが、発行部数のグラフがうなぎのぼりに急上昇していた頃です。
実はこの時期が本当にすごい!
完全実力主義で読者からの人気順に作品が並ぶジャンプにおいては、その後に世界中で愛されるあの初期ドラゴンボールでさえ、時には巻末に近い位置に掲載されるほどの超激戦。
『漫画界のビートルズ』とさえ言えるあのぶっちぎり人気のドラゴンボールがですよ?
ちなみに私の記憶では第2回天下一武道会で天津飯と悟空が決勝戦を戦っている回でさえ、後ろから2番目に掲載されていたのを覚えています(違ったらごめんなさい)。
もうすでにその時点で相当面白かったんですけど、信じられません…。
そんな少年ジャンプ戦国時代に登場した我らがJOJOは、読者から一体どういう反応だったのか?
多分、後追いのJOJOファンの人たちはきっとJOJOがジャンプ読者に初めから熱狂的に迎えられたようなイメージがあるんでしょうが、実は全然違います。
「何これ?なんか気持ち悪い、、、」
ですよ。
もう10人中9人くらいはそう言ってました、私の周りでも。
それほど異色でした。
巻頭カラーで新連載が始まったJOJOを初めて読んだ小学2年生の時のトラウマになりそうな薄気味悪さは今でも忘れません。
巻頭カラーでいきなり生贄(いけにえ)の美女が胸を貫かれ、その返り血で石仮面の骨針が後頭部にドスンドスンと刺さる絵は本当に気持ち悪かったです。
今ではコミックで読むことが多いのですが、やはりあのジャンプのサイズでは迫力的にかなり迫ってくるものありましたよね。
『漫画界のビートルズ』がドラゴンボールとすれば、JOJOはさしずめ
『漫画界のブラック・サバス』
のような衝撃を与えてくれたわけです。
「音楽レコードを買ったはずなのにどうして雷と教会の鐘の音が鳴ってるの?一体何なの?何なのよこれ!?」
みたいな(笑)。
そして少年ジャンプのテーマである『友情・努力・勝利』といったカラーにおよそ似つかわしくない
『ディオ』によるジョナサンへの陰湿ないじめシーン。
視覚的なものだけでなく精神的にも拒否反応を煽ってきます。
恋心をいだいた相手はディオに無理やりキスを奪われ、
愛犬は焼却炉で生きたまま丸焼き。
もはや小学2年生が読んでいい漫画ではありません。
一番衝撃だったのはラスト。
主人公であるジョナサンがディオを道連れに爆死…。
「嘘でしょ?主人公が死ぬってそんなのあり?なんて救われない物語だ!」
ってなりましたよ。
父親もツェペリも殺された。
ディオを倒しやっとエリナと幸せになれるかと思いきや、少年誌にあるまじき
バッドエンド。
あまりの物悲しさに涙が止まりません。
ただ、一人の男の死に様としてこれがすごく『尊いもの』に感じたのは鮮明に覚えています。
当時の少年漫画っていうのはここまで『死』というものをリアルに描かないと思うんですよね。
それっぽくは見せていてもどことなく「もしかしたら生きているかも」という余地を残した『生死をぼかした』形での描き方になることがほとんどなんです。
それが「1889年2月7日ジョナサン・ジョースター死亡」と、『揺るぎない事実』としてはっきり書かれたことが物凄くショッキングでした。
果たしてこんな死に方をしなければならないほどの何の罪をジョナサンが犯したというのでしょうか?
少年に突きつけるには何と無慈悲な死に様。
こんな展開、当時の少年に受け入れられるはずがないですよ…。
ついこの間までコロコロで好きだったのが
「つるピカハゲ丸くん」
なのに。
少年誌においてバッドエンドなんて聞いたこともないですよ。
「これは小学生がおもしろいと言ってはいけない漫画だ」
と幼心に感じていましたね。
読んでいることさえ友達に隠してしまうような背徳感がありました。
「え?お前JOJOとか読んでるの」
「あ、、、ま、まぁたまにね。そんな好きじゃないけど」
みたいな(笑)。
表向きは興味の無さを装ってはいても、Simacky少年の心はJOJOに鷲掴みにされていました。
『ルール』と『条件』を設定した高度なバトルシーン
次に特筆したいのが『戦いのルール設定』です。
『吸血鬼は波紋での攻撃が有効』や『吸血鬼は陽の光で溶ける』というJOJOの中だけで存在するルールですね。
これがあることにより、単に吸血気の『力』に対して、同じような『力』である重火器などで対抗するという戦いではなく、『波紋という特性をうまく利用してどうやって吸血鬼を倒すか?』という頭脳戦の要素が入ってくるのです。
これは3部以降、波紋が『スタンド』に変わっても一貫されています。
ドラゴンボールを筆頭とするバトル漫画の戦闘シーンが比較的『パワーのぶつかり合い』なのに対し、JOJOは独特でした。
それが小学校低学年からすれば最初は分かりにくくて、ドラゴンボールのような戦いの方がかっこいいと感じるんですよ。
でもある時
「あれ、なんかこういう戦いって毎回パターン一緒じゃない?」
って気づく瞬間があるんですよ、子供ながらに。
強さがインフレみたいになっていって終わりがないというか。
フリーザ登場あたりでそういう話をしてましたからね、小学生でも。
そして
「最近その手の漫画が割と増えてきたぞ」
と、流行りに便乗している漫画を見抜いていました。
小学生を舐めちゃあいけません。
それに比べてJOJOの戦いではいつもその時その時で戦いの『条件』が違うからいつも新鮮なんです。
『波紋VS吸血鬼』っていう基本ルールはそのままでも「こういうシチュエーションでの戦いになったらどうなるのか?」っていう『条件』が毎回違うんです。
分かりやすく例をあげましょう。
ドラゴンボールだったら戦闘力1万のキャラが10万のキャラに挑むと当然10万のキャラに負けます。
で、今度は1万のキャラが修行したり変身したりして強くなって50万になってその10万のキャラにリベンジする。
そうすると今度は100万の新たな敵キャラが現る…
といったように「強いほうが勝つ」が基本なんです。
一見見た目は派手で分かりやすいのですが、極論するとこの繰り返しであることに気が付きます。
このフォーマットは他の多くの漫画が踏襲しました(幽遊白書を始めとして)。
ですがJOJOの場合、ある時はキャラが力を発揮できない『条件付き』でバトルが始まりまったり、そういうシチュエーションに誘い込んだりと知恵を絞ります。
ある時は相手の弱点をつくことによって力の差をひっくり返そうとします。
バトルに『環境的要因』や『相性』『戦略』を入れ込むことによってバトルがギリギリでのせめぎ合いになり、だからこそ『駆け引き』が生まれ、最後までどちらが勝つのか手に汗握りながら見守ることになります。
このレベルでバトルを描いている漫画はジャンプといえども他にはなかったです。
そういうところがじわじわと好きになっていくんですよ。
派手なバトル漫画がもてはやされる中、1人また1人と水面下で「ひっそりと」JOJO信者が増えていくんです。
小学校の高学年になる頃には「実は俺JOJOが好きなんだ」というと
「いや、実は俺も」
「俺も俺も」
「え?結構ジョジョ好きいたのね」
という現象が起こり始めます(笑)。
低学年の時は口にするのが憚(はばか)られてましたね。
あの感覚は今でもはっきりと覚えてます。
「オレ実はエロ本読んでるんだ」
っていうくらい勇気がいりましたもん(笑)。
どんなにバトルものが流行って売れだしても一貫してJOJOは独自の道を進んでいるところがすごい。
一時期のジャンプは『猫も杓子(しゃくし)もバトルトーナメント』という雰囲気になっていましたが、そんなものどこ吹く風。
1部から初志貫徹。
荒木先生のあまり注目されない偉大さはそこにあると思います。
想像を超える物語構成
主人公の爆死という衝撃のラストで終わる1部ですが、このラストシーンも実は当時の私にとって大問題シーンでした。
『第一部完』
と表記されたんです。
当時の少年simackyは
「?????????」
って感じでした。
何が大問題なのか分かりますか?
おそらく後追いのJOJOファンの方にはまったく意味がわからないと思います。
「いや、1部が終われば次週から2部が始まるんでしょ?それがどうかしましたか?」
そう思ったそこのあなた!
それはあなたが
JOJOに2部以降があることを知っている人の視点で見ている
からそう思うんですよ。
いいですか?
リアルタイムで読んでいる少年に「主人公が替わる」という発想なんてないんです。
当時の少年読者からすると
「”完”ってどういうこと?一旦終わり?いつまで?ってか主人公死んでるのにどうやって始めるの?」
と、こうなるわけです。
なぜなら
こういう終わり方の前例がないから。
そもそも主人公が死んでしまっているのに、ストーリーが続くなんて想像できないんです。
続くとしたら「主人公が実は生きていた」という設定しか思いつかない。
そういうのって少年漫画でありがちですよね?
しかしその可能性がゼロであることは先述したとおりで、ジョナサンの死亡日時がはっきり明記されていましたから。
まさか「主人公が交代する」なんて展開を想像できるはずがないじゃないですか?
まさか「時代が50年後に進む」なんて展開を想像できるはずがないじゃないですか?
まさか「舞台がイギリスからアメリカへ移る」なんて展開を想像できるはずがないじゃないですか?
それはJOJOが生み出した
“まったく新しい漫画の展開”
なのだから。
そんなものはJOJO以前には存在しなかった。
誰も見たことも聞いたこともなかったんです。
つまり荒木先生の構想が
完全に読者の想像の範囲を越えていた
ことになります。
今では当たり前に皆「何部が好き?」とか言ってますけど、リアルタイムでは一つの漫画が何部もあるなんて想像したこともない時代です。
そんなわけなので2部が始まり、主人公がジョセフ・ジョースターに交代した時は全国の少年が
「にゃぁにィィィィィィ!!?」
と腰を抜かす事になる(笑)。
この衝撃の大きさはリアルタイムでないと絶対に分からないですね。
8部まであることを知っている状態で読んでいる人には分かりようがありません。
鳥肌モノでしたよ。
最初に音楽の話で
~『ロックが社会現象を起こす時代の目撃者になれなかった』~
と書きました。
そして私の世代にも誇れるものがあると。
~『漫画・アニメ・ゲームが世界のトップを独走する様を、私達少年の想像を遥かに超えるスケールで進化していく様をリアルタイムで味わえたこと』~
JOJOの見せてくれたこの全く新しい漫画の展開。
この
『漫画という文化が進化した瞬間』
をリアルタイムで目撃し、その衝撃を体感できたことこそ、我々の世代の宝であり誇りなのです。
あれだけおどろおどろしさと物悲しさに包まれた第1部の雰囲気を、一掃するかのようなジョセフのキャラ。
1部とはまるで違った展開になるという予感をさせるような、この突き抜けるような陽気さと破天荒さにもうワクワクが止まりません。
「第一部完」で混乱を与えた読者を一回どん底に落としておいて、一気にテンションマックスまでもっていく、、、。
少年たちのハートを鷲掴みにするこの荒木飛呂彦先生の才能には脱帽です。
揺るぎない独自路線を続けた結果
先程ドラゴンボールは『漫画界のビートルズ』だと例えました。
何も考えずに音楽に例えただけの事なのですが、ふと考えてみるとこれは『言い得て妙』なところがあります(自分で言うな:笑)。
ここで、一見関係ない話に脱線するように思えますが、興味深い話をします。
ビートルズが1962年にイギリスで大ブレイクを起こして、鳴り物入りでアメリカ初上陸を果たすのが1963年。
アメリカは全てがビートルズ一色になりました。
行く先々で人がごった返し、ツアーでは熱狂のあまり本人たちには演奏している楽器の音が全く聞こえないという始末。
ビートルズ人気にのって我先にとイギリス勢がアメリカデビューを果たします。
これが『ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリス勢の侵略)』といわれるムーブメントで、皆がビートルズみたいな格好をし、ビートルズみたいな音を真似したバンドがたくさん出てきました。
こんなバブリーなブームは長く続くはずもなく、1964年にはそれらの有象無象のバンドは消えていくことになるのですが、当時このブームに乗り遅れた一つのバンドがいます。
そう、JOJO5部でもお馴染みの
ローリングストーンズ
です。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの流れにのってアメリカ進出をしましたが、セールス的には失敗してしまいます。
なぜならストーンズは他のバンドと違い、ビートルズのマネではなく、全く違う音楽性のリズム&ブルースを貫いていたからです。
ビートルズのようなポップさ、ビートルズのような見た目、ビートルズのような好感度を求めるアメリカの視聴者にとって、ストーンズはまさに『ならず者』そのもの。
当時アメリカの高視聴率音楽番組である「エド・サリバン・ショー」にストーンズが出演した際には「下品」「荒っぽい」「不愉快」といった番組史上なかった程の苦情が殺到。
司会者エド・サリバンは番組中に「2度とこのショーで彼らの姿を見ることはないとお約束します」と宣言しています。
アメリカでは一度失敗したストーンズでしたが、この揺るぎない音楽性をぶらすことなくヨーロッパツアーを行っていくうちに、各地で熱狂的なファンをどんどん味方につけ、ライブのたびに熱狂した観客の暴動が起きるという『伝説』を各地で生み出していきます。
当時まだ存命だったリーダーのブライアン・ジョーンズはこう語っています。
「俺達はビートルズほどの知名度はないが、ビートルズより熱狂的なファンを生み出している」
そしてこのヨーロッパでの伝説がアメリカの若者達へ伝播していき、再びエド・サリバン・ショーに出演する頃には、
ビートルズとは全く違った魅力を放つ本格派バンド
という地位を確立していたのです。
このエピソードを語ったのは「まさにこれじゃないか!」と思ったからです。
先程も話しましたが、ドラゴンボールのブレイクとその流行りにのっかって『猫も杓子もバトルトーナメント』のような状態になったジャンプと、このブリティッシュ・インヴェイジョン、似ていると思いませんか?
そして他のバトル漫画と一線を画すスタイルを貫いたJOJOも誰かに似ていませんか?
そう、さっきはJOJOのことを『漫画界のブラック・サバス』と表現しましたが、
『漫画界のローリング・ストーンズ』
でもあるのです。
売れるための作品作りに皆が躍起になっている時に、自分の追い求めるゴールだけを見定めている。
そしてそれが信者を生み、気がつけば非主流だった立ち位置から、最も注目される漫画になっていく。
ビートルズが1969年に解散した後も、ストーンズは一度も解散することなく、2022年まで60年近く世界のトップをひた走るレジェンドであり続けています。
同様にドラゴンボールが1995年に終わった後もJOJOは走り続け、1987年~2022年まで35年間休むことなく突っ走っています。
そして現在進行系で新しいファンを世界規模で生み出し続けています。
JOJOシリーズ単行本の累計販売部数は
1億2000万部
を超えてるんですよ?
流行り廃れに流されることなく、信念を貫いた結果、JOJOは漫画界のレジェンドたり得ているのです。
荒木飛呂彦の偉大さ~真のプロフェッショナル~
今回のブログを書くことで自分なりにJOJOの魅力を分析し、JOJOは「たまたま『当たった』漫画ではないんだな」ということに改めて気が付きました。
生まれ持った才能もあるのでしょうが、それ以上によく考え抜かれている『努力』を感じました。
先程も述べましたが、ジャンプの発行部数がピークとなる1990年代前半期は発行部数こそ凄まじいですが、その実ドラゴンボールブームにかなりの部分引っ張られており、各作品が「おいおい、この漫画までもかよ!」っていうほど『バトルもの』に傾倒していっていました。
少年読者を舐めちゃいけません(2回目)。
子供ながらに「皆が流行りに便乗している」とは感じるんですよ。
そりゃ『ジャングルの王者ターちゃん』までもがバトルトーナメント始まったらそう思うでしょう!
「またかよ!なんか最近こんなんばっかだよな。前の方がおもしろかったな、ジャンプ」
みたいな空気感が小学生の間にだってあったんですよ?
気づいていないのは大人たちだけ。
つまり
『売れ行きと掲載漫画のクオリティは必ずしも一致していない』
ということなんです。
悪い言い方をするならば、発行部数ピークの時期にはすでに
「バトルものさえやっておけば大きく失敗することはない」
という風潮にまでなってしまっていたのです。
当時の感覚では「おもしろさのピークはとっくに過ぎたな」って感じ。
しかしJOJOの登場した1987年頃という時期は、あのドラゴンボールですら巻末に追いやられるほど
『群雄割拠の戦国時代』。
超個性的な実力派だらけ。
ドラゴンボール以外でも「キン肉マン」は「プロレスブーム」「キン消しブーム」を巻き起こし、
「北斗の拳」は「youはshock!」「お前はもう死んでいる」「わが人生に一片の悔い無し」といった読んだことない人でも知っている名言を生み出し、
「キャプテン翼」を読んで日本中の少年がサッカーを始め、Jリーグ発足の原動力になりました。
どれも国民的漫画レベルで社会的影響力大きすぎです。
こんな当時の状況で新人が連載を開始することを想像してみてください。
周りは化け物漫画家だらけですよ?
そんな漫画家たちと肩を並べて連載することが、新人にとってどれほどのプレッシャーか?
ご自身の身に置き換えて想像してみてください。
そして完全実力主義のジャンプにおいては、読者人気投票でその『化け物漫画家』たちと毎週ランク付けされるわけです。
毎週ですよ?
超過酷と言われる「AKB総選挙」でも年に1回だったのに(笑)。
人気が落ちれば次の連載は保証されてなどいません。
JOJOはそんな環境を勝ち抜いて今に至るのです。
「どうやって自分だけの価値を生み出し生き残っていくか?」
「誰もやっていないことは何か?」
「自分の強みはなにか?」
荒木先生はこれを死ぬほど考え抜いたんだと思います。
そして根底にあるのは
「本物でなければならない。付け焼き刃は読者には見透かされる」
という謙虚な姿勢です。
子供相手の漫画だからといって一切手を抜いたりはしないんですよ。
本物のプロフェッショナルなんです。
なので新しいタッチの絵を研究もするし、そのためにルーブル美術館へも足を運ぶし、リアリティを追求するために描こうとするロケーションを現地まで行って肉眼で確認するんです。
そんなJOJOという漫画にはそのあたりの漫画には到底太刀打ちできないほどのリアリティがあります。
作品に込められた仕掛けや裏設定といった情報量も圧倒的です。
何度読んでも新しい気付きや発見があるのはそのためです。
本物のプロフェッショナルが現在進行系で進化しながら、前人未到の境地を開拓しているのです。
この世にJOJOに勝てる漫画など存在しません。
私は『ロックの生き証人』にはなれませんでしたが、『JOJOが起こした革命』の生き証人にはなれたのだと、誇らしく思います。
今後も、JOJOの魅力を伝えていける『JOJOブログ』。
張り切って書いていきますよ。
美声で蘇るディオの主人公っぷりをとくと味わえ!
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AMAZONプライムビデオで『ジョジョの奇妙な冒険第1部』見る
はじめまして、慎二といいます。
ひょんなことから「ジョジョ」でググってみたらこのブログにたどり着きました。
年齢も近く、ロック好きという共通する点も発見し、楽しく文章を拝読しました。
特に1980年代後半から1990年代前半の少年ジャンプの当時の雰囲気はよく表現されていると思いました。
私は3部作が大好きでした。当時多感な中学生。「他には無い何かがこの漫画にはある!!」というよくわからない確信がありました。
今でも覚えているのは、肉の芽でDIOに操られた花京院に承太郎がやられてダウンした後、立ち上がった承太郎が自分の悪事を棚に上げて、女に暴力をふるうやつは悪だと決めつけて、「俺が裁く!!」というセリフを吐きます。この時の承太郎のポーズとこの痺れるセリフ。このダブルパンチに中二病を患っていた私はノックアウトされました。
なんだか、Simackyさんが他人とは思えませんが、、、他の記事を拝読させていただきます。
慎二さん
JOJOブログへの記念すべき初コメントありがとうございます。
承太郎VS花京院は最初から最後まで無茶苦茶で大好きなシーンです。
自分が保険の先生(女医)を傷つけているくせに全部を「JOJO、オマエが悪いのだ」としつこく承太郎のせいにしようとする花京院に痺れました。
「なんて最高のやられ役なんだ」と(笑)。
ちなみに「俺が裁く!」のシーンで帽子のツバを指でキュっとするポーズは何回練習してもかっこよくできませんでした(笑)。