【ジョジョ5部解説】荒木先生の熱いメッセージ性

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日はジョジョの奇妙な冒険の第5部を語っていきますよ。

舞台はイタリア

気がついた方もいらっしゃるかもしれませんが、通常のロゴは『JOJO』と表記されていますが、

第5部だけは『GIOGIO』

になってます。

これは今回の舞台がイタリアであり、『JOJO』だと「ヨーヨー」という発音になるとのことで(荒木先生談)、なんとコミックの単行本も『GIOGIO』になってるんですねー。

細かい!

イタリアですよ、イタリーなんですよ。

第4部でのある意味ハイライトであるトニオさんのレストランの回で、

「もしかしたら荒木先生は相当なイタリア好き?」

と思っていたら、4部が終わるなり早速舞台はイタリアへ。

私も当時は、トニオさんの回以来、すっかりエセイタリア人としての人生を送り始めておりましたので、これにはテンション上がりっぱなしでした!

イタリアと言えば華やかな食べ物とサッカーの熱狂とローマ帝国の遺産、ルネッサンス発祥の地。

行きたい!

世界で一番行きたい国=イタリア。

しかし、このJOJOで描かれるのはそんな華やかなりしイタリア文化ではござぁません。

なんと!

ギャング

です。

そう、だからこそ『絵空事じゃないリアルなイタリア』がそこにはあります。

そしてギャングと言えど、荒木先生が描けばこうも異色のギャングになるものなんですね。

これまでのヤンキーのイメージを覆した』第3部の空条承太郎のように、これまでの『ギャングの持つイメージ』が根本から覆されます。

なぜならば、ここに描かれるのは荒木飛呂彦流のギャング、すなわち

『ギャングスター』

だからです。

まあ、とにかくかっこいい。

全員かっこいい。

そして美しい。

死と隣合わせの日常であるからこその儚さと美しさがある。

それがこの第5部の魅力でしょう。

とんでもなくクールでタフでファッショナブルでダーティで・・・

そんな最高にかっこいいギャングスターの生き様を、このJOJOブログで全力プレゼンすることをお約束しましょう。

JOJOファンの方はこれを読んでJOJOの魅力を再認識し、周囲に撒き散らしちゃってください。

それから私の野望はこの日本が誇るJOJOという芸術をビートルズくらいの知名度にすることです。

日本学校教育が

「起立!気をつけ!礼!」

ではなく

「起立!JOJO立ちィィィィ!礼!」

みたいになってることが夢です。

それではJOJOブログ第5部のはじまりはじまりィィィィィィっ~!!

第5部の特色とは?

さて、JOJOシリーズにおけるこの第5部の特色をお話しましょう。

ストーリーのスピード感

第4部の回でもお話しましたが、杜王町を舞台とした第4部は一言で評するならば『脱・少年漫画』

いわゆる少年誌的な分かりやすい悪がいて、一直線に物語が進行していくというよりは、寄り道、回り道といった道草食いまくって話が進行していきました。

『能力バトルもの』だったJOJOが、およそバトルとは言えないようなものまで題材として扱うようになり、なおかつストーリーの行く先が見えないような流れになりました。

そんな少年誌的な展開から離れてしまったせいか、第3部の後だったせいか、当時は

「4部になってなんか面白くなくなった」

という声は私の周りにも結構ありましたね。

実際ジャンプでの掲載順序が後ろの方になりましたし、私自身、この変化についていけなくてジャンプで読むのを一時期やめたぐらいです。

しかし第4部が実はシリーズきっての大傑作であったことは読者の現在での支持が証明しています。

第4部は言ってみれば『充電期間』であり『実験期間』でもあったのでしょう、今思えば。

荒木先生はこの第4部での回り道を通して様々な『少年漫画的ではない実験』を試みました。

その結果、ただでさえ前人未到の地を切り開いていたJOJOがさらに大幅にパワーアップ。

・ホラー/サイコサスペンス的な表現

・スタンド能力の幅

・イタリア的なセンス・知識の吸収と表現

・人物の過去の生い立ちまで遡(さかのぼ)る深い人物描写

・奇抜なファッション性と絵のタッチ

こうしたパワーアップ要素満載で、貯めに貯めたエネルギーを爆発させるように全力疾走を始めます。

そう、この第5部ではストーリーがジェットコースターのように猛スピードで進行します。

非常にスリリングでエキサイティングなんです。

そのスピード感はシリーズ屈指。

一切の寄り道なし。

第4部とは真反対の性格を持っています。

エピローグである『ローリングストーン』のようなスピンオフ的なものは、物語が一旦終わってからにしていますしね。

次から次へと話が息つく間もなく展開していくため、コミックなどでまとめて読むともうページをめくる手が止まりません。

集中力が切れないんです。

そしてダラダラ引き伸ばすのではなく、潔くスパッと終わります。

食べ飽きるまで食べさせるようなことはせず

「ああ~…もうちょっと欲しいんだけどな~!」

腹八分感で終わらせてるところが絶妙のバランス感覚なんですよ。

「もっとアバッキオやフーゴの出番も増やして欲しい!」

と願うファンもたくさんいたと思います。

「いくらなんでも、あれでいなくなるのは物足りなさすぎるよ!」と。

けど、そのために新敵キャラを登場させてバトルの舞台を用意するようなことは一切しません。

それをやっていたのが実は3部、4部なんです。

そういう要望に対しては番外編を後に出すという形ですね。

👇ちなみにフーゴのスピンオフはなんと小説版で出てます。

ストーリー中は一切のブレーキを踏みません。

ストーリーの一貫性、スピード感をなにより優先させている印象がありますね。

音楽作品で例えるならばこれは一つのコンセプトアルバムのようなものです。

バラエティに富んだ様々な曲が集まったアルバムというより、一つの明確なコンセプト(目的)がある。

「あれもこれも」ではありません。

『足し算』で加える発想が第4部であるのに対して、『引き算』で余計なものをすべて削ぎ落としているのがこの第5部なんです。

事実、『フーゴは実は裏切り者だった』というエピソードもボツにしていますしね。

だから4部とは真逆で「話がどこに向かっているのかがすごく分かりやすい」し、純粋に能力バトルのみです。

いきなり「チンチロリン」始めたりしません(笑)。

しかもかなり手に汗握るガチガチのバトルばかりです。

つまり一旦『脱・少年漫画』した4部から一転して、王道の少年誌フォーマットに戻しているんですね。

JOJOシリーズでは3~5部が黄金期と呼ばれ、その中でもやはり『最高傑作』第3部はどんな人気投票でも抜きん出て評価が高いのですが、近年ではその第3部を時として追い越してしまうほどの人気を誇る第5部。

その第5部の魅力の要因の1つとしてこの『無駄を削ぎ落とし、読者をグイグイ引き込んでいく怒涛のスピード感』が挙げられるのではないでしょうか?

リアルギャングの緊迫感

さて、お次はこの第5部におけるヒリヒリするような『ギャング』の世界を語っていきましょう。

とにかくこの第5部は何がそれまでと違うかって、全編にわたってほとばしる

『緊迫感』!

これに尽きるでしょう。

ギャングの戦いは即ち

『命(たま)取るか取られるか?』

第3部みたいに、オラオラでぶっ飛ばして

『はるかかなたまでふっとばされてリタイア チャンチャン』

みたいなやさしい表現はありません。

ぼかすことなく

はっきりと人が死にます

第4部みたいに、倒した敵が改心して仲間になるような甘っちょろい少年誌的な世界観とはわけが違います。

「ぶっ殺すと思ったときにはもう殺している」

が当たり前の世界の住人達なんです。

ナランチャやミスタみたいな陽気なキャラはいて、普段はおちゃらけています。

癒やされます。

けれども平穏な仲間とのジャレ合いが一瞬にして臨戦態勢に切り替わります。

そしてそのかわり身の速さときたら!

どんなに普段馬鹿話していて、その辺にいる若者に見えても、やっぱり『ギャング』なんですよ。

そして命のやり取りをするのに全く臆しない。

平然としている。

いつでも覚悟ができているんです。

そんな日常的に命のやり取りをしていることが感じられる、まさに『ギャング』を感じる名シーンをここではご紹介しましょう。

まさに『ギャング』を感じる名場面3選

ジョルノVSブチャラティ

ジョルノVSブチャラティにはまるで『ギャングの世界の洗礼』のような、見事なギャング的価値観が描かれます。

しかし、個人的にはその前に出てきたルカも結構好きなキャラなんですよね。

過去にどんな経緯があったのか、涙を流しなら登場するし、なんか意味深な文字の掘られたスコップを持ち歩いてますし。

ある種、『異様な雰囲気』をまとっているわけですよ。

最初は優しい感じでフレンドリーに接してきて、いきなりブチ切れるところなんて

「うわ、池袋西口公園にいそう…」

って感じですごくリアルに感じました(池袋ウエストゲートパークのイメージですが)。

けれど、ルカの後に登場した真打ちブチャラティのインパクトの前ではかき消されたのが少々残念ではあります。

ここからはモノホンのギャングの追い込みが続きます。

いきなり『ルカの目玉握らせ』からの『口の中にルカの指』。

奥義のオンパレードですな。

「目玉取られて指まで切られてって、ジョルノよりあんたのやってることのほうが問題なのでは?」

と思ったのは私だけでしょうか?

それは別にボスに怒られないの?

ツッコミどころ満載すぎて『ルカの指がなぜ口から出くるのか?』よりも、ルカの安否が気になって話が頭に入ってこないではないですか。

しかし心配は無用で、実は意識不明ではなく、とっくに始末されていることが明かされます。

ひょえ~。

ブチャラティ・・・やっぱりギャングやな~。

「質問はすでに拷問に変わってるんだぜ」

かっこよすぎ。

荒木先生はどうしてこんなにかっこいい名言を生み出せるんでしょう。

あまりのかっこよさに使いたくてウズウズしたのは私だけではないでしょう。

こんなセリフ、人生で絶対使う場面ないです(どうしても使いたかったらSMバーにでも駆け込むしかありません)。

しかしここからがさらにすごい!

このモノホンのギャングの脅しに全く怯まない15歳の主人公!

それどころか、逆にブチャラティに追い込みをかける『凄み』さえ見せます。

「あなた…覚悟してきている人ですよね?人を始末しようとするってことは、逆に始末されるかも知れないという危険を常に覚悟してきている人ってわけですよね…」(ジョルノ)

こんな15歳いてたまるか(笑)。

しかしこれこそがまさに『DIOの息子』であるという説得力を強く感じるシーンなんですねぇ。

DIOの体はジョナサンの体。

すなわちDIOとジョースター家のハイブリッドなんですから、単なる一般人のワケがないのですよ。

モンスターなんですよ、生まれながらの。

このジョルノの凄みには鳥肌たちまくりでしたね。

ブチャラティ戦はかっこいい場面・名言のオンパレード過ぎて語り始めたら日が暮れますね。

ズッケーロへの拷問

主人公一団とはいえ、彼らはあくまでギャングです。

品行方正ではありませんし、

「これでジャンプ漫画の主人公の一団といえるのか?」

という場面は多々あります(笑)。

今にして思えばフルメンバーが揃った状態のブチャラティチームに、『奇襲』とはいえ、たった一人で仕掛けたズッケーロには拍手喝采したいところではありますよね。

このズッケーロ戦は、ジョルノやアバッキオが順番に謎を一つ一つ解決しながら、バトンをつなぐようにブチャラティに託すという、ブチャラティチームの初めての連携プレーが見れます。

そしてその連携プレーは戦いが終わった後にも続きます。

ミスタがメガネと釣り糸持ってきた時は何をするのかと思ったのですが、、、。

まさかクビだけになったズッケェロのまぶたを釣り針で吊るして眼球に直射日光浴びせるなんて…

ミスタは涼しい顔しててもやることは『ギャング丸出し』ですよね(笑)。

このズッケーロへの拷問シーンはかなりえげつない行為のはずなんですが、3人のダンスの印象で拷問しているっていう印象がかき消されております(笑)。

しかもアニメ版ではこのダンスシーンがめちゃくちゃ凝ってます。

「そこまでするか!?」

ってくらい凝ったシーンに出来上がってますので、まだ見たことない人はぜひおすすめします。

裏切り者への制裁

最後にご紹介するのはやはりこれでしょう。

暗殺チームのソルベとジェラートがボスの正体を嗅ぎ回っていたら、ある時から二人が行方不明になるという過去話。

しばらくして、暗殺チームのもとに宅配で届けられた荷物を開封してみると・・・

『ホルマリン漬けの輪切りソルベ』

いやいやいやいや・・・・

これは

少年誌で描くのは完全にアウト

でしょう荒木先生(笑)。

ヤクザ、ギャングの世界だったら本当にありそうなエピソードで、背中から冷たい汗が流れる瞬間ですね。

しかも相棒のジェラートは、目の前でソルベが輪切りにされていくさまを見せつけられて、恐怖で猿ぐつわを喉につまらせて死ぬとか、ある意味で肉体的苦痛よりも遥かに強烈な精神的拷問を受けてます。

やばすぎ。

第4部からホラー/サイコサスペンスの実験的要素が出始めてはいましたが、ここに至ってその究極系が表現されましたね。

こういうの書かせたら荒木先生の右に出る人はいないのではないでしょうか?

より深く描写される魅力的なキャラクターたち

「第5部って何がおもしろい?」と調べるとまず一番に返ってくるのが

「好きなキャラが多い」

これが一番多く見かけますよね。

ブチャラティを始めとしてチームメンバー皆かっこいいし、1人1人にこれまでなかったような愛着が湧きます。

キャラ立ちという点ではJOJOはいつだってそうなんですが、それにしても第5部のキャラは愛着がわくかなと。

そして1人1人にそのキャラの持っているこだわりやポリシーを強く感じるんですね。

何故でしょうか?

その秘密は、『第4部での実験』に隠されています。

実は第4部では、それまでのシリーズにはほとんどなかった『過去に遡っての深い人物描写』が取り入れられています。

しかしアンジェロや吉良吉影、虹村形兆などの敵がわの人間たちの過去描写が多く、主人公の仗助に関しては髪型にまつわるエピソードが少し語られる程度です。

それが今回の第5部は、チーム1人1人の生い立ちから今に至るまでの流れが丁寧に描かれるのです。

生まれ育った環境、どんな信条や価値観で生きてきたのか、そして過去に起きたトラブル、心にどんな傷を負い、集まってきたチームなのか?

それが描かれることによって、よりキャラを身近に感じることができるんですね。

さらに、この第5部は主人公が控えめで、前面に出て1人で戦う場面が少ないからこそ、その分メンバー1人1人にスポットライトがあたる『余白』が生まれているんですよ。

第3部のように『承太郎という神話クラスの英雄』を描くためにストーリーができているわけではございません(笑)。

あそこまで完成されたカリスマ像ができてしまうと、もはや作者である荒木先生ですら、ああいう描き方をせざるを得なかったのではないでしょうか?

承太郎の前では全てが承太郎をかっこよく見せるための引き立て役になってしまうという悲劇が起きましたが、今回の主人公は逆に周囲をかっこよく引き立てるために最高の仕事をする男・ジョルノ・ジョバァーナです。

とくと語りたいところですが、魅力的なキャラが敵味方問わず多すぎて、全部書いていたら10万字を超えてしまいかねません(笑)。

ですので、今後、JOJOブログシリーズはこの本編(総論)とは別に各キャラ別やバトル別の個別もの(各論)も描いていこうかなと思っております。

お楽しみにね!

ジャンプでの人気は落としても信念を曲げない荒木先生

今回の第5部解説は、『まだ読んだことのない方』に読んでもらいたいっていうのも当然あるのですが、それ以上に『昔ジャンプで読んでいたけどあんまり面白かった印象がない』という方にこそ読んでもらいたいです。

というのも、この5部と4部はね、ジャンプ連載当時は結構人気を落としたんですよ、第3部に比べたら。

先程は

『5部が4部と違い王道の少年誌フォーマットに戻っていることが今の5部人気の秘密では?』

なんて書きましたが、それはあくまで後年になってからのこと。

連載当時は第4部のころよりさらに人気が下がっていた印象があります。

高校生の頃の自分が一度ジャンプで読むのを辞めたときの感覚を振り返ってみると、理由の一つに『画風』があったのではないか?と思います。

荒木先生は意図的に各部で絵のタッチや構図をガラリと変えてきますから、こればっかりは相性というしかないんですね。

この5部のような『細かいコマ割り描写』はモノクロでは相性が悪かったのかもしれません。

第5部の絵はジャンプで読んでいる当時、『ごちゃごちゃして見にくくなった』という思いはありました。

同じ理由で『ワンピース』も一度読むのを辞めていた時期があるくらいです。

しかし、期間を長く空けて電子書籍のカラー版を読んでみたらこれがめちゃめちゃ見やすくなってて、そこからまた全巻をカラー版で集め始めた次第です。

で、「こんなにワンピースが劇的に読み易くなったんだからJOJOもカラー版出てるのかな?」と探すと、これがばっちり全シリーズカラー版あるではないですか!!

その時に読み返してみて一番感動が大きかったのがこの第5部です。

色が入るだけと侮るなかれ。

『見やすくなる』ということがどれだけ読むストレスを減らし、物語に感情移入しやすくなるか?

さらにいうと荒木先生の色使いのセンスが全編で楽しめる贅沢さ!

ジャンプの巻頭カラーじゃない時でもカラーで読める喜び(笑)。

それをきっと体感できるでしょう。

私がこのJOJOブログシリーズで何度も電子書籍のカラー版を推すのはこのためなんです。

御存知の通り、現在では第4部、5部も最高傑作と言われた第3部に匹敵するほどの人気を誇っているのは、アニメの影響もかなり大きいでしょう。

私が学生の頃は人気漫画のアニメ化にいい印象がないです。

人気にあやかった便乗商売みたいな質の悪いアニメがほとんどだったので。

ですが、今回の一連のJOJOのアニメ化はすばらしいです。

しかも1部から5部まで回を増すごとにどんどんクオリティが上がっています。

4部では複数のエピソードを同時進行で表現してみたり、5部では原作になかった描写まで加えるようになり、原作では紙面の都合上、丁寧に説明できなかった部分まで見事に表現されていたりします。

さらに原作のテイストを損なわずに更に魅力的に見せる色彩感覚、ものすごく力の入ったBGM、

何と言っても「この人以外あり得ない!」と思わせるほどの声優陣の器用などなど、制作陣の並々ならぬ気合が伝わってきます。

制作スタッフに感服しますよ、ほんと。

そういうわけで、『JOJOのアニメが面白い』という話題が話題を呼び、JOJOを知らなかった人がリアルタイムで放送されていた第5部のアニメを、たまたま見て大ファンになっていく、というブログなんかをよく見かけますね。

しかも女性が多い。

それだけ荒木先生のモノクロ原作の持つ敷居は高かったということでしょう(笑)。

また、少年誌で読んでいた世代が私のように大人になって読み返してみたときに、子供の頃には分からなかったセンスやストーリーやキャラの魅力が分かるようになってくるんですね。

このかっこよさ、味は当時高校生の私なんかが分かるはずがありませんでした。

そうするとそれまで圧倒的に自分の中で上位を占めていた1~3部が下剋上のように食われていく現象が起きます(笑)。

当時のジャンプ連載中は確かに人気を落とした4部と5部。

しかし、荒木先生はスランプに陥ったわけでも手を抜いたわけでもありません。

短期的な結果である「アンケートでの読者投票」なんか追い求めていなかったのです。

ドラゴンボール人気にあやかって『バトル漫画ブームに便乗している』漫画も散見される中で、我が道を進んでいた1~2部の頃と何ら変わりません。

第3部が人気が出たからといって、同じ路線を繰り返すこともなく、さらなる『漫画という総合芸術』の高みを目指していたのです。

そんな荒木先生の『総合芸術』に向かう姿勢を象徴するようなシーンが、実はこの第5部にあるのです。

この世とあの世の間(はざま)でアバッキオがかつて死なせてしまった先輩の警官と対面するシーンです。

「結果が出ない時、己が進んでいる道が正しいのかどうかを推し量る基準は「真実に向かおうとする意思」があるかどうか?」

と先輩警官はアバッキオに語ります。

その『真実に向かおうとする意思』を荒木先生が貫いた結果が、後年の第4部、5部の支持につながっているのでしょう。

今回はこれまでのJOJOブログの中で一番熟読しましたが、やはり印象に残ったのはこのように『メッセージ性が非常に強い』ということでした。

それが第5部『黄金の風』です。

第5部はジョルノたちの生き様を描くと同時に、荒木先生自身の『メッセージ』までもがこれまでになく強く放たれた傑作です。

長編になったJOJOブログ第5弾、最後までおついあいいただきありがとうございました。

それではまた!


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