【サザンとの出会い】1992年当時中学2年生だった私に映ったサザンはどうだったのか?

どうもSimackyです。

本日は私が中学生の頃(1992年)サザンオールスターズと出会った時の衝撃を語っていきます。

中学生の目には当時のサザンがどう映っていたのか?

リアルタイムで感じた彼らの勢いが伝わることかと思います。

サザンとの出会い~神がかった黄金期の真っ只中~

サザンとの出会いはそもそも中学2年の時に兄がもっていたシングルの「ネオ・ブラボー」を聴いたのがきっかけです。

当時はB’zやら德永英明やら色々シングルが置いてあったので、一通り聴いた中で一番気に入ったのがこの曲だったんですね。

上の「ネオ・ブラボー」シングルのジャケットをご覧いただくと分かる通り、「ハワイやラテン系のミュージックやってます」みたいな、

全員アロハシャツ姿のそのジャケからはロック的な「危なさ」を放つ部分は皆無だったので、

「当たり障りのないルックスで音楽もさわやかで聞きやすいな」ぐらいの印象でした。

「この人達なら安心して聞けるな」みたいな。

割と怖がりな中学生でしたので(笑)。

B’zとかでも少しビビっていたんですよね。

兄はそれからサザンの「シュラバラバンバ」やら「エロティカ・セブン」やらのシングルを増やしていき、

それらをこそっと聴いていくと、

「おいおい、なんかやばい人たちなのでは?」と(笑)。

大好きになる切っ掛けになったのはアルバム「世に万葉の花が咲くなり」を兄が買ったときですかね。

当時は1992年、「シュラバラバンバ」と「涙のキッス」の『エロ&バラードシングル同時発売』が世間に衝撃を与えていました(少なくとも私の周りの中学生たちには)。

 

『早口でまくしたてられて何て言ってるのかさっぱり分からないけどド変態でエロエロなことを歌っていることだけは何故か分かってしまう桑田語』が炸裂する「シュラバラバンバ」は思春期の若者たちにとっては「ザッツ・アダルト!」って感じ。

こそこそエロ本読んでる『中坊達の煩悩にまみれた脳みそを直撃』した曲だったんですねー(笑)。

しかも「涙のキッス」はそれと真反対の極上バラードですよ。

この全く対象的な2枚の作品が1位と2位を独占するんですから凄まじい。

しかも「涙のキッス」は当時社会現象になった「冬彦さん」でおなじみの視聴率30%超えの伝説的ドラマ『ずっとあなたが好きだった』の主題歌でもあります。

もしかして私はサザンの中でも「神がかった黄金期」が始まった歴史的瞬間に立ち会っていたのかもしれません。

それぐらい1990年~1994年あたりの時期のサザン、いえ、桑田さんは凄まじいです。

「涙のキッス」は155万枚の初ミリオンシングル、「シュラバラバンバ」は惜しくもミリオンに届かず97万枚といえども、2枚合わせて250万枚超え。

そしてその2曲を含む1992年発表11作目アルバム「世に万葉の花が咲くなり」は約180万枚というのは、当時サザンがモンスターバンドとして覚醒した瞬間と言えるのではないでしょうか?

「サザンならそれくらいのセールス当たり前では?」と思われる方も多いでしょう。

しかし、売上データを調べると、サザンのシングルはそれまで30枚近くリリースされていて、

最高売上は「真夏の果実」の85万枚、50万枚台でさえ「勝手のシンドバッド」「いとしのエリー」「チャコの海岸物語」の3枚しかない。

意外でしょ?

1980年代までのサザンは「国民的人気」というほどのセールス規模ではなかったんです、実は。

そこにいきなり250万枚ですよ?

アルバムセールスもこの頃に爆発し始めてます。

1990年にはアルバム9作目「サザンオールスターズ」(118万枚初ミリオン)、10作目「稲村ジェーン」(133万枚)の2枚を発表し、2枚合わせて250万枚超えですからね。

1年にプラチナアルバム2枚ですよ?

でもって桑田さんの監督映画「稲村ジェーン」もバカ売れ(1990年年間興行収入第4位)。

その主題歌である「真夏の果実」はチャートアクションこそ最高位4位でしたが、実はサザン史上まれに見る大名曲であることが徐々に認知されていき、ずーーーーーっと売れ続けた結果、

その年のレコード大賞をちびまる子ちゃんでお馴染みのあの「おどるポンポコリン」と競ってます。

 

この頃の人気曲では「フリフリ65」「真夏の果実」「希望の轍」「ネオ・ブラボー」「シュラバラバンバ」「涙のキッス」他にも挙げればきりがないんですが、

ダメ押しが1993年「エロティカ・セブン」「素敵なバーディ」の「第2弾エロ&バラードシングル同時発売」2枚合わせて225万枚セールス、、、(「エロティカ・セブン」は過去最高の174万枚!)。

 

またこの時期、テレビ音楽番組での「エロティカ・セブン」のパフォーマンスが過激すぎ(卑猥すぎ)だったということで放送禁止になったとかならなかったとか、

スポーツ新聞に書き立てられていた記憶があります。

とまあ、売上記録と話題ばかりを書き連ねてきましたが、

売れているから凄いということを伝えたいわけではなく、

この頃は『実際の音楽内容が神がかって充実していた』という点を強調したいです。

それが最も強く感じられるのが、1994年の桑田さんのソロ2作目、桑田ソロアルバムでは最高傑作との呼び声高い「孤独の太陽」

この作品、中学生だった当時は「なにこれ?なんか渋すぎて地味だな」ぐらいのものでした。

私にとってとっつきやすい曲としては「真夜中のダンディ」が入っていたくらいですかね。

しかし28年経ってみて今回の一気聴きで一番の衝撃だったのがこのアルバムですね。

もうこれは天才の所業というしかないです。

余談ですがこのアルバムの収録「すべての歌に懺悔しな」が長渕剛さんのことをディスっているとかなんとかで、またもや話題沸騰してましたね(笑)。

いやー、飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさにこのことですね(ヤリたい放題というか)。

『世に万葉の花が咲くなり』に導かれてサザン愛再び

そんな黄金期のど真ん中に発売されたこのアルバム

「世に万葉の花が咲くなり」

はサザンの入り口だっただけでなく、未だに私の中で

サザンの最高傑作

として輝き続けています。

で、この「世に万葉~」で完全にサザンにハマり、サザン好きの友達と「力を合わせてサザンのアルバムを集めよう」ということになりました。

少ない小遣いの中で私は「KAMAKURA」「サザン・オールスターズ」(通称:カブトムシ)を購入。

友達は「人気者で行こう」「NUDE MAN」を購入。

お互い貸し借りをしながら4枚の作品を夢中になって聴き、カラオケでもよく歌っていましたね。

で、高校になりセックス・ピストルズなどのパンクにハマった流れで、

いわゆる「ヒットチャートで流行っている音楽なんかクズだ!」みたいな、『このテの人がよく陥りがちなマインド』になっていくんですねー(笑)。

そんな中で、このサザンオールスターズのアルバムたちは、『過去の自分を葬り去る儀式』として燃やしてしまうんですね。

けれどなんとこの「世に万葉の花が咲くなり」だけは燃やしていなかった。

なぜなら兄貴のものを勝手に借りパクして自分のCD棚の中に入り込んでいたものだったから燃やせなかった(笑)。

そして時が経つこと28年、、、、わたくし42歳。

サブスク時代になり思い出のCDコレクション達も、もはや『ただ部屋のスペースを占拠するだけの不要のもの』になってしまいました。

もはやCDラジカセ自体がないので、聴くことがないわけですよ。

車でもブルートゥースで携帯から飛ばして流すので。で、「さてブックオフにでも持っていくか」と整理をしていた時にカミさんが「あ、サザンはあたしの車で聞きたいから売らないで」と引き止められて残ったんです。

カミさんはまだ『サブスク』も『ブルートゥース』もまったく使いこなせないんですよ。

なんという数奇な運命!

かつて私をサザンオールスターズに夢中にさせたこの「世に万葉の花が咲くなり」は捨て去られるかもしれない2度の危機を生き残ったのです。

そこから休日に家族でのお出かけをカミさんの車でする時に、久々にこのアルバムを聴いて、あらためてサザンオールスターズというバンドの凄さに打ちのめされることになったわけですねー。

運命です。運命を感じずにはいられない。

サザンをストリーミングで一気聴き

今回あらためてサザンを色々調べてみて意外だったのが、まず思ったより作品出してないってことですね。

私は「世に万葉の花が咲くなり」がリアルタイムでそこから時代を遡りアルバムを聴いて、2年ほどでサザンから離れたので、その後28年間の間にそれはもう膨大な作品があることを覚悟していたわけですよ。

そしたらその後にリリースされたオリジナルアルバムはなんとたったの4枚なんです。

平均すると7年に1枚というペースなわけでこれはかなりスローペースでは?

で、このたび、全オリジナルアルバム15作品を一気に聴いていくうちに、シングル限定のものもあることに気がついて、それらも全て聞くことができました。

ストリーミング万歳(笑)。

はい、今回は私の中学時代のサザンとの出会いを語ってまいりました。

それではまた!

 

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