『The Apples』吉井和哉 歌謡ロックへの原点回帰

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日は吉井和哉が2011年にリリースしたソロ通算6作目のオリジナルフルアルバム

『The  Apples』

を大いに語っていこうではありませんか。

『The  Apples』というアルバムのキャリアにおける位置づけ

はい、ようやくたどり着きました、6作目の『The  Apples』(以下アップルズね)です。

これを語るために私は吉井ソロを解説してきたようなものです。

このアルバムがなければソロ作品は解説してません。

実は私ね、このサイトでイエモン記事は書いてもソロは書くつもりありませんでした。

どうしてもイエモンと同じ温度感でロビンのソロ作品を語れる自信がなかったし。

3作目の『39108』あたりで止まってしまって、以降を聴く気になんなかった。

いや、悪い作品とは思わなかったし、結構聴き込んだつもりなのですが、聴いても聴いても心にいまいち響かなかった。

というより聴けば聴くほど喪失感が強くなっていくんですよ。

「もう、かつてのロビンじゃない」

っていう喪失感=受け入れたくない現実と対峙しなきゃなんない時間は…なんか辛いんですよ。

当時はソロ作品が

「あんまり感情移入していない軽く作った曲」

みたいなイメージでしたね。

妙に冷めているというか。

「年齢的なものはあるにせよ、ちょっと肩の力抜き過ぎでは?」

今思えば、ソロの初期の頃こそ、ロビンの人生でも生真面目すぎるくらいに肩の力が入った時期であったとは思うのですが(笑)。

「はぁ~、どうしよっかな~。もうなんか吉井ソロを聞くことがだんだん苦痛になって来たんだけども。う~ん、とりあえず、これ以降のアルバムもざっと聴いてみてブログにするかどうか決めよう」

そんなタイミングで、ザーッと流して聴いた4作目以降。

そこで本作の2曲目『ACIDWOMAN』に受けた衝撃たるや…。

「え?え~~~~~っ!なんじゃいこの感情移入度の高さは!いきなりイエモンに戻りはったぞぉ!?」

ですよ、ほんと。

なんか信じられないことが起きた気分でした。

「な、なんだ!?こういうスタイルってやろうと思えばできたのか?出来なくなったんじゃなくて?ってことは実はこれまでのソロはあえて意図的にああいう作風にしてきたってこと?う~ん、ちゃんとポリシー持って演ってた音楽だったってこと?」

となったわけですよ。

「こりゃ軽く聴いてたらあかんぞ。魂を込めた作品であったのであれば、こっちもそれ相応の気合で聴きこまなきゃ失礼だ!」

これが吉井ソロを徹底的に聴き込んでいく最初のきっかけでしたね。

それまでは聞くのが苦痛で苦痛でたまんなかったんですが(特に1作目:笑)、一旦ソロを受け入れられるようになると、どんどん好きになっていくから不思議なものです。 

1~3作目も好きになっていくのはその後に聴き込んでいってからの話なんですよ。

イエモンが大好きでコアな部分の魅力に取り憑かれている人ほど…、具体的には、ソロ作品を聞くたびに『SICKS』以前のイエモン全盛期の頃と比較して聴いてしまいがちな人ほど、ソロ作品は馴染めません。

かえって、

「イエモン時代の何やらへんなフェロモンが出ている頃はなんかヤダ」

っていう人のほうが吉井ソロの楽曲は受け入れやすい(笑)。

「いや、あの変なフェロモンがいいんだろ?」

と私なんぞは思うのですが、一般リスナーはそんな特濃こってりラーメンが好きな人ばかりではなく、もう少しあっさりしてどっかりこないラーメンのほうが好きなわけですよ。

これは他のアーティストでも起きる話であって、例えばレッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)。

私なんかは警察に捕まらないほうがおかしいほどの変態フェロモンが出まくっていた初期のレッチリが大好きなので、毒っけの抜けた『カリフォルニケイション』あたりからはもうどんだけ聴き込んでみても、なかなか好きになれないわけですよ。

『カリフォルニケイション』

セールス的には1000万枚超えのビッグヒットで、万人に受け入れられるレッチリになっていくのですがね。

例えるならば、私の地元熊本県の玉名ラーメンからあの強烈な豚骨臭と脂とニンニクチップを抜いたようなもの。

「なんか物足りねぇ・・・」

ってなっちゃうんですね。

これって吉井ソロが受け付けなかったイエモンファンの皆さんには伝わるかな?

そしてこう漏らすわけです。

「あの頃の輝きはなくなった…」と。

けどね、別に輝きがなくなったわけじゃなく、別の音楽性ってだけの話なんです。

イエモン時代よりソロのほうが輝いていると感じる人も多くいます。

しつこいくらいラーメンで例えましょう(笑)。

玉名ラーメンからあの強烈な豚骨臭や脂の量、ニンニクチップを除けば、玉名ラーメンとしてのインパクトはなくなります。

けれども、それらが目立ちすぎることにより隠れて味わえなくなっていた、繊細な味が分かるようになるわけです。

「あ!意外にニンニクチップ入れないほうがスープの旨味分かるかも…あれ、この店って他の玉名ラーメンと違ってもしかして魚介出汁も入れてる?」

とか

「今までは分からんかったけど、使ってる小麦でこんなに麺の風味って変わるんだ!」

とか、そんなことに気がつけたりします。

インパクト(毒っ気)を引っ込めたからこそ、他の良さがより鮮明に見えてくるわけです。

当然、そっちのほうが好きっていう新たなファンも生まれる。

「ロックとジャズはどちらが素晴らしいのか?」

って聞かれたら、良識的な人であれば

「どちらも素晴らしい、それぞれに良さがある」

って答えると思います。

そう、別の音楽性なのだからそれぞれに良さがあるだけの話。

どっちが上とか下とかいう話ではない。

ただそこにあるのは自分に合うか合わないかだけ。

けど、昔の毒っ気を求める自分が残っている限り、今を受け入れられなくて否定的な感情になってしまいがちなんですよ、困ったことに(笑)。

私もいろんなアーティスト聴いててそういうことは何度となくありましたから。

どうしてこんな話をしたかというと、レビュー読んでてやっぱりそういうコメントが少なからずあるからなんですよ。

「イエモン時代には遠く及ばない」

とか

「何を目指しているのかさっぱり分からない」

とか。

そもそも向いているベクトルが違うのだから、比較するほうがおかしい。

「何を目指しているのかが分かんないのなら、ひよこまめ読んで勉強し直しやがれ!」

とか思ってしまいます。

「ってお前、偉そうに言うほどソロの吉井和哉は好きじゃなかったじゃん」

とか自分でツッコミ入れてる今日このごろ(笑)。

話がちょっと逸れましたが、このアップルズはミュージシャン吉井和哉としても非常に重要な位置づけのアルバムです。

もともとイエモンの向いていたベクトルと違う方向を向いて走り出したソロのベクトルが、回を追うごとに軌道修正をかけてきて、ついに!

イエモンのベクトルと交差します

こんなイメージ?

前作『VOLT』の時点でもうかなりイエモンに接近してはいたのですが、本作はもしイエモンが解散していなければ…という『IF』の先にある作品といえば言いすぎでしょうか?

それほど、これまでのソロ作品の中では最もかつてのイエモン的雰囲気を感じます。

「これをソロで作れるんならもうイエモン再結成の必要がないのでは?」

と思えるほどです。

こうして聴き直してみても、再結成後の『9999』や『スパークルX』よりもよっぽどイエモンっぽく感じてしまうほど(笑)。

前作『VOLT』もサウンド面だけで言えば、どのアルバムよりもイエモン的だったのですが、今回はロビンのボーカルがさらに輪をかけて歌謡ロックになってますね。

いや~、よもやここまで”戻して”くるとは…。

っていうかこの歌い方ってやろうと思えばいつでもできたんですね(笑)。

「もうあの頃のロビンはこの世からいなくなっちゃったんだな」

と思っていたイエモンファンからすると、青天の霹靂だったと思いますよ。

まるで「イエモン全盛期の未発表音源、蔵出し大開放!」みたいな気分になりますからね(笑)。

ここに至ってかつてのスタイルへ回帰することへの躊躇(ちゅうちょ)やこだわりはまったく感じられません。

しかも、これすべての楽器をロビンが一人で録ってるって言うんですから驚きです。

ソロになってずっと楽器の演奏に果敢に挑戦してきたロビンは、ついにこの境地にまで到達できたんですね。

プリンスやレニー・クラヴィッツの領域です。

これ!これが凄いのよ!

1作目『ブラックホール』の時はこれがやりたかったけど、技術が追いついてなかったから、使い慣れてない卓上MTRにすがるしかなかったんですから(笑)。

その時に味わった挫折感を10年後に晴らしたということです。

痛快すぎる!(笑)

つまり、このアルバムはイエモンとして築き上げた土台(封印してきたお得意の武器)に、ソロで畑違いの方法論を試行錯誤して得た成果をぶっこんでるわけです。

まあ、それは4作目『ハミングバード』の頃から少しずつ始まっていたのですが、本作ではこれまでにないほどすごいポジティブなエネルギーを感じます。

かつてのスタイルを否定するようだったソロ初期のネガティブ感はまったくなく、

「あれ(イエモン時代のスタイル)も紛れもなく自分の一部」

当たり前のように受け入れている。

ついに『機(果実)は熟した』んですよ。

今まで吸収してきた養分の全てその実に凝縮させて、まあ、真っ赤で美味しそうなリンゴちゃんだこと。

こっちは通常版のジャケね

これが美味しくないわけがない!

つまりこのアップルズは

ロビンの音楽キャリアの魅力を余すことなく総動員したアルバム

と言えます。

あるいはこういうふうにも表現できるかもしれません。

ロビンの音楽人生というロードマップで、イエモン時代を第1章(黄金時代)、ソロの3作目『39108』までを第2章(試練時代)、第3章(集大成時代)が4作目『ハミングバード』から静かに始まっていたとすると

第3章における集大成の決定版が本作なのだ、と。

そういうわけなので、吉井和哉ソロに馴染めない方、もしくはこれから入門しようとしている人にはもとより、イエモンよりも吉井ソロ推しという方にも必聴盤ですよ、これは。

前作『VOLT』同様、いや、個人的にはそれ以上におすすめしたい一枚です。

ただやっぱり、1作目から順に聞いてきて欲しい気持ちはあります。

そのほうが、このアルバムにたどり着いた時に感慨深さもひとしおになると思うので。

『The  Apples』楽曲解説

先程は集大成的な書き方をしましたが、そこはさすがにロビンなので当然のことながら新しい試みも色々演っております。

それは

リスペクトするミュージシャンへのオマージュ

ですね。

イエモン時代からちょいちょいやってはいましたが、ここまで大々的なのは初ですね。

「あ~!これってあのバンドのあれじゃん!」

っていう楽しみ方ができるのが本作の面白いところ。

マジ顔して

「あのバンドのパクリだよね。もう音楽的才能が枯渇したのかな」

とか言ったら恥かきますので先にお伝えしておきます。

レビューで書いちゃったあなた…かなり寒い人ですよ(笑)。

これはオマージュと言ってパクリではなく、影響を受けたバンドへの敬愛の表現であり、リスナーとのコミュニケーションです。

レッド・ツェッペリンを始め、オアシスやらザ・フーやら色々オマージュしておりますので、探してみてください(いつものストーンズもありますよ。バレバレだけど:笑)。

もしかしたら、本作がイエモンにかなり近い雰囲気になったのも、本作のテーマで『オマージュ』という大命題があった上で、いろんなアーティストへのオマージュをする中の1つでしかなかったのかもしれません。

かつて自分が在籍したバントでさえも、リスペクトするバンドと同じように客観的に見れるようになった、ということなのかもしれません。

こればっかりはロビン御本人のみぞ知るところですが。

ちなみにこのアップルズはソロとしてはチャート1位を獲得した唯一のアルバムです。

さて、すでにだいぶ長くなったので楽曲解説はサクッと行きますよ。

#1『The Apples』

ロビンの大好きなナイン・インチ・ネイルズばりのインダストリアルナンバーですね。

サイバーだな~。

似たようなインダストリアルでのオープニングは4作目『ハミングバード』もそうだったのですが、これはもう全然本格的と言うか。

緊迫感と重厚感が凄いことになってます。

#2『ACIDWOMAN』

私を吉井ソロへディープに誘うきっかけとなった罪深きナンバーです。

これまでのソロでの歌唱法も全然素晴らしかったし、『コール・ミー』や『シャイン・アンド・エターニティ』のように、ソロでの歌い方だから生まれた名曲も確かにあります。

けど、このイエモン時代のような昭和歌謡の情念溢れる歌唱法はもう『お家芸』というか、『伝家の宝刀』を抜いちゃったというか。

例えるならば、キックボクシングで無敵だった人がボクシングに転向しました。

足技は封印され、手しか使えないボクシングという環境でもやっぱりチャンピオンになっちゃった。

けど、キックボクシングに戻ってきて足技という本当の姿を見せつけられると

「やっぱ、この人の足技は神技や…。ボクシングやらせたら人類最強だったかもしれんけど、キックボクシングやらせたら生物最強や…」

って感じるみたいな(笑)。

かと思えば、他の覚えたての楽器パートはなんか拙くて微笑ましいというか。

途中ブレイク(演奏停止)部分ではレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムみたいにイカしたドラムソロ演ろうとして、

「で、できない~!」

みたいな(笑)。

だったらブレイクすんなよ(笑)。

#3『VS』

なにやらやたらとオアシス的なイントロで始まります。

リードトラックとしてアルバムに先駆けてMVが公開されてます↓

曲調としてはポジティブで、なんかイエモン解散前最後のシングル『プライマル』の次に出たシングルって言われても全然違和感がない(笑)。

ガッツもらえるな~。

#4『おじぎ草』

これまたそれまでのソロでは封印していた歌唱スタイル。

『夜明けのスキャット』とかカバーしていた人の面目躍如の曲ですよね。

こういうの歌わせたら、ロビンの右に出る人はロックというカテゴリーではいないでしょうね。

実は隠れた人気曲。

#5『イースター』

これはザ・スミスへのオマージュかな?

ギターのキラキラ感がジョニー・マーみたいで、ボーカルの耽美的な抑揚がモリッシーっぽいんだもん。

ホント器用に何でもこなすな~。

#6『CHAO CHAO』

この隙間の多い楽曲構成は新鮮です。

なんかワクワクします。

アルバムの中ではちょっとした良曲という存在なんですけど、こういう曲がライブで化けるんだよな~。

#7『ロンサムジョージ』

ロビンの紡ぐドラムの8ビートが気持ち良すぎる。

グルーブ感ってこういう規則的な反復に浸ることこそ原点ですよね。

このバスドラの音ってかなりこだわってると見た。

ロンサムジョージっていうのはどっかの国でゾウガメにつけられた名前。

ノソノソあるくゾウガメの雰囲気出てるね~。

#8『MUSIC』

ファンキーですな~。

カッティングもかなりモノにしてますね、ロビン。

めっちゃかっこいい。

サビではいきなりダンサブルになって、『マイ・ワインディング・ロード』を思い出しますね。

で、これ何回目だよ、ストーンズの「フーッフー♪」使うのは(笑)。

#9『クランベリー』

サビの部分のギターリフ重いね~。

こりゃブラック・サバスばりですな。

ヘヴィなリフとロビンの情感たっぷりな抑揚のある歌い方って相性いいですね~。

で、途中で一回止まって疾走し始めるのが面白い展開で、ここもサバスっちゃサバスっぽい。

このロビンの4つ打ちからのスネアロールの疾走感がたまんないです。

こういうことも発想としては誰でも思いつくと思うんですけど、他のパートを思いっきり邪魔するからなかなかやらせてもらえないものなんですよ。

「ちょ、ちょっとドラムうるさいよ!」

って(笑)。

ドラムもロビン自身が叩いているからこそ、こういうこともできるというか。

イエモンでアニーが演ったら絶対ボツにすると思う(笑)。

ドラマーロビンのエゴが出てますね。

あと疾走部分のボーカルはミッシェル(ガン・エレファント)っぽいな~。

ライブでもカバーしていたからミッシェルも好きなんだろうな。

#10『GOODBYE LONELY』

激しい曲の後にここで一休み。

癒やされます。

こういう弾き語り好きだな~。

それにしてもイエモン時代から通してここまでシンプルな歌詞はないんじゃないかな?

#11『LOVE & PEACE』

本アルバム中、唯一のシングル曲です。

14曲もあるフルアルバムでシングルナンバーが1曲というのはすごいな。

こういうところに、ソングライティングの好調さ加減が垣間見えるというか。

聞き始めてすぐ「あ、シングル曲ね」と分かるほどあざとさを感じるのですが(笑)、これがアルバムに3曲とか入ってるとちょっとがっかりするものなんですよね。

たった1曲であれば気にはならないし、何よりこの曲は後半、思いっきり感情移入パートが入るところが素晴らしいです。

全力の熱唱で、まるで『JAM』での感情移入もかくや、と感じるほどです。

ちなみにこのシングルには『リバティーン』というイエモン時代からのファンを驚かせるカップリングが入ってます↓

もう、イエモン以外の何物でもない。

おそらくソロの楽曲として最もイエモンに近づいた楽曲は『ACIDWOMAN』よりもこっちかな。

コーラスもイエモンメンバーがやってるみたいな雰囲気なんですよ。

シングルのB面なんてノーチェックだったところに、ガツンとやられた気分になりますよ(笑)。

自伝で吉井夫妻の顛末を読んだ後だと歌詞が生々しすぎて怖い…。

#12『プリーズプリーズプリーズ』

さ~、続きましてはザ・フーで『マイ・ジェネレーション』です、どうぞ~!

え?違う?(笑)。

しっかりベースソロも弾いちゃって、こんな風に全パート自分で取れるようになったら楽しいだろうな~。

#13『HIGH & LOW』

これはまさにボブ・ディランでしょう。

なんていうか、ロビンって様々な音楽ジャンルの『核のエッセンス』をすくい取るのが非常に上手いですよね。

演り慣れていない音楽ジャンルを最初からモノにできているというか。

やっぱり器用なんだろうな。

#14『FLOWER』

フィナーレを飾るのは感動の名曲です。

悔しいけど、ベタベタなこの曲調が大好きです(笑)。

これはオアシス『ドント・ルックバック・イン・アンガー』のオマージュですね。

実はロビンは自伝の巻末にて

あとがきにかえてーオアシス『ドント・ルックバック・イン・アンガー』へのオマージュ

という題名で歌詞を掲載するほど、オアシスへの想いがかなり強いです。

今回はオマージュを出発点として、独自のものに消化させているというか。

「俺が作曲者だったらこの曲はこうしたのにな~」

っていう願望のままに曲にして、ほんとに公開しちゃった、みたいな。

「え?これやっちゃっていいの?」

みたいな(笑)。

「こういう風に吸収したものを独自のものに加工してアウトプットできる人が、カバーアルバムとかやると面白いんだよな」

とか思っているとほんとにカバーアルバムを演りだしちゃいます。

まあ、後の方向性がここで始まってるという意味で、やっぱり重要なアルバムですよね。

 


はい、というわけで今回はアップルズを大いに語ってきました。

アルバム解説がここまで長くなったのは久々だな~。

ソロ作品では一番語りたかったアルバムなので、もう悔いはありません。

これで吉井ソロは書き終えました!

それでは皆さん、さようなら!

・・・・・・

まだ1枚残ってるだろ。

 

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