『テクニカル・エクスタシー』ブラック・サバス評価と内容が一致しない作品の代表例

どうもSimackyです。

本日はオジー期ブラック・サバスが1976年にリリースした7作目のオリジナルアルバム『テクニカル・エクスタシー』を語っていきますね。

本作は思い入れが半端ない作品です。

私をロックの世界へと再び戻してくれた作品言ってもいい。

とんでもないパワーを秘めた作品です。

皆さん…

侮らないでね!

権威主義の悪しき風習

はっきり言いましょう。

オジー期ブラック・サバスの最後の2枚、7作目『テクニカル・エクスタシー』と8作目『ネバー・セイ・ダイ』は

駄作

のレッテルを貼られています。

音楽評論の悪しき文化と言うか、権威主義と言うか。

ロックミュージックの作品に関しては『ローリング・ストーン』という音楽雑誌が古の頃から作品の評価に対して強い影響力をもっていました。

ローリング・ストーンに評価された作品は権威付けをされ、

「あのローリングストーン誌が良いって言っているのか!皆、ヒザマづくんだ~!」

「ははーーーーっ!」

みたいな。

まあ、これはだいぶ極端な表現ですが(笑)。

多くの雑誌が右に倣え的な批評をすると言うか。

実際、評価高い作品でも聴いてみてピンとこない作品はたくさんあるんですがね。

まあ、この雑誌がとにかくこき下ろす雑誌でして、

「そんな言うならお前作ってみろよ、えらそーに」

って私なんかは率直に思うのですが、どうして誰も突っ込まなかったのかな?

当時の人達には水戸黄門の印籠でも見えていたのかな?

で、あまりにも影響力があるものだから、

「音楽評論っていうのはそういうものだろ?」

っていう空気感もあって、世界中の音楽雑誌もローリング・ストーンよろしくこき下ろすことが権威みたいに勘違いしだした。

そしてそれを読んだ読者も音楽作品はこき下ろしていいと勘違いしていた。

こき下ろすことがクールだと思っていた。

でもそれっていうのは世間一般的にはちょっとズレた感覚なんですよ、今となっては。

街頭演説してる中国や韓国に対するヘイトスピーチみたいなもの。

「嫌い・憎い」というワードに群がってくる人たちとは前向きな関係も築けないし、良質なエネルギーも生まれないんじゃないかな?

それと同様に、こき下ろす評論に喜んで集まってくる人はそう多くないと思うのですが。

作品を褒めてあるのを見て喜ぶ人はたくさんいるけど、作品をこき下ろしてあるのを見て喜ぶ人は決して多くない。

それよりそのことによって不快になる人のほうがはるかに多いということをお伝えしたいです。

レビューをたくさん読んでいるとその事がよく分かります。

こき下ろすくらいならただ一言「私はピンとこなかった」と言えば良いんですよ。

このズレまくった村社会みたいな感覚はある一定以上の世代に色濃く存在する文化・常識であり、それが当たり前だと勘違いしている世代の人がレビューサイトでボロかすに作品をこき下ろすと、作品を支持する若い世代から袋叩きに合ってしまう(「…である」みたいな評論家気取りでレビュー書いている痛い人達や、「私はデビューの頃から彼らを聴いてきたのですが…」みたいなマウント取ってくる語り口の人たちです)。

「テメー様は一体全体何様のおつもりですか?」

と吊し上げに遭うこと必至ですから気をつけましょうね、大人げないから。

こういうブログを書くに当たって様々なレビューを読み漁ってみるのですが、まあそういう光景にはたくさん出会いました。

つまり、もうそういう時代じゃないということです。

音楽評論なんかが作品の評価を決めていたのははるか昔の話。

エンドユーザーがみんな自由に好きだ嫌いだとレビューして、別に権威なんてものは必要のない時代。

好きなものを好きだと声を大にして叫んでいい時代なんですよ。

そんな時代だからこそ私は悪しき風習によって抹殺された愛おしき作品たちを再評価してもらうためにこのブログを始めました。

その原点ともなった作品が本作『テクニカル・エクスタシー』です。

『テクニカル・エクスタシー』で音楽の素晴らしさを再確認した

オジーが大好きで、そこから遡ってオジー期サバスを聴いていたのは大学生時代ですね。

ベスト盤から入り、「マスター・オブ・リアリティ」「サバス・ブラッディ・サバス」「パラノイド」「ブラック・サバス」「ボリューム4」「ネバー・セイ・ダイ」、しばらく空いて「サボタージュ」と聴いていきました。

しかし、この『テクニカル・エクスタシー』は聴いていないことにも気が付かないほど存在を忘れていました。

理由は昔なにかの雑誌で本作がこき下ろされていたからです。

最初に聴いたベスト盤に本作から入っていた「バック・ストリート・キッズ」「シーズ・ゴーン」は割と好印象だったにもかかわらずです。

20代までは熱心に音楽を聞いていた私が、仕事と子育てであまり熱心に音楽を聴かなくなったのですが、40代に入り様々なことが一段落した頃、ストリーミングサービスに出会いました。

もう音楽に対する熱が冷めているので、最初の頃は若い頃に聴いた音楽を惰性で聴くばかりで、新規開拓はまったくしないような日々が続きました。

で、ある時サバスを聴きたくなって

「そういや7作目聴いてなかったな。」

と気が付き聴いてみました。

はっきり言って全然期待してはいなかったのですが、逆に長い間音楽から離れていたためにこの作品が酷評されていたという事実も記憶が薄らいでいたのが良かったんでしょう。

つまり先入観ナッシング状態でこの作品に触れたわけです。

正直、ビビりました。

恐れ入りました。

ジャケットがあれなんで、もっとらしくない迷走気味の作品かと思ったらめちゃめちゃクオリティ高かったんですよ。

で、何回か聴くうちに思い出します。

「そういえばこれって駄作とか言われてなかったっけ?おいおい、サバスの中ではあれだけ評価の低い作品でもこれかよ?」

あっという間にヘビロテになりました。

で、ストリーミングだとブックレットないからライナーノーツを読めないのが寂しい。

物足りない。

だからスマホでレビューとか解説ブログとかウィキペディアを読み漁りながら聴きまくったんです。

「あ、この時間…至福かも…」

この組み合わせがあまりにも楽しくて、気がつくとオジー期サバスの全作品を読みまくりの聴きまくり。

というより、音楽に冷めて、音楽をじっくり聴くこと、音楽で感動するということを忘れていた私のスイッチが

ガッシーーーーーン!!!!

とオンになったのを感じましたね。

「やっぱ音楽って楽しっ!!!!」

それ以降は24時間、音楽を流しまくって聞きまくっているというかつての聴き方に戻りましたね。

このスマホでブログなどを読みながらストリーミングでどっぷり聴きまくる方法は、その後、それまで聴いてこなかったストーンズやプリンス、デビッド・ボウイなんかを新規開拓で聴く時もやりました。

まあ幸せな時間でしたわ。

やっぱり批判的な論調よりも「それが好きでたまらない」というファンが書くブログのほうが何倍も面白いですから。

あの至福の時間を皆にも味わってもらいたくって、

「俺も書く側に回ろう。読んでいる人が楽しく気持ちよく音楽に浸れるようなブログを書こう。俺が好きなのにクソみたいな評価をされている作品の向こう100年の評価を最上級に上げてやろう!」

ということで始めたのがこのブログ「ひよこまめ」です。

つまり『テクニカル・エクスタシー』を聴かなければこのサイトは存在してません(笑)。

すでに40代も半ばになった私の人生に何かしらの行動を起こさせる程、強烈なパワーを持った作品であることが伝わったでしょうか?

あなたはそんな風に行動を変えさせられるほどの作品にいくつ出会ったことがありますか?

私の人生でもそう何枚もはありませんね。

それでもまだ本作を駄作だと思いますか?

侮らないでね!!!!(2回目)

楽曲レビュー

「評論家に抹殺された名作ランキング」というものがあれば、ロック業界の歴代トップとなるのは間違いなく本作でしょう。

しかし、それも今日でお終いです。

なぜならこの私のプレゼンによって明日から評価が180度変わるのですから。

10年後に「サバスの最高傑作」と呼ばせるぐらいの勢いでプレゼンしますよ!

#1『バック・ストリート・キッズ』

初めて聴いたのはベスト盤だったのですが、その頃からこの曲はかなりとっつきやすかったですね。

オジー期サバスの初期の楽曲は名曲揃いなんですけど、最初は非常にとっつきにくいですから。

「ウォー・ピッグス」や「スイート・リーフ」なんてオジーソロから聴き始めて好きになるまでに10年くらいかかってますから(笑)。

それらのナンバーに比べると音がぜんぜん古臭くなくリフにエッジがあってかっこよかったです。

なんかサイバーなメタルって感じがした。

中盤にキーボードが入ってきて展開するところがかなり好き。

#2『ユー・ウォント・チェンジ・ミー』

本作イチの名曲であり、ロックから離れてた私を10年ぶりに引き戻した張本人。

人生で2回目の『ロックの洗礼』を受けたような気分になりましたよ。

こんな名曲が存在していてどうして本作の評価が低いのか理解に苦しみます。

批評家なんてろくに聞き込みもせず作品をこき下ろしているということが分かりますね。

非常にドラマティックで独特の哀愁が漂っています。

4作目あたりからボーカルのキーが上がり続けて、前作「サボタージュ」ではえらいことになってましたが(笑)、このアルバムの特徴としてキーを全体的に抑えてます。

この曲なんか一番顕著で、抑えたオジーのボーカルが余計に泣かせます。

ギターソロも泣きのメロディが炸裂してます。

こういうの聴くとトニーってもともとブルース畑出身なんだな~って感じます。

っていうかこのアルバムはギターソロに関してはブルース色強いんですよね。

トニーのギターソロでここまで泣かせるアルバムは他にないと思います。

リズムギターはシンプルにガーンと鳴らして、その隙間でキーボードが彩りを添えるこの組み立ての妙。

かなり考えられて作り込まれてます。

圧巻の1曲ですな。

#3『イッツ・オーライ』

ビルが歌うバラード。

ビルが歌うのは3作目「マスター・オブ・リアリティ」の「ソリチュード」以来になるのかな?

キッスでもドラマーのピーター・クリスが歌うバラードは名曲なんですが、ドラマーって実はボーカルの才能持った人が多かったりして。

ジェネシスのフィル・コリンズは言うまでもなく、エアロスミスのスティーブン・タイラーも実はドラマー出身だし、ニルヴァーナのデイブ・グロールはフーファイターズであんなことになるし。

それらの先駆けがピーター・クリスだと思うんだけど、後輩であるキッスに影響受けるところもあったのかな?

だってこの曲思い切ってシングルカットしたんですから。

「そんなことしたらオジーが気を悪くするんじゃ?」

と思うかもしれませんが、オジー曰く

「サバスは良いものを作るためにはどんどん皆が意欲的に取り組むし、それに対して他のメンバーが異を唱えることはなく、むしろ歓迎ムードだった。自分がギーザーの代わりに歌詞を書いたり、ビルが替わりに歌ったりしても問題なかった」

とのこと。

このアルバムに関してのコメントは短いもので、

「ビルが歌った『イッツ・オーライ』が素晴らしかった」

としか触れていません。

もっと他にもあるだろ(笑)。

実際、ピアノバラードでシングルヒットを狙いやすい楽曲だし、なにより名曲なんですよね。

ガンズが「ライブ・エラ」でカバーしてます。

#4『ジプシー』

軽快なドラムで始まりワクワクさせます。

このスネアロール病みつきになるな~。

序盤は非常に明るくアップテンポなんですけど、途中からガラッとマイナーに変化します。

曲の緊張感をピアノが演出してます。

サバスの中でピアノが当たり前に存在していて、まるで5人編成バンドになったかのようです。

#5『オール・ムーヴィング・パーツ』

5分弱の曲なんですが、曲調が2転3転と目まぐるしく変化します。

序盤と終盤で聞けるギーザーのファンキーなベースは好きですね~。

ブラックサバスにブラックミュージックの要素が見えるのはかなり珍しいです。

#6『ロックン・ロール・ドクター』

シングル『イッツ・オーライ』のカップリングとして入ってます。

これまたキャッチーな曲でまさに「サバス流アメリカンハードロック」って感じ。

最初聴いた時、それこそキッスみたいだと思いましたね。

サバスがヘヴィロック以外の路線をやると何かと物議を醸しますが、私は何も考えずに良いと思ったものは認める派です。

この曲とかを好きになれない人は、『ネバー・セイ・ダイ』のタイトル曲とかもピンとこないんだろうな~。

ポップなのは確かだけど、それなら5作目『サバス・ブラッディ・サバス』あたりからこの要素はあるんですがね。

#7『シーズ・ゴーン 』

前曲からいきなりガラッと暗くなります。

すごいギャップ。

まあこっちのほうがサバスっぽいのですが。

#8『ダーティ・ウィメン』

このアルバムをまだ聞いていなかった若い頃、サバスがオリジナルメンバーで再結成したライブ盤「リユニオン」で聴いたのが先でしたね。

「え?まだ俺の知らないこんな名曲があったの!?」

とかなり驚いたのを覚えています。

その頃は「テクニカルエクスタシー」の存在が頭から消えていたので、アルバム未収録のシングル曲か何かと思っていました(笑)。

「そもそもどうして俺が買ったベスト盤には入っていなかったんだ?あのベスト盤作った奴出てこい!」

みたいに頭にきました。

#2と同様、本作で最も作り込まれている楽曲です。

構成もそうですが、音作りが凄まじい。

序盤なんて普通にギターリフが鳴っている裏で、うっすく聞こえるかどうかのキーボードを重ねているんですよ。

ギターリフも『ダブリング』やってますね、これは。

同じフレーズを別々のテイクで録ったものを左右のスピーカに振ることで、まるでギターが二人いるみたいな効果を出していたり。

3:20あたりでギターソロからリフに入っていくところで鳥肌が立ちます。

最後はどんどん盛り上がる展開になり、3本のギターが重ねられ、ドラムはツーバス連打で盛り上げる最高のクライマックスです。

バンド崩壊へのカウントダウン

オジー本人が自伝で語っているのですが、バンドメンバーの関係性もセールス面においても5作目あたりがピークだったらしいです。

6作目辺りからマネージメント、税金、ドラッグなんかの問題が噴出してきて、さらには音楽の方向性に関してもメンバー間に共通認識が持てなくなってきた時期とのこと。

どの街にいっても皆でつるんで飲みに行ったり女の子を引っ掛けたりしていたのに、徐々にオジー・ビル組とトニー・ギーザー組に別れていったらしいです。

長いツアー生活のせいでお互いの存在に疲れ果てていたんでしょう。

7作目である本作の頃にはそれがさらに悪化してきて、オジーは現実逃避からさらに酒とドラッグに溺れます。

幻覚症状で親友であるビルに銃口を向けたこともあったとのこと。

一人目の嫁さんであるテルマにも暴力を振るうようになってます。

完全に正気を失っていて、オジーの精神を安定させるためにテルマが自宅で飼っていたニワトリをショットガンで殺しまくって小屋に火をつける描写なんてやばいです。

毎回アルバムの作品内容に関しては5行しか書かないのに、ニワトリの惨殺シーンには10ページを割くってどういうこと?

オジーに書かせると絶対こうなるって分かってんだから編集者がちょっとは軌道修正しろよ(笑)。

話が脱線しましたが、この頃は確かに「次にどの方向へ進むのか?」に関して迷走感があります。

ジャケにもそれが現れていますしね。

この頃のトニーは「フォリナーやQUEENみたいな感じにしなきゃ」なんてことを言い出して、それに違和感を感じて仕方ないオジーとほとんど口をきかなくなります。

それがピークに達し、次作『ネバー・セイ・ダイ』のレコーディングに取り掛かる際にオジーは何も言わず脱退します。

後任のボーカルが加入しますがうまく行かなかったため、ビルを仲介人としてオジーは何事もなかったようにバンドに復帰、という流れです。

まあ、このあたりのエピソードもあるので、本作の評価が下がる要因なのは分かりますが、メンバー間のごたごたと音楽の良し悪しはまた別の話。

メンバーの仲が最悪でも出来上がったアルバムがスマッシュヒットになることはザラだし、最大のプロモーションを行い、万全の体制で満を持してリリースされた作品があんまり良くないこともザラにあることです。

確かにオジーたちメンバーにとっては色んな悩みごとがあり、あんまり振り返りたくない時期なのは分かりますが、実は音楽自体はかなり良質なものを生み出している。

これがオリジナルメンバー期のサバスのマジックなんですよ。


はい、というわけで今回は『テクニカル・エクスタシー』を語ってきました。

それではまた!

 

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