『セイント・アンガー』(メタリカ)またしても問題作なのか!?既成概念をぶっ壊した実験度は『LOAD』以上! 

 

メタリカ「セイントアンガー」アルバムジャケット

Simacky(シマッキー)です。

本日はメタリカのアルバム『St.Anger(セイント・アンガー)』のレビューを私なりに語っていきます。

前作『Load』『RELOAD』で新たに入ってきた新規ファンにさえも、さらなる大ダメージを与えた作品

になります(笑)。

スローなテンポといい、メタリックではないガレージロック風のサウンドといい、やけにノリノリになったジェイムズのヴォーカルといい、、、

もはや『ヘヴィメタルと呼ぶには無理がある』作品が2作連続して続き、

「もうメタリカにヘヴィメタルを求めることは無理なのか?」

と新作に一縷(いちる)の望みを託したメタルファンたちの期待は、果たして叶ったのか?叶わなかったのか?

語っていきますよ~!

久々に新メンバーでの制作

亡きクリフ・バートンに替わり長年ベースを担当してきたジェイソン・ニューステッドはこのアルバムの以前に脱退しており、現在のベースであるロバート・トゥルージロはレコーディング終了後に加入。

そのためベースはプロデューサーのボブ・ロックが弾いてます。

つまり、メンバーはジェイムズ(Vo・Gt)、ラーズ(Dr)、カーク(Gt)の3人だけという後にも先にもこの時だけという特殊な条件下で作成されました。

ジェイムズとラーズの確執、またジェイムズのアルコール依存症克服のためのリハビリ期間も入ったため、オリジナルアルバムとしては’97年の『RELOAD』以来6年ぶりという過去最長のスパンでのリリースとなりました。

このあたりの流れはドキュメンタリーDVD「サム・カインド・オブ・モンスター」にて見ることができるらしいです。

DVD「サムカインドオブモンスター」画像

このDVDはこの記事を書くにあたって初めて調べてみたんですが、AMAZONレビューを見ると非常に評価が高く、ヴェールに包まれたロックスターの生々しいレコーディング風景が

「ここまで見せてもいいの?」

ってくらい盛り込まれているとのことで、私も見るのが楽しみです。

見たらまたレビュー書きますので、お楽しみに。

アルバムセールとしては、全米1位はもちろんのこと日本でもメタリカ初の1位を獲得しており、内部的なゴタゴタは関係なく相変わらずの人気絶頂ぶりが伺えます。

リアルタイムでの当時の状況

このアルバムが発売されたのは2003年で私はまだ大学卒業直後でしたね。

それまで一緒にロックを聴いてきたバンド仲間も全国に散り散りばらばらになったタイミングだったため、貸し借りをして感想を語り合う機会はありませんでした。

なので、この作品が世間にどう評価されているのかなんて知ることもできませんでしたね。

今のようにアマゾンレビューを手元のスマホで簡単に見れる時代ではありませんでしたので。

1990年代のメタリカの動きは、’91年のブラック・アルバムから’96年の『LOAD』には5年もの間が空いたものの、それ以降は’97年『RELOAD』、’98年『ガレージ・インク』、’99年『S&M』と毎年のように作品をリリースしており、セールス規模、活動の露出度ともに音楽シーンで最も注目される存在となっていました。

しかし、2000年代になってからは、割りと露出が減り、当時の私は少しの間メタリカに注目していなかったため、この『セイント・アンガー』は『寝耳に水』のような状態で発売されたイメージがあります。

ブラック・アルバム以降、スラッシュメタルという音楽性はおろか、

「もはやヘヴィメタルでさえない」

と言われた『LOAD』『RELOAD』は、音楽性が変わったと言えどもさらに幅広いファン層を獲得することに成功しており、私の周りでも

「え?お前がメタリカ聴くの?」

っていう友達まで聴き始めていました。

そんな状況であったからこそ、この『セイント・アンガー』の内容はかなり意外でしたね。

私は

「メタリカがスラッシュメタルファンが臨むような音楽性に戻ることはまずない」

と、この頃には思っていましたし、個人的には『RELOAD』『ガレージ・インク』で見せてくれた新生メタリカの完成形に

「これはこれでいいじゃん」

と、十分滿足していました。

それがまさかこんな過激な内容で攻めてくるとは思っていなかったため、かなりの不意打ちでした。

そのサウンド、メロディにはスラッシュ期はもちろん、『LOAD』以降に新たにメタリカを好きになったファンへの配慮さえ皆無でした(笑)。

「やけになったの?」

と感じるほど極端でした。

何が過激で何が極端だったのか?

「お!激しい!けどなんか違う…?」前衛的に感じるその訳とは!?

#1「Frantic」が始まった瞬間の怒涛の高速リフには

「キタキタキタ~!!」

と打ち震えたものです。

さらに2曲目のタイトルナンバーでは何作ぶりかのツーバス連打まで入ってきたので(しかも超速)、ドラマーの私としては興奮しっぱなしでしたよ。

でも…なんか違う。

なんか気持ちよくなれない…。

確かに攻撃的サウンド。

『LOAD』『RELOAD』にはなかった激しさがある。

どっちがメタリカらしいかといえばこっちなのかもしれない。

いや、多分そうだろう。

攻撃的なリフ、大音量感、ツーバスの怒涛の連打に疾走感。

そう、メタリカに求めていたのは確かにこの方向性のはず…。

でも…

「そもそも攻撃的な音楽かどうかにかかわらず、メタリカってもうちょっと聴きやすいキャッチーなバンドじゃなかったっけ?」

これです、違和感の正体。

『LOAD/RELOAD』は音楽性はガラッと変わったといえども、『エイント・マイ・ビッチ』や『フューエル』には琴線に触れるメロディがあり、メタルかどうかはともかくとして「いい曲だな」と感じさせる分かりやすい要素があったと思います。

しかしそれが待てども暮せども出て来ない。

「あれ?そのまま最後まで終わっちゃった」

最後まで通して聴いた時の印象としては、飾りっ気というか、装飾的な音が全て排除されて無骨なギター、ドラムの音のみで攻めまくるという印象(ベースはいつにも増して聞こえない)。

殺伐としているし、キャッチーさや明るい要素が皆無というか。

これは前作2枚と決定的に違います。

あれだけ前2作で「歌モノ」に振り切ったメタリカが、「歌やメロディで聴かせる」という方法論を捨てている?

ヴォーカルの音量も前2作に比べかなり音量を絞っています。

まとっている雰囲気は『アンドジャスティス~』に近いのですが、まず音がメタルではない。

しかも、『アンドジャスティス~』のような複雑な曲構成やドラマティックな展開、泣きのツインリードギターなどの要素はなく、

ただ怒りを叩きつけるかのようにリフで押しまくる。

なんだかオルタナティブロックの度合いがさらに増したように感じました。

それもニルヴァーナの『ネヴァーマインド』のように、「大衆の心をつかむ」ある程度キャッチーなサウンドとメロディではなく、次の『イン・ユーテロ』のような「他者を拒絶するような閉鎖的な」印象ですね。

『ネヴァー・マインド』

『イン・ユーテロ』

#7「Shoot Me Again」が始まったときには一瞬レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの2作目『イーブルエンパイア』のように感じたり。

『売れることを拒否している』ようにさえ感じるんですよね。

それに、このアルバムには、なにやらすごく前衛的なものを感じました。

攻撃的でハードなんだけど、メタル的ではないというか。

インディーシーンでの音作りと言うか、アンダーグラウンドなエネルギーをすごく感じたものです。

私がこのように感じた理由を一つ一つ紐解いていってみましょう。

ギターの音がさらに”乾いた”上にソロがない

これって最初は気が付かなかったんですが、一聴するとスラッシュメタルやドゥームメタルのようなプレイをしていて、実はサウンドがあまりメタルらしい音ではないんですね。

メタルをみずみずしく「濡れている(西欧的)」と表現するならば、非常に「乾いている(アメリカ的)」。

ブラック・アルバムまでのようなメタリックな音かというと全然違って、『LOAD』以降の音の延長上で、それをもっと歪ませた感じです。

さらに、ギターソロがないんですよ、まったく。

メタリカはリズムギターが主にジェイムズ、リードギターがカークでレコーティングを行うので、このアルバムではカークは一体何をさせてもらえたのでしょうか?

ちょっと心配になるほどです(笑)。

言うまでもなく、アルバム全編通してギターソロのないヘヴィメタルってほとんどないですからね。

「様式美」という言葉に代表されるように、ヘヴィメタルの決まった『型』を壊したがっているような意思さえ感じました。

ドラムの音がまたもや物議を醸す

このあたりも『アンドジャスティス~』を彷彿とさせる理由ですよね。

「スネアの音が軽すぎる」と物議を醸したあの頃と同じように、やはりここでも物議を醸しました。

そりゃ、ドラムのこと分からない人だってこの音には違和感を感じるでしょう。

「なんだこのカンカンうるさいドラムの音は…」

アマゾンレビューを読むと大賛成か大反対に真っ二つに分かれていて、なかなか笑えます(笑)。

私はこれピッコロスネアを使っていると思ったのですが、雑誌で読んで『スネアスナッピーを外している』と知ったときには驚きました。

スネアドラムのスナッピー画像

これスネアを裏から見たところね。

既成概念をぶっ飛ばす発想なんですよ、実はこれ。

スナッピーはスネアの裏に貼ってあるワイヤーを裏面に当てたり離したりするスイッチです。

通常、叩く時はスナッピーを入れ、演奏や練習が終わる時に外します。

スナッピーを外すという行為は、ロックドラマーにとっては

『ドラムを使用していない時間はワイヤーのテンションを緩めてあげる行為』

でしかなく、

「スナッピーの有り無しどっちの音を使おうかな?」

などと音の選択肢として考えるものではありません。

またしてもやってくれます、ラーズ先生は。

余談ですが、ピッコロスネアというのは、通常のスネアドラムよりも奥行きが浅くできており、甲高い「パーン」とくる音が特徴で、実は私もレッチリのチャド・スミスの音が好きでこれを使っていました。

タメの効いたビートを聞かせたい時に非常にかっこいい。

推測なんですが、音を聞く限り、ラーズの場合はスナッピーを外した上でリムショットをしていますね。

リムショットというのは、スネアドラムのヘッド(打面)とリム(ヘッドを抑え込んでいる金属枠)を同時に叩くことで、「パン」というスネア音に「カキーン」という金属音を付加することができる叩き方。

かなり強烈な音で、スタジオでの練習中に私がこれを連発するとメンバーから嫌がられます(笑)。

リムショットをせずにスナッピーを外したスネアを叩くと、単に「トーン」とマヌケな音が出ます(笑)。

聴いていただくと分かる通り、「トーン」ではなく、「カーン」と鳴っているので、おそらくリムショットです。

しかし聴き込むとリムショットしていない部分もあるので、これは相当スネアを選んだと思いますよ。

だって、私の練習スタジオにおいてある安物のスネアじゃあ、とてもじゃないけどスナッピー外した音は間抜けすぎて使い物にならないから(笑)。

さきほど「前衛的」と表現しましたが、なんだかナイン・インチ・ネイルズのような打ち込みの金属音を連想させるのは、このドラムのスナッピーを外したリムショットのためなんです。

中にはこのアルバムを評して「インダストリアルロックみたい」と感じた方もいらっしゃったようですが、あながち的外れでもないのかな、と。

こちらは「セイントアンガー」を解説した芸人の永野さんの解説動画です。

面白いですよ。

攻めて攻めて攻め倒す

ギターソロはなく、ドラマティックな大作主義もない。

にも関わらず、実は1曲1曲が長いのがこのアルバムの特徴です。

全11曲中、7分を超える曲が6曲と過半数を占めます。

他の曲もすべて5分以上はあります。

しかも、スピードナンバーの間にバラードを挟んだり、インスト曲があったりといった『静と動の起伏』がありません

ということで、初めて聴いた時に

「最初から最後まで同じ曲に聞こえるんですけど…」

という現象が起きること請け合いです(笑)。

強弱でいうとずっと強。

もうずっとアクセントって感じ(笑)。

『箱の中で轟音を鳴らしたものを箱の外から聴いているかのような』とでも表現したらいいんですかね?

奥にこもったような轟音リフで徹底的に押しまくります。

聴き込んで慣れてくるとどうなるか?

さて、ここまでの解説だけで終わると

「とっつきにくいアルバムでした。ちゃんちゃん」

となってしまいそうなのですが、そんなことならレビューなんて書きません(笑)。

私のポリシーは

『音楽は好き好き!なので作品をけなすことはしない。好きになれない作品はそもそも書かない』

なので、当然のことながら大好きだから書いているわけです。

私も最初の10年くらいは

「いくらなんでもずっとうるさいよね。ちょっとは変化つけてよ」

と思ってましたよ、他の多くの方と同じくね。

しかしこれが聴き続けているとあら不思議!

病みつきになってくるんですよねぇ~(笑)。

この轟音とうねりが気持ちよくなってくるんです。

しかも轟音すぎて最初は分からないのですが、聞けば聞くほど

「え?怒り叩きつけただけじゃなくて結構考え抜かれてるのでは?」

といろいろ気が付かせてくれるスルメアルバムなのです。

このドラムの音じゃないと駄目な体になります

先程、スナッピーを外した上でリムショットをしているという推測を書きましたが、このスネア音はなぜか病みつきになります。

この轟音で殺伐としたギターリフとの相性が非常にいいんですね。

たまたまスナッピーを入れ忘れた偶然の産物だったみたいなのですが、それを聴いてみてすぐさま

「これはおもしろいぞ!」

と思えるラーズとプロデューサーのセンスはすばらしいです。

しかし、ラーズ先生はそれ以外にも実は実験しています。

それが『サスティーンを切らない』です。

これよく聴かないと、というよりドラマーじゃなきゃ分からないのですが、バスドラムが『ノーミュート』ですね。

ロックでは多くの場合バスドラの中に毛布とかを詰め込んで「ドスッ」「ドッ」という低く短いサスティーン(音の伸び)の音を出します。

だから、バスドラだけは他のタムと構造は同じなのに全く違う音質になってます。

太鼓の音ではないんですね。

そうやって残音を短く切らないと残音が他の楽器とケンカしてわちゃわちゃするんですよ。

この毛布などを使わないでサスティーンの調整をするのはけっこう大変な作業なんですが、おそらくそれを実験していると思われます。

だから他のタムと同じように「ドーン」と奥行きのある響きを聞かせています。

よく聴いてみてください。

「ドッ」じゃないでしょ?

このため残音が伸び、重低音の奥行きのある独特の音世界になっています。

そしてこれを連打するとどうなるか?

「ドドドドドド」というアタック音が印象的なメタル典型のツーバス音ではなく

「ゴゴゴゴゴゴ」という地鳴りのような雰囲気を曲に持たせることができるのです。

この「サスティーンを切らない」はスネアもタムも同様にやっているようですね。

いつもボリュームがうるさいラーズ先生のドラムがいつも以上にうるさく聞こえるのはこのためです(笑)。

この独特の音が「ドラム」というよりも「太鼓」を連想させるため、一種の民族音楽のような雰囲気さえまとっているんですね。

#11「All Within My Hands 」ではそんな『地鳴りのツーバス』と民族音楽のようなグルーブが一番強く感じられるので、ドラムに注意しながら聴いてみてください。

’90年代ヘヴィロックの轟音に身を委ねる心地よさ

私の場合、Black Sabbathのオジー在籍時に代表される、あのヘヴィで麻薬的なリフの繰り返しがすごく好きです。

’90年代のバンドで言えば、パンテラ、サウンドガーデン、アリス・イン・チェインズ、コーンなんかがそうです。

特に、パンテラやコーンを初めて聴いた学生の頃は

「ヘヴィになればいいってもんじゃないだろ?音楽じゃねーぞこんなもん!全部一緒にしか聞こえないじゃないか!」

とか思ったものです。

ああしたバンドたちって『自分の好きなミュージシャンが聴いている』っていうお墨付きがなきゃ絶対聴き続けてなかったですね(笑)。

そうして我慢してじっと聴き続けるうちに病みつきになっていくんですよ。

コーンはその中でも一番拒否反応ひどかったのですが、それらのバンドをくぐり抜けた経験があったからこの「セイント・アンガー」も聴き続けられたのだと思います。

なので、私がお墨付きします。

このアルバムは聞き続けるとハマりますよ(笑)。

この鳥肌の立つようなグルーブ感は『LOAD/RELOAD』ではなかったですから。

究極のミュージシャンエゴの衝突

先述したようにこのアルバムはオリジナルメンバーが3人しかいない状態で作ってます。

しかも、ギターソロはなく、リズムギターは基本ジェイムズ主導で作るので、カークの個性が入り込む余地はほとんどありません。

そしてベースはプロデューサーのボブ・ロックなので、個性は出さず無難にこなしてます。

さらに歌モノの方向性を捨て、ヴォーカル音量を絞っています。

ということはこのアルバムの個性を形作っているのは、ほぼジェイムズのリズムギターとラーズのドラムがメインなんです。

メタルに聞こえないことも、インダストリアルや民族音楽っぽく聞こえることも、全てはこの2つの要素(リズムギターとドラム)が原因なんです。

だからラーズのドラムに関してこれだけ長々と解説したわけですよ。

まあ、

「今さら何言ってんだ?メタリカは初めからそうだろ?」

という声もあるでしょうが、ここまで極端なのは前例がありません。

4th『アンドジャスティス~』でベースの音をスカスカにした時だって、まだカークのソロは光っていたわけじゃないですか?

美しいツインギターのユニゾンも多かった。

その音からはジェイソンがいる気配はまったく感じられなかったけど、カークがいるという存在感は確かにあった。

しかし、今作はカークの存在感さえ消えています。

目をつぶるとジェイムズとラーズしか浮かんでこないんですね。

先述した『ドラムのサスティーンを切らない』にしても、普通は他の楽器のジャマになるから短く切るんですよ。

いかに冒険をしたいとは言えね。

それを逆に

「ドラムの変わった音を聞かせるために他の楽器を減らしているのでは?」

と思えるほど「俺が俺が」と出しゃばってきます。

かつてないほどラーズのミュージシャンエゴが感じられる裏には、ジェイムズとラーズの衝突があります。

また、ジェイムズはアルコール依存症のリハビリのために1年ほどセンターに通っていたり、復帰してからも

「家族のために4時間しかレコーディングに参加しない」

と言い出すなど、バンドの足を引っ張っている『負い目』もあるため、こうなってしまったのかもしれません。

このアルバムはジェイムズとラーズが現実世界そのままに音楽の中で戦っています。

両者一歩も引いていません。

しかし、こんな実験的なアルバムを1000万枚セールスが当然に期待される状況で生み出せる、底の知れない冒険心には頭が下がります。

このアルバムを聴いてその良さが分かった時に、私はメタリカというバンドの揺るがない信念の強さをかつてないほど思い知らされました。

『LOAD』がリリースされた時、

「あれだけブラック・アルバムが売れて、皆が続編を期待している時によくもこんな作品出せたな?」

とある意味、パンク精神の真髄のようなものを感じたものですが、あれは既存のメタルファンを敵に回しても、新規ファンを取り込むキャッチーさがまだあったんですよね。

この作品はもっと強い。

「もともとのファンも新規のファンも知ったことか!」

そんなことは思っていないでしょうが(笑)、少なくとも

「こういう音楽を作ったら皆が喜ぶだろう」

と思いながら作ってはいないでしょう。

これは死ななきゃ治らないレベルです(笑)。

このアルバムこそ私に

「今後どんなアルバムが出ようとメタリカが出したものなら必ず聴き込もう」

と決意させた最強のアルバムですね。

かつてこのアルバムに拒否反応を示したメタリカファンほど是非、もう一度聴いてほしい名盤です。

 

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