『デス・マグネティック』(メタリカ)を聴く。歴史の長いバンドが教えてくれるものとは?
どうもSimackyです。
本日はメタリカの9thアルバム『Death Magnetic』を語っていきますよ。
結論を言うと、私的にはこのアルバムの中で
「この曲は超おすすめでかっこいいから是非聴いてね!」
っていうのは現段階ではありません。
作品の質が悪いと言っているのではありませんよ。
今回はレビューよりもこのアルバムはその制作背景を語ることのほうが、考えさせられることが多いと感じたので、今回はその部分を『解説』させていただきます。
このアルバムは長年メタリカを追っかけてきた多くのオールドファンからすると
「久々にメタリカが戻ってきた」
と感じられた作品だったのではないでしょうか?
聴いてすぐに感じられる、いわゆる「ヘヴィメタル」をイメージさせる音作り。
前作で撤廃されたギターソロの復活。
ザクザクなリフとスピード感。
おかしなドラムの音も鳴ってないし(笑)。
それじゃあさぞかし、
「全メタリカファンが手放しで大絶賛!!」
だったのかというと…
またしても物議を醸す、と(笑)。
大物バンドは大変です。
私はと言うと、この程度では微動だにしません。
6th『LOAD』でトラウマになるほどの苦行を乗り越えた時に、そして前作8th『セイント・アンガー』を聴き込んだ先に彼らの作品に込めた熱量を信じられると感じた時に、
「これは過去と安易に比較するようなことをしてはいけないな」
「長い目で見て自分の感じ方の変化も楽しもう」
と考えるようになったからです。
とにかくメタリカの作品を追っていくと、
「ミュージシャンとは何か?どうあるべきか?」
を考えさせられます。
こんなバンドはなかなかいませんね。
まあ、私は音楽は芸術だとかって堅っ苦しくは捉えない人です。
音楽鑑賞はあくまで娯楽・エンターテイメントなので、重いことを語り出すと『誰にも読んでもらえない記事の一丁上がり!』になります(笑)。
あんまり重くならないように、私なりの解説をお届けしますよ~!
『デス・マグネティック』で大きく変わったこと
今作は全世界で250万枚以上のセールスを記録しています。
チャートアクションでも世界中で1位を獲得しています。
CDの市場は1998年をピークとして年々下がっており、2008年という『ストリーミング配信時代』に250万枚というのは、さすがモンスターバンドといったところでしょうか。
メンバーが3人しかいない状況で作った前作「セイント・アンガー」との違いは2点あります。
ロバート・トゥルージロが加入して初めてのレコーディングということ。
こういう事を言うとかなりコアな、昔からのファンの方には怒られるかもしれませんが、
初代クリフ・バートンの頃から、このバンドにおいてベースはメタリカという個性を決定する重要な要因とは私は捉えていませんでした。
メタリカは印象的なリフと派手でラウドなドラムを聴かせることに主点をおいたバンドであり、ラーズとジェイムズという首脳陣がその方針を変えない限り、ベースの音量自体を上げてもらうことはできないし、個性を発揮させてもらえないでしょう。
それが許されるのはライブの時だけです。
個性が発揮できないのは、本人の実力とは関係ないところに問題があるわけですよ。
問題と言うと語弊がありますので『方針』と言い換えるべきかな?
あれだけ人気の高い初代ベーシストのクリフ・バートンですら、在籍時のアルバムでベースがすごく目立っていたかというと、、、う~~ん、、、。
他にベースがちゃんと聞こえるヘヴィメタルのバンドと比べると分かります。
例えばベーシスト(スティーブ・ハリス)がリーダーであるアイアン・メイデン、ベーシスト(デイブJr)がボス(ムステイン)の相棒であるメガデスなどと比べても明らかに音量小さいんだよな~。
しかし、クリフ・バートンの場合は、メタリカ側から加入を打診した時点で、格上の立場にいたこともあり、発言権は強かったようです。
なのでクリフがコンポーザー(作曲者)として大作主義への進化に貢献したり、ベースが主役となるインストナンバーをアルバムに入れたりといったことができたのだと思います。
なので、ジェイソン・ニューステッドのように後から加わったメンバー(下っ端)にとっては
「こんなはずではなかった…」
って面食らうことは想像に固くありませんが、果たしてロバートはどうだったのでしょうか?
なんと!
意外にも結構聴こえてきます(笑)。
どうして?何が起きたのか?
その理由はまた後で書きますね。
ブラック・アルバムから共にメタル業界を革新してきた相棒のボブ・ロックが外れたこと。
長年連れ添ったプロデューサーのボブ・ロックが交代したことは意外だったし、これは今作の方向性にものすごく影響を与えたのではないでしょうか?
なんと!
ブラックアルバム以降、ずっと変化、変化で進んできたあのメタリカが、前しか見ていなかったあのメタリカが、
過去をかえりみています(笑)。
メタリカは音楽的方向性を最初に大きく変えたのが5th「ブラック・アルバム」です。
それまでこのバンドが支持されてきた核心部分である「スピード感」を捨て去るという、普通のバンドでは考えられないような冒険をしました。
そこからは変化することを己の使命としているかのように「LOAD/RELOAD」、「セイント・アンガー」と大幅に変容し続けます。
それは、もともとの自分たちの姿を思い出すこともできないほど、遠くまで漕ぎ続けた冒険の旅路だったと思います。
私などはメタリカのかつての音楽性への期待は毎度ありながらも、ミュージシャンとしての攻めの姿勢を崩さないメタリカに心底惚れ直し、
「もう何でも来い!どんなのが来たって聴き込んでやる!」
ぐらいに腹をくくっていました。
しかし、そんな構えきった私が肩透かしを食らうほど、今作はヘヴィメタルのフォーマットにぐっと寄せてきたんですね。
一時期はすっかりセレブバンド然として、まるで
「メタル?知らないよ。聴いてる音楽?オアシスとトム・ウェイツだけど何か?」
みたいにさえも見えたメタリカが、まさかの後戻り。
はい、ここが本日の争点です。
彼らはどうして再びヘヴィメタルのフォーマットへと舵を切ったのか?
ヒントはボブ・ロックから交代したプロデューサー:リック・ルービンに隠されています。
リック・ルービンでなければいけなかった理由とは?
リック・ルービンになったから変わったというよりも、本来の自分たちを掘り下げるために彼の特質を分かった上で指名したという意図を感じます。
この人は言わずと知れた90年代を代表する売れっ子プロデューサーですよね。
リック・ルービンがプロデュースを手掛けたアーティストといえば誰が浮かぶでしょうか?
よく例で挙げられるのはスレイヤー、パブリック・エネミー、ビースティー・ボーイズなどが有名ですが、私はまっさきに思い浮かべる作品があります。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズこと通称レッチリの最高傑作と呼ばれる5th『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』です。
私は高校時代、メタリカと同じくらい熱心にレッチリを聴いていたのですが、このアルバムが好きすぎて、アルバム制作のドキュメンタリービデオ『ファンキーモンクス』も観ていました。
そこで目にしたのは、メンバーの一体感が生まれるように、1軒屋をスタジオとして借り、メンバー、プロデューサーが家族のようにその家で寝食をともにしながら音楽を制作している風景でした。
床にあぐらをかいてメンバー間で話し合ったり、夜は焚き火を囲みながら語り合ったり歌ったり。
緊張感がないわけではなく、ほどよい緊張感とリラックスしたムードが漂っています。
音楽を制作するために無用なストレスは全てシャットアウトするような環境づくりがされていたように思います。
環境づくりの上手さ、バンドをチームとしてまとめ上げることに定評があるのがこのリック・ルービンです。
さらにもう1点特筆すべきなのが彼の指導スタイル。
あれこれ指示するのではなく、本人の意思を最優先します。
ティーチングではなくコーチングすることによって本人に気づかせるんですね。
「お前がやりたいことは本当にそれなのか?」と。
「心の底から湧き上がってくるヴァイブレーションを大切にする」プロデュースを行います。
世界の3大ギタリストにも数えられるほどになったジョン・フルシアンテも、あの環境があって覚醒したんだなと今さら思ったりもします。
その前のマイケル・ベインホーンは強圧的なプロデュースで、ジョンとかなり衝突し、やる気を削いだらしいので。
リック・ルービンとはつまりそういう人なんです。
そんな彼が必要だった理由は、この時点でメタリカが抱えていた問題点にあります。
メタリカが抱えていた問題点とは?
メタリカはセイント・アンガーまでの流れを大きく変えるためにリック・ルービンを必要としていたんです。
ご存じの方も多いと思いますが、「セイント・アンガー」の制作風景を捉えたドキュメンタリー映画(DVD)「サム・カインド・オブ・モンスター」でも見られるように、メタリカは前作の制作時にラーズとジェイムズがかつてないほどぶつかり合いました。
新しいアイデアが完全に煮詰まってしまったんです。
それに加え、ジェイムズのアルコール依存症のリハビリ、また戻ってきてからも、バンドよりも家庭を優先するスタンスを取ったことが原因です。
カークもギターソロのカットという選択に内心忸怩(じくじ)たる思いもあったでしょう。
音楽的方向性のみならず、そもそもメタリカを続けていく必要性すら疑問をいだいているような状況。
ラーズとジェイムズが強権発動で進めていく、「あまり民主的とはいえない進め方」も、ここに来て限界を迎えていたのかもしれません。
前作はいつ空中分解してもおかしくないレッドゾーンにまでいっていたんだと思います。
そんなレッドゾーンにまたもや突入するリスクに加え、さらなるリスクがあります。
今作は1986年にジェイソンが加入した時以来、20数年ぶりに新メンバーを加えたレコーディングでもあったわけです。
ジェイソンが加入して突入した「アンド・ジャスティス~」の制作で起きた大混乱(いじめ・ベース音カット)を思い出せば、メタリカにとってメンバーの入れ替えがいかに『鬼門』であるか分かりますよね?
ラーズとジェイムズの強権に付いていくのは、普通の感覚ではかなり難しいのだと思います。
トラブル必至の状況です。
だからこそ、新メンバーを迎えるにあたって、今後の進め方を一度きちんと話し合う必要があった。
そしてこれから先「何を持ってメタリカとするのか?」を皆で考える必要があった。
つまり、メタリカが今回リック・ルービンに白羽の矢を立てた理由をまとめると、
メンバーをチームとしてまとめ、共通のゴール意識を持ち、心から湧き上がってくるアイデアを民主的に出し合える環境づくりをするため
だったのでしょう。
バンドを一旦振り出しに戻そうとしたのではないでしょうか?
それはリック・ルービンの
「レコード契約を勝ち取る新人の頃の気持ちで作れ」
という発言からも分かります。
次作『ハードワイアード~』リリース後にラーズがインタビューで語っていたのですが、
「前作(デス・マグネティック)の制作の時は、とにかくミーティングをかつてないくらい頻繁に行った」
とのことでした。
メンバー全員での共通認識を持つためにも、またアイデアの煮詰まりを打開するためにもメンバー全員の意見を出し合うことが必要だったのでしょう。
そういう制作背景があるため、今回はギターソロも復活してるし、突拍子もない音楽の方向性にも向かっていないし、ロバートのベースもちゃんと聞こえてくる、というわけなんですね。
それでもベースそんなに目立ってはないけど(笑)。
『デス・マグネティック』の特徴
私がこのアルバムを一聴した時の率直な感想は
「やばいくらいの危険な冒険(実験)はせず、スタンダードなことだけでまとめた」
でした。
これまでにやってきたことを発展させたものではなく、このメンバーでの新生メタリカの基本スタイルを確認したように感じます。
「メタリカってそもそもどんなバンド?」を確認しながら作られたもの。
それが多くのレビューで見受けられるように「アンドジャスティス~」を彷彿とさせるものであるのならば、それが彼らの現時点での基本スタンスということなのでしょう。
これが「LOAD」を彷彿とさせるような作品になっていたら、彼らの基本は「LOAD」にあったということだったのでしょう。
メタルファンの皆さん、ひとまず安心してください。
彼らの心の奥にはちゃんとメタルがまだ流れていたみたいです(笑)。
そういうことを考えながら聴き込むと、
「このアルバムを出発点(起点)にして、これから発展させていくからな!」
と言っているようにも感じるんですね。
次作の『ハードワイアード~』と聴き比べると、今作は次作への布石だったと思わずにはいられません。
前評判での『原点回帰』という言葉を聞くと、1~3thの頃のスラッシュメタルに戻すことを指すと普通は思うでしょ?
だから
「ん~?初期っぽくはないよな?がっかり…」
となるんだと思います。
でもそうじゃないんです。
正確に言うと『原点回帰』ではなく『新たな原点の確認』をしたと私は受け取ってます。
かつての作品と比較するのではなく、一旦これが現時点での彼らの等身大の姿だと受け入れることが大事なんじゃないかなと、個人的には思うのですが…。
そうはままならないのがファン心理のようですね(笑)。
こうした背景で作られただけあり、かつての自身の作品の基本フォーマットに忠実に作られています。
だから旧来ファンにとっても「安心して聴ける」作風にはできています。
久々にヒヤヒヤとかドギマギとかしなくていいです(笑)。
一見するとね。
しかし、感性はすでに20~30年以上の時の流れで変化しているので、まったく同じものは出来上がらないということでしょうね。
「LOAD」以降の3作での試みも、間違いなく彼らの血となり肉となっているのが分かります。
「アンドジャスティス~」のセルフオマージュに思える箇所がいくつか散見されるのですが、そんなプレイの中にも「LOAD」や「セイント・アンガー」の匂いが必ずついて回るんですよ、どの曲にも。
その意味では今作は集大成でもあると言えます。
ただそれは『集大成の要素がある』というだけで、「これが俺たちの集大成だ」という意図と意気込みで作られたものではないと思います。
とにかく変な冒険をしていない分、あまり賛否の分かれるような曲もないし、曲が全て長尺の割にはどの曲もダレずに聴けるのが今作の特徴。
ツルッと聞けます。
しかし、レビューを読んでいて一番多いコメントが
「この曲!っていうキラーチューンがない。フックが弱い」
ですね。
私もおおむね同意見です。
どの曲も”フック”はあんまり感じませんでしたね。
ですがそれは悪いことではないと思ってます。
”フック”というのは、もともと「引っかかる」という意味で、
曲を聴き終えた後に、思わず口ずさんでしまうような印象に残る歌や楽器のメロディ(フレーズ)があるかどうか?
を指す音楽用語として使われます。
このフックの弱さゆえに、レビューなど数回聴いた時点で感想を述べているようなものには批判的意見が割と多いのかな、と。
このフックの弱さを「意図的」と見るのか、「才能の枯渇」と見るのか?
どのように受け取るのもあなたの自由です。
ドリームシアターやメガデスの記事でも書いてきたことなのですが、音楽ってフックがあればいいというものではなく、わりとすんなり好きになったものが意外なほど飽きるのが早かったり、
「ん?なんか最初思ったほどあんまりいい曲じゃないぞ?」
となったりすることがあります。
逆にどれだけ聴いても好きになれなかったものが、しばらく放置しているうちにある時、ライブビデオを見ていたらえらくかっこいいと感じて、オリジナル聞き返してみたら大好きになったり…。
なのでフックが弱いとかいうことは、音楽の特性の一面でしかなく、曲の出来の善し悪しを測る基準ではないと思っています。
ただ、そもそも「フックが弱い」と感じるかどうかも人それぞれで、中には聴いてすぐに大好きになったという方もいらっしゃいますから、決めつけはいけません。
彼らのこれまでの作品にはそういう質のものもかつてありました。
「アンドジャスティス~」や「セイント・アンガー」がその代表ですね。
いわゆる『スルメ盤』というやつです。
今作は一見すると、ヘヴィメタルファンに馴染みのあるフォーマットで作られているため、最初は
「これだよこれ!ちゃんとメタルできるんじゃん!」
とテンション上がるのですが、2回3回と聴くにつれ
「あれ?なんかぐっと来るものがないな…」
といった手応えです。
このフックのなさはかつてないかもしれませんね。
なのでかなり聴き込んでからじわじわと好きになっていく感じでしたね。
はい、というわけで、本日は「デス・マグネティック」の解説でした。
こういうパッと聴き地味なタイプのアルバムってわりと後から大化けすることが多いんですよね。
まあ、「アンドジャスティス~」も「LOAD」も好きになるのに3年位かかったし、「セイント・アンガー」に至っては10数年かかったわけなので、気長に「ツボる」日が来るのを待ちますよ、わたしゃ。
それではまた!