『アート・オブ・ライフ』X JAPAN 芸術とは何だ?他者との共存を拒んだ魔物
どうもSimackyです。
本日はX JAPANの1993年リリース、『ART OF LIFE』を解説します。
アルバムと呼ぶべきか?シングルと呼ぶべきか?
デビュー時から音楽産業の既成概念をぶっ壊し続けてきたXが、またしてもやってくれた規格外作品です。
このアルバムがどれほど異常な作品なのか?
たっぷり語っていきますよ!
『ART OF LIFE』が発売されるまでの産みの苦しみ
1993年にリリースされた本作なのですが、実はYOSHIKIがこの曲を作ったのは1989年の『BLUE BLOOD』ツアーの頃に遡ります。
1曲叩くだけでもボロボロになるXの激しい楽曲を2時間ライブするだけでも奇跡なのに、それをツアーなんてやった日にはどうなるのか?
失神します。
何本目かのライブでドラムソロを終えた後、失神したYOSHIKIはそのままドクターストップ。
残るツアーは全部キャンセルとなります。
ツアー当時は過労で上半身が腫れ上がり、それが肺を圧迫して呼吸するのも困難な状況だったとインタビューで語ってます。
そんななっても続けるってどんな精神力?
ちなみに私はドラマーですけど、『紅』1曲を最後まで叩き切るだけでも本当に至難の業なんですよ?
で、しばらくは絶対安静という中で病院のベッドで書いたのが本作の始まりなんです。
なので、かなり早い段階で熱心なファンにもその存在は知られていました。
そして次作『JEALOUSY』に収録してダブルアルバムにする構想だったんです。
しかし、この『JEALOUSY』の制作は困難を極めます。
TOSHIが声が出なくなり、喉の手術をすることに…。
さらにTOSHIがカムバックしたと思ったら今度はYOSHIKIがヘルニアの激痛で倒れます。
押しに押すレコーディング。
結局、収録予定だった『サディスティック・ディザイア』『スタンディング・セックス』そして本作『ART OF LIFE』の3曲はアルバム収録を断念し、1991年3作目の『JEALOUSY』がリリースされます。
その後アルバム未収録となった『サディスティック・ディザイア』『スタンディング・セックス』はシングルで早々とリリースされるのですが、ここからが難産。
待てども暮せども出て来ない『ART OF LIFE』。
海外進出を睨んでレコード会社の移籍、ベースのTAIJIの脱退、新ベース探し…とトラブルはありましたが、何より最大の理由は
YOSHIKIの完璧主義
これでしょう。
それまではレコード会社のプレッシャーがあったわけですよ。
「費用がかさむからスタジオは●月●日までしか使っちゃ駄目」
という締切があるわけです。
しかし、この頃のYOSHIKIはLAにある有名スタジオ「ワン・オン・ワン」を自腹で買い取っていたため、締切をそこまで強く意識しなくてよかったんじゃないかな?
徹底的に納得の行くまで作り上げられました。
地獄だったのはTOSHIのヴォーカル録りで、あれだけ何ページにも渡る歌詞の量なのに、1日中レコーディングして1行も進まなかったほど、YOSHIKIに何度もやり直しをさせられます。
TOSHIの英語の発音にYOSHIKIは納得できなかったんです。
しまいには声が出なくなり声帯に直接注射を打って、声帯を広げてレコーディングを続けたらしいので、レコーディング中に副作用で目眩がしたとか。
これが8ヶ月も続いたんですよ?
…想像するだけで背中に冷たいものが流れます。
YOSHIKIもYOSHIKIでクビの激痛が再発しないようにギプスを付けてドラムを叩いているとのことで、下が見れないからドラムを見ないでレコーディングしたという逸話もあります。
化け物アルバムを生むためには本人たちも修羅にならねばならないのでしょうか?
レコーディングが終わって本作を通して聴いた二人は泣いて抱き合ったらしいです。
で、「うおーっ終わったぁー!!」とか言ってワン・オン・ワンスタジオをぶっ壊しまくったらしいです。
で、地元のニュースで取り上げられると(笑)。
相変わらずむちゃくちゃです。
そして『JEALOUSY』からたっぷり2年もかかってようやくリリースにこぎつけたというわけですよ。
『JEALOUSY』に収録できなかったことについてYOSHIKIは言います。
「『ART OF LIFE』が他の曲との共存を拒んだ」
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
「お…恐れ多いのですが、それはあなたの進め方と気持ち次第ではないんでしょうか?」
とツッコミを入れたくなったのは私だけではないでしょう。
レコーディングが押して収録できなかったことをこれだけかっこよく言えるのはYOSHIKIだけです。
ロックの世界における芸術の追求が頂点に達した作品
XのリーダーYOSHIKIといえば数あるアーティストの中でもひときわ浮世離れ感が強い印象があるかと思います。
放っているオーラというか、天然っぽいところというか、伝え聞く伝説の数々もそう物語っていますよね。
でもね、芸術を志す人なんて皆どっかネジが一本飛んでるんだと思いますよ。
本作『ART OF LIFE』を聴いているとそう思わずにはいられません。
こんな作品は常識の範囲内にいる人ではおそらく生み出せないでしょう。
4作目のフルアルバムとは言え、収録曲はたったの1曲。
それは組曲的にトラックが分かれているということではなく、1トラックのみで30分(正確には29分)。
プリンスみたいに10曲を全部つなげてスキップ出来なくしたような意地悪とは違います(笑)。
純粋に1曲です。
どうして私が先程「ネジが飛んでないと生み出せない」と言ったかというと、相当な反発が予想されるからです。
ファンから?
いいえ。
そう、レコード会社からですよ。
通常、アルバムというのは発売前に先行シングルを出して、それを有線やカウントダウンTVやラジオで流してもらうんですよ。
そうして音楽番組なんかにも出演してプロモーションをこれでもかとやってから、いよいよアルバムを発売するんです。
けれどもですよ?
1曲しかないから先行シングル出せない(笑)。
まあ、この曲はアルバムともシングルとも呼べるのですが、こんな30分もある曲が有線やラジオで流せますか?
絶対流せない。
ということはプロモーションがやりにくいわけです(CMくらいかな)。
そんな売れるか売れないかわからないものをレコード会社は売りたくないでしょう。
だからレーベルはアーティストに「ラジオ用の3~4分の曲」を求めるんです。
けれどXはデビューシングル『紅』のころからずっと6分オーバーの曲をシングルカットしてます。
もう全く無視してます。
音楽業界のフォーマットに合わせて自分の芸術作品を歪めたりは決してしません。
でもことごとく売ってるんですよ、これが。
こんなものを通せるのはよほど実績のあるミュージシャンでも一握りだと思います。
3作目『JEALOUSY』を発売1週間でミリオンセラーに持っていったXの販売力、そして会社のお偉方を辛抱強く説得する会議を重ねてようやく発売にこぎつけると思うんですよ。
このワガママを貫く精神力のタフさもすごいですが、「1分たりとも縮めてたまるか!」というミュージシャンエゴにもここまでくると頭が下がります。
芸術とは「周りの都合には従わねぇ」という心意気のことなのでしょうか?(笑)
YOSHIKIは言います。
「1曲が3~4分というのはそれを販売するレコード会社の都合であって、いい曲を作るための都合ではない」
YOSHIKI名言出ました!
まったくもっておっしゃる通り。
どうしてこの人は残す言葉がいちいちカッコイイんだ(笑)。
でもね、こんな偉そうなことが言えるのは、なんだかんだでしっかり売るからです。
だって『ART OF LIFE』のセールス枚数は
52万枚なんですから。
シングル先行発売もテレビ出演での演奏もできない、こんなプロモーションかけにくい問題作をゴールドディスクまで持っていくんですよ?
これがXのすごいところで、本来であれば一般大衆に聞かせる音楽内容ではないような芸術性の高い作品を、一般大衆レベルに浸透させる力。
これがXの時代を変えるエネルギーなんですね。
こんなまね誰にもできませんよ。
”美”を貫いてきたYOSHIKIが全てを生々しくさらけ出した作品
本作はX名義ですがYOSHIKIの私的作品としての色が非常に濃いです。
まさにYOSHIKIの人生観をそのまま楽曲に落とし込んだ怨念のような曲です。
その怨念がどれだけ凄まじいかをお伝えするために、私が本作を聴いた高校1年生の時の様子をお話します。
「Xには究極の芸術作品があって、それが1曲で30分もある。YOSHIKIの人生すべてが楽曲に込められている」
ということは事前に噂で知ってはいました。
もうこの触れ込み聴いているだけで身構えないわけがないじゃないですか?
安易に聞き流せるような作品ではないことがひしひしと伝わってきます。
CD流す前にあんなに緊張したことは人生であの1回きりです。
「果たして30分もある曲を最後まで集中力を切らさず聞くことなんてできるのか?」
その不安はありました。
最初の印象は「速い!」。
30分あるんだからクラシックみたいに大きな展開を見せるのかと思いきや、バリバリにいつものX全開で突っ走ります。
血気盛んな高校生の頃なんて「紅」でエアードラムして「オルガスム」や「アイル・キル・ユー」でヘッドバンキングしていた頃です。
いい音楽かどうかなんて『曲の速さ』で決めていたような私が、
「なんか重い作品だからじっくり聴かなきゃいけないんだろうな…」
とか心配していたところにまさかのスピードチューン!
しかし、Xの最大の魅力(と当時信じて疑わなかった)であるスピードという要素があるのに…
頭を振ろうなどとは全く思わせない作風。
これが本作の『重さ』です。
同じ速さでも『オルガスム』や『X』とはぜんぜん違うんです。
そんな安易な聴き方をさせてくれる雰囲気は全く無いんです。
ただ事じゃないほどシリアス。
圧倒的なまでの緊張感と怒涛のメロディの洪水の前に、身じろぎひとつできませんでした。
よくもまあこれだけのメロディを思いつくものだというほど、次から次へメロディが波状攻撃で畳み掛けてきます。
TOSHIのヴォーカルは『JEALOUSY』とは全然違い、洗練されすぎており、声質がもはや『国宝級』の領域に踏み込んでいます。
一旦ブレイクして静かにピアノソロが始まったと思うと、本作中最大の試練『不協和音の嵐』が訪れます。
ほぼインプロヴィゼイション(即興演奏)で録られていますが、実は考え抜かれていて、いくつものピアノパターンが津波のように襲いかかってきます。
感情のままに叩きつけているわけではなく、全てが考え抜かれて狂気が表現されています。
「こんなものロック的なパフォーマンス」
「ピアノソロいらない」
と受け取る人もいますが、私の意見は全く違います。
これでなければいけないんです。
YOSHIKIの人生を表現するために不必要なものは、この作品には1秒たりとてありません。
これを要らないという人は最初から聴かない方がいい。
いえ、この作品に向き合う資格が無いと言っていいでしょう。
私が本作で一番鳥肌がたったのは、ピアノ・ソロの究極のカオス部分。
そしてピアノ・ソロが終わったところからオーケストラが愛情のように優しく包み込み収束させていく美しさですね。
狂気がなければ愛の深さも描ききれないのだなと。
Xの楽曲の持つ感情移入の度合いが並じゃないのは、これまで様々な名曲によって証明されてきました。
『紅』や『サイレントジェラシー』などに込められた激情は、中学生の私の人生観を変えるほど凄まじいものがあったんです。
しかし、その名曲たちとも明らかに異質。
『サイレントジェラシー』の拡大バージョンみたい、とも言われることがありますが根本的に全然違います。
それは『存在している次元』が違うからです。
それまでの曲はギリギリ『エンターテイメント』の次元であったのに対し、本作は『芸術』の次元です。
先程述べた約10分におよぶピアノソロが、本作をしてこれまでの曲とは別次元の領域に存在させていると言ってもいいでしょう。
なのでこれまでの感覚で油断して近づくと火傷します。
「Xの曲は全部お気に入りですぅ」とかいう、「見知った仲」という馴れ合いを一切許してくれません。
例えるならば、旧友を駅で見かけて
「ほらほら、俺だよ!高校1年の時同じクラスだった!」
って愛想よく近づいていったら、ものすごい冷たい目で見られる。
目つきが以前と別人。
只者じゃないオーラを放ってる。
「こ、こいつ俺が知ってるあいつ(X)じゃない…」みたいな。
どんな旧友だよ(笑)。
間違いなくX以外の何物でもないんだけど、これまでのXと全然違う。
それになんというか、『人間の根源的な問い』を突きつけられるような気持ちになるんですね。
皆なんとなくうっすら気がついているけれど、あえて臭いものには蓋をして、そこから目を逸らしていたものを「ボン」っと目の前に置かれたような気分というか。
例えるなら、一人暮らしをしていた頃に、まだ半分くらい白米の残った炊飯ジャーを「やばいかな~?」と思いながらも真夏に3ヶ月もほったらかしにしていて、ある時家に来た親が「あんた!ジャーの中がえらいことになってるよ」と「ボン」と目の前に置かれた時の気分というか…。
「いや~~~~っ!!見たくなかった現実…」
だからどんな例えだよ(笑)。
『根源的な問い』を『黄色く変色した残飯』と一緒にするな。
本作はエンターテイメントではないんですよ。
「その領域に踏み込んだらもはやエンターテイメントとは呼ばないよね」
っていう『ある一線』を超えてきます。
格闘技で例えればグローブを付けて殴り合っていればルールに則った試合=ショウ=エンターテイメントが成り立ちます。
しかし、素手で目突きも金的も首絞めもありであればそれは『生きるか死ぬかの生々しい殺し合い』以外の何物でもありませんよね?
エンターテイメントではありえません。
現代の音楽は基本的にはポピュラー音楽、つまりエンターテイメントなんです。
ロックはその範疇に入ります。
しかし今回のXはグローブを外しているんです。
普通、心の機微を歌うのも、『共感を誘って楽しませる』というエンターテイメントの範囲の中でしかないんです。
けれど、本作は『この範囲を超えてはいけない』というエンターテイメントのタブーを犯してます。
ガチすぎなんです。
「な?お前も分かるだろ?」という共感など全く求めてきません。
ただそこにある苦悩に喘ぐ姿が描かれるだけ。
エンターテイメントではないので、美化されていないしオブラートにも包まれていない。
さらに別の角度から例えましょう(例え多いな今回)。
戦争ものの映画ってそこにドラマがあって、悲劇にしてもなんにしても結局は楽しませる娯楽として作られています。
それが以前のXの楽曲です。
いろんな感情を全て”美”に昇華させて感動させる。
しかし戦争のドキュメンタリーであれば、そこには脚色はなく、ありのままの残酷さが映し出されますよね?
生々しく容赦がない。
それが本作というわけです。
色んな感情が美には昇華されず、混沌としたままのものをただボンと置かれただけ。
そこに感動のドラマや救いなどありません。
聴き終わったら
「え、え~~~…」
ってなります。
おそらくそれまでのXが大好きな人が安易に求める感動はそこには用意されていません。
素晴らしく美しくスリリングなメロディなのに、ただただ心が痛い。
というよりあの時感じたそれは『恐れ』に近かったのかもしれません。
ただただ怖かった。
「オレはこの曲の存在が怖いんです。だから早く完成させて過去のものにしてしまいたかった」
作ってる本人にここまで言わせるんです。
感受性の強い年頃の私はこれを普通に楽しむことなんてできませんでしたよ。
一回聴いた後はその日はもう聴こうと思いませんでした。
鬼リピ?
絶対できない。
しようとも思わない。
聴き始めた途端、全力で聴かなければならない。
そこから目をそらすことはできない。
そういう作品がこの大作『ART OF LIFE』なんです。
好きか嫌いか?
正直言って分かりません。
そういう次元で語れる作品ではないんです。
こんなこと書くと皆怖がって聴かないだろうけど、こればっかりは
「覚悟のある人だけ聴いてください」
としか言えません。
ただ、通常の音楽が与えてくれない『何か』を持っていることは保証します。
そこに何を感じるかはあなた次第です。
少なくとも、ロックというエンターテイメントの世界でもこういう作品を生み出しうるんだと、ロックの可能性を知ることができるでしょう。
本作はXの全カタログの中でも異質です。
ここで音楽的方向性が変化したということはなく、本作だけに見られた作風ですね。
次作『DAHLIA』ではエンターテイメントの範囲の中に戻ってきますからご安心ください。
本作はCDで聞くことをオススメします
本作は全編英語歌詞となっており、日本語は一切ありません。
もともとXの楽曲は非常に英語の構成比が高かったのですが、海外進出まで睨んでいる本作は全編丸ごとになりました。
しかし、ブックレットには日本語訳がついています。
このため、本作はこれまでの楽曲に比べ歌詞がより深く分かります。
なぜなら、これまでのXの日本語の曲の中に入っている英単語には、訳などついていない(これはどのアーティストでもそう)ので、意味が分からない歌詞が必ず含まれていたという状況とは違うんですね。
それから、本作は待望の新作だったため、ライナーノーツも気合入っていて、いつもの津田直氏さんに加え2名が書いています。
これが非常に読み応えがある。
私は歌詞を読まない派だし、現在はCDではなくストリーミング派なので、CDで聞くことなんてないのですが、このアルバムを聴くときだけは別。
ちゃんと歌詞を読んでどっぷり世界に入り込みます。
なので、もしこの記事を読んで興味が湧いた方はストリーミングではなくCDで聴いてみてください。
こんな時代にあって、CDで聴く価値がある音楽なんてそうそうありませんよ。
この記事が、本作が100年語り継がれる一助となれば幸いです。
『no music no life!』
”音楽なしの人生なんてありえない!”
Simackyでした。
それではまた!