【JOJOは漫画がおもしろいっ!】『アニメだけを見たという人』に伝えたいその理由は!?
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こんにちは!
Simackyです。
これまで『JOJOのロックな冒険』シリーズとして、荒木先生と切っても切れない『音楽』とJOJOを絡めたやたらと長い解説シリーズを1~5部まで書いてきました。
今回から短編集としてJOJOの魅力を色んな角度から切り取って行きたいと思います。
第1回となる今回は、アニメではない漫画原作の魅力に迫ります。
「実はまだJOJOはアニメでしか見たことがない」
といった方も一度原作を手にするきっかけになれば幸いです。
別に
「漫画読んでなきゃJOJOを理解したうちに入らないぜ!」
とか言うつもりはありません。
JOJOがいかに新参者にハードルの高い漫画かは、重々分かっているからです。
私がJOJOの漫画原作をおすすめする理由は
●荒木先生の絵は非常に情報量が多く、後からじわじわハマってくる
●アニメで見た人には入りやすい
●吹き出しや擬音などの細かいテイストが楽しめる
荒木先生の絵は後からじわじわハマってくる
癖のあるキャラとの相性
JOJOを読まない人の理由は「絵が気持ち悪い」。
これはもうリアルタイムでジャンプで連載が始まったときからの鉄板の理由ですね。
他にも「話が難しい」とか「能力が複雑」とか、理由はたくさんあります。
あると思いますが、ダントツで多いのが「絵」に関してでしょう。
その抵抗感たるやいかがなものかって、こんな記事書いてる大ファンの自分自身ですら、
かつて何度もジャンプで読めなくなった期間がありました。
各部によって画風が変わるから、3部⇨4部、4部⇨5部とシリーズが変わるタイミングで必ず挫折しましたよ(笑)。
でもしばらくしてコミックで読み返すとその絵に虜(とりこ)になっていく自分がいたんです。
それはなんでかって言うと、理由の一つは『世界観やキャラの魅力』なんだと思います。
特にキャラに関しては
「こんなきったねぇセリフを少年誌でよく掲載できるな」(失礼!)
みたいな毒のあるキャラ性と絵がマッチするんですよ。
というより、もはやこの絵じゃなきゃはまらないんですね。
『このビチグソが!!』
『テメェのキン●マ、噛み切ってやるぜメ~~~ン!!』
などなど。
こんなセリフを、例えば最近、人気沸騰中の『スパイファミリー』のアーニャに吐かせられますか?
はい、想像してみてください…。
・・・・・・・・
うーーーん。
ですよね(笑)。
荒木ワールドの毒性の中毒になってくると、
『このキャラにはこの絵しかないんだ』
ってことに気がつくんですよね。
至る所に見られるこだわり
例えば、漫画読んでいて
「ああ、読んでたらなんか無性にこれ食べたくなってきた」
とかっていう経験は誰にでもあると思います。
そういうことがJOJOの場合は圧倒的に多いです。
ジョセフがイカスミスパゲティを食べていれば、当時小学2年生の私が、湯がいたこともないパスタを湯がいてまで、スーパーにイカスミソースを買いに走ってまで作ろうとしました。
トニオさんが『カプレーゼ』を出せば、そんな料理、まだ日本ではほとんど知られていなかった頃にもかかわらず、自分の家にあるチーズとトマトでやってみようとしました。
けれども、JOJOがすごいのは、この影響力が食べ物だけじゃないところなんです。
例えば、岸辺露伴が使っているGペンを見れば、万年筆を買いに行って使ってみたり。
ジョセフがダービーと賭けをする時、水をなみなみと入れたコップにコインを入れていくゲームをすれば、さっそくガチャガチャでゲットしたコインでそのゲームをやってみたり。
仗助がかっこいい双眼鏡の持ち方をしていたら自分もその持ち方をやってみたくて、バード・ウォッチングしてみたり。
人はどうしてこのようにJOJOに影響されるのか(私だけか)?
どうしてJOJOで見たシーンに聖地巡礼で訪れたくなったり、JOJOに出てくるアイテムをその手に握ろうとしたり、JOJOで出てくる料理を自分で作ってみてまで食べたいと感じるのでしょうか?
それは荒木先生が徹底的にリアリティにこだわっているためです。
リアリティっていうのは「ホンモノに近い」っていうことですよね?
それなら写真こそ最もリアリティがあるわけで、漫画では写真のリアリティには及ばないはず。
普通はそう思いますよね?
しかし、料理の写真を見ていても食べたくはならないのに、JOJOで読むと食べたくなってしまうのはどうしてか?
双眼鏡なんて昔から家にあったにも関わらず、JOJOを読むとそれを手にとって、バードウォッチングをしている自分を誇らしく思ってしまうのは何故か?
そしてこれらはアニメ版を見ていても起きないのに、漫画原作を読んだときだけに起きるのは何故か?
それは荒木先生の絵が写真以上にリアルだからです。
写真では伝えられないものまで伝えている
からです。
料理の写真はどんなにそのものを正確に写していると言っても、味や香りまでは伝わりません。
けれども、荒木先生の描く料理の絵には、香りが漂ってきます。
出来立ての熱々感も伝わってきます。
食べていないのに味まで伝わってきます。
露伴の持つGペンからはずっしりとした重みだとか、長年使い続けたグリップが手に馴染む感じとか、紙に描く時の書き心地まで伝わってきます。
伝わってくると言うより、正確に言うと、まるで自分が書いている時の手触りだとか、重みだとかがリアルに、しかも具体的に想像させられるんですよ。
それが『リアリティ』の正体であって、写真は『正確』ではあっても『リアリティ』はないんです(撮り方にもよりますけど)。
どうして荒木先生の絵にはそういう力があるのか?
それは荒木先生が単なる「写生・模写」をしているのではなく、
『感じたことを解釈して、それを表現して伝えようとしている』
からだと思います。
その料理にはなんの食材が入っているのか?
特徴的な食材はなにか?
どういう風に作られているのか?
こだわりや他と違う特徴は何か?
どんな味か?熱いか冷たいか?
食べやすいか食べにくいか?
実際に自分で作ってみたり、食べてみたりした上で、
「これを伝えたい」
という荒木先生が解釈したものが描かれているからなんだと思います。
なので絵が語りかけてくるし主張してくる。
料理を例に挙げましたが、これは双眼鏡だろうが、Gペンだろうが、コインだろうが同様です。
自分で手にとって使ってみているはずです。
さらに言えば、町並みであったり、風景であったり、建築物だったりも同様です。
その場にロケに行き風の匂いや人々の放つ雰囲気なんかを感じてみる。
建築物は実際その部屋で居心地を確かめたり、設計図まで見てみたり、どういう技術が使われているのか調べてみたりしているはずです。
つまり、JOJOの絵には『なんとなく書かれたもの』などないのです。
絵に込められた情報量が圧倒的に多いため、何度読んでも新しい発見があります。
全て『これを伝える』という明確な意志を持って書かれています。
だから普通の漫画であればさらっと読み流してしまう背景だったり、建物だったりを「ん?」と気になって読み返してしまうんです。
例えば『ハイキュー』を読んでいて、試合をしている体育館が気になって何度も見てしまうなんてことはありません。
『ハイキュー』と言わず、そんな漫画なんてほとんどありません。
けれども、JOJOでは例えば『チンチロリン』をやっている時の露伴の家が
「これどういう作りになってんだ?」
と気になります。
吉良吉影のボタンを辿って寄った『靴のむかでや』のクラシックな内装に目が惹きつけられるんです。
絵に対するこだわりや、絵を描くに当たっての準備など、本来企業秘密である部分を余すことなく出血大サービスで語っている『荒木飛呂彦の漫画術』にはこうしたことがたっぷり書いてありますので、これ読んだら、原作の絵に対する抵抗がなくなるどころか、これまで以上に好きになると思いますよ。⇩
また、『JOJOマガジン』でもこうした荒木先生のこだわりが分かるインタビューなどが掲載されていて読み応えがありますよ。
この荒木先生の『絵』が放つ圧倒的な魅力を是非、原作で味わっていただきたいですね。
アニメで見た人には入りやすい
ジョジョという漫画は、ただでさえハードルの高い画風に加え、能力も複雑でそこに駆け引きも入ってくるもんだから、初心者はこのダブルパンチにやられます。
けれども比較的、絵に癖がないアニメで一度観た人であれば、ストーリーや能力なんかはだいたい頭に入っているから、ダブルパンチにはならないで済みます。
そうなってくると、より絵を味わうことができるようになります。
荒木先生の大コマでのバシッとセリフが決まったときの絵はかっこよすぎです。
あの独特のタッチだからこそ匂い立つ妖艶な雰囲気はJOJOならではです。
とくと味わってください(笑)。
この独特の色気や凄みは残念ながらアニメでは表現できませんね。
それは作者である荒木先生の絵に『似せたもの』であって、自らが書いたものではないからです。
さらに言えば、白黒ではなくカラーで読むことをおすすめします。
JOJOはあらゆる漫画の中で『カラーになることによるメリット』がもっとも大きい漫画だと思います。