X JAPANリーダー・YOSHIKIのすごさ『パンク精神』
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
本日語るのは、Xのリーダーであり、エクスタシー軍団の総帥、ヴィジュアル系縦社会のドン、稀代の革命児にして100年に1人の作曲家、そう!
YOSHIKI
です。
彼の破天荒な生き様やパンク精神をたっぷり語っていきますよ~!
現代ではあまり知られていませんが、彼の当時の伝説は枚挙に暇(いとま)がありません。
HEYHEYHEYで語っていた『カレーが辛くて帰った事件』などはほんの氷山の一角。
曰く
「ホテルの部屋が狭いと行って3階の部屋からベッドやテレビを投げ捨てた」
「オールナイトニッポンのTOSHIの曜日に、ベロベロに酔っ払ってゲスト出演し、火を吹くなどの酒乱行為におよび、ほぼ放送事故並の状況だった」
「インディー時代に暴れて破壊した居酒屋は数しれず、弁償金額が数百万円になることもあった」
などなど。
近年になりYou Tubeにおいて、GacktやLUNASEAのメンバーなど、近しいミュージシャンによって語られる事実にも、これらと近いものがあり、どうやら
過去の伝説は本当だった
ことが一般の人々にもうっすらと信じられるようになってきたのかなと(笑)。
そりゃそうでしょう。
「芸能人格付け」なんかで、お上品に出演している今のYOSHIKIしか知らない世代には、想像もできないでしょうから。
まあ、オールナイトニッポンの事件に関してはYou Tubeにも上がってますし、他の伝説にしてもXのメンバーのインタビューでとっくに分かっていたことではあるのですが。
しかし、こんな伝説の類は単なる凶暴な性格を表したエピソードであって、彼の本質的なパンク精神をあらわしてなどいません。
彼のパンク精神はもっと深いところにあり、そこにこそ我々が学ぶことがあるのです。
それじゃあ、我らがXの総大将はどのへんがパンクだったのか?
語っていきますよ。
そもそもパンクとは?
『パンク』って音楽ジャンルを指す言葉でもあるのですが、精神的なものを指しても使われます。
その場合は
「これってパンクだね=これってロックだね」
となります。
ようは、精神的な意味でのパンクは、
『既成概念に対する反発』
ですね。
「音楽はこうあるべきもの」
さらに広義に捉えると
「世間一般的にこうだと決められているもの」
に反発するっていうのが精神的な意味でのパンクですね。
Xには、そしてYOSHIKIの生き様にはパンクを感じます。
それはどういうところにあるのか?
そこが本日の焦点です。
’80年代中盤のロックシーンってどういうものだった?
Xといえば物凄く分かりやすい歌謡曲のような歌メロと、最も激しい音楽であるスラッシュメタルサウンドの融合ですよね。
サウンドだけ取れば、とてもチャートの上位に食い込み市民権を獲得するような音楽ではありません。
そこにTOSHIの伸びのあるハイトーンボイスの分かりやすい歌メロが組み合わさることで、
一般リスナーにまで届く音楽として成立しているのがXの凄いところです。
そしてあのけばけばしい派手なルックス。
分かりやすいキャッチーな歌メロに、一度見たら忘れないヴィジュアル。
現代の感覚で見ると
「思いっきり売れること全力でやってるじゃん。どこがパンクなの?」
と思われるかもしれません。
しかし、実は当時の時代背景を考えると、まったく『逆』の真実が見えてきます。
1980年代中期、日本のヘヴィメタルの常識としては、いえ、ロックの常識としては
「化粧なんかの見た目で話題を集めようとするな。ちゃんと音楽で勝負しろ」
「一般大衆に迎合しようとするな。ロックはアンダーグラウンドじゃなきゃ駄目だ」
「テレビに出ちゃ駄目だ。ライブハウスで地道に努力しろ」
みたいな空気感があるわけですよ。
今の人の感覚からするとちょっと違和感あるかもしれませんが、当時はXみたいなのは音楽雑誌や批評家から相当叩かれるわけですよ。
曰く、
「ヘヴィメタルじゃなくて歌謡曲だ!」
「見た目だけで売れようとしているだけのバンド」
というわけです。
今思えば、’90年代にヴィジュアル系ブームが起きるなんて、想像もできない空気感ですよね。
それがそうなってしまったということは、Xの登場で音楽シーンのトレンドさえも変わってしまったということです。
「良いのもは良いんだよ」
1980年代中期の日本のロックシーンでは、
『アンダーグラウンドこそが美学』
であった時代です。
「これが分からないヤツはロックが分からないヤツだ。てめぇらなんかに分かってたまるか!」
こんな感じだったんだと思います。
それは実はXのメンバーであるHIDEやTAIJIも例外ではなかったんですね。
TAIJIなんかはXの音楽性が大っ嫌いだったと語っています。
「ほとんど歌謡曲にしか感じなかった」
とさえ言ってました。
耐えきれずに一回Xを辞めてます。
HIDEは逆にYOSHIKIの
『ロックらしさに縛られない自由さ』
に影響を受けたと語っていました。
HIDEはX加入前、先述した
『アンダーグラウンドこそがロック』
という典型的な考え方をもっており、それは彼が以前率いていたサーベルタイガーの音楽性をみても明らかです。
『純粋に心を打つものであれば良いものは良い』
と、歌謡曲のような歌メロを、全くためらうこと無く楽曲に取り入れるYOSHIKIに、衝撃を受けたといいます。
実際、デビューメンバーが固まる前の『紅』なんかほんとに歌謡曲ですよ。
違法アップになるのでここでは紹介できませんが、You Tubeを探せばその頃の動画が見つかるはずです。
この頃はかなり速い曲もすでに何曲もあるのですが、ミドルテンポの曲ではYOSHIKI特有の歌謡曲的歌メロが目立ち、さながらアニソンのようにさえ聞こえます。
実際、ミドルテンポの曲ではその方向性についていけないのか、観客からも
「速い曲やれ~!」
とかやじが飛んでいた頃です。
観客と演者との喧嘩なんて珍らしくもなかった時代ですから。
現代の我々の感覚からすると一見、売れ線を意識した
『大衆迎合の曲作り』
にも見えますが、当時彼らの主戦場はJポップを聴いている一般人ではありません。
かなりコアな客層であるインディーシーン/ライブハウスシーン。
野郎どもが頭振りまくって暴れまわるために詰めかけとるんですよ?
つまり極端な話
ライブハウスに集まるファンが求めていないもの
を提供していた側面もあるということになります。
歌謡曲的なメロディを取り入れるのは、ファンが求めるからではなく、売れるためでもなく、
単に自分がいいと思っているから
なんです。
そんな観客からも批評家からも
『白い目で見られる』
状況下において、そうした楽曲をためらうこと無く演奏すること自体、かなり異色なことだと言えますね。
自分たちをこき下ろした評論家にケンカ売るために、わざとやっているようにさえ感じる(笑)。
皆さん、例えばですよ?
「メッターーーリカーーー!!!」
って叫んでるゴリゴリのメタルファンで埋め尽くされたライブハウスで、
メタリカが10曲中4曲くらい
AKB48のカバー
を演ったらどうなると思いますか?
怖いでしょ?(笑)。
こんな人達が最前列に並んでるライブハウスで、平然と歌謡曲のようなものをやれる度胸もすごい。
「分かんなきゃ調べりゃいいんだよ」
当時インディーシーンでのし上がるには、鉄則みたいなパターンがあったようです。
まず、ライブハウスである程度お客が呼べるようになったら、レコード会社のスカウトマンや雑誌の評論家あたりをライブハウスに招待します。
で、ライブ終わったあと、彼らに感想や意見を求めて、それを神からの啓示のように、一列に並んでありがたく拝聴し、次に見てもらうまでにそれらの意見を昇華し、成長した姿を見てもらう。
あるいは雑誌にバンドを評価する記事を書いてもらう。
要は頭をよしよししてもらうんですね。
さらに動員を増やし、メジャーデビューに近づいていく、、、、。
こんなところでしょうか?
実際、Xにもその流れはまったくなかったわけではなく、HIDEが知人の評論家をYOSHIKIに紹介します。
YOSHIKIは嫌がるんですが、HIDEが説得して連れて行くんです。
しかし、
「髪は黒にして、けばいメイクをやめて、真面目に音楽に集中しろ。テレビには出るな」
などと言われたYOSHIKIは切れます(笑)。
「あんたはそう思ってるかもしれないけど、オレは全くそうは思ってないんで!」
といって、喧嘩別れします。
帰り道、HIDEはYOSHIKIのその断固たる決意にいたく感動し
「心底惚れ直し、腹をくくった」
といいます。
HIDE、、、
何故そうなる?
普通止めない?
おそらくYOSHIKIにはメンバーに
『期待させる何か』
があったんでしょうね。
でなきゃあ、1度脱退したTAIJIも戻ってくるはずがないですからね。
「一度脱退してみて、やっぱりYOSHIKIとならやれると思い直した」
らしいです。
どのバンドもやっているメジャーデビューまでの王道の過程をも否定し、独自の道を歩む生粋のパンク精神です。
しかしすごいのはここからです。
誰にも教えを請わず、自己流でレコードを販売するにはどうするかを考えたYOSHIKIは、なんと
プレス工場に自分で直談判する
という行動に出ます。
頭マッキンキンで女みたいな顔したメタラーが突然
「あのぅ、レコード作ってもらうためにはどうしたらいいんですかぁ?」
って聞きに来るんですよ?
工場長もビックリ
ですよ。
普通これできます?
この調子でプレス工場、写植屋、版下屋、レコードショップに片っ端から回っていく、と。
すごい行動力。
というか、分からないことを素直に調べたり、話を聞きに行ったり、まるで
小学生の冒険
みたいです。
普通、ミュージシャンってこういう事やりたがらないんですよ。
やりたがらないし、そもそもどう動いていいかわかんないし。
そういうことってビジネスであって、アーティスト活動じゃないですからね。
そういうことはマネージャーに任せて、自分たちは音楽に集中するというのが、一般的なミュージシャンなわけです。
ビジネス的な動きをするっていうことは、ある意味『金儲けのために奔走(ほんそう)する』ことでもあるわけで、あまり褒められた動きとは見なされにくいというか。
『ミュージシャンにとってあるまじき姿』
『かっこわるい』
と映る向きもあるかもしれません、周囲の人達には。
けれども、それさえも何と言われようがわが道を行くんですね。
そしてミュージシャンの身でありながら、とうとう自分でレコード会社『エクスタシーレコード』を立ち上げるという、当時としては異例の行為に出ます。
まだ、メジャーで成功したこともない、たかがインディーのミュージシャンでですよ?
法人の設立登記、音楽の権利などに関しての法律の勉強を山程したそうです。
皆さん、少し想像してみてください。
日常生活で必要に迫られたって、あんな
活字だらけの法律の世界
に足を踏み入れようと思います?
⇧これを平然と手に取ろうと思うロッカーなんています?
司法書士や弁護士に任せません?
お金はかかりますけど。
親が死んだ時の相続手続きを司法書士に任せずに、自分で法務局に行ってやるようなものですよ?
あなた、そんな人出会ったことあります?
ましてやその人がロッカーだったとか、ありえないでしょ?
私もたまたま大学で法学専攻だったのですが、学校で強制でもされない限り、あんな六法辞書なんて人生で手に取ろうとも思わないですよ(笑)。
こういう行動の根本にあるものは
『何事もやってみなければ分からない』
という考え方です。
人の言うことを鵜呑みにしない。
権威に頼ることをしない。
自分で調べて、自分で考える。
なにか『パンク』というよりも、人間としてもっと根本的な何かが違うようにも思えます。
「ラジオに合わせてたまるかよ」
Xの楽曲は長いことで知られています。
有名なシングル『紅』で6分、『ENDLESS RAIN』で6分半、『silentjealousy』で7分超、『Tears』で10分半、『FOREVERLOVE』で8分半、、、とどれも通常カウントダウンTVやラジオで流すには長すぎるほどの楽曲群です。
これにしても業界への反発なんですね。
「レコード会社から2~3分の曲を作れと言われた」
などは海外ミュージシャンのインタビューでもよく耳にすることはあるのですが、YOSHIKIの場合、これにデビューシングルの頃から逆らってます。
「それってレコード会社の都合であって、俺たちアーティストが曲を作る上での都合じゃない。売れることよりもいい曲であることのほうが優先されるべき」
という考え方なんですね。
で、これも例によって反発が極限まで達したのがあの大作
『ART OF LIFE』
なんですね。
これって業界に対する究極の反発ですよね。
究極のミュージシャンエゴというか。
コンセプトアルバムで『10曲で一つの作品』とかいうのとはわけが違います。
純然たる1曲30分。
まあ、「作っていいよ」と言われても誰も作らないとは思うんですが。
先程挙げたシングルにしても、一般的にはありえない長さなんですよ。
ラジオで流しにくいというのもあるのですが、そもそもあんな長かったら、途中でだれるでしょう?
全く長い曲に感じさせない
ほどリスナーを惹きつけるメロディがあるからこそなせる技なんです。
そして、音楽的な実力もさることながら、なんだかんだでやっぱり売りぬくんですよ。
この『ART OF LIFE』にしても6分超えのシングルも全て。
業界でタブーとされて誰も試したことがないことだから、自分がそれをやってみて実証する。
そしてそれがうまく行けばもう
『売るためには2~3分の曲を作らなければいけない』
という常識はなくなってしまうんです。
こうしてYOSHIKIは一つ一つ自分の手で実証することで、音楽業界の常識をぶっ壊していくんですね。
まあ、売れなかったら
「やっぱりレコード会社の言うことが正しかったね」
で終わってしまうので、YOSHIKIの実力があって初めて出来ることなのですが。
「俺たちの音楽を聞かないのは人生の損だ」
大作『ART OF LIFE』のように楽曲には絶対に妥協しないYOSHIKI。
売れるために自分の音楽を歪めることは決してしません。
しかし彼の考え方が面白いのは、その出来上がった作品を
多くに人に知ってもらうため
の努力は惜しまず、全力を尽くすということです。
これはインディーの頃から徹底されていて、ライブハウスにお客を呼ぶために
「冷蔵庫をプレゼントする」
「電子レンジをプレゼントする」
などの非常識なボツアイデアにまで発展します。
結局はプロモーションビデオを無料配布することに決まるのですが、そのビデオにしてもドラムを派手に燃やしたりと、バイカー集団が登場したりと、自主制作ながら結構お金がかかっています。
メンバー皆で100万円だかのお金を出し合い、TAIJIなどのお金がないメンバーは家財道具を質に入れてまでお金を作ったとのこと。
このYOSHIKIの発想をちょっとビジネス的に説明してみますね。
ビジネスの世界では『マーケットイン』と『プロダクトアウト』という考え方があります。
『マーケットイン』というのは、市場で求められている商品・サービスを提供しようという考えです。
「現在ヘルシー志向の世の中で、健康食が意識されているから、刺身こんにゃくを販売しよう」
こういう考え方は『マーケットイン』になります。
『プロダクトアウト』というのは、買い手である市場に合わせた商品・サービスを提供するのではなく、
「私はこれがすごく価値があると思うので、こんなの作ってみました。皆も気に入ってっくれるはず」
これの代表的なものは何か思い浮かびますか?
そう、アップルの開発した『iphone』なんかがそうですよね?
音楽に話を戻すと、流行りの音楽に合わせて作曲することや、ラジオやテレビで流しやすい曲の長さにまとめることが『マーケットイン』の発想です。
AKB48に代表される、ポップアイドルなんかは売れてなんぼの世界ですから、こういう発想になるわけです。
そういう音楽を求めている層に対してピンポイントに曲を提供する。
これに対し
「オレはこれが芸術だと思ってるんで1分でも縮める気はないけど、お前らこれ聴いたら腰抜かすだろうから聞かせてやるぜ」
みたいな発想で作られた『ART OF LIFE』は完全に『プロダクトアウト』ですね(笑)。
まあ、ロックの世界では『マーケットイン』的な雰囲気がでてしまうと、同じミュージシャン仲間からかなりのヒンシュクを買うので、あけっぴろげにやると同業者からヒンシュクを買うわけです。
しかし音楽もビジネスである以上、大なり小なりそれはあると思います。
レコード会社だって、売れないアーティストに金をかけて雇っておくことはできませんからね。
けれども、YOSHIKIが我々に教えてくれる事実は
『硬派な音楽姿勢』は『売るための努力』と実は矛盾しない
ということなんですね。
ここからの話は肝ですよ?
「音楽的には全くこびていないのは良いことだ。けれども売れなくていいという発想にはならないだろう?一人でも多くの人に聞いてもらう方が絶対いいに決まってる」
この考え方がYOSHIKIです。
売れる音楽を作ろうとはしないけど、出来上がった曲をより多くの人に知ってもらうための努力は全力でする。
普通のミュージシャンって「売れる」ことを考える時に、「売れる曲を書かなきゃいけない」って思ってしまいがちなんです。
けど、YOSHIKIの場合は、「自分がいいと信じる音楽」を全力で作って、それをどう売り込むか?をその後に考えて動く。
この差はどうして生まれるのかというと、インディ時代に売り込むことをマネージャ任せにせず、すべてのプロモーションを自分自身で行ってきたからです。
自分自身で立ち上げたエクスタシーレコードからリリースした『VANISHINGVISION』だって、メジャーバンド顔負けの
20万枚くらい売ってるんですから、下手なレコード会社よりも売るのが上手いんですよ。
メジャーデビューした後にも、LUNASEAやZI:KILL、GLAYなどの新人バンドを売り込むということも経験している。
これら3バンドのすべてがブレイクしたのは、皆さんご存知のとおりです。
さらにいうと、「売れる」っていうことの本質を見抜いています。
「いい音楽は売れる」
ではなく、
「いい曲がうまく売り込まれた時に売れる」
これが本質です。
もちろん楽曲のレベルが低ければ、売り込んでも売れやしません。
いい音楽であることは大前提です。
けど、いい音楽なら必ず売れるかというと、全然そうではありません。
この世に、誰にも知られていない、全然売れていない名曲は山程あります。
それらの曲は売り込み方が不十分で、認知度が低いので、そもそも「曲の善し悪しを判断してもらうスタートライン」にさえ、立っていないんです。
極論を言えば『知られていない曲は存在していないことと同じ』ということですから。
売り込まないことは、その楽曲を死なせていることに等しい。
なのでプロモーションを努力することは、ある意味、自身の楽曲に対する愛情の深さでもあります。
だから、YOSHIKIは誰よりもプロモーションに力を入れるんです。
ミュージシャンとして、YOSHIKIほどプロモーションに努力を傾けてきた人は、世界中見渡しても、多くはいないと思います。
これがYOSHIKIです。
自分の生み出した音楽に自分の全てを込めて後悔がない。
絶対の自信がある。
だから一人でも多くの人に聞いてもらいたい。
彼は信じているんですよ。
「100年歌い継がれる名曲を生み出しているのだから、これを知らないことは人類の損失だ。」
と。
多分当時のメンバー全員が同じ気持ちだったんじゃないですかね。
「俺たちXを知らないなんて人生を損してるぜ」って。
だから「色物」と見られることを承知で、バラエティ番組「元気が出るテレビ」にも出たんです。
テレビを観たインディー時代からのファンに
「あいつらは変わっちまった」
と思われることになろうとも、結局は皆がXに付いて行くんです。
なぜなら肝心の音楽が妥協していないから。
ともすれば
「売れるために躍起になりやがって」
と揶揄される行動すら、YOSHIKIには全く違う価値観/動機に基づいていることが分かります。
自分がビジネスマンになって分かる凄さ
こうしてYOSHIKIを通して見ていくと『パンク』っていうものが、従来信じられているものとは、また違った意味合いを持ってきませんか?
一見売れ線狙いの歌謡曲の取り込みが、実はよっぽどパンクだったりします。
『パンク』っていうものの本当の精神性を突き詰めていくと、
『何をするのか?』
ということよりも、
『それを行う精神状態』
を指しているようにも思えますね。
つまり究極のところまで削ぎ落としていくと、核として残るのは
『自分を信じて素直に考える』
この言葉に行き着くのではないでしょうか?
私は14歳の頃からXに夢中になってきて、ファン歴で言うと約30年近くになるのですが、かつてはYOSHIKIみたいになりたくて、ドラムでプロになろうともがいた時期もあります。
けれども本当の意味で彼の凄さが一番理解でき、一番影響を受けたのは、音楽に夢中になっていた多感な青春時代ではありません。
社会人になってからです。
サラリーマンを20年近くやってきて、改めてビジネス的な観点で彼を見ると、このYOSHIKIのすごさがより分かると言うか。
YOSHIKIが音楽業界で貫いてきた姿勢というのは、どんなビジネスの世界でもなんらかの結果を出したであろうことは容易に想像できます。
よく『YOSHIKIには商才があった」とは語られますが、ワタシ的な表現を用いれば
『アーティストとしての純潔さを守るための地道な努力』
という方が正確だと思えます。
どんな曲を作っても、『売れたという実績』を作るから、レコード会社も音楽内容に口が挟めないんです。
売れなければなんやかやと注文をつけられ、何が楽しくて音楽やってんだか分かんなくなっちゃう。
これは会社における営業マンも同じです。
売れてれば
「だから売れるんだね、さすが」
と言われ、やり方は自由にさせてもらえるけど、売れてなければ
「そんなことやってるから売れないんだ」
と罵られ、やり方のすべてを否定される。
そしてYOSHIKIが現在の自由な音楽制作環境(内容・発売ペースに至るまで)を手にできた要因を、ずっと辿っていくと根本的な姿勢のあり方にその核心があるように思えます。
『人の言うことを鵜呑みにせず、自分で調べて考えて試してみる。』
これです。
この姿勢があったから、すべてが始まったんですよ。
インディ時代にあらゆるプロモーションを自分で試せたことも、自分でレコード会社を立てたことも、売った実績を作ったことで音楽的自由も手に入れたことも、すべてがそこ。
「そんなの歌謡曲だ。ロックでやるべきじゃない」
って言われたって、鵜呑みにせずに自分が信じた音楽を作ったから、普通は売るのが難しい6分以上の長さの『紅』も『エンドレスレイン』も売ることができたし、そういう実績があるから『ART OF LIFE』のような規格外の作品も作れたんですよ。
皆ちゃんと自分の頭で『素直に』考えれば、もっといろいろな発想が出せる。
いろんな観点があることに気がつける。
けれども、常識や既成概念や権威や保身や不安や心配といった、様々な要素が邪魔をして、素直に考えることができないことが非常に多い。
先入観が邪魔をしたり、偏った考え方をしてしまって、間違った方向に行ってしまうことが往々にしてあるのではないでしょうか?
つまり頭の善し悪しではない部分で、大きな差が出ているのだな、と思えてくるんですよね。
というわけで、本日はYOSHIKIを語ってきました。
稀代のパンクロッカーhideさえも心酔させた本物の『パンク精神』。
生き様が面白いので当然、自伝本などは面白い!
気づきの宝庫なので一度読んでみてはいかがでしょうか⇩