ブラック・アルバム(メタリカ):メタルのあり方を変えた衝撃的な完成度の作品。メタル知らなくても聴いてください。
どうもSimackyです。
さあ、いよいよ本命メタリカのご登場です!
’90年代中盤からが青春時代の私にとって、リアルタイムな海外アーティストではレッチリとメタリカが両巨塔でした。
どちらも1983年デビュー、主要メンバーは1962年生まれという同い年のこの2つのバンドは、音楽性もまったく別で、絡みもまったくないのですが、私の中では強烈に影響を受けたバンドたちです。
ロックがその質においては低迷期『バッド’80s』と言われる’80年代から、シーンの水面下で虎視眈々(こしたんたん)と、他に類を見ないオリジナリティでコアなファンを獲得していき、’90年代にモンスターバンドとなってシーンを揺り動かして行くいわば『ミュージシャンズ・ミュージシャン』の代表格。
全ミュージシャンがその一挙手一投足を固唾を呑んで見守る中、時代を引っ張る作品を作り続けてきた偉大なるお人たちなんですよ。
どっちから書くか迷いましたが、まずメタリカからいってみましょう!
まだメタリカを全く知らないというそこのあなた!
初心者大歓迎です。
そんな人でも楽しく読める内容になるよう工夫しておりますので、まあ、見てやってくださいな。
まずはメタリカと出会う時代背景から語っていきますよ。
メタリカとの出会いまでの流れ
さて、私がメタリカの存在を知り最初に聴いたのは高校2年生の頃(1995年あたり)。
中学3年生でオジー・オズボーンを始めとするヘヴィメタルと出会い、卒業間際にはXによる『洗礼』を受けた私は、高校に入ってからひたすらX漬けの毎日を送っておりました。
まだ当時は家にCDラジカセさえ持っていなかったため、CD買っても聴くことができない(笑)。
なのでお小遣いは全てXやhideのビデオの購入につぎ込み、友達に焼いてもらったテープでXの音楽を聴いてました。
あのXの激しさ、速さの魅力に完全に取りつかれていました。
来る日も来る日も家で頭振りまくりです(笑)。
でもだんだんと他の音楽にも興味が湧いてくるんですね。
「Xみたいに速い曲やってるバンドって他にないのかな?」とね。
そんな流れの中にあって唯一の情報源は兄貴が購入していた『月刊ギグス』かジョジョの荒木先生のコメント(笑)。
まわりに洋楽聴いている人がほとんどいなかったのでね。
やっぱり好きなアーティストが「尊敬してる」って言えば、ファンとしては聴かないわけにはいきませんからね。
まあ、そんな感じで拙い情報をたよりに、手探り状態でレンタルショップで洋楽を開拓していったわけですが、ある時出会ったのがメタリカのこのアルバムでした。
今思えば「そこが最初ってハードル高っ!」って思うのですが、メタリカはそれしか置いてなかったもので。
レンタルショップは品揃え悪いんですよ。
最初の感想。
「Xみたいなこういう速い音楽演る人が海外にもいたんだ」
無知すぎる私(笑)
っていうかこっちが元祖!
Xはメタリカの影響もろ受けてるの!
まだその頃は『スラッシュメタル』という言葉を知らなかったので、Xのような速い曲を他に聴きたくても探しようがなかったんですよね。
だから「世界一速いバンドメタリカ」っていうコメントかなにかを、ギグスで読んで期待して借りてみたんだと思います。
で、結論を言うと最初は少し興奮しました。
「うほーギターザックザク。速い速い!」と。
そうは思うのですが、、、
う~む、、、。
「なんかよく分からん。なんかマニアックだな」と。
っていうか
…なんか音がちゃちくない?
そうなんですよね。
すごくいい線いってる。
こういうの好きなはず。
けれど『大好き』にはなれない。
なんかメロディがつかみにくいし、音がスカスカでペラペラしてるんだもん。
まだこの頃はドラムやっていないので専門的なことは分かっていないのですが、
「ドラムの音なんか違うくねっ!?」
ぐらいは一応分かります(笑)。
まあ、メタリカがサウンド・メイキングでかなり物議をかもした「やらかしちゃった」大問題作だったわけです。
まあ、あんまり聴かなかったですね。
大学入って中古CDで再度手に入れてからは、めちゃめちゃ好きなアルバムにはなったのですが。
「なんか聴いててすごく長く感じるなあ。音がこれじゃなけりゃもっと違って聞こえるかもな。他のアルバムってどうなんだろう?」
とはいつも思っていたんですよね。
だからこのアルバムで一応、メタリカは私の「要注目リスト」の中に残り続けるんです。
で、それからしばらくして、高校2年の正月にお年玉で念願のCDコンポを買うんです。
「さあ、これからは品揃えの悪いレンタルショップは卒業だ。どんどん調べて片っ端から欲しいCDを手に入れてやるぞ!」
と意気込み、初めて自分で買いにいった音楽雑誌がこちら(実際に買った誌号)。
メタルのメタルによるメタルのための雑誌。
そう『BURRN!』です。
見てください、この何やら手に取る人を選ぶような禍々しいオーラ…。
本屋でまるで誘い込まれるようにコイツと対峙してしまう私。
そしてそれと分かるほどの周囲からの怪訝な視線…。
「え?あなたそれ読む気なの?引くわ~…」
みんなが目でそう語ってます(幻覚)。
た、確かに。
こんな『この上なくむさ苦しい雑誌』を手にしようだなんて、俺どうかしちゃったのかな?
手に取ることもはばかられていた、その時!
???「そなたは私を手に取る勇気があるのか?」
私を挑発する声が…。
私「だ、誰だ!今の天から聞こえた声は?」
なぜか幻聴まで聞こえております。
学校帰りにサーティワンアイスクリームをペロペロ舐めながら帰ってるティーンの女子は一生立ち入ることはないであろう禁断の世界の雑誌です。
近づいてはなりません。
触ってわなりません。
女子は触った瞬間妊娠させられます。
私は踏み入れたが最後、決して後戻りのできない『魔界の迷宮』へといざなわれてしまったのです。
とまあ、『BURRN』いじりはこの辺にして(笑)、これがたまたまメタリカの特集やっていたんですよ。
ちょうど『LOAD』が出たタイミングだったもので。
で、全アルバム解説が載ってて、その中の”黒いジャケット”のアルバムレビューでこう書いてありました。
「なんと全世界で1000万枚(1996年時点)を売り上げたモンスターアルバム!」
な、なにィィィィィぃ(JOJO風に)!?
モンスターアルバム
モンスターアルバム
モンスターアルバム
モンスターアルバム・・・
生まれてはじめて耳にする『モンスターアルバム』という威風堂々たる響き、、、。
「か、かっちょええやんけ、、、、」
熊本出身のくせに、思わず関西弁になるほどときめく高校生の私。
男子なら誰でも憧れるであろうキラーフレーズです。
私も一度でいいから
「Simackyってモンスターアルバムだね♪」
ってクラスの女子から言われてみたかった…。
そして速攻で買ったのが!
そう、それがこのアルバム。
メタリカの最高傑作『ブラック・アルバム』
これがほんとうの意味でのメタリカとの出会いといっても過言ではありません。
ほとんど予備情報なしで出会ったのですが、どうやらとんでもないアルバムだということは後で分かったことです。
「モンスターアルバム」っていう響きも、実際は何がすごいのかもよく分かっていなかったので(笑)。
ジャケットが真っ黒なことから通称:『ブラック・アルバム』と呼ばれるこの作品は『黒い衝撃』となって世界を震撼させたとんでもないアルバムでした(『黒い衝撃』はたった今私が勝手に考えただけですが)。
『スラッシュメタル』というヘヴィメタルの中でもかなり特殊で限られた世界での帝王だったメタリカ。
そのメタリカが「スラッシュメタルの帝王」から「’90年代ロックの頂点」に上り詰めた作品です。
’80年代の『産業ロック』と揶揄される『明るく陽気なメタル』を蹴散らして、シーンの流れを丸ごと入れ替えたニルヴァーナの『ネヴァーマインド』。
その歴史的名盤と並ぶ‘90年代の最重要作品。
その後のロックの方向性を決めてしまった決定版中の決定版。
驚くなかれ、その販売累計枚数は現在2023年時点でなんと
3500万枚
を超えています。
まさにモンスター。
当時はこの作品がシーンでどういう意味合いを持つ作品なのかなんて知らずに聞いていたのですが、ただごとではない作品だということはすぐに分かりますよ。
それぐらいのレベルの作品です。
前作ではメタリカはフェイバリットなバンドという位置づけではありませんでしたが、このアルバムで他のバンドとは一線を画する存在になりました。
この日から、人に
「最近の趣味は?」
と聞かれると
「メタリカ聴いてる」
と答える時期が5年くらい続きました。
バイト面接の時に
「今までは何をされていたんですか?」
と聞かれても
「メタリカ聴いてました」
と答えていました。
作品の順番としては『アンド・ジャスティス~』の次に出たアルバムだったのですが、これが全然速くない。
とことんヘヴィ。
まあ、それは先にレビュー読んでて分かってはいたので、世界中のコアファンはともかく、私は肩透かしや期待はずれになるということはまったくなかったです。
しかしあまりの曲の完成度の高さに『ぐぅの音』もでませんでした。
このアルバムの衝撃度たるやすごかったですね。
無駄がまったくない。
「切れるような」と表現するしかないような緊迫感。
芸術品のようなサウンドメイキング。
前作があれだっただけにこの音のクオリティには圧倒されました。
なんかね、『絵』が見えたんですよね。
本人たちは『アートのレヴェル』と語っていたらしいのですが、まさに視覚的イメージを触発してくるというか。
ブックレットにはほぼ情報なし。
写真はこれだけ。
これが良かったんでしょうね。
余計な情報で邪魔されずに、自由にイメージを膨らませることができたので。
やっぱりバンド好きになったら、その人達が動いている姿を見たいと思うのがファン心理じゃないですか?
でも、演奏している姿を見てしまうと、次からその曲を聴いても演奏しているイメージが邪魔をして、自分で最初に頭に描いていた曲のヴィジョンが見えなくなるという残念な気持ちになった経験ってありませんか?
私の場合は歌詞を読まないのも、自分が自由に想像するイメージを歌詞のイメージで限定したくないからなんですよね。
まあ、この時代はYou Tubeなんかもないから、メタリカの動く姿なんていつでも簡単に見れる状況じゃなくて。
そのおかげで色んなイマジネーションを膨らませることができたということが、このアルバムを自分にとってある種特別なものにしたのだと、今は思います。
また、まだこの頃は知識が全然ないため、「この音がギターの音」とか「これはベースの音」とかよく分かっていない。
音と演奏している姿がまったく頭の中で結びつかない。
だからより一層『アート』的なイメージが膨らんだのでしょうね。
逆に言うと、もうこの頃のような先入観なしの新鮮な受け止め方は二度とできない。
色々聴いて色々見てますから。
その意味ではこの時期の『感受性の強さ』っていうのは『未知なればこそ』とも言えます。
この頃の音楽の感じ方を思い出すと、今では
「あんなにドキドキ・ワクワクしながら音楽聞くことってなくなったな」
と寂しく思います。
これが大人の階段昇るってことなんでしょうね(笑)。
特に自分でドラムも叩くようになると、音聞くだけでドラマーの動きをイメージしてしまうから、技術的な面で細部を追ってしまうというか。
曲からのイメージを大きく全体で受け止められなくなるというか。
これがプロのミュージシャンならば、もう私達と同じ次元で音楽を楽しむことは、まず出来ていないんだろうとは思います。
もちろん、ミュージシャンが演奏している姿自体もかっこよくて、それが醍醐味っていう考え方も当然あるのでしょうがね。
この時期は油乗り切ってて超かっこいい。
しかし、このアルバムが『アート』的に見えるのは何も私のその時のタイミングや状態だけが要因ということではありません。
メタリカをまだ見たことがないということもあるのですが、何よりも音が非常に無機質だというところもイメージの想起に一役買っていると思います。
リズムにも人間が演奏しているとは思えないほどの寸分の狂いもなく、音は「人が楽器を鳴らしている有機的な響き」が感じられない。
これが「切れるような」と表現した部分です。
洗練されすぎ、研ぎ澄まされすぎている。
格闘家が肉体を研ぎ澄ませていったら『ほぼマシーン』になっちゃったというか。
筋肉美を追求しすぎたらダビデ像になっちゃいましたっていうか。
「いやいや、せめて人間ではいてくださいよ?」っていう感じですか。
ただ色々と情報を仕入れてみると、どうもこのアルバムは『ライブ感』を出すようなレコーディングを工夫したとのことなのですが、私の感じた『無機質』という印象は本人たちが意図したものと全く真反対になっているのがおもしろいです(笑)。
『アンド・ジャスティス・フォー・オール』での失敗を改善
このアルバムをメタリカの流れで時系列的に考えた時に、ふと気がついたことがあります。
それは
失敗があったからこそたどり着けた境地もあるのではないか?
ということです。
では『アンドジャスティス~』での失敗とはどんな部分か?
このアルバムを好きな人もいるとは思いますが、私の独断と偏見、本人談も含めて語らせていただきます。
『アンドジャスティス』が『駄作』だとこき下ろすつもりはありません。
私も今では大好きですしね。
どうして大好きになったのかは別に1本書いてますのでこれ読んでみてください⇩
「アンド・ジャスティス・フォー・オール」メタリカ~音に癖があるが慣れてくるとその先にある美しさに魅了される~
ただ当時本人たちが本当に望んでいたこととは違った部分があったという意味での失敗です。
セールス的には成功していますし、今では雑誌の人気ランキングなんかでトップ3に入ってきたりする傑作なので。
まず『音作り』。
前作『アンド・ジャスティス~」でのサウンドは多方面からかなり叩かれたみたいです。
ドラムの音は音楽ビギナーの当時の私でも『異常事態』が起きていることを察することができたぐらいです。
ミキシングに行き詰まって最終的には新加入のジェイソンのベースラインを大幅に絞ったことで、奥行きのないペラペラの音にもなっています。
もう一つが『方向性』です。
1作目からアルバムを追うごとにだんだんと発展してきた複雑化・大作主義の方向性。
それが、『アンドジャスティス~』の時点で『やりすぎた』感は若干あります。
楽曲を良くするために必要であれば大仰な曲構成もリズムチェンジも変速リフもありでしょう。
しかし、それを追求すること自体が目的化してしまったような感じになってしまっており、聴いているリスナーを『置いてけぼりにしてしまった』部分も多分にあったのだと思います。
だから高校生の私が『曲が長く感じる』ことになる。
正直、『アンドジャスティス~』は『マニアックな音楽』という印象でしたから。
その前の3作目『マスターオブパペッツ』にも長い曲はありますが、聴いててだれなかったのは、メロディにリスナーを繋ぎとめる『フック』があったからでしょうね。
おそらく3作目の名盤『マスター・オブ・パペッツ』の時点で、スラッシュメタルという音楽で『やりたいことはやりきった感』があったのかなと。
そしてそこで取るべき選択は大きく分けて2つあったと思います。
「スラッシュメタルをもっともっと進化(複雑化)させて誰も行き着いたことのない境地を開拓するのか?」
それとも
「これまでの音楽性からガラッと変えて批判を覚悟で打って出るか?」
しかしベースのクリフ・バートンが悲劇の事故で亡くなった混乱もあり、『次の4作目は何をするのか?』という明確なヴィジョンの密な打ち合わせ・メンバー間での意識共有がないまま進んでしまった。
新加入のジェイソンともまだ信頼関係ができていませんしね。
そのため、なんとなく『ぼやっとした』目標意識で制作に取り掛かったため、結果的になんとなく前者(複雑化)に寄った形で進めてしまったのではないかと思います。
極論すると、『アンドジャスティス~』という作品は
「どうだ、こんなリフこれまで誰もやったことないだろ?」
「これが今のスラッシュメタルで最新の形だぜ」
とアピールしすぎている作品に感じるということです。
それは果たしてリスナーが本当に欲しているものだったのか?
そして、『アンドジャスティス~』に伴うワールドツアー時のオーディエンスの反応で、それが『失敗』であったと痛感することになります(ラーズ談)。
この2つの失敗があったからこその大変革がブラック・アルバムなのだと思います。
このブラックアルバムのサウンドからは
「2作続けてサウンドメイキングで失敗することは絶対に許されない」
という並々ならぬ意志が感じられます。
ドラマーのラーズは、「one on oneスタジオ」に何種類ものドラムを持ち込み、試用後のドラムが塔のようにうず高く積み上がっていたとのことなので、その意気込みは相当なものだったのでしょう。
そして前作では躊躇(ちゅうちょ)したが、これまで支持してくれたファンをある部分で裏切ることになったとしても、
「自分たちが本当にやりたい音楽を正直にやるべきだ。」
「そしてそれは独りよがりではなく、人の心に届くものでなければならない。」
このことをとことん打ち合わせを行い、意志を固めていったのだと思います。
このブラックアルバムには一つ一つの音、一つ一つのプレイの細部に至るまで『絶対これで間違いない』という迷いのなさ、確信に満ちています。
ただ事ではないほどの覚悟と集中力を感じるのです。
『張り詰めたような緊張感』というのはまさにこのことです。
それは前作の反省がメタリカにもたらした『確信』だったのではないでしょうか?
しかし、このアルバムはいわゆるスラッシュメタル的作品を期待した初期からのファンからはかなりの非難が起こったそうです。
ドラマティックな曲の展開や超スピードナンバーといった『らしさ』が減退したことが原因と思われますが、そのことすらもメタリカは覚悟の上だったのでしょう。
コアなファンからのブーイングは甘んじて受け、次のステップに踏み出す挑戦をしたからこそ、私のような新たなファンを世界中に生み出すことができたのだと思います。
「ブラック・アルバム」に学ぶ『自分に正直でいること』
これまで私が語ったことは3500万枚売れた理由ではありません。
前作の失敗があったからこそ、ブラックアルバムの音楽的内容が充実し、高校生の私に深い感動を与えた理由を語ったまでです。
『アンドジャスティス~』の失敗があるから『ブラックアルバム』が売れたという話ではないということです。
「~だから売れた」という話は結果論でしかなく、セールス結果から後付けした理屈は、作品をリリースする前には誰にも分からないことなのですから。
そんなものが分かれば誰でも簡単にヒットを飛ばせます。
もしかしたら『ぼやっとした』まま制作した『アンドジャスティス~』が大ブレークして、確信して制作した『ブラック・アルバム』が全然売れなかった可能性もあった、ということです。
そして音楽の歴史的名盤っていうのは必ずしも『確信』があったときだけブレークしているものでないことは、数多くのミュージシャンたちのインタビューを読んでも分かることです。
ブラック・サバスの名曲『パラノイド』なんて、アルバムにあと2,3分を埋める短めの曲がレコーディング終盤で必要となって、『ちゃちゃっと』2,3分で簡単に作ったというトニー・アイオミの逸話は有名です。
そんな生い立ちでもヘヴィメタルの歴史的名曲になってしまうのですから。
セールス的に成功した結果から逆算した理屈っていうものは、その本人たちのケースがたまたま成立しただけで、『同じことがそのまま他の人には当てはまらない』のが世の中の難しいところです。
だから世の中のベストセラーになる成功本なんかは、話半分に聞くくらいが丁度いいとさえ私は思っています。
一番お伝えしたいのは、結果なんて所詮、誰にも分からないものであるからこそ、
「自分に正直にいたくありませんか?」
ということです。
この世にすべての人に愛される音楽なんてありません。
あのビートルズでさえ、あれだけポップでキャッチーで分かりやすくて好感度の塊のような4人組でさえ、全人類に愛されていたわけではありません。
人類70億人もいればその全てに愛されることはできないのです。
好きだと言う人もいれば、嫌いだという人も必ず存在する。
つまり音楽に賛否両論はつきものだということです。
ヘヴィメタルファンは元来が保守的です。
いわゆる『様式美』という言葉もあるくらいですから、王道から外れたものを「裏切られた」と感じやすい困った人たちの集まりなんです。
けれど一旦仲間だと思うと非常に熱心に応援してくれる温かいサポーターでもあります。
まだ’80年代の初期に、あんな過激な音楽をやってですよ?
「こんなのは音楽じゃない!」
とか評論家にこき下ろされてですよ?
そんな駆け出しの時期から自分たちを支持してくれたファン達の存在は、メタリカにとって『絶対に裏切れない存在』だったのではないでしょうか?
それだけ大事なファン達の気持ちを、裏切ることになるかも知れない作品を発表する恐怖は、私達が考えているよりも実ははるかに大きかったのではないでしょうか?
もしかしたら『アンドジャスティス~』製作時には行き詰まりを感じていたにもかかわらず、『方向性を転換することに躊躇した』のでああいう作風になったのかもしれません。
しかし、メタリカはその葛藤を乗り越え、自分たちの本当にやりたいことを正直にやるという結論に達し、音楽性の大転換を図りました。
結果として賛否両論はありながらも、それまでのファンの大半は支持し続けたし、世界中にそれまでよりはるかに多くのファンを獲得できました。
メタリカは前人未到の成功を収めたのです。
これは自分に正直に音楽を作った”たまたまの”結果でしかありません。
正直に作ったからといって売れるなら誰も苦労しませんから。
ファンに強く求められていたり、期待されていたりすることがあっても、自分の心に正直に従って音楽制作を行う。
なぜなら結果がどうなるのかなんて誰にも分からないし、すべての人に好かれる音楽もまたないからです。
あなただったらどうしますか?
自分たちがすでに『本当にやりたいことではなくなっている音楽』だったとしても、『周りが望んでいるから』それに合わせた作品を作りますか?
でもそれにしたって結果はどうなるか分からないんですよ?
周りに合わせて作っても、それでも売れないかもしれない。
それでもボロクソに叩かれるかも知れない。
「だったら周りがなんと言おうとも自分が本当にやりたいことをやろうや」
このアルバムは私にそう語っているように感じます。
親に期待されていたり、上司にこうした方が良いとアドバイスを受けたり、仲間に色々意見されたり、、、、
人は、自分の意志とは関係なく、周りの期待に答えるような人生の選択を行ってしまいがちな気もします。
もしこのブログを読んで
「心当たりがありすぎる…』
という方は、是非ともこのメタル史上、いやロック史上最高の名盤に触れてみてはいかがでしょうか?
自分が自分自身でいるために。
それではまた!