LUNASEA記事を書き終えて~Simackyのつぶやき⑨~

こんばんはSimackyです。

お久しぶりのつぶやきコーナーです。

今日もダラダラ行くので、ダラダラ付いてきてくださいね。

特に今日はベロンベロンで書いてますので、文章が荒れるかもしれませんが、ご容赦を。

10記事くらい書いてほったらかしになってたLUNASEA記事を、ようやく20記事書き上げました。

書き始めたのにも理由があって。

イエモンを20記事書いてる最中に、初めての試みで

『やたらと他のアーティストに無理やり絡める』

ということを試験的にやってみました。

イエモン入口でこのサイトに来た人が、他のアーティストにも興味を持つきっかけになってほしかったので。

で、LUNASEAとイエモンなんて全然絡みなんてなかったのに、インディでアルバム出した年もデビュー年もブレイク時期も、セールス規模も、解散時期も同じという共通点を見つけてしまいまして、調子に乗って絡めすぎてしまいました。

XとLUNASEAはほとんどファン層が被っているというか、Xからの流れで弟分のLUNASEAをそのまま聴き始めた私のようなファンも多いし、バンド同士の結びつきも強い上に、エクスタシーサミット一緒に演ってたし、しまいにはSUGIZOがXに加入してるわけで、これはお互いを語るうえで切っても切れない関係なわけですよ。

けれども、イエモンとLUNASEA絡めるのはかなり強引ですよね(笑)。

イエモン入口でこのサイトに来た人で、LUNASEAに興味ある人なんて何%いるんだろ?

私のようなドンピシャの世代の人であれば、どちらも好きという人は多いと思うのですがね。

私が大好きなバンド同士を勝手に絡めて語る。

それって、他の誰もやってない私だけのオリジナルなわけで、面白いんじゃないかな、と。

だってサザンとXっていうなんの接点もないバンドを絡めるなんて誰もやってませんし。

よし、今度やってみよう(笑)。

で、やたらイエモン記事にLUNASEAを登場させていたら、

「おいおい、そういえばLUNASEA記事がほったらかしになって増えてないぞ」と。

で、アルバム解説を書き上げた後に楽曲解説をやっていったわけです。

やっぱりLUNASEAはおもしろい。

バンドって普通、メインの作曲者がいて、引っ張られている他のメンバーがいるという構図が多いです。

Xでいうと、YOSHIKIというメイン作曲者がいて、他のメンバーはそれを具現化するスタジオミュージシャンみたいな位置づけ。

サザンでもイエモンでもそうです。

メイン作曲者以外のメンバーは、「その人がプレイしないとこの味が出ない」というほどの味を加えている時もあるんですが、ほとんど出来ていない時が多いです。

それは作曲者が、どこまで楽曲を支配するか?にもよると思うんですよね。

YOSHIKIのように、全てのパートを作り上げて、譜面で「はい、これ弾いて」ってやるようなバンドでは、PATAやHEATHの個性が発揮されるとは思いません。

よく

「いや、B’zはバンドじゃないでしょう。メインの二人がいて他はセッションミュージシャンなんだからユニットでしょう」

っていう人がいるのですが、今のXとB’zの制作過程にバンドとユニットという違いはないですよ。

下手するとまだB’zの方がバンドしてるのかも。

それはXだけじゃありません。

どのバンドだって、最初はバンドらしくても、だんだんそうじゃあなくなっていくものなんです。

サザンもイエモンも初期こそ、バンド全員で作り上げていくやり方だったのでしょうが、後期に行くに従って、メイン作曲者である桑田佳祐やロビンのできる範囲が広がっていくから、他のメンバーの存在感なくなっていく、という傾向が見られます。

自分自身が全部の楽器をできちゃうもんだから

「そこはこう弾いて」

が出てきちゃう。

『つい言っちゃう』というのがホントのところでしょうか?

その点LUNASEAは違います。

全員が平等だし、全員で練り上げていくというやり方を今でもやってます。

最初からそうだし、未だにそうです。

「コロナの辺りから、全員での音合わせをしないで作っている」

という話も一部で囁かれてますけど、各メンバーがそれぞれのことを尊敬しているし、尊重した原曲制作を行っているので、みんなやっぱり『らしい』プレイをしているんですよね。

例えば、SUGIZOが曲を作るときには

「ここはやっぱりJらしいこういう風なプレイをしてもらいたいな。」

とか、考えながら作られているらしんですよ。

これって、メンバーへのリスペクトがあればこそで、例えばここでJのベーススタイルを無視したような、独自なラインで作られていたら

「え?これを俺に弾けってか?」

って、渡された方としては、なんか自分の音楽スタイルを否定された気になるでしょ?

譜面(あるいはデモテープ)を渡して「こう弾いて」って言うことは、メンバーをないがしろにする行為だと思うんですよね。

それだったら、そのメンバーじゃなくてもセッション・ミュージシャンで言い訳で。

なので、作品の善し悪しは抜きにして、私がバンドの初期を好きな理由がそこにあります。

バンドメンバーの個性が出てなきゃ、バンドじゃないですよ。

メイン作曲者が、他のメンバーの個性を無視して楽曲を優先しているのは、かなり悲しい。

サザンの『世に万葉の花が咲くなり』とか、サザンで一番好きなアルバムなんですけど、メンバーの個性は出てないし、制作の実情を知ると悲しくなってきます。

その点、LUNASEAはそんな心配をする必要はナッシングです。

これぞバンド。

バンドとしての理想形態、究極形態がここにはあります。

私はXで衝撃を受け、人生を変えられました。

自分の中で、あの時のXが頂点にはありますが、それはあの時のXであって“今の“Xではありません。

LUNASEAっていうバンドは、現代においては少なくとも私の知る限りにおいては、究極の『バンド』ですね。

再結成しても、全盛期時代と変わらない『マジックのかかった作品』を生み出せる奇跡は、彼らにしか起こしえません。

今回、LUNASEAをブログにして良かった。

私はブログを書かなければ、LUNASEAの魅力の10000分の1くらいしか理解できてませんでしたから。

自分の中で絶対的存在だった『あの頃のX』に、迫る勢いです。

っていうか並んだかな?

ミュージシャンって長い目で見ないと真価なんてわかんないものですよ。

 

 

LUNASEA記事を書き終えて~Simackyのつぶやき⑨~” に対して2件のコメントがあります。

  1. 匿名 より:

    今日記事最高に面白すぎです!究極のバンドLUNASEAに行くまでの道のり面白すぎ!そろそろ本出しますか🤗LUNASEAいいですよね!うん十年前にライブ行ったことを思い出しましたよ〜🎵

    1. simacky より:

      コメントありがとうございます!
      楽しんでいただけたみたいで嬉しいです。
      本ですか~。
      なかなか恐縮なお話ですね。
      これからも皆さんの記憶を呼び起こすような記事を目指していきます!

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