『プライマル。』イエローモンキー解散ソング?違います!
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
本日はイエローモンキーが2001年にリリースしたシングル
プライマル。
を語っていきたいと思います。
『プライマル。』人気の理由は?
この『プライマル。』は非常に人気の高い楽曲で『イエモン・ファンズ・ベスト・セレクション』での人気投票では
13位
になってます。
これはかなりびっくりしました。
再結成後はライブのオープニング曲に抜擢された曲なんですが、それまでは一切演奏されてないんですよ?
2000年11月『ブリリアントワールド』リリース~活動休止宣言、2001年1月大阪・東京ドームライブという流れできて、1月31日に本作がリリースされてます。
そして活動休止したまんま2004年に解散を発表するので、2016年に再結成するまでテレビでもライブでも一切演奏されていないんです。
『ブリリアント・ワールド』もタイミングは悪かったのですが、まだテレビ出演時に演奏してましたし、最後のドームでは大阪、東京ともに演奏されているのですがね。
『プライマル。』よりはまだ露出されてます。
先述した人気投票は2013年に行われているので、『プライマル。』はまだ再結成して演奏される前に13位になっているというところがすごいんです。
実は『卒業=解散ソング』ではない
この人気の秘密として、一部の人達に感傷的に受け止められた側面があるのだと感じました。
色々とブログやらレビューやらを読み込んでみると、イエモンの活動休止後もしくは解散後にファンになった人は、『イエモンの最後の曲(卒業=解散ソング)』ということで特別な思い入れがあるようなのです。
というより一般的にそう思っている人が多いのかな?
確かに歌詞には『卒業』という単語が何度も出てきます。
この『卒業』という意味を『イエローモンキーを卒業してソロになる』の意味と捉え、『解散ソング』と受け止められているようなのです。
けど、ちょっと私にはピンとこないと言うか。
なぜなら、当時リアルタイムの私の感覚では、活動休止であって“解散“だとは受け止めていなかったから。
「活動休止ならサザンでもLUNASEAでもあったし、バンドがベテランになればソロ活動をやりたくなる時期もあるだろうから、そこでガス抜きできたらまた再開するんでしょ?」
っていう感覚。
う~ん、これって私だけじゃないと思うのですが。
だからこの曲が『イエモンの解散ソング』とか『ラストソング』に感じたことは、当時はなかったです。
それに内部的には解散寸前だったとしても、外部に対してメンバーの仲が悪くなっているような噂はほとんど聞こえてこなかったし。
実際、スプリングツアーの映像とかでも仲良さそうにしてますしね。
だからこの曲が『解散』を歌っているという解釈がいまいちピンとこない。
これはリアルタイムの状況を知るファンとしての個人的な意見です。
で、それとは別に、この『プライマル。』が制作された背景を客観的に調べてみても、やっぱりこの曲が『解散』を歌っているという解釈はちょっと違うかなと思いました。
その理由を説明しますね。
イエモンは1999年3月『ソー・ヤング』リリースと同時期に、長かったパンチドランカーツアー113本が終了。
そしてニューアルバム『8』の制作前に、しばらくはシングル路線で進めていくことを決めます。
アルバムが売れない時代になったので、シングル優先で楽曲を作っていき、楽曲が揃ったらアルバムにまとめる、という構想だったそうです。
この頃は、1997年にフジロックで打ちのめされて、アルバム『パンチドランカー』のレコーディングでもデモ音源を超えられなくて、挫折が2回続いているわけですよ。
だから、この時期のロビンは音楽内容に対して非常に野心的というか。
「海外のバンドに負けないくらいの音と技術で、さらに上のレベルにバンドサウンドを引き上げなきゃ。それはこれまでのイエモンらしさと違うこともあるかもしれないけど、“手癖で続けていくこと“と”らしさ“は違うだろう」
そんな感じでしょうか?
かなり前向きなんですよ。
だから外部プロデューサーを起用したりして、外部意見も取り入れることで、バンドを『新イエモン』として生まれ変わらせようとしてたんです(思ったほど効果はなかったようですが)。
そんな意志でシングル楽曲が次々に制作されていきます。
『バラ色の日々』『聖なる海とサンシャイン』『ショックハーツ』『ブリリアントワールド』『プライマル。』『ネバーギブアップ』などの楽曲群はその時点で出来上がってました。
これらの楽曲は、『ソー・ヤング』までの作風を『卒業』し、『新イエモン(新たな音楽性)としての再スタート』を意識して作られています。
だからそれより前に作られた『マイ・ワインディングロード』と『ソー・ヤング』はニューアルバムの『8』に収録されなかったんです。
つまり、『プライマル。』は『解散・お別れソング』というよりも、もっと前向きな
再スタートを決意する
流れの中で作られているんですよ。
しかも、この楽曲群の中ではその決意が歌詞にまで現れているという、『原点回帰』『再スタート』を象徴する曲なんです。
『プライマル。』が活動休止直後にリリースされたのは、単なる偶然です。
これら『新イエモン』を意識して作られた楽曲群は、シングルとしてリリースする順番がたまたまこうなっただけで、もしかしたら1999年12月に『バラ色の日々』がリリースされるかわりに他の曲、例えば『プライマル。』がリリースされた可能性もあったということです。
なぜならロビンは『聖なる海とサンシャイン』をリリースしようと考えていて、レーベルから駄目だしされての『バラ色の日々』だったんですから。
狙って最後にリリースした訳では無いし、そもそもこの曲が作られた時期にはまだメンバーの意識の違いなどはそこまで深刻になっていなかったと思います。
「あれ?あれ?」
っていうちょっとしたすれ違いはあるにせよ。
深刻になってくるのは、シングル制作が終わった後に、『8』のアルバム曲制作に取り掛かり始めてからだと思います。
しかし、2001年1月31日という活動休止期間中にリリースされ、そしてその後の解散により結果として『イエモンのラストシングル』となってしまったため、『卒業』というワードが『新イエモンとして生まれ変わる』というロビンの意志とは真逆の『解散』という意味に受け取られてしまったということなんですねぇ~。
なんとも皮肉な運命です。
本来ものすごくポジティブな想いを込めた楽曲だったものが、どこか影を引きずってしまう存在になってしまった。
まあ、確かにあの歌詞の内容であれば、「バンドを解散させるべきか継続させるべきかで揺れ動く心情を歌っている」と受け取られても仕方ないとは思いますが。
でも、それはその後の「ロビンとメンバーの意識の違いが大きくなっていって解散する」ということを知っていて読むからこそであって、事後的解釈というか。
歌詞の原案のきっかけとなった、口紅のCMタイアップの話が来たのも、1999年の卒業シーズン(2~3月)前と言われていますから、その段階って『パンチドランカーツアー』終盤で、バンドが終わるなんてまったく考えていなかった時期です(自伝でもそう言ってます)。
なので、この曲が本当の意味(再スタート)でその役割を果たすのは、再結成後のツアー『THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016』でオープニングナンバーに抜擢された時なんですよね。
意外に思った方も多いでしょうが、単にライブで演奏されてなかった悲運の楽曲だからオープニング曲になったわけではないんです。
つまり
再結成の一発目として、この曲ほど適任の楽曲は他に存在しないんです。
ホント、この曲の持つ本来の輝きがビッカビカに光ってたというか、本来持つべき輝きを取り戻したと言うか。
いや~、この曲はなんか『運命』を持っています。
イエモンがトニー・ヴィスコンティと制作
先程、『プライマル。』が『新イエモン』を意識して制作された楽曲群のうちの一つと話しました。
「『新イエモン』って具体的にどういうこと?」
って思われると思いますが、具体的には『外部プロデューサー』を入れることによって、新たな音楽性を探ろうとしたんですよ。
このシングル楽曲群の中から順番に『バラ色の日々』『聖なる海とサンシャイン』『ショックハーツ』とシングルリリースされますが、実はこれ全部プロデューサーが違います。
で、さらに「実は…」が続くのですが、このシングル『プライマル。』とカップリングの『ネバー・ギブアップ』の2曲も外部プロデューサーが手掛けてます。
手掛けたのはあの
トニー・ヴィスコンティ
です。
「誰?」
でしょうね(笑)。
ヴィスコンティはイエモンが敬愛するあのT-REXやデビッド・ボウイを初期から手掛けていた大物プロデューサーなんですよ。
若きグラムロックのトップ2、マーク・ボランとデビッド・ボウイを、売れない頃からスターになるまでの成長を見守っていた人。
その後、デビッド・ボウイとは長年の付き合い(盟友)となり、ボウイ全28アルバムのうち半分ほどは彼のプロデュースですね。
彼が手掛けたボウイの代表作としては、『ベルリン3部作』と呼ばれるドイツで制作した3枚のアルバムで、その中でも『ロウ』『ヒーローズ』はデビッド・ボウイの全キャリアの中でもっとも実験性が高い2作として評価が非常に高いです。
長年の付き合いの中で途中20年間くらい喧嘩別れしていた時代もあったのですが、和解後はボウイの遺作となった『ブラック・スター』まで手掛け、デビッド・ボウイの生前最後となる作品制作を共にしました。
デビッド・ボウイの死後に制作されたドキュメンタリーでは、インタビューで一番多く語っているキーパーソンです。
ヴィスコンティがこのシングル『プライマル。』でイエモンと仕事をしたのは、ボウイとかれこれ20年近く喧嘩別れしていた時期(1999年)にあたり、このイエモンとの仕事の直後にアルバム『ヒーザン』から再びボウイとの仕事を開始するんですよ。
もしかして、あまりにもデビッド・ボウイに心酔するイエモンと仕事をしてるうちに、ボウイのことが懐かしくなって和解に至ったのかも(笑)。
そう思ってしまうほど、絶妙のタイミングなので。
イエモンはキャリアの途中からレコーディング拠点をロンドンに移していましたが、このトニー・ヴィスコンティと仕事が出来たことはその恩恵の最たるものでしょう。
『プライマル。』が収録されたベストアルバム⇩
「ネバー・ギブアップ」が収録されたベストアルバム⇩
「プライマル」🟰卒業ソングではないという解釈が新鮮でした。
当時の私には、燃え尽きたんだなという感じがして、バンド活動からの解放を願っているのかなという印象があったので。なんというか、このやけっぱちな明るさがなんとも痛々しいというか。
「ジャガーハードペイン」を知る身としては、どうしちゃったの?と戸惑いしかなかったです。「brilliant world」までは、まだ、新しい音楽への試行の痕がうかがえただけに、なおさら残念感が強くて。
まあ、なんとも不憫な曲ですね。
しかし、13位とかなり人気なのも驚きです。
ご指摘の通り,ファンの感傷的な気分が反映しているのかと思いますが。
で、ランキングに自分のすきな「FINE FINE FINE」が入ってないことに2度驚いて、あれ?自分の趣味のがマイナーなの?と今更ながら気づいたりして。。
ところで、余力があれば、すきなイエモンの10曲を書いてくださると嬉しいです。
乱文失礼しました。
コメントありがとうございます。
『プライマル。』はリリースされたタイミングによって、受け取られ方は全然違っていたでしょうね。
「FINE FINE FINE」確かに入ってませんね!
ご愁傷さまでした(笑)。
私も「審美眼ブギ」「”I“」「パンチドランカー」「ストーン・バタフライ」らの攻撃ナンバーが入ってなくて「チーン」となった一人です(笑)。
「FINE FINE FINE」をはじめ、これらの名曲でさえもトップ50位に入れないほど、イエモン楽曲群は層が厚いということなんでしょう。
私のトップ10ですか…。
昔、ちょっとやってみたんですが、トップ30から先は絞り込むことが不可能でした(笑)。
いや、これほんとにそうなりますって。