玉名ラーメンの歴史のすべてを語る決定版!
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
これまで玉名ラーメンの名店紹介、非玉名ラーメン紹介などをやってきましたこのsimackyブログ。
ここらで玉名ラーメンの歴史を分かりやすくまとめたいと思います。
今回、各店舗の記事を書いてきてその都度、色々調べてきたのですが、ちょっと勘違いや誤解があったりもしたので、自分の頭を整理する上でも一度きちんとまとめておこうかな、と。
玉名ラーメンとは?
とんこつラーメンのルーツは?
九州とんこつラーメンの歴史を紐解くと、戦前にとんこつからダシをとる製法を生み出したのが久留米市の南京千両というラーメン店。
九州とんこつラーメンの元祖はなんと久留米!
博多じゃないんですよ。
この南京千両は1937年の開業なので、博多ラーメンの元祖・『三馬路(さんまろ)』の開店1940年よりちょびっと早かったんですね。
暖簾に書いてあるでしょ?
『創業昭和12年』
ですよ?
すげぇ昔、終戦前…というよりまだ太平洋戦争始まってない?
この頃はほぼ捨てていたとんこつからダシが取れるということで、その原材料の安価さからあっという間に広がります。
ちなみにこの頃のスープはまだ透明で、現在の白濁スープではありません。
これをあるラーメン店が偶然煮込みすぎてしまったことから、現代のとんこつラーメンの特徴である白濁スープが生まれます。
「おいおい、煮込み過ぎだぞ馬鹿野郎!なんてことしてくれるんじゃあ…ああ…もうこんな濁ったスープじゃあお客さんに出せないじゃないか…。ん?…あれ?何じゃあ!?濁ったほうがコクが出て美味いぞ!」
ここに九州とんこつラーメンの基本が出来上がりました。
そう、テレビ番組の『仰天ニュース』でも取り扱われたこの屋台のお店こそが、1947年開業の
久留米『三九ラーメン』
になります。
そしてその三九ラーメンが1952年(昭和27年)に2店目を出した地が私の地元・玉名市。
ここで伝わった製法が玉名独自で発展したものが玉名ラーメンです。
どのように発展したのか?
まず、玉名に出店してすぐの頃は当然、久留米で出していたそのままの久留米ラーメンを提供していたんだと思われます。
しかし、ここで玉名の地域性の影響を受けてちょっとずつ変化していくんです。
玉名は有明海が近く、海苔業を営む気性の荒い漁師さんたちが
「おらぁ、大将!ちぃと冷えるけん、スタミナ付いて体がカッカするもん作らんかぁ、ボゲェ!」
とか無茶振りを始めます。
いや、どんだけ?
玉名の漁師ってそんなんだっけ?
まあ、そういうことにしておきましょう(笑)。
というわけで、スタミナが付くようにとニンニクを油で炒めたものをラーメンに載せるようになったのがオリジナル玉名ラーメンの原型です。
ここ重要ポイントです。
つまり久留米ラーメンと玉名ラーメンを明確に分ける分岐点はこの
『ニンニク』
ということです。
で、そうやって久留米ラーメンが玉名ラーメンへと進化をしているところへ、当時、三九ラーメン玉名店に研究にやってきた熊本市内のラーメン店主たちが持ち帰って、発展したのが熊本ラーメンという流れです。
玉名ラーメンと熊本ラーメンの違いは、『ニンニクの使い方』ですね。
玉名ラーメンの場合は、水分を飛ばすために揚げた(煎った)ニンニクチップをラーメンにふりかけて使います。
ニンニクが苦手な人は入れないという選択肢もありますが、この小さじ一杯投入されたニンニクチップが噛んだ瞬間ガツンと強烈な風味を放ち、もうたまりません。
これに対し熊本ラーメンは、ニンニク(あと香味野菜も)を焦げるまでラードや油で揚げたものを調味オイルとしてスープにかける方法を取ります。
この調味オイルは、その後、桂花ラーメンが『マー油(黒マー油)』として完成させ、熊本全体に広がり、現在一般的に皆が知っているあの熊本ラーメンのヴィジュアルができあがるわけです。
なので、熊本ラーメンは茶色、もしくは黒く焦げたマー油がスープ表面を覆います。
熊本ラーメン店ではニンニクチップが卓上に置いてあることが多いですが、実はかけなくてもすでにスープ表面にたっぷり焦げたニンニクが浮いているわけです。
私が
「ニンニクチップは玉名ではマストだけど、熊本ではマストではない」
とか言っているのはこのためなんですね。
まあ、この香りたるや強烈で、部屋中に充満して食欲をそそります。
う~ん、ニンニクチップか?それともマー油か?どちらもいっちまうか?
なんにしても刺激的!
玉名ラーメンはニンニクチップを入れなければそこまで口は臭くなりませんが、熊本ラーメンは入れなくても、普通にラーメン食べるだけでニンニク臭くなるので気をつけてくださいね。
まあ、玉名ラーメンはニンニク臭がしなくても豚骨臭くはなってしまうので、結局は同じなんですが(笑)。
余談ですが、この時、熊本に持ち帰った人たちが開業するラーメン店がすごいんですよ!
熊本ラーメンの実質1号店とも言われる松葉軒(1953年開業)。
昔から熊本ラーメン人気ランキングで1位になることも多い老舗の名店『こむらさき』(1954年開業)。
まるで長崎県における『リンガーハット』のように県民に愛され、九州、全国どころか海外にまで出店する大型チェーン店となった『味千ラーメン』はだいぶ後になりますが開業します(1968年)。
この創業者たちが語るには
「あの時、三九ラーメンを食べに行っていなかったら今のうちの店はない」
とのことで、いかに三久ラーメンの影響力がすごかったのか伺いしれます。
おもしろいでしょ?
今年2024年は三久ラーメンが玉名に出店してきてからすでに72年が経過しているので、玉名のラーメン屋には老舗が多いのも納得できます。
玉名ラーメンの発展
三九ラーメンが2店舗目として玉名市に出店しますが、わずか4年後の1956年には閉店になります。
人気はあったらしく、行列もできていたらしいのですが、閉店して佐賀に移転します。
なので、その三九ラーメン佐賀店をルーツとして発展した佐賀ラーメンは実は玉名ラーメンと兄弟みたいなもの。
そのためか、自分の知り合いでも佐賀出身の人は玉名ラーメン好きな人多いです。
佐賀出身のお笑い芸人の塙(はなわ)さんも玉名ラーメン好きの一人で、年に1回は玉龍ラーメンに食べに来ているとのこと。
こちらがYou Tubeの動画⇩
で、話を戻すと、その後、三九ラーメン玉名店で修行していた情熱に燃える若干20歳の若者が独立して、玉名ラーメンの歴史に最初の1ページを刻むお店を開業します。
そう、これが老舗中の老舗
『天琴』
(1957年創業~67年)。
2024年で創業67年になります。
偉大なる初代大将の名前は
中村敏郎さん。
その後の玉名ラーメンはこの天琴から発展していきます。
その意味ではここが元祖と呼んでいいでしょう。
ただ、玉名ラーメンの代名詞とも言えるニンニクチップは、この天琴が独立して完成させたのか?それとも三九ラーメン玉名店の時点でそれは確立されていたのか?
このあたりは調べてみても情報がなくてよく分かりません。
ただ、三九ラーメン玉名店の大将がインタビューで
「海苔業の人たちからの要望でニンニクを揚げて入れていた」
みたいなことを言っていたので、ニンニクを入れていたのは間違いないらしいのですが、ただそれが今に伝わるニンニクチップ(フライドガーリック)の形状だったのかは分かりませんね。
色んなお店が三九ラーメンから影響を受けて、またお客からの要望を受けて切磋琢磨していた中で生まれたのかもしれません。
というのも、天琴の中村さんが言うには
「三九ラーメンから影響を受けて開業した店舗がこの時点で2,3店舗あった」
らしく、
「仕入れ業者は先に開業したお店の分しか納品できず、天琴は豚骨を分けてもらえなかったんで、故郷の島原まで2日に1回豚骨を仕入れに行っていた」
らしいのですから驚きです。
この初代大将・中村さんの情熱が、玉名ラーメンの礎(いしずえ)になったと言っても過言ではありません。
ちなみに、天琴よりも先に開業していたお店に『静海』があります。
現在はもうやっていませんが、
「創業昭和30年(1955年)玉名で一番の老舗」
をうたってました。
ここも学生の頃にたまに行っていたのですが、天琴のこってり感とは真反対で、かなりあっさりした味だったことを覚えています(っていうより接客態度が酷すぎてラーメンの味が分からなくなるくらいだったのですが)。
また、ニンニクは頼めば持ってきてくれるくらいで、訊かれはしませんでした。
案山子(かかし)の大将はこの静海で修行していたらしく、この味を引き継いでおり、案山子もニンニクは訊かなければ入れてもらえません(笑)。
この静海の一派は『ニンニク入れるのが必須ではない玉名ラーメン』です。
現在、天琴に代表される『一般的に認識されている玉名ラーメンの味』には、対抗するもう一派があったことを教えてくれます。
なので、もしこの静海が今でも続いていれば、現在の玉名ラーメンは『天琴系』と『静海系』に分けて語られていたかもしれませんね。
そして今度はその天琴で修行していた人が6年後に創業したのが
『桃苑』
(1963年創業~61年)。
同じく天琴で修行した人が分家して
『大輪』
(1982年創業~42年)。
ちなみに天琴・桃苑・大輪のことを昔から
『玉名ラーメン御三家』
と呼ぶんですが、これは最も老舗の3店舗ということではありません。
これは当時、人気がある店舗のトップ3という意味で付けられた呼び方、もしくは天琴から派生した店舗という意味でのくくりだと思うんですよね。
なぜなら御三家以外にも古い店舗はたくさんあるからです。
御三家を紹介したかったので、この順番で紹介したのですが、玉名ラーメン各店の創業の順番は、私が調べて分かった範囲だとこうなります。⇩
1952年三九(1956年佐賀へ移転)
1955年静海(しずみ)
1957年天琴・来々軒
1963年桃苑
1971年玉龍
1977年案山子(かかし)
1978年雲龍軒
1979年千龍・味千玉名店
1980年中王
1982年大輪・博龍(今は植木に『えぼし家』として移転)
1983年大宝(長洲)
2002年番屋
2005年黒竜・丸幸(どちらも今は閉店)
2006年極ラーメン宙
2014年麺屋いっぽう
2015年まる孔・小やま
ここに挙げた以外でも『腹つづみ』、『れいとん軒』、『立願(りゅうがん)』とか昔はもっとたくさんありましたね。
最盛期(1970年代)は玉名市だけでも30店舗を超えていたらしいので、すごいですよね。
懐かし~な~。
それから天琴を玉名ラーメンの元祖と言いながら、同じ年になんと来々軒が創業していたことが今回の調べで判明しました。
来々軒も元祖と呼ばれない理由は『玉名ラーメン七不思議』ということにしておきましょう(笑)。
で、先程の『玉名ラーメン御三家』とは別に、その後になって新たな呼び名が加わりました。
『玉名ラーメン四天王』
という言い方をします。
先の御三家に『桃苑』の姉妹店である
『千龍』
(1979年創業~45年)
を加えた4店舗です。
世間一般的にイメージされるいわゆる『玉名ラーメン』の味の基本は、四天王の店舗の味のことを指していると言っても大きく間違うことはありません。
源流が三九ラーメンだし、天琴で修行した関係者たちから広がっていった側面があるので、お店ごとにガラッと違いがあるかというとそういうことではありません。
どこで食べてもしっかり玉名ラーメンしてます。
基本部分は同じです。
特に天琴と大輪はまさにそう。
これはバカにしているわけではなく、どのお店も玉名ラーメンの基本に忠実に、そしてクオリティが全て高いということを伝えたいだけです。
「この店が好きだからこの店は口に合わない」などということはありません。
「一番?強いて言えばここかな?でも日によって変わるかも」
程度の違いはあれども
「俺は〇〇派だからここ以外は認めない」
とか思っている人は地元では誰もいないと思うんですよね。
私なんて玉名市のラーメンはこの四天王以外も全て大好きです。
それほど玉名という土地はラーメン激戦区です。
私なんてどこに入っても
「やっぱここが最強!」
とか言い出す始末ですから(笑)。
もはや美味しいのはここでは当たり前。
そんなラーメン激戦区にあって、「美味い!」を通り越して「感動した!」さえ通り越し、
「なんかもうありがとう!」
という『感謝』の領域にまで到達する店舗もいくつかあります。
玉名ラーメンの流儀
三九ラーメンからその味を引き継いで発展した、玉名ラーメンと熊本ラーメンは兄弟のような関係です。
しかし違う点もいくつかあります。
1つは熊本に比べ麺が若干細く柔らかいことが挙げられます。
まあ、別に熊本ラーメンは『硬麺』というより、『普通』くらいなのですが。
しかし、『普通』を食べ慣れている人からするとかなり柔いです。
よくクチコミを見ていると
「麺が硬かったら良いのに」
「提供時間が遅いから麺がすでに伸びてる」
という声を見かけますが、玉名ラーメンはあのスープとこの麺の柔さが1つの定義(流儀)みたいなもの。
これはこういうものだと、割り切る必要があります。
例えば、コシの強い讃岐うどんを食べて育った人が、福岡の柔麺の『牧のうどん』『資さんうどん』などで食べて
「麺が伸び伸びじゃん!こんなのはうどんとは言わないよ~」
って言うようなものです。
これはそういう食べ方なんで、失敗しているわけでも、提供時間が長かったからでもありません。
玉名ラーメンはヤワ麺がデフォルト
ということですね。
実際に麺の硬さを選べる店舗はありますけど、食べてみると
「カタ麺はそんなに合わない」
というのが個人的な感想。
もともとのヤワ麺の方がスープに合っていると思います。
熊本ラーメンとの違いのもう1つは、先述した『ニンニクの使い方』です。
ニンニクチップは熊本ラーメンではマストではありませんが、玉名ではマストですね。
ラーメンがテーブルに届くと、ウエイターさんから
「ニンニク入れましょうか?」
と聞かれますので「はい」か「いいえ」で答えてください。
「はい」と答えると、小さじ一杯の適量のニンニクチップをササッとふりかけてくれます。
「自分の好みで入れるのでここに置いといてください」
とか
「山盛り3杯お願いします」
などという選択肢はありません。
「てめぇ、ここは味千ラーメンじゃなかっぞ?玉名の流儀ば知らんとや?3杯とか入れたらスープの味が台無しになるどがぁ!」
とウエイターさんが目で語ってきますので。
あなたにはドラクエの主人公のように「はい」か「いいえ」の2択しかないのです。
これはどこか特定のお店のことを言っているのではなく、玉名ラーメンは全般的にそういうお店が多いです。
最近では卓上セルフのお店も増えましたが。
ニンニクの香りは強烈な食欲をそそりますが、噛んだ瞬間のパンチも相当なもの。
これを食べた日はもう人と話さないぐらいの覚悟で行ってくださいね。
「今日は人と会うからニンニクは抜きで」
とかいう気持ちならハナから行かないほうが良いです。
だって、先述したように玉名ラーメンからニンニクを除いたら久留米ラーメンですから。
まあ、ニンニクチップにこだわりのない店舗のは、あんまり美味しくないので入れなくてもいい場合がありますが。
それから玉名ラーメンには基本的に替え玉システムはありません。
最近では出来る店舗も増えてきましたが、メニューに書いてないのなら頼んじゃ駄目です。
「替え玉お願いします!」
とか言うと
「ここばどこて思うとっとや!?博多や長浜じゃなかっぞ!このよそもんがぁ!足りんなら始めから大盛り頼むかもう一杯頼んだらどがんや!?」
と目で語りかけてきますので言っては駄目です。
あれはあくまで長浜や博多の文化であって、玉名では基本ではありません。
私が高校生の頃はテレビで見た『替え玉』なるものに猛烈に憧れがありましてね~。
学生時代に、大輪のめっちゃ強面でお客にブチ切れる大将に、出来ないと分かってるくせにどうしてもしたくて、「替え玉1つ」を3回くらい澄ました顔で言ってみました。
言ってりゃできるようになるかな、と(笑)。
さすがに3回目になると
「あんた前回も前々回もそれ言いよったよね!?分かっとって言いよるど?確信犯やろ?何回も言いよきゃそのうちなし崩し的に替え玉できるごてなるて思うとるど?そがんこつは見抜いとるぞ?どうや図星やろ?」
と目でで語られました(目で語りすぎだろ)。
ここまでの話を聞いて、もう、だいぶドン引きしたでしょ(笑)?
「なんかお客に優しくなさそうで怖いよ」
そう思ったそこのあなた!
別に獲って食われるわけではないので安心してください。
玉名ラーメンの接客はお世辞にも丁寧とは言い難いので、こういうことは心の準備をしていったほうが楽しめると思うんですよ。
いきなり失礼なことを言われるとムカッと来ますけど、そういう風に来ると分かってて行くと、言われた時に
「ああ~これが玉名名物・横柄な接客かぁ(笑)」
と笑いのネタに出来ますから。
それにこういう心の準備をしておくと、いざ接客が意外に普通だっただけでも
「え?なんやエラい良い人たちやん」
ってなりますから。
これを
『ヤンキーは普通の受け答えをするだけで良い人に見えてしまう効果』
と呼びます。
ちなみに最近では接客が丁寧な店舗も増えてきましたので、ほんとに怖がる必要はないですからね(笑)。
はい、というわけで本日は玉名ラーメンの歴史とルーツ、食べる際の心構えをまとめてみました。
参考にした資料も添付しておきますので気になる方は読んでみてください⇩
熊日新聞記事
私のおすすめする店舗はメニューの『玉名ラーメン』というカテゴリで全て1店舗ずつ紹介してますので、色々読んで食べに行ってみてくださいね。
それではまた!