JAM(ジャム)イエローモンキーの代表曲と言えばこれ

本記事はプロモーションを含みます。

どうもsimackyです。

本日は1996年2月にイエローモンキーがリリースした9枚目のシングル

JAM

を語っていきたいと思います。

私と『JAM』との出会い

私がこの『JAM』という楽曲と出会ったのは、大学に入ってバイトの同僚とカラオケに行った時です。

同僚がこの曲を歌ってて

「あ、イエモンじゃん。この曲知らないな。ん~、地味な曲だな~。こいつはなんでこの曲を歌おうと思ったのかな?」

って思いました。

けど、その後、バンドメンバーとかでカラオケ行っても誰かが必ず『JAM』を歌うんですよね。

実はイエローモンキーとか、hideとか、LUNASEAってボーカルの声があんまり高くないから、大学生の男からすると貴重な引き出しなんですよ。

世代的にはB’zやサザンも当然歌えるんですけど、高すぎてきっつい!

Xなんてそもそも歌おうとさえ思わない(笑)。

そんな中でイエモンは歌いやすく、女の子とかにも割りとウケが良い。

そういうわけで、当時の大学生男子にとっては鉄板だったんじゃないかな?

私も当時持っていたアルバム『フォー・シーズンズ』が大好きだったので、それらを歌ってました。

この頃になると、シングルカットされた曲だけじゃなくて、アルバム曲もカラオケに入っている時代になってきてましたので、『フォーシーズンズ』しか知らなくても、十分満足できました。

で、カラオケでいつも周囲の男たちが歌うこの『JAM』を聴いているうちに覚えてしまうんですよね(笑)。

いつの間にやら自分の持ち歌になってしまったこの『JAM』なんですが、原曲を聴くのはだいぶ後になります。

この後、イエモン狂のバンドメンバーから全アルバムを借りて聴くのですが、その中にも入っていないし。

「ん~?これだけ皆が知っている曲なのにアルバムに入っていないとかあり得るものなのか?」

と、かなり意外に感じたのを覚えています。

だからといってシングル買おうとまでは思わない。

なぜなら「シングルとか興味ない派」だったからです。

当時の私はシングル買うくらいなら中古で一枚でも多くの洋楽アルバムを買いたかったので、シングルなんて「ボッタクリ商売」くらいに思ってましたから。

そんなわけで、持ち歌であるにも関わらず、原曲を聴くのは数年後に友達の車でベスト盤を聴いてからですね。

初めて原曲を聴いた時はびっくりしました。

自分が友達から耳コピしていた歌メロが間違っていたんですから(笑)。

「おい!ぜんぜん違うとまでは言わないけど、なんかビミョーにおかしいぞ!嘘ばっか教えやがって!」

まあ、原曲のかっこいいことかっこいいこと。

「こんな平凡な歌が、歌い手の表現力によってこんな名曲になることがあるんだ…」

友達の歌、そして自分の歌をさんざん聴いてきて、初めて本人の歌を聴いた時に、ロビンの表現力に圧倒されました。

我々、ボーカリストでもない一般人が歌える高さであるからこそ、余計にその『差』が分かってしまう。

『凄み』を感じてしまう。

そんな体験でした。

『JAM』ってどんな曲?

『JAM』は6作目のオリジナルアルバム『フォーシーズンズ』がリリースされた後にシングルリリースされ、次作『SICKS』には収録されませんでした(カップリングとして収録された『タクティクス』は『フォーシーズンズ』からのカット)。

そのため、アルバムとしてはベスト盤にしか収録されず、私のような「オリジナルアルバムしか聴かない派」の人間にとって、もっとも「聴く機会がない」ポジションに位置していたんですよ。

で、シングルの売上としては前作『太陽が燃えている』のオリコン9位の記録を塗り替えて6位になりました。

セールス枚数は『太陽が燃えている』の記録16万枚を大幅に更新して60万枚を突破。

これはイエモンのシングル全部の中で『バーン』の66万枚に次ぐ、2番目のヒットシングルです。

アルバム『フォーシーズンズ』が1位を獲得し、『JAM』が60万枚を超えたことで、イエモンの世間一般での認知度が一気に上がり、スターダムに上り詰めます。

そういうわけなので、この『JAM』を聴いてイエモンのファンになった人も多いという、いわゆる『イエモンの出世作』というやつがこの曲なんですね。

イエモンのライブでは、ラスト曲やアンコールなど重要な部分で大切に演奏されるナンバーとして知られます。

2004年7月の解散発表後の東京ドームフィルムギグで、最後に本人たちが登場して演奏されたのがこの『JAM』。

そして再結成後に念願の紅白出場を叶えた際に演奏されたのもこの『JAM』。

イエローモンキーファンにとっての永遠のアンセムソングであり、ロビン本人が『イエモン王国の国歌』とまで呼ぶのがこの『JAM』です。

イエモンファンが選ぶ人気曲を収録したベスト盤『イエモン・ファンズ・ベスト・セレクション』では、『バラ色の日々』に1位を奪われ2位でしたが、それまではあらゆる人気投票でずっと1位でしたね。

なので世間一般的認知度はまだまだ『JAM』が高いと思います。

『JAM』の内容は?

ある時ロビンが「世の中の不条理」を書き留めていたものから、7分くらいの楽曲を作り、それを公共的に発表できる形に歌詞を整理して5分台の長さにして生まれたのが現在の形です。

歌詞の内容は世の中の不条理を『糾弾』するような直接的だったり攻撃的だったりする内容ではなく、その不条理に対し少年のような“僕“が感じる『素朴な疑問』だったり、等身大の不安感だったり、そこから心細くなって湧き上がってくる身の丈に合った愛情だったりといった様々な感情を、美化することもなく飾ることこともなく率直に歌い上げています。

『愛』の表現って、『ラブ&ピース』とか『世界平和』とか言われても、何やらお題目が大きすぎてピンとこないものですが、この曲のような表現をされるとリアルで身近で共感がわくというか。

例えばですよ?

閉塞感に覆われたこの日本において、テレビから流れてくるのはバッドニュースばかり。

ある時、子供が殺される事件のニュースが流れたとします。

「うちの子供にだけはこんな目にあってほしくないな」

とかって思ったことありません?

それってどこの親でも思うと思うんですよ。

これは日本に限らず世界中どこの国の親だって一緒なはずでしょ?

今、私が朝のニュースを見ながらそう感じたように、今別の国で朝のニュースを見て私と同じように感じている親がいるわけです、遠い空の向こうに。

アメリカでも中国でもロシアでもイスラエルでも同じように感じている親がいるわけです。

その意味で言うと、こうした気持ちに国境は関係ないんです。

けれども日常を過ごしていて、そういうことに思いを巡らせてみたことすらありません。

『飛行機が墜落事故を起こしたけれども乗客に日本人はいませんでした』

って言われて

「あーホッとした。そうか、日本人はいなかったのか。良かった良かった」

と思考停止している自分がいる。

想像力が欠如している自分がいる。

テレビを見ている日本のお茶の間にそういう空気感があるから、『ニュースキャスターは嬉しそうに』喋るんです。

ニュースキャスターもおかしいのかもしれませんが、そうさせているのは日本の、いえ、“社会“の空気感なんだと思います。

こういう一人一人のちょっとした想像力の欠如だったり、ちょっとした無関心だったりが”国”っていう単位で集まると、偏った愛国心とかナショナリズムとかに繋がって、国と国の戦争にまで発展しちまうわけです。

自分の国が相手の国にミサイル打ち込んでたって、そこが血の海になっていたって、自分と同じような親が子供を失って悲しんでいるなんて想像もしないんです。

『この世界に真っ赤なジャムを塗って食べようとする奴がいても』知らんぷりなんです。

それが現実。

現に今のロシアもイスラエルもそうでしょう?

けど、日本人の誰に、世界中の国々の誰に、かの国の国民たちを非難する資格がありましょうや。

そういう社会全体的な無関心というものの存在に、ある時『僕』はニュースを見ていて「フッ」と気がついた。

そういう無関心が“一つの塊“として見えた時、眼の前にバーンと突きつけられた時、それと対峙した時に、世間で生きていくことが空恐ろしくなってくる。

なぜならその『一つの塊』はいつ自分に向かってくるやもしれない。

何も疑問にも思わず、何にも気づかず生きてきた。

けれども冷徹なまでの現実に直面した時に『僕は何を思えば良いのだろう』。

無様なまでに無力でチンケな『自分』に気がつく。

急に不安になってガタガタ震えて眠れなくなる。

心細い。

孤独感に耐えきれない。

想像してみてください。

そういう時に思い浮かんだ人は誰ですか?

誰に会いたくなりましたか?

誰を守りたくなりましたか?

誰と一緒に死にたいですか?

この曲はなんの答えも教えてはくれません。

けれども、何かを感じさせ、何かに気づかせ、何かを考えさせられる曲です。

孤独で不安で仕方がないあなたを、ロビンの声と、バンドのメロディが包み込んでくれます。

そして自然と涙が流れてきます。

じっくりと、どっぷりとこの曲に浸ってください。

1990年代を代表する名曲中の名曲です。

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