『8(ハチ)』イエローモンキー アルバム解説~解散前の最後の作品~
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
本日はイエローモンキーが2000年にリリースした通算9作目のオリジナルフルアルバム
8(ハチ)
を語っていきます。
地獄のツアーからの生還…しかし…
1998年3月に通算8作目『パンチドランカー』をリリースしたイエモンは、すぐさま長大なツアーを開始します。
1998年4月から1999年3月まで、まる1年で113本もの公演をこなすこの『パンチドランカーツアー』は、日本中津々浦々をくまなく回るツアーで、それまでイエモンを知らない多くのファンを獲得することに成功しました。
このツアーの最中にも『離れるな』(15位)
『シュガー・フィックス(甘い経験の英語版)』(5位)、
と4枚のシングルをリリース。
人気・知名度ともにピークに達していたのですが、バンドの内情としては疲弊しきっていました。
いや~、やっぱり1年間で113本なんて3日に1回ですからね。
これはかなり大変でしょう。
しかもこれをこなしながら、MVの撮影はしなきゃだし、音楽番組なんかのテレビ出演やラジオ出演もあるわけだし。
あまりの過酷さでロビンはツアー中に一度倒れるんですから。
さらに追い打ちをかけるようにスタッフがステージ落下事故で亡くなってしまったり。
前回の『パンチドランカー』の解説記事でも書いたのですが、この頃のロビンはフジロックでの失敗も引きずっており、肉体だけでなく精神面でも相当参っていたようです。
終盤の公演でもMCで「今回のツアーは失敗でした」とか言い出す始末。
おそらくこの発言には色んな意味が込められていたんだと思います。
セットリストなどのステージの内容自体のことを指しているのかもしれないし、過労によってバンドメンバーの関係性が冷え切ってしまったことなんかも指して「失敗」と言っていたのかもしれません。
けれど、裏の事情を知らないお客からしたら、
「え?俺たちってメンバーが失敗だと思っている内容の公演を見させられているの?」
って受け取るかもしれません。
これいくらなんでもお客さんに言うべきことじゃないでしょう。
そんな正常な判断もつかないくらい参っていたのだと思われます。
まあ、そのあたりの舞台裏秘話をドキュメンタリー映画にした『パンドラ』の解説記事も書いてますので、読んでみてくださいな。
そんな過酷を極めたツアーも1999年3月には終わり、バンドは一度長期休暇に入ります。
そして、バンドの方向性を『シングル路線』に切り替え、これまで起用していなかった外部プロシューサーとのコラボレーションシリーズを企画します。
この時期のイエローモンキーは過渡期に差し掛かっていたと言うか、新たな音楽性を模索していたように感じます。
ここから1999年12月『バラ色の日々』(4位)、
2000年1月『聖なる海とサンシャイン』(9位)、
4月『ショック・ハーツ』(3位)
の、3枚は『実験3部作』とも言われており、それまでとはサウンドが結構変わりました。
それでもきっちりトップ10には入ってくるのですからさすがです。
こうして表の活動としては定期的にヒットシングルを飛ばしながらも、水面下ではイギリスでアルバムレコーディングを進めていたのですが、どうもこの頃からロビンと他のメンバーの間に音楽への意識の違いが出てきていたみたいです。
バンドをこれまでとは違う次元へとレベルアップさせるために、全てを取り仕切るロビン。
ロビン1人で作業を進めることも増え、またメンバーへの要求も本人が望まないプレイであることが増え、
「メンバーが活き活きと演奏しなくなった」
とのこと。
このことで、バンドを続けていくことに違和感を感じ始めたロビンは、ミーティングでバンドからの脱退の意向を告げます。
「俺をクビにしてくれ」
メンバー、スタッフはかなり動揺したみたいです。
実質的な解散宣言ですからね。
ミーティングでスタッフ・メンバーがロビンを説得していたこの時期、『エクスペリエンス・ムービー』の頃からコロンビア社員としてプロモーションを担当してくれていた中原さんが急逝してしまいます。
この中原さんはバンドにとって友人とも言える関係で、イエモンがコロンビアから移籍する時も事務所に誘うほどの仲だったといいます(中原さんはコロンビアにとどまりますが)。
会社の反対を押し切って「JAM」を売り込み、大ヒットさせた戦友でもあった中原さんの死により、一旦、解散の話は流れます。
そのため、ここで解散とはならず、「一旦休養を入れよう」ということになったのですが、ここからのロビンは気持ちの揺れ動きが感じられます。
「もうイエモンはお終いだ」
という気持ちと
「まだ生まれ変われるかもしれない」
という気持ちの間を行ったり来たりしているような、そんな発言が後の『プライマル。』の歌詞や、インタビューでも見られます。
アルバムを『作品』として作り上げていくことに対しても情熱を持てなくなったのか?
ロビンは
「シングルを出していって10曲くらいたまったら、もう2,3曲加えてアルバムリリースしよう」
とか言っていたのを
「いやいや、それじゃあ、ファンに対して申し訳ないでしょ?」
とメンバーが止めたというエピソードさえあるくらいです。
リアルタイムを知るものとしては、あの人気のピークの時期にバンド内部がそんな状態だったとはちょっと信じがたいですね。
中原さんの死は2000年3月18日とのことなので、なんと、イエモンは2000年4月8日からスタートする『スプリングツアー』の直前に、解散ミーティングをしていたという事実が今回の調べで分かりました。
『スプリングツアー』のDVDは持っていたのですが、ツアー道中のメンバーは仲が良く見え、とても『解散ミーティング直後』だとはにわかに信じられません。
そんなこんなで2000年7月にリリースした痛快ロックナンバーのシングル『パール』(6位)は、
「中原の意志をついでイエモンをもう一度輝かせたい」
という気持ちで作られた楽曲なんですよ。
そして同じ7月についに2年ぶりのアルバム本作『8』がリリースとなりました。
イエモンがアルバムのスパンをこれだの期間空けたのは初です。
LUNASEAとイエモン
やはりロビンのバンドへの気持ちは、アルバムリリースより以前にはかなりぐらついていたんだと思います。
アルバム『8』に伴うツアーは敢行されませんでした。
音楽フェスであるポップヒル(石川)と、ロック・イン・ジャパンに出演しただけですね。
このアルバムリリースから半年後の2001年1月には、イエモンとして初となる東京ドーム公演があるのですが、その直前である11月くらいに活動休止宣言をしてライブに臨みます。
その後バンドは活動を完全停止。
解散は3年半後となる2004年7月に発表するのですが、その期間はまったく何もしていないので、実質的にはこの2001年1月8日の東京ドーム公演までが、バンドとして活動した最後の期間となりました。
こうして書いていると、つい半年前にブログで書いたLUNASEAのことを思い出してしまいます。
1989年にイエモンが結成さらた年にバンドを結成し、1991年にイエモンと同じくインディでアルバムをリリースし、1992年にイエモンと同じ年にメジャーデビューしたLUNASEA。
LUNASEAは4作目『マザー』で1994年にブレイク。
イエモンは5作目『フォー・シーズンズ』で1995年にブレイク。
そのLUNASEAもこの『8』がリリースされた同じ月である2000年7月にラストアルバム『LUNACY』をリリースして解散(終幕)を発表します。
イエモンにとって実質最後の活動となる2001年1月8日の東京ドーム公演、その1週間前となる12月27日にLUNASEAは同じ東京ドームで終幕公演をやっているんですよ。
結成時期も、デビューした時期も、ブレイクした時期も、解散までも同じ時期。
1990年代を代表する偉大な日本のロックバンドであり、私にとっては青春時代にもっともお気に入りだった2つのバンドが21世紀を迎えると同時にいなくなりました。
この2バンド、交流があるとか仲がいいとかいう話は全く聞かなかったんですが、調べてみると1992年のお互いのデビュー年に石川県で開催されている音楽フェス『ポップ・ヒル』で共演してました。
イエモンの動画は探しても見つからなかったので、こちらはLUNASEAの映像⇩
こういうので共演すると結構仲良くなるって聞くんですけど、そこでちょっと交流ができていたのかな?
ギターのINORANとロビンが一緒にお酒飲んだりしてるみたいですね。
1990年代末~2000年代前半って解散するバンドが多かったので、スーパーグループ結成の噂話が結構出ていましたよね。
私が高校の頃なんかは音楽雑誌を賑わせていた時期が同じだったし、人気も高かった2バンドです。
アルバムセールスだったりとかオリコンの順位も似てましたね。
オリジナルアルバムがミリオン(100万枚)に届くような超売れっ子ってわけでもないけど、ベスト盤出せばミリオンセラー、みたいな。
同時期にグレイやラルクが200~300万枚とか超えてましたが、あそこまでいくと「ロック」っていうより「J-POP」に感じてしまうというか、頭の中ではほぼ『サザン、B’zやミスチル側のバンド』みたいな扱いになってるんですよね。
これは別にこれらのグループをロックバンドとして批判してるわけじゃなく、あくまでバンドの『あり方』に対するバンドごとの考え方、それを支持するファンの見解の相違でしょう。
イエモンやLUNASEAに「ロック」を感じるのは、どんなに売れてもあくまで
『ロック・バンドとしてのサウンドにこだわった姿勢』
が強くにじみ出ていたことですね。
バンドサウンドが主役。
この姿勢は最後まで貫かれていましたね。
「ボーカルという主役がいて、バックバンドとしてのメンバーがいる」っていう構図にならなかった、最後まで。
かたやLUNASEAは、RYUICHI(河村隆一)がソロで300万枚売っても、LUNASEAはロックバンドでした。
かたやイエモンは、一見すると作詞作曲すべてを手掛けるボーカル・ロビンのワンマンバンドにも見えますが、メンバーは最後までバックバンドに成り下がることはありませんでした(解散前は微妙だけど)。
バンドマンはそういう雰囲気を直感で感じるんでしょうか?
『楽器演ってる人に支持される』という傾向が特に顕著だったんですよ、どちらも。
「イエモンはベースがシンプルだけどかっこいいんだよ」
「LUNASEAはやっぱドラムが肝だよね」
そんな風に、ボーカル以外にスポットライトが当たるし、「自分もそうなりたい」と強く思わせるバンドメンバーのアティチュードがありました。
世間一般的には「女性ファンが多い」印象でしょうが、実はギター・マガジンとかドラムマガジンとか読んでいるようなヘヴィな音楽フリークがひっそりと、しかしかなりの数で支持しています。
そういうバンドの人気って一過性のものじゃなく、根強いんですよね。
『8』の作風
正直、本作を初めて聴いた時はあまりの『イエモンっぽくなさ』に「うわっ」ってなりました。
これは前作『パンチドランカー』でも感じたのですが、『スマイル』『フォーシーズンズ』あたりのポップさ、王道イエモンロックの虜になってしまった人がいきなり入るアルバムとしては難しいと思います。
こうしてイエモンを最初から通して聴き込んでみると、イエモンのポップさ、王道ロック感が頂点に達したのは6作目『フォー・シーズンズ』で、それからはアルバムを追うごとに『マニアックさ』『こだわり』を少しずつ注入している印象を受けました。
『Sicks』ではより深いディープな世界観を加え、『パンチドランカー』ではそれまでの自分たちらしさを崩しにかかり、本作では崩したところから『新たなイエモン』を再構築している流れが分かってくるんですよね。
これは自然な流れでそうなったということではなく、実は意図的に行われています。
本作の前にリリースされたシングル2枚、『マイ・ワインディング・ロード』と『ソー・ヤング』は本作の初回限定版のみに2枚組として付いてくるのですが、通常版には収録されませんでした。
ロビン曰く
「旧イエローモンキーと新イエローモンキーを分けたかったので、収録しなかった」
とのことで、この『8』、およびアルバムからの先行シングルは、『新たなイエモン』を意識して制作されていることが伝わってきます。
『新たな方向性を志向したアルバム』が『最後のアルバム』になってしまったことは皮肉なことですが…。
確かに新たな試みがなされているアルバムで、あらゆる楽曲からそれは感じられます。
「もうバンドは終わっている」と感じながらも「バンドとしての明るい未来」を最後まで信じて進もうとしているようで、なんか泣けてくるんですけど。
そのあがいている姿こそイエローモンキー、吉井和哉であり、これをどうしようもなく『美しい』と感じてしまうのは私だけでしょうか?
前作『パンチドランカー』で導入した’90年代オルタナティブの要素はもっと強くなってますが、『サイキックNo.9』『パール』のようなブリティッシュハードロックの要素も感じますね。
さらに言えば、’90年代後期からロックをひっくり返し、メインストリームを席巻するようになったヒップホップの要素が『ストーンバタフライ』で感じられたり、『メロメ』ではバンドメンバーが関わらないロビン単独の楽曲があったり、と多彩さは全アルバムの中でトップクラスです。
『多彩』とか言うとかっこいいですけど、悪く言えばバラッバラです(笑)。
なんていうか、楽曲ごとの振り幅は大きいけど統一感のあった『SICKS』とは全然違う印象で、まったく別々の時代に作られた楽曲を寄せ集めたかのような印象すらあります(間違いなく同じ時期に作ってますが)。
先行シングルではプロデューサーも曲ごとに変えてましたから、そりゃそうなるでしょうね。
本作にコンセプトや統一感は皆無です。
『8』楽曲解説
#1.ジュディ
かなり重々しいオープニングナンバーです。
もうここまでくるとアリス・イン・チェインズやサウンドガーデンのようなヘヴィさですね。
ロビンはフジロックで感じた海外バンドへのコンプレックスを晴らそうとしているかのようにも感じます。
邦楽ファンではなく、完全に洋楽ファンを狙った楽曲。
当然、私は大好きです(笑)。
このヘヴィリフ、たまりません。
#2.サイキック No.9
「大した曲じゃないな」
とか思ってたけど、自分のバンドで演ってみたら面白くて大好きになってしまいました(笑)。
なんか’70年代のハードロックを演っている気分なんですよね。
日本大学のキャンパスでゲリラライブをやっている映像がYou Tubeに上がっているのですが、まあ、やばいくらいかっこいいです。
うらやましすぎる。
うちの大学に来てくれたら良かったのに。
まあ、ほとんど学校サボってスタジオにばっかりこもってたから、来てても見れなかったろうな(笑)。
#3.GIRLIE
またしても重々しく暗いです。
「がーりー」と読むみたいで、少女に対する親愛の情を含んだ呼び方。
「お嬢ちゃん」みたいな感じですかね?
ウィキによると「ロビンの野望を歌った曲」とのことですが、いやいやいやいや…
これって少女愛のこと歌ってない?
ロビン、頼むからジョークだと言ってくれ。
ちょっと歌詞を読み進めるのが苦痛なくらいの内容なのですが。
ここまでドロドロの歌詞は『ジャガー・ハード・ペイン』以来じゃないかな?
このあたりもオルタナティブを感じる部分なんですよね。
#4.DEAR FEELING
今度はインダストリアル・ロックに見られるサイバーな打ち込みで始まります。
取り入れてんな~、吸収してんな~。
「首からさげた誠実は 手首に巻いた崇高は 獣が単に進化してかわりに手にした財産」
ここの歌詞は秀逸。
曲は4分ちょいなんですが、けっこう展開していく曲で、ロビン本人は『プチプログレ』って言ってます。
#5.HEART BREAK
ボサノヴァのリズムですな。
大人だ。
しかし、ボサノヴァと言えばラテン系の雰囲気が漂うはずなのに、この曲からはヨーロッパ的な雰囲気を感じてしまうのは何故でしょう?
改めて思うにイエモンってホント、イギリスというかヨーロッパが好きだな~。
レコーディングもイギリスに行きますしね。
アメリカのテイストってほとんどないですよね。
#6.人類最後の日
う~ん、若干の迷走感が…。
『SICKS』の時の『薬局へ行こう』は、アルバムに絶対必要だと感じたのですが、あの時みたいな楽しいノリになりきれておらず、アルバムの中での必要性があまり感じられません。
で、聞こえてくる単語も「助けて」とか「人殺し」など、ネガティブな印象を与える単語なので、ますます笑えない。
ちょっとお馬鹿な感じで言ってはいるのですが、
「おい、ロビン、大丈夫か?病んでないか?」
って心配になってくるんですよね、制作状況が状況だけに。
最後は「わ!臭(く)せっ!」って言ってるのかな?
#7.SHOCK HEARTS
本作からの第3弾の先行シングルであり、外部プロデューサーとコラボした『実験3部作』の最後を飾ります。
シングルのジャケットは永井豪という『デビルマン』『キューティーハニー』で知られる漫画家の巨匠が手掛けてます。
’70年代ハードロックのようなことをやっているのですが、ちょいちょい入ってくるギターのワウペダルがファンキー。
ノリが非常に軽く、本作の中ではかなり異色なのですが、これはやっぱイエモンに絶対必要な要素ですよね。
あんまり深刻になりすぎず、どこまでが本気でどこまでがジョークか分からないような不敵なスタンスこそイエモンの魅力ですからね。
フジロックやパンチドランカーツアーでは、ちょっとナイーブになりすぎてしまってる印象があります。
けど、こういう曲が生まれてくること自体、解散しなくてもまだまだいけたと感じてしまうのですがどうでしょう?
#8.聖なる海とサンシャイン
先行シングル第2弾。
ロビンがすごく思い入れがある楽曲らしく、先行シングルで最初に出そうとしていたらしいです。
しかし、「落としどころが見つからない」とのことで、アレンジに手こずりました。
なので、シングルにはなんと5つのバージョンが収録されており、本作のアルバムバージョンと全て違います。
つまりこの曲は6バージョンあるんですよ。
まあ、これが見事にバラッバラのアレンジばかりで、同じ曲とは思えないほど違います(笑)。
ストリーミングでぜひとも聴いてみてください。
これは驚きますよ。
個人的には「Sunnyside of winter mix」のクラシックギターのバージョンが渋くて好きです。
こうして様々なバージョンを聴くと、1曲に対してどれだけのアレンジパターンを考え試しているのか?
陰でミュージシャンがどれだけ膨大な作業量をこなしているのかの一端が垣間見えますね。
もし私がロビンの立場で、「この中からどのバージョンをアルバムに入れるか選べ」と言われたら…
選べないでしょうね(笑)。
#9.カナリヤ
アルバム曲にも関わらず、『イエモン・ファンズ・ベスト・セレクション』ではなんと27位に入る人気曲です。
『ショック・ハーツ』はシングルナンバーなのに50位内に入らなかったというのに(笑)。
ものすごく『青臭さ』を感じる曲で、最初はインディ時代の楽曲かと思いました。
3作目『エクスペリエンス・ムービー』収録のアルバム曲である『サック・オブ・ライフ』の人気が異常に高い(人気投票4位!)ことからも何となく感じていたのですが、イエモンファンの皆さんは結構、こういうちょっと’80年代J-ROCKを感じさせる雰囲気が大好きみたいですね。
私は『サック・オブ・ライフ』同様、そこまでピンとこなかったかな。
#10.パール
外部プロデューサーとの『実験3部作』と呼ばれた先行シングルシリーズが終わった後に、セルフプロデュースで第4弾先行シングルとしてリリースされました。
最初聴いた時はちょっと大味なロックンロールという印象があったのですが、聴くうちに好きになってきました。
かつて「JAM」を売り込んでヒットに導いてくれた中原繁さん(コロンビアのプロモーション担当者)を想いながら作曲されたナンバーです。
彼の死により、バンドの解散を思いとどまり、「『JAM』のマジックがもう一度起こるようにと願いながら作った」とのこと。
凄くシンプルで誰でもできそうな楽曲だからこそ、イエモンらしさが際立っているように感じます。
#11.STONE BUTTERFLY
本作でダントツで好きな曲です。
自分の中で名曲『ウェルカム・トゥ・マイ・ドッグハウス』を聴いた時の衝撃に匹敵しました。
イエローモンキーというバンドのもつ底しれないパワーを久々に見せつけられた気がしました。
イエモン版「ウィー・ウィル・ロック・ユー」(QUEEN)と言ったところでしょうか。
かなり暗い雰囲気ではありますが。
ロビンの歌がアニーの強靭なビートに見事に乗っていて、非常にパンチが効いてます。
このドラムの音とか最高っすね。
もうこのバスドラの音ずっと聴いてたい(笑)。
日本人でこのグルーブが出せたという事実が、誇り高い気持ちにさせてくれる、と感じたのは私だけ?
やっぱりイエモンは世界に打って出てもおかしくないポテンシャルを持っていたバンドなのだと感じました。
これならフジロックでレッチリやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを相手にしてもまったく引けを取らないでしょう!
これは快感指数高い。
しっかしなんでも出来ちゃう人たちなんだな~。
「今なんか思い出した」とか「そっちへ行ったらダメダメダメ」のとこなんて、ヒップホップ的なノリもあるんですよね。
解散せずにこの方向性を追求した楽曲を聴きたかった、と心底思います。
#12.メロメ
地味ですけど好きです。
じわじわと好きになります。
けど、これってロビンのみ参加で他のメンバーがまったく参加していないんですよね。
ボーカルとピアノ・キーボード・ストリングスのみ。
しかもクレジットを見ると全てイギリス人ミュージシャンとスタッフ。
うーん、このクレジット見た時に、ロビンの精神状態がどうだったのか?の一端が少し垣間見えたような。
ロビンは
「バンドが終わる典型の曲」
だと自虐していましたが、かなり孤独な作業を続けていたのだと思われます。
現実逃避願望が歌になったよう。
しかしメロディは感動的。
それに、
「自分の作った音楽にロンドンのオーケストラが入れてくれてる!」
っていう感激とかもあったらしいです。
だから、マイナスな気持ちばかりじゃないんですよね。
アルバムリリース後のスプリングツアーもフェスも、気持ち的には充実してたわけだし。
ロビンは2000年の1年間はずっと、揺れ動いてるんです。
#13.バラ色の日々
「イエモン・ファンズ・ベスト・セレクション」で堂々の1位だった曲です。
あの国歌「JAM」に勝っちゃった!(「JAM」は2位)
この曲がラストアルバムのこの位置に収録されるからこそ光るんでしょうね。
それくらい『イエモンらしさ』から遠くなってしまったアルバムだったので(悪い意味じゃありません)。
前作の『ラブ・ラブ・ショウ』もそうだったのですが、どうしても必要なんですよ。
イエモンのポップセンスが、イエモンの王道ロックナンバーが1曲も入っていないっていうのはファンを突き放し過ぎになってしまうので。
この曲をちゃんと入れたのは正解だと思います。
『実験3部作』の第1弾だったとはいえ、これは誰がどう聴いてもイエモン節ですからね。
もっともセールス的には『マイ・ワインディング・ロード』も『ソー・ヤング』も入れることが最良なのでしょうが、そこは彼らのアーティスティック性(こだわり)とぶつかっちゃうんですよね。
なんかイエモンって最後までギリッギリのバランス感覚だったよな、ってホント思います(笑)。
「デビッド・ボウイになりたかった」
っていうのはこういうギリギリのバランスで足掻いていることも入っているのでしょうか?(笑)
個人的な意見を言わせてもらうと、『ジャガー・ハード・ペイン』(マニアック)の方向性にも振り切ってほしくはないし、『フォー・シーズンズ』(ポップ)の方向性にも振り切って欲しくないです。
永久に悩み続けて足掻いていてもらいたいです(笑)。
それこそがロックであり、イエモンなのです。
しかし、やっぱりこの曲も名曲だな~。
#14.峠
『バラ色の日々』で終わらせりゃいいじゃんよ!
どんだけモラトリアムなんだ(笑)。
永遠に終わらない自分探しの旅です。
ある意味、一番イエモンらしい終わり方ですが。
ちなみにこの曲は先程紹介した日大ゲリラライブ直後のリハーサルで一発録りしてます。
本作は外部環境の変化に強く影響された作品
本人たちも言っているように本作には、『SICKS』の頃のようなアルバムの統一感とかコンセプトとかはありません。
こうなった原因は『準備した楽曲が少なかったため』と推測します。
そもそもアルバム用の曲というものを重要視していなかった側面もあるのかもしれません。
『SICKS』の頃のように300曲も用意できれば、その中からあるコンセプトに絞って選曲したり、カラーを統一させたりといったことができるんでしょうが、アルバムを作ろうと言う割には手持ちの楽曲が揃っていない印象があります。
本作は14曲が収録されていますが、『100曲の中から14曲を厳選した』といったような様子は感じられず、はなからシングル用として出来たものからリリースし、そろそろアルバムを出す時期になったから出来上がってる手持ちの楽曲を詰め込んだ印象があります。
つまり『アルバムよりシングル優先』という姿勢が見られるんですね。
実際、パンチドランカーツアーから長期休暇が終わった後に「これからはシングル中心でやっていく」と語っていましたしね。
時代とともに状況は変わります。
アルバムを『一つの作品』だと捉える時代が終わったんだと思います。
これは1998年をピークにCDバブルが終演を迎えたからです。
実はデビューから前作『パンチドランカー』までと、本作の間には太い一本の境界線があります。
外部環境が決定的に違うんですよ。
ネットが発達し、Winnyなどのファイル共有ソフトやYou Tubeが出現しだしたことによりCDマーケットがガクンと縮小したんです。
CDが売れなくなったんです。
買わなくてもタダで聞ける環境が手に入った。
CDが売れずに売上が落ちるということは、曲単位での単価を上げて少しでも補う必要がある。
ということはアルバムよりもシングルを売る必要性が出てくる。
アルバム単位で作品を売るという行為は無駄打ちが多いんです。
いやな言い方をしますが、レコード会社からすると『アルバム曲は金にならない』わけですよ。
2000年代からは他のアーティスト達もシングル戦略に切り替えて、アルバムが出てもその中のシングル曲の構成比が明らかに上がっています。
ちなみに『SICKS』ではシングルでの既発曲が
13曲中たったの2曲(15%)
だったのに対して、『8』では
14曲中8曲(57%)
も既発なんですよ?
「ファンに申し訳ない」
とか考えてる余裕はないんだと思います。
ちなみに以前ブログで特集したサザンだって、既発曲の構成比は似たように推移してました。
これはバンド側が決めたというよりはレコード会社の意向でしょう。
ミュージシャンっていうのは、我々の知らない水面下でレコード会社とこういうことをたくさん交渉しているんだと思います。
「アルバム出したいと言うなら、最低50万枚は売れるアルバムを出せ。それができなければトップ10シングルを年間◯◯枚は最低でも出せ」
「分かった。じゃあ、シングルを◯枚だすから、その売れ行きによってはアルバムを好きに作らせてくれ」
みたいな。
会社だって慈善事業でやってるわけじゃないし、CDが売れなくなったから生き残るために必死だと思うんですよ。
CDバブルの頃は売れなくても成長を見守ってくれていたレコード会社にも、以前のような余裕がなくなったため、バンドに色々と要求することがシビアになってきたんだと思います。
こうなると制作現場で予想されるのは、それまでたくさんの曲を制作することに使っていた金と時間を、限られた少数の楽曲のアレンジ・ミックス・音質などのクオリティを上げることに集中投下する、ということです。
量より質の時代に入ったんです。
アレンジは練りに練られ、音質向上に最新機材を使い、1曲の中でさまざまな実験的サウンドを試す。
なので本作はたくさんの楽曲が揃えられなかった分、アルバムとしてのカラーを統一したりといったことは出来ませんでしたが、
各楽曲のクオリティが異常に高い
という特徴を持ってます。
『ストーン・バタフライ』や『メロメ』のように、完全にこれまでになかった新機軸の楽曲で、初めての試みであるにも関わらず完成度が高いんだから恐れ入ります。
『聖なる海とサンシャイン』のバージョン違いが6つもあることも、こうしたことが背景にあったりもするのかもしれませんね。
1曲に対してそれまでの数曲分の労力と時間をかけて作っていると言うか。
アルバムの作風に影響を与えるのは作曲者の調子やバンドメンバー間の人間関係だけでなく、こうした外部要因も間違いなくあると思います。
ひよこまめさん、返信ありがとうございます。
上に書いた匿名です。そして、よく調べてみたら、自分が行ったのは、「パンチドランカーツアー」の後の「SPRING TOUR」でした。訂正いたします。
なにせ、20年以上も前のことなので記憶も曖昧で。
調べてみたら、「SPRING TOUR」は「8」のリリース前に行われてるんですよね。
この時のセトリは、「薔薇娼婦麗奈」とか「FINE FINE FINE」とか、「悲しきASIAN BOY」とか「RED RIGHT」とか、「ジャガー・ハード・ペイン」のものが多かったんですよね。
「楽園」とか「SPARK」とかでポップ路線に舵を切った後であり、また、「パンチドランカー」もその流れを汲むアルバムだっただけに、かなり意外なセトリでした。イエモンにハマったのが遅かっただけに、初期作を聴けて嬉しかったことを覚えています。
セトリ前半に「サイキックNO.9」がなんの説明もなく始まった時には、なに、この縦ノリの曲、めちゃくちゃかっこいい!と一気にテンションが上がり、この歌が入る新しいアルバムって、どんな感じなの?と期待感が高まりました。
だから、「8」の一曲目の「ジュディ」はあきらかにこの流れを汲んだものであり、「ジャガー・ハード・ペイン」の世界を再構築したものなのかな、と自分では受け止めています。
三曲目の「GIRLE」もジャガーの世界観の歌かなと考えています。
個人的には、売れるため?にポップ路線にシフトし、成功をおさめたにもかかわらず、ふたたび、マイナー路線を目指した作品作りをしたことに衝撃を受けるとともに、挑戦する志にワクワクしました。
今までのイエモンのキャリアの集大成という感じのアルバムなので、この後に活動休止となるのは、ある意味、必然だったんだろうなと受け止めています。
行かれたのはスプリングツアーだったんですね(笑)。
しかし、仰ってることが核心を突いていると言うか、芯を食っていると言うか、ど真ん中と言うか。
私もまったくの同意見ですよ。
成功してもそこにあぐらをかかずに最後までやりたいことを挑戦し続けるんですよね。
『ジャガー・ハード・ペイン』のように自分たちの本当にやりたいことを推し進めたいのが彼らの本音だったということが、ツアーのセットリストにも現れてるんだと思います。
ただ彼らの悲劇は『自分たちのやりたいこと』と、『自分たちに求められること』にギャップがあるにも関わらず、『自分たちに求められること』を演ってもかなりの水準のものを作り上げてしまえることにあるんでしょうね。
ひよこまめさん、はじめまして。
アーティストデートについて調べる過程で、このブログに辿り着きました。
そこで、青春時代にハマったイエモンのアルバム解説を偶然見つけてめちゃくちゃ嬉しかったです。
私は、「球根」からイエモンにハマったので、「パンチドランカー」から遡ってアルバムを聴いたもので、初期作との作風の違いにかなり戸惑ったものです。特に、「エクスペリエンス・ムービー」や「ジャガー・ハード・ペイン」には過激な言葉が出てくるのでショックを受けました。まあ、聞き慣れたら、このあたりの楽曲の方に激しく惹かれたのですが。
パンチドランカーツアーは、はじめて参戦したライブです。地元では、2日間、ライブがあり、1日目に参戦したところ、あまりにも楽しかったので、1日目終了後にチケットを買って2日目にも参戦しました。
その2日目が曲構成といい、観客のノリ、会場の一体感といい、最高のライブでした。特に、2日目にだけ演奏された「薔薇娼婦麗奈」のボルテージたるや、凄まじいものがありました。会場全体が、「ありがとう麗奈ー」の大合唱という異様な光景を今でも覚えています。
我が人生、最良のライブは間違いなく、この時のライブでした。
満を持してリリースされた「8」は、好きな歌がたくさんあるので、どのような評が読めるのか楽しみにしております。
乱文失礼しました。
コメントありがとうございます!
おおっと!
よもや完成前の記事にコメントが来るとは!
お恥ずかしい(笑)。
スマホで文字の大きさや改行のチェックをするために、一旦アップしていたのですが、こんなに熱いコメントをしていただき恐縮です。
パンチドランカーツアーに行かれた方の生の体験談を聞けて嬉しいですよ。
あの時のツアーは1エリア2デイズってのが結構ありましたよね。
あの「薔薇娼婦麗奈」で大合唱が起こるっていうのが、当時のコアな人気を物語ってると思います。
熱い!文章から熱が伝わってきます!
「8」の解説もぼちぼち追記していきますので、お楽しみに!