X JAPANメンバー:HEATH~誰よりもXを愛した男~
本記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
今回は先日2023年10月29日に亡くなったX JAPANのベーシストHEATHを偲んで、彼を語っていきたいと思います。
何にも動じない男
1992年1月、日本のロックバンドでは初となる東京ドームでの3日連続公演「破滅に向かって」を最後に、オリジナルメンバーであり作曲・アレンジ・サウンドプロデューサーとしてXを活動最初期から支えてきたTAIJIがバンドを去ります(事実上の解雇)。
これは当時のリアルタイムのXファンにとっては大事件であり、『ジェラシー』のミリオンセラー、紅白出場、東京ドーム3日公演の大成功というシーンの頂点に上り詰めたところから、まるで奈落の底に落とされるような出来事だったことは容易に想像できるでしょう。
しかし、『ジェラシー』に収録できなかった大作『アート・オブ・ライフ』のレコーディングは待ったをかけてはくれません。
XはすぐさまTAIJIに替わるベーシストを探す必要があり、ミュージシャン界隈はもとより、一般人に対してさえも公募を行いました。
様々なミュージシャンとセッションを重ねても、なかなかピンとくる相手が見つからなかったので、公募と同時並行でメンバー自らが声をかけたりもしていました。
そんな中、HIDEはHEATHに声をかけます。
実はHIDEとHEATHは、Xの『ローズ&ブラッドツアー』の打ち上げ時に知り合いになっており、知り合ってすぐの飲みの席で
「東京出てこいよ」
と言われたHEATHは着の身着のまま上京し、まったく土地勘のない東京でHIDEを頼ります。
これが1990年の段階です。
HIDEは
「え?マジできたの?」
と自分が呼んだくせに驚いたと言います(笑)。
で、HIDEはすぐさまYOSHIKIに連絡を取り、YOSHIKIがレディース・ルームのGEORGEを呼んで、4人で飲んだとのことです。
で、例によって酒癖の悪いYOSHIKIとGEORGEがいつものようにケンカを始め、HEATHは面食らったそうです。
仮にも東京ドームを3日連続で満員にするバンドのリーダーが居酒屋で喧嘩とかすんなよ(笑)。
以前、YOSHIKIチャンネルの「YOSHIKIバースデイ」にゲスト出演した時に、HEATHとGEORGEによってその時のエピソードが語られていました。
そんなこんなでXのメンバーと懇意になったHEATHは、その後HIDEの紹介でキヨシ(HIDEの同級生でスプレッドビーバーのギター担当)が在籍する『メディアユース』というバンドに加入し、そこで活動していました。
ちなみにメディアユースはエクスタシーレコードに席を置いてました。
なので、Xのベースが不在であることは知ってはいたが、加入は全く考えていなかったとのこと。
「入る入らないはとにかく、まあ一回ジャムってみようや」
というHIDEからの声かけでメンバーとセッションをすることになります。
HEATHはまったく物怖じすることなく、至って自然で、二日酔いにも関わらず淡々と完璧な演奏をしたそうです。
ってかあのXとセッションしようっていう前日に深酒するか?
どんな神経しとるんだ。
逆にHIDEやPATAは
「演奏下手なのがバレねぇようにしねーと」
とみっともなく焦ってたらしいですが(笑)。
そのまったく動じない自然体のHEATHをメンバーはいたく気に入り、HEATHはHEATHでメンバーとの人間関係にしっくり来るものを感じたようで、1992年5月の段階で加入が決定します。
なんというシンデレラストーリー(男だけど)。
けど、喜んでばかりもいられません。
当時、人気の絶頂だったXに加入するということが何を意味するか?
ここからはジェットコースターですよ。
加入と同時に渡米して30分の大作『アート・オブ・ライフ』のレコーディング。
TAIJIが録っていたベーストラックは全て録り直ししました。
1992年8月にはアメリカのロックフェラーセンターで、アメリカ中の報道陣に囲まれ記者会見。
海外デビューと新メンバー(HEATH)が発表されます。
初めてのレコード契約がアメリカのアトランティックって…。
同年10月には「エクスタシーサミット1992」にてファンへのお披露目(日本武道館)。
1992年12月には初のテレビ出演で紅白歌合戦(『紅』演奏)。
1993年12月には今や伝説となった『ミュージックステーションスーパーライブ』での大暴れライブ(『X』演奏)と年末の東京ドーム2デイズ。
初めてのレコーディングが30分の大作で、初めてのテレビ出演が紅白で、初めてのライブが東京ドーム(『Xリターンズ』)ですよ?
しかも例によってリハーサルはいい加減なほぼぶっつけ本番のXのライブで、いきなりのベースソロをやらされるし。
あなたこれに耐えれます?
この間までライブハウスでほそぼそやってた人が、いきなり東京ドームのライブでベースソロコーナーまで任せられるこのプレッシャー…。
50人の客がいきなり5万人になるんですよ!?
前任のTAIJIが日本有数の天才ベーシストであり、カリスマ性のあったメンバーだっただけに、それと比べられるプレッシャーだってあったろうし、心無い声援を浴びせるTAIJIファンもいたと思うんですよね。
「絶対TAIJI以外のベースは認めない!」
とかね。
Xからラウドネスに移籍したTAIJIも、旧来のラウドネスファンから相当なバッシングを受けたし、亡きHIDEの替わりにギターを担当してくれたSUGIZOだって相当言われているんですから。
それなのにまったく動じずに花道を悠然と歩きながらベースを弾くHEATHは、およそこの前加入したばかりの新人には全く見えませんでした。
本人は泣き言1つ言わないし、自分がやったことをことさらに吹聴もしないので軽視されていますが、彼は誰にも真似できない偉業を成し遂げているのだと、心から思いますよ。
その裏には血のにじむような努力があったことは想像に難くないでしょう。
その後は1996年リリースのX最後のフルアルバム『ダリア』にて、最初で最後のHEATH作曲のナンバーを残します。
「Wriggle(ウリグル)」ですね。
メンバーのHIDEが押し進めていた、インダストリアル路線を貪欲に吸収したその先鋭的なサウンドは、『迷宮のラヴァーズ』から大きく成長したHEATHの姿を見ることができます。
ベーシストHEATHではなく、コンポーザー(作曲者)HEATHとしての非凡な才能をこの1曲で体感できますよ。
このナンバーを聴いたことがない人はぜひ一度聴いてみてください。
『ダリア』で一番かっこいいナンバーです。
静かなる酒豪HEATH
Xのメンバーは酒にまつわるエピーソードには枚挙に暇がありません。
そしてこのHEATHもやはりXに加入するのは運命だったのでしょう。
実はかなりの酒豪です。
YOSHIKIやHIDEのように、ケンカや破壊行為が伴わないので、伝説的なエピソードということはないのですが、とにかく強さだけで言えばメンバー最強らしいです。
先程のYOSHIKIチャンネルでジョージも言ってましたが、
「とにかく顔色1つ変えずたんたんと飲み続ける」
らしく、ヨーロッパツアーのバスの中では、他のメンバーが酔い潰れた後も一人で飲み続けたという伝説を持ってます。
負けず嫌いのYOSHIKI(酒に関しては特に)の前で「YOSHIKIさんより飲んでます」と語るHEATHにジョージが若干ビビっていました。
まあ、かつての伝説を知るエクスタシーの人であれば「YOSHIKIさんがキレる!」と震え上がるシーンです。
昔であれば「なんだてめぇ!やんのかこらぁ!」と喧嘩になっていたことでしょう(笑)。
誰よりも音楽に純粋だった男
Xの活動期を通して俯瞰して見えてくるHEATHの人間像は
『音楽一筋』
これに尽きるでしょう。
Xに加入するということはいきなり日本のトップスターになることを意味します。
この前までバイトしなきゃ生活できなかったバンドマンが、いきなり手にしたこともないほどの大金を掴むわけです。
知らない人からもチヤホヤされるし、Xのメンバーと名乗るだけで
「お~!すげぇ!」
ってなるんですよ?
普通は何かが狂いますって。
例えば、月収10万円の貧乏バンドマンが、月収100万円になったとします。
収入が10倍になるということは物の価格が10分の1に見えるということ。
10000円で居酒屋で飲んでいたのが1000円で飲める感覚になれば、そりゃ毎日だって居酒屋行くでしょう?
1000万円のBMWが100万円に見えたらそら買うでしょうよ?
金銭感覚が完全におかしくなるので、中には愛人クラブで女囲う人もいるし、ギャンブルに狂ったり、アルコール、麻薬に手を染めたりする人も当たり前にいる業界です。
TOSHIのように、家族が舞い上がって変なことし始めたり、トラブルを起こしたりっていうことも珍しいことじゃないと思うんですよ。
ましてやこの時期のHEATHの年齢って血気盛んな24、5歳ですよ?
けれども、HEATHにはそういったことが一切ない。
ソロ活動だって派手にはしませんでした。
Xが完全に日本での活動をやめていた時期なので、Xに飢えたファンからのニーズはピークだったんじゃないかな?
メンバーであれば何を出しても売れていた時期です。
TOSHIもhideもシングル出せばトップ10入りが当たり前。
現にHEATHの初ソロシングル『迷宮のラヴァーズ』はいきなりオリコン1位で、高視聴率アニメ『名探偵コナン』の主題歌になりましたしね。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのこの時期のX人気。
しかし、だからといってそのことに舞い上がったりもせず。
ケンカ、女、アルコールなどでのスキャンダルは一切ありませんし、本業であるXを蔑(ないがし)ろにしてソロに打ち込むこともしない。
はっきり言って、私のように欲望の強い人間であれば、同じ状況になった時に絶対にやらかしますね。
いえ、男であれば誰だってやらかすと思うんですよ。
そうならなかったのは、HEATHが
極端なほどの音楽馬鹿
だったからではないでしょうか?
HEATHには、Xで音楽を作っていくこと、バンドをやるという喜び、そんな駆け出しのバンドマンが抱いているような、ものすごく純粋な音楽活動への渇望が強くあったからだと思うんですよね。
そしてそのバンドマンとしての純粋さは、2007年再結成後のXの活動においても一貫してます。
サイドプロジェクトはほとんどやらずに、ただただXがいつ動き出しても良いように、家で練習してスタンバってる。
そしてHEATHの誕生日を祝った2020年のYOSHIKIチャンネルでも、YOSHIKIから
「HEATH、誕生日の願い事は?」
と訊かれて
「コンサートがやりたいです」
と即答で答えてました。
YOSHIKIは痛いところを付かれたといった感じで苦笑いしてましたが。
「元気になる方法は?」
というYOSHIKIからの問いにも
PATAが
「そりゃ我軍(巨人)が優勝してくれたら」
と答えたのに対し、HEATHは
「ずっと音楽に助けられてきたので、音楽聴きまくります」
これですよ?
その真面目さに他の二人が若干引いてました。
もうね、まったく1ミリたりともぶれていないんですよ、加入当時から最期まで。
なんて純粋な人なんだ。
多分、誰よりも音楽が好きで、Xのメンバーが好きで、そのメンバーと一緒に音を出すことが好きで、それを応援してくれるファンのことが大好きだったんだと思います。
最後の最後までXとしての活動再開を誰よりも強く臨んでいたことは明らかです。
偉大なるベーシストHEATH、そして誰よりもXを愛した男HEATH…
あんた逝くには早すぎたよ。
HEATH 1968.1.22~ 2023.10.29 享年55歳
心からご冥福を…。