『サザンオールスターズ』(カブトムシ)5年ぶりの大復活作!

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日はサザンオールスターズが1990年にリリースした9作目のオリジナルフルアルバム『サザンオールスターズ(以下カブトムシ)』を語っていきますよ。

個人的には自分にとってサザンを聴いていた最初期に出会った作品です。

そこんところから語っていきましょうか。

毒にも薬にもならない音楽?

しつこいくらい何度も言ってますけど、私は中学の時に兄貴が発売と同時に買った『世に万葉の花が咲くなり』でサザンに入門しました。

そして「よし、サザンの他のアルバムも自分で買ってみよう」と、友達と一緒にCDショップに行き、本作と『KAMAKURA』の2枚を買いました。

『KAMAKURA』の回でも書いたのですが、当時の『KAMAKURA』の衝撃は凄まじく、あまりにもマニアックな作風に拒否反応さえ出ていました。

『コンピューター・チルドレン』とか聴くのが怖かったですからね。

けれども、あっちがダブルアルバムでお金もかかってるから、「何が何でも理解してやる!」っていう気合で聞き込み続けた果に、自分の中でも『世に万葉の花が咲くなり』に匹敵するお気に入りのアルバムになりました。

そのあたりの顛末は⇩でしてます。

それじゃあ、一緒に購入した本作はどういう印象だったのか?

「『KAMAKURA』に比べて聴きやすいな~。全然、クセもなくてこれだったら毎日聞けるな」

という感じ。

実際、『KAMAKURA』聴き込むのが苦痛で、限界まで来ると本作に切り替えてましたから(笑)。

けれども、クセもない分、聴けども聴けどもあるラインを超えてグッと来るほどのものがない、というか。

いつまで経っても好きにはなれていなかったんですよ。

で、『KAMAKURA』を好きになった途端、私は結論を下します。

「な~んだ、こんな音楽、耳障りが良いだけで

毒にも薬にもなりやしねぇ」

中ボーのくせに生意気な奴め(笑)。

この時に感じたものっていうのは、

「音楽作品っていうのは最初は拒否反応を示すほど毒っ気があって初めて自己表現なんだ。その毒っ気がない作品なんていうのは売れるために妥協して作ってる嘘の作品なんだ」

中学生らしい思い込んだらまっすぐ、みたいなものだったと思います。

もちろん今はそんなことは思っていませんが、当時の私には『KAMAKURA』に比べて耳障りの良い音楽であることが、薄っぺらい作品のように感じてしまったんですね。

なので、『KAMAKURA』を好きになったと同時にガクンと聞く回数が減りました。

それどころが2度と顧みることのない作品になってしまったんですね。

それから30年近くが経ち、ストリーミングでサザンの聴いてなかった作品も含め、デビューアルバムから順に聴いていったのが3年前。

『熱い胸さわぎ』の驚くべき熱量の高さ、中学の時に本作と貸し借りして聴いていた『ヌードマン』の懐かしさ、やっぱり30年近く経ってあらためて思い知らされる『KAMAKURA』の凄みなんかに夢中になりながら、9作目の本作カブトムシにたどり着きました。

「このアルバムっていい印象ないんだよね。なんか気の抜けたビールみたいっていうか」

みたいに思っていたので、軽く聞き流すつもりでいたんですよ。

しかし、蓋を開けてみてびっくり。

まったく予期していないほど心に響いてきたんですよ。

まるで熟成された高級和牛のように、本作の楽曲がグレードアップして旨味を増しているではないですか!

そのまま最新作の『葡萄』まで一気に聞くつもりでいたのに、しばらくは本作から動くことができませんでしたからね。

のっけから『フリフリ65』ではシビレまくって、40代にして思わず頭を振ったりエアギターしている恥ずかしい自分を見ることになりましたよ(笑)。

さらに『オー・ガール』では涙がボロボロ。

こんなに心揺さぶる曲だったっけ!?

『KAMAKURA』が

『最初は不愉快とさえ思える曲でもずっと聴いていると良さが分かってくることもある』

ということを教えてくれた作品だとしたら、本作は

『かつて昔聴いていた楽曲というのは、長い年月をかけて自分の感性に影響を与えている』

ということを教えてくれた作品です。

中学生当時は「毒にも薬にもなりやしねぇ」と毒づいた作品だったこのカブトムシ。

確かに毒でも薬でもなかったんです。

しかし、即効性はなくとも、じわじわと長い年月をかけて自分の感性に働きかけていたんだと思います。

分かりやすく例えますね。

風邪を引けばお医者さんが抗生剤やら解熱剤やら咳止めの薬を処方してくれます。

そういうものってすぐ症状に目に見える変化が表れるでしょ?

そういうものじゃなくって、漢方薬みたいなイメージ。

もっと深いところから根本的に徐々に働きかける、みたいな。

本作が誰にとってもそういう作品となるかは分かりませんが、少なくとも私にはそういう作品だったということですね。

セルフタイトルに込めた想い~バンド解散の危機~

セルフタイトルの作品って主にデビュー作である場合が多く、『セルフタイトル=最初・スタート』という印象はあります。

そうではない時に付けられる場合って、それまでの集大成的な意味合いだったり、決定版だという自信の現れだったりします。

よく本作はビートルズの『ビートルズ』(通称:ホワイトアルバム)に例えられます。

ビートルズの場合は後者『集大成・決定版』の意味合いです(デビューアルバムではないので)。

で、本作のジャケットは2匹のカブトムシ(=ビートルズ)なので、やはりホワイト・アルバムを匂わせているフシはあります。

つまり「これはオレたちにとっての決定版だぞ」と。

けれども、これは私の私見なのですが、サザンの場合は前者『最初・スタート』の意味合いなんじゃないかな?

つまりセルフタイトルに込めた意味合いは

「こっから生まれ変わって再スタートだ!」

っていうニュアンスがあるんじゃないかな?と思います。

それくらい80年代サザンとはガラッと変わります。

80年代のサザンとは似ていないし、洗練されすぎているし、ここで作り上げたフォーマットを90年代のサザンは踏襲していくからです。

そう、デビュー作『熱い胸さわぎ』が初期サザンの基盤であり、指針であったように、本作が90年代サザンの基盤であり指針となっていきます。

発端となったのは桑田佳祐ソロとして1988年にリリースされた『ケイスケ・クワタ』じゃないかな。

ここで裏方の小林武史さんや藤井丈司さんとの出会いでガラッと変わったイメージです。

それをサザンにもそのまま持ってきちゃったと言うか。

自分たちで試行錯誤しながら最新のデジタルを取り入れていたのが80年代(6~8作目:デジタル3部作)だとすると、小林武史という『その筋のプロ』がガッツリ参加したことによって、

『いかにもギョーカイの人が作ったような作風』

へとグレードアップしてます。

「ヒットのさせ方知ってるね~」

みたいなサウンドですな。

「あらま~!東京駅でキョロキョロしてた田舎者丸出しだったあんたが、こんなにシティボーイになっちゃって!」

みたいな(笑)。

サザンがかつて持っていた泥臭さがなくなりましたもんね。

なので、生音とかバンドのグルーブ感というものにこだわりがある人であるほど、初期のサザンのバンドサウンド以外は受け入れないという人ほど、気にいらないと思います。

しょっぱなが『フリフリ65』なので、「ロックバンドのサザンが帰ってきた!」みたいな印象があるのですが、聴き込んでいくとアルバム全体でそう感じる場面は驚くほど少ないです。

デジタル3部作でわりと加工の多かった松田さんのドラムサウンドが生々しいサウンドになったので、「バンドやってる感」は出ていますが、実は大森さんと関口さんの存在感は活動停止前よりもはるかに薄くなってます。

というより「これほんとに関口さんがベースを弾いているのかな?」と感じるようなベースラインが数曲で見られます。

シンセベースで代用しているようなサウンドということです。

「プロのベーシストがこんなプレイするかな?」

っていう。

ミュージシャンとしてのエゴが感じられないというか、個性を押し殺しているというか。

『KAMAKURA』でも相当な軋轢が生まれたみたいですが、活動休止が開けてみても状況はより悪化したというか、桑田&小林のタッグによる密室感は増し、さらにこのあたりから小倉博和さんまでギタリストとして参加するようになるのは、さすがにやり過ぎでしょう桑田さん。

大森さんや関口さんの存在理由を否定していると言われても言い訳できないというか。

小倉さんなんてツアーにまで同行するようになるんですから。

そんな状況なので、セルフタイトルにした理由は「新たな音楽的方向性の出発点」という意味はあっても「サザンがもう一度結束を取り戻しての仕切り直し」という意味合いはなかったんじゃないかな?

そうした『サザンメンバーの存在感が希薄な制作環境』がピークに達するのが1992年『世に万葉の花が咲くなり』ですね。

これはサザン全アルバムの中でもっともバンドサウンドから遠ざかったサウンドです。

関口さんは『体調不良』という理由で参加してませんが、それもホントかどうか?

本作カブトムシで聴けるサウンド、そして半年後の『稲村ジェーン』にメンバーがほぼタッチしていないという事実を知ると、この時期はいつ空中分解してもおかしくない状況だったんじゃないかな?

ただね、世の中は残酷というか。

バンドサウンドが希薄になるほど、つまり密室感が増すほど、さらに売れちゃうんだから始末が悪い。

本作カブトムシが119万枚でサザン初のミリオンセラーを獲得した後、次作『稲村ジェーン』は133万枚、『世に万葉の花が咲くなり』は179万枚ですよ?

もうサザンが『国民的バンド』から『モンスターバンド』になっていきます。

資本主義の世界、音楽産業の世界では

『売った実績を作った奴には誰も文句言えない』

これが鉄則。

そして売れただけじゃなく、文句なくメロディが素晴らしいんですよ。

ここまでの話の流れを読んで、バンドサウンドではないことが悪いことかのように受け取ったかもしれませんが、実はそう否定的なわけでもありません。

私が一番好きなのは、その一番バンドサウンドが希薄な『世に万葉の花が咲くなり』なんですから。

誰もグゥの音も出ない。

華やかなセールスとは裏腹に関口さんや大森さんは苦しかったろうな~。

だって自分たちの存在感が薄くなればなるほどアルバムが売れていくなんて、私だったらかなり思い悩むと思います。

けれども、そのことに気がついて、小林さんたちと袂を分かち、サザンとしてのバンドサウンドに戻した桑田さんはエライ!

そうしてバンドサウンドをメインに据えた作風で作られた、本当の意味での原点回帰作品が『ヤング・ラブ』なんです。

これが売れた売れた!

サザン史上最高の250万枚です。

良かった…本当に良かった。

これで売れなかったら、

「やっぱお前達が制作に関わると売れないじゃないか!」

ってなるでしょ?

関口さんや大森さんの立場がない。

なので、「ヤング・ラブ」って売れすぎたアルバムだからあんまりコアファンに評判良くないけど、コアファンであるほど「ヤングラブ」に感謝しなきゃいけないんですよ、本当は。

これ売れなかったら解散してたかもしれないんだから。

『サザンオールスターズ』のこの曲を聞け!

さて、それでは今回は長くなったので、おすすめ曲だけ紹介していきましょう。

やっぱり「バンドやってるな」って感じられるナンバーが好きみたいですね、このアルバムでは。

#1「フリフリ’65」

この1曲目はかなり好きですね~。

KUWATA BANDよりもよっぽどこっちのほうがロックしていると感じます。

あのサザンがギターリフで押しまくるんですよ?

私のようなハードロック畑からやって来た人間からすると、サザンは実はギターリフが引っ張ることが殆どないことに寂しさを覚えていたクチなんですが。

しかも、普段あれだけホーンセクションやら外部ミュージシャンの音が入ってくるサザンなのに、この曲ではバンドメンバー以外の音が全く入ってない。

まるでライブハウスで演奏しているかのようなバンド感が出ています。

そして何と言っても

「ヘイヘヘイッ!ヘヘイヤーッ!!」

このコーラスですね。

もう体が動き出すのを止めることが出来ません。

#3「悪魔の恋」

またしても大森さんのギターが引っ張ります。

松田さんのための効いたパワフルなビートが快感指数高いですよ。

このハーモニカは外部ミュージシャンなんですが、上手いな~。

ど派手なドラムにワイルドなギターリフがボトムを支えながら、そこにハーモニカが色気を添えるって、ちょっとエアロスミスなんかを彷彿とさせますね。

ブルース上がりのロックっていうか。

まあ、本作でバンドサウンドが楽しめるのは#1とこの曲だけなんですけどね。

#5「YOU」

この曲を聞くと、トレンディドラマのタイアップが頭をよぎるのは私だけでしょうか?

まあ、実際はトレンディドラマじゃなく日本生命のCMだったらしいですが。

きらびやかだな~。

最初はとかく拒否反応が出た曲なんですが、本作で一番最初に好きになった曲でもあります。

こんなおしゃれなサザンは80年代ではなかったな~。

#7「OH, GIRL (悲しい胸のスクリーン)」

本作で一番好きなナンバー。

久々に聞いた時はなんか涙が出てきました。

またしてもまるでトレンディドラマがお似合いといった感じなのですが、妙に気に入ってます。

月9ドラマとかの世界観が大嫌いな人間のはずなのですが(笑)。

最後のサビ前の桑田さんの絞り出す感じが鳥肌もの。

そして最後にさらにもう1弾音階が上がるところなんてゾワゾワ~っときますね。

 

それではまた!

 

サザン・桑田佳祐ソロに関するすべての記事はこちら

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です