「音楽を批評すること」についてsimackyのつぶやき③

どうもsimackyです。

今回は音楽批評に関して私のスタンスを呟こうと思います。

これまで本サイト『ひよこまめ』では音楽ブログをメインで書いてきて、現在200記事中の150記事くらいは音楽じゃないかな?

アルバムや楽曲、アーティストに関しての想いのたけを語ってきたわですが、私は自分のスタンスを批評だとは思っていません。

友達と好きな音楽を語り合う時に

「この曲のこういうとこが好きなんだよオレ。え?お前も?いや~分かってくれるかよ、そこ。嬉しいね!」

「え?お前その曲好きなの?へ~、オレ全然その曲ピンとこかなかったから意外。やっぱ人によって感じ方って違うよね」

みたいなノリなんですよ。

別に大上段から見下ろして

「ここがこうだからいけない。駄目だ、全然なってない。これなら前作のほうがはるかによかった」

「こんなの昔の楽曲の使い回しで全然新しくない。焼きましの音楽に価値はない」

とかいうことはおこがまし過ぎて言えません。

音楽批評も褒めている分には良いのですが、こき下ろしているのを読むと

「この記事って誰が幸せになるんだ?」

って思います。

現代ではかつてほど雑誌の影響力が強くないので、音楽批評っていうのは廃れた文化だと思いますが、今でもその影響を受けた世代がレビューサイトで作品をボロクソにこき下ろしていたりするのを見かけます。

そもそも音楽批評と称して作品をこき下ろすことが、よりよい音楽を生み出すことには全く繋がっていないと思うんですよね。

そう思っているのは、それでおまんま食ってた記者たちだけで。

「あの雑誌でこき下ろされたことが反省点となって次作で傑作が生まれた」

みたいなことはほぼほぼないと思うんですよね。

そもそもアーティストが批評家(批評家気取りのファンも含めて)なんかは相手にしてなくて、作品を作る際に基準にするのは自分の感性とファンの反応だけだと思うので。

その意味ではレビュー、感想は必要だと思います。

やっぱりCD一枚に安くないお金を払って買っていたわけだから、いち消費者として感想を言う権利くらいは誰にだってあると思います。

そしてアーティストはお金をもらっているプロである以上は、消費者からの声には耳を傾けるべきです。

商売の基本です。

けれど、これは電化製品のように機能とか利便性に数値的な物差しがあるものではなく、あくまで音楽作品であり嗜好品なんですよね。

例えば、5000円のこれまで使っていたドライヤーから

「風量が通常ドライヤーの2倍なのですぐに乾きます」

っていう10000円のドライヤーに買い替えた。

しかし使ってみたら5000円のドライヤーと風量がまったく一緒だった。

これだったら「ふざけるな!金返せ!」って言うべきです。

これは下手すると過大広告なので。

けれども音楽作品は嗜好品なので違います。

私が

「こんなもんに4000円も払うくらいなら他のことに使えばよかった」

って思ってても、他の人は

「これで4000円なら最高だ!これは一生聴き続ける作品になる!」

って感じることも多々あります。

こうやって音楽ブログを書いていると、やっぱり適当なこと書けないので、レビューやブログなんかのサイトをかなり読み込んでみるのですが、みんなの感想は驚くくらい違います。

この世にすべての人から褒め称えられる音楽もないし、すべての人から嫌われる音楽もまたありません。

つまり傑作も駄作も1人1人の感性の中にしかありません。

つまり早い話、『音楽は好き好(ず)き』でしかない。

自分がそのアーティストに期待する音楽性もあるでしょう。

裏切られる作風のときもあるでしょう。

がっかりすることもあるでしょう。

何回聞いても良さが分からないこともあるでしょう。

けれども、他の人は必ずしも自分と同じ感想を持つわけじゃありません。

なので、コメントやレビューをする際はそのことを頭の片隅に残しておくべきだと思います。

これは自分への戒めとして書いている意味もあります。

友達と居酒屋で語り合う分にはボロクソでもなんでも好きに言えばいいでしょう。

けれどもネットやSNSなどの公共性のある場でのコメントは、個人的な意見であれ必ず誰かしらに影響を与えます。

その作品が良いか悪いかを決めるのはそれを聴いた本人であって、第三者が決めることでは有りません。

誰かが必要以上に作品をこき下ろすことは、別の誰かがその作品と出会う機会を奪うことになりかねません。

そしてその作品を愛する人に凄く不愉快な思いをさせることにもなります。

私も音楽雑誌の批評のせいでずっと聴いてこなかった作品に最近出会って後悔したことがあります。

大好きな作品を雑誌でこき下ろされてすごく嫌な思いをしたことがあります。

けれども、たとえ私がある作品を嫌いだとして、その作品をこき下ろすツイートなんかを読んで幸せな気分になれたかというと、全然そんなことはありませんし、

「私もそう思ってたんですよ!同じことを感じていた人が見つかって嬉しいです!」

とメッセージ飛ばすことはないですね。

逆に褒めている場合ならば即リプしますけど。

つまり人はネガティブな感情を積極的に共有しようとは思わないし、そこに喜びを感じないんだと思います。

私の音楽ブログはこうしたスタンスで書いておりますので、そんなに好きなアルバムじゃなくても

「そこまで好きじゃない」「ピンとこない」

とかいう表現は使っても

「駄作」「聴く価値なし」

とかいう表現は使いませんし、それを期待もしないでほしいです。

私がYou Tubeで定期的に見てる「みのミュージック」というチャンネルがあるんですが、視聴者から「これについてコメントして欲しい」っていう要望の中に、ネガティブな批判的発言を期待するものとかがあったりしますが、彼は決してそれに応じたりしません。

それは立派な姿勢だと思うし、私も共感します。

けれど一部では

「なんでも良く言うだけのものは音楽批評として信頼に値しない」

という声があったりします。

私は『音楽批評なんて別になくても良い』と思ってるので、「何言ってんの?」って感じます。

まあ、そういうわけなので、私の肯定的な記事を読んで

「分かる!よくぞ言ってくれた!」

っていうコメントには返信しますが、

「こんな駄作を擁護するな!」

なんてコメントが着ても不承認にしてますので、そこのところはご了承くださいね。

みんなで「分かる!いいよね!」っていうのをたくさん共有できるサイトに育てたいと思ってますので、これからも応援よろしくお願いいたします!

 

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