ジョジョ第6部解説~不人気の理由と荒木先生の葛藤~
この記事はプロモーションを含みます。
どうもSimackyです。
今回は久々のジョジョですよ~。
私が第6部以降をブログ解説しなかった理由
第5部解説までを書き上げてしばらく音沙汰のなかったジョジョブログですが、今回から6部以降にそろそろ入っていこうかな、と思います。
「今ちょうどストリーミングで6部のアニメがブレイクしてんだからさっさと書けよ!」
という皆さんの心の声は痛いくらい伝わっておりました(笑)。
どうして6部解説の執筆に進まなかったのか?
これはね、おそらく我々ジョジョど真ん中世代なら私と似た人もいるのかと思いますが、
リアルタイムでは読んでいないから
という理由が大きいです。
第5部までのようなリアルタイムの思い入れがないんですよ。
なんでかというと、私にとって第6部は
高校生を卒業してジャンプを読まなくなった
時期に当たるんです。
正確に言うと第5部の後半くらいから大学生になってました。
大学に入るとバンドにお金が飛んでいき、ジャンプや漫画を買うことができなくなりました(笑)。
それにね、それまでは実家に住んでいてジャンプなんて読み終わったらその辺に置いておいても家族が捨ててくれてたのに、一人暮らしになると自分で処分しなきゃなんないんですよ。
そうなるとあんなに重くてかさばるものを狭い1DKの安アパート部屋に何冊も置いておきたくない(笑)。
分かるでしょ、これ?
実は私、正直に告白すると6部以降を読み始めたのは、数年前に娘が図書館から借りてきたからなんです(笑)。
当時、子どもたちには小さい頃からジョジョのアニメDVDを1部からずっと見せてきました。
で、その中でも直近で見せた第5部に長女が感動してしまいまして、
「近所の図書館に行ったらジョジョが借りれたよ!」
とかいって全巻持ってきたんですよ。
「しばらく読んでいないうちになんとジョジョが図書館に置いてある時代になったのか…」
これはかなりびっくりでした。
だってジョジョがいかに教育に反した内容であるかは、身にしみて育ってきてるわけですから。
ジョジョは大人にバレないように影でこっそり読むものです。
なんかおおっぴらに公共機関に認められるのも
『おい、テメーなんか微妙におかしいぞ!』(by億泰)
ってなるんですが(笑)。
図書館にある漫画といえば『はだしのゲン』くらいですよ、我々世代の常識では。
私の学生時代なんて少ない小遣いを全振りしてコミック買い込んだってのに、なんて恵まれた時代なんだ…。
それでまた20年ぶりくらいにジョジョスイッチがオンになり、7部、8部と怒涛のように読んでいったんですね。
で、このブログでもジョジョ解説をやってきたという流れなのですが、やはり青春時代の熱量で読んでいたのと、40歳を過ぎて読んだのとでは温度差がありすぎて。
6部以降をそれまでのテンションで書ける気がしなかったんですよね。
けどね、何回か読み込んでいくうちにどんどん好きになっていくし、アニメも始まるとこれが面白いんですよ。
そりゃ、ジョセフや承太郎に感情移入できるほど徐倫に感情移入できるか?と聞かれれば「ノー」です。
けれども、第6部が駄作で読む価値がないかというと全然そんなことはない。
むしろ、悪評が高かった割には想像していたより面白かったし、アニメ版でそれは一層感じましたね。
「こりゃ6部を伝導せねば…」
というわけで、そろそろ自分の中での機も熟してきたかな、と。
ここいらで第6部の魅力をたっぷりと語っていこうかな、と。
まあ、6部はこれまで、いや、ジョジョシリーズ全8部においてもっとも荒木先生の超高等(謎)理論が炸裂していますので、これはもう説明きません。
これは崇拝する神(荒木先生)の所業。
説明も解析もできないものはできない。
これは『摂理』なのですから。
そういうのは他のブロガーにでも任せて、私は私なりの伝え方で第6部の魅力をお伝えできればと思います。
それでは第6部の解説を気合い入れてやっていきますよ~!
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シリーズで最も不人気な理由とは?
私がジャンプを読まなくなった後に、それまで揃えていたコミックでさえ購入しようと思わなかった理由が、クチコミにあります。
私が大学時代を送った頃になると、パソコンがマニアだけでなく一般ユーザーにも浸透し、ネット回線も少しずつ普及し始めたころです。
You Tubeなんかは止まりっぱなしで使い物になりませんでしたが(笑)、ネットで調べ物をする程度には不自由しない時代になりましたかね。
で、ジョジョ6部のクチコミとかを調べるとこれがまあ、酷評に次ぐ酷評。
ゲオなどの古本屋に行くと、6部だけが怒涛のように叩き売られていました。
ピカピカの新品だったので、古本ではなくおそらく在庫処分ですねあれは。
いくら安くてもあれだけの酷評を読んで、さらにこの在庫の山を目にしてとてもじゃないけど購入意欲が湧きませんでした。
というよりも、あの在庫の山を見たときには流石に一時代の終焉を見た気がしましたよ。
「もう、ジョジョは、終わった…」
なかなかにショッキングでしたね。
その後、第7部でも同じように在庫の山現象が起きていただけに、私のジョジョ離れは長引いてしまったというか、もう一度ジョジョに戻るきっかけを失っていたというか。
そういう事態に陥った理由も当時はなんとなく分かっていました。
それは4部あたりから『スタンド能力が難解になってきていたから』です。
4部では吉良吉影の『バイツァ・ダスト』、第5部のラスボス・キング・クリムゾンの『時をふっとばす』能力や、シルバーチャリオッツレクイエムで起きた現象なんかでは
「さすがにちょっとよく分からない」
と感じ始めていたので、6部以降になってそれが顕在化したんじゃないか?と予想してました。
もうスタンド能力バトルも行き着くところまで行き着いたというか、あらゆるネタが出尽くしたというか。
第5部時点でも、能力が過去のスタンドと被って…いいえ、何でもありません。
実際に6部を読んでみると私の予想は当たっており、やっぱりスタンド能力はかなり難解になってました。
というよりスタンドの能力が途中で変わっ…いや、何でもありません。
「こりゃ在庫の山になるのも分からないじゃないかな…」
けれど、当時は荒木先生もマンネリにならないように四苦八苦していたのではないか?と感じたんですよね。
常に進化し続ける天才・荒木飛呂彦の葛藤
今回の第6部では初の試みがなされました。
それまでは部が切り替わろうとも、ジャンプコミックのタイトルは一貫して『ジョジョの奇妙な冒険』でした。
コミックに『第◯部~』と表記されることはなかったんですよ。
しかし、今回はコミックのタイトルは冠として一応『ジョジョの奇妙な冒険』と入ってはいても、『ストーンオーシャン』という字のほうが大きく表記されていました(文庫本では違いますが)。
コミック背表紙を見ると一見ジョジョのコミックに見えないんですよ。
これにはびっくりしましたね。
見比べてみてください。⇩
「あれだけ人気を確立した『ジョジョ』というブランドを目立たせないなんて正気ですか!?」
これには「ジョジョ以外の漫画も書いて欲しい編集部」と「何を書いてもジョジョになってしまう荒木先生」との攻めぎ合いの片鱗が見て取れるというか。
コミックも1巻から仕切り直しになりました。
当時、ゲオの在庫の山でこのコミック背表紙を見つけたときは、最初はジョジョの第6部だなんて分かりませんからね。
それだけでもそれまでのジョジョから大幅に変わったかのような印象を受けましたよ。
他にも、第6部では主人公が初めて女性(=徐倫)になりましたし、しかもスタンド使いは動かなかったそれまでと違い、徐倫は第2部のジョセフばりに体を張った戦いを見せます。
人型スタンドが全身で登場してオラオラ殴り合うようなシーンが極端に減り、主人公たちがその身を呈して戦うシーンが非常に多いです。
途中
「あれ?オレ今『刃牙』読んでたんだっけ?」
となる時もあると思います(笑)。
『能力バトル物』ではない格闘漫画にも意識的に挑戦しているように感じました。
これらは一端でしかなく、第6部は様々な変化・挑戦を求めているんですよ。
しかし戦い方の変化はまだいいとして、少年誌に掲載しているにも関わらず、少年誌の読者には分かりにくい変化が実は多いと感じます。
それに気がつくとこの第6部は非常におもしろく、また興味深い。
例えば、リアルさの徹底追求。
刑務所という『日常では絶対に目にすることが出来ない光景』もかなりリアルに描写されてます。
囚人護送車の内部の作り、看守への賄賂の隠し方、囚人を呼ぶ時の番号の桁数、警報機が動作した時の看守たちの初動の動きなど、実際に現地に赴いて見聞きしてきた荒木先生ならではのリアル描写は見事です。
作品の背景に透けて見えるバックボーンがとんでもなく太いというか。
こういう影の努力は少年誌で読まれるための努力ではなく、もっと成熟した大人の、しかも漫画玄人に向けた努力ですよね。
「分かってくれる人にだけ伝われば良い」というか。
他にも新たな要素しては『家族愛』ですね。
承太郎に娘として反発する徐倫の心の変化、機微がかなり丁寧に描かれています。
この徐倫の精神的な成長も第6部の見どころの一つと言えるでしょう。
しかし、このあたりもいわゆる能力バトルを期待する読者からは特に面白い要素とは受け止められにくいというか。
なので、私が感じた荒木先生の葛藤は
「もうこれまで通りのやり方を変えなければいけない。しかし、ここは少年誌なので内容と読者の年齢層が乖離(かいり)し過ぎないようにバランスを取らなきゃならない」
というところにあったのではないでしょうかね。
いわゆる少年誌が好むバトルシーンもありながら、少年誌ではありえない性描写(主人公がオ◯ニー見つかる)があるところにそのあたりの葛藤を感じます。
考えてみると以前のジョジョで性描写ってソフトなやつしかなかったですからね。
私の中学になる娘はこのオープニングの下ネタで第6部を読むのを挫折しました(笑)。
なので、7部からウルトラジャンプへ移ったのは自然の流れだったのかもしれませんね。
ジョースターとディオの因縁再び
今回の第6部の見どころはなんといっても3部で倒されたディオが久々に大きくフォーカスされていることです。
第4部や第5部では名前は登場するもののストーリー自体にはほとんど関与してません。
ディオが使っていた『弓と矢』、ディオの『息子』という間接的な関係はあるにせよ、その関係性自体が大きくストーリーに関わることはありませんでした。
しかし今回はストーリーの核心にディオが深く関係してきます。
今回のボスはなんとあのディオの元親友であり、ディオの意志を継ぐ『プッチ神父』。
そして主人公はディオを倒した承太郎の娘・徐倫。
つまりジョースター家とディオの代理戦争の様相を呈しているんですね。
いや、これはもう因縁に決着をつけるぞとばかりの勢いです(事実、決着は付きます)————。
それを印象づけるのが生前のディオの登場回数の多さ。
よもやあのディオの姿を死んだ後にこんなに拝むことができるなんて、ファンはかなり興奮したのではないでしょうか?
そこで描かれるディオは1部や3部の時のような野心溢れる姿ではなく、「ウリリリリィィ~!」とか言ってる凶暴極まりない吸血鬼のディオでもありません。
落ち着いた物腰で友人を気遣うその姿は紳士で冷静で知的。
スピードワゴンに
「環境で悪になった!?違うね!こいつは生まれついてのワルだ!」
と言われたその雰囲気は1ミリたりともありません。
このかつてのキャラとのあまりのギャップに、古くからのディオファンである私なんかは
「もしや荒木先生、キャラ設定を忘れてしまったのでは?」
「ディオが対等な友人に対して見せる姿はこんな感じなのか…」
と感動してしまいましたよ。
この人が数年後に承太郎と戦いながら
「最高にハイってやつだぁぁぁぁ!!!!」
って言ってる人と同一人物だなんてにわかには信じられません。
ディオとプッチの関係は対等の友人とは言っても、プッチはディオに心酔しており、ディオの作り出す世界に救いを見出しているような描かれ方をしています。
心に傷を負って神にすがり、正気と狂気の境界線を生きているようなプッチにとっては、ディオこそが人生の道標だったのでしょう。
そのディオがかつて掲げた『天国への行き方』に対する執着心は尋常ではありません。
プッチには善と悪の見境がないんですよ。
だから余計やばい。
ディオがかつて1部で語っていた『善のタガがない人間』というのはまさにこの人のことをいうんではないでしょうか?(あと山岸由花子)
これまでのジョジョって結構閉鎖された世界での戦いだったと思うんですよね。
世界中の人達がそれを見聞きするような戦争なんかとは違って、決して社会の表に出ることなく、誰にも知られることなく、ひっそりと、けれども非常に重要な戦いが行われている。
けれども今回は違います。
プッチは世界中を巻き込む、いや全宇宙を巻き込む事件を起こしてしまうんですから。
重力が横からかかったり、時間を加速させて世界中を大混乱の渦に叩き込みますから。
やってることのスケールのデカさでいうとシリーズラスボス史上最大級です。
ただその目的を遂行するためにどこまでも純粋。
そしてラスボスであるにも関わらず、ここまで詳細な心理描写が描かれたのは第4部の吉良吉影以来ではないでしょうか?
そしてここまで感情移入してしまったラスボスも吉良吉影以来です。
ピンチになった時にはうろたえすぎて
素数を数え始めるんですよ!?
ちょっと脱線しますが、荒木先生。
毎回思うんですけど、このキャクターの奇妙なクセって、何してたら思いつくんですか?
なんで「持っているもの出せ!」って言われたスタンドのヨーヨーマッが『R.E.Mのステッカー』を持っているとかいうこと思いつくんですか?
その底しれない発想力には毎度毎度のことながら恐れ入ります。
そしてこのプッチ。
序盤から最後まで登場しっぱなし。
まるで第1部のディオのようですらあります。
そしてそんな強烈な精神性を持つラスボスだからこそ、それに対峙する徐倫の『ジョースター家に脈々と受け継がれる誇り高き精神性』も際立つんですよね。
最初は自分が刑務所に15年ぶち込まれることになり、精神的な未熟さ・幼さを見せる徐倫ですが、ジョンガリAを倒すときにはすでに承太郎ばりにクールで肝の座った精神力を見せます。
まるで第3部の承太郎を彷彿とさせますよね。
この徐倫が最高にクールでかっこいいのも6部の見どころ。
アニメ版では声優さんの声もそれをより引き立てています。
よく、あんなぴったりな声優さんを連れてくるものだと毎回感心しますよ。
シリーズにおける第6部の意義
先程は『荒木先生にとっても葛藤の時期』という勝手な持論を展開しましたが、この第6部がジョジョシリーズにおける大きな分岐点となったのは間違いありません。
なぜなら、第1部から連綿と続いてきた時系列がここですべてリセットされるからです。
ご存知のようにジョジョの奇妙な冒険は第1部が1800年代の後半から始まり、時を超え場所を変えながらジョースター一族の物語を追ってきました。
その流れが断絶するんですね。
この6部のラストで時間が宇宙の終わりから始まりへと一周してしまうからです。
・・・・・・
何ですか?
どういうことか説明して欲しい?
・・・・・・・・
質問は受け付けません。
世の中ってのは質問すれば必ず答えが返ってくるんですか?
大人がいつでも手取り足取り優しく答えを教えてくれるんですか?
甘ったれんじゃありませんよ!(逆ギレ)
世界は残酷で理不尽なものなんです。
我々凡人では天才すぎる荒木先生の理論を理解することはできないんです。
どうあれ1周しちまったもんは受け入れるしかありません(笑)。
え~、というわけで時間が1周してしまった世界は
『パラレルワールド=平行世界』
になります。
6部のラストシーンからがそれに当たります。
以降、7部、8部は時代が同じで名前が同じでも、それまでに登場してたキャラとは全くの別人になります。
そして7部から8部へはそのもう一つの世界での時間軸となります。
この2つは続いているんですよ、時系列が。
荒木先生はなぜ7部からパラレルワールドにしたのでしょう?
なぜ6部のラストをあのようにする必要があったのでしょう?
主人公パーティ皆殺しというジョジョ史上最大のバッドエンドという後味の悪さのため、まあ、かなりの不評です。
これね、皆さん色んな考察があるかとは思いますが、私も私なりに考えてみたんですよ。
それは、ジョジョの奇妙な冒険を『ジョースター家とディオの因縁の構図』から解き放つことだったのではないのかな、と。
つまり、『ジョジョの奇妙な冒険=ジョースター家とディオの因縁』だったものを、
「それもジョジョのほんの一部でしかないんだよ。それは6部まででおしまいね。」
ということだったのかな、と。
大きなくくりで1~6部までを『パート1:ジョースターとディオの因縁編』みたいにして、スタンド能力というものはそのままにその世界観だけリセットしたかったんじゃないかな?
リセットしてまた新たな物語を、新たな歴史を描きたかったのでは、と。
さらにいうと結局ジョースター家とディオ(そしてその意志を継ぐものも含めて)との因縁の決着には勝敗を付けたくなかったのではないでしょうか?
6部は最終的な結果だけ見れば『勝者なし』なので。
荒木先生は第3部なんかに出てくるような『どう考えても小悪党でしかないようなキャラ』に至るまで、それぞれの価値観と生き方とポリシーがあることをしっかり描きます。
それら『悪党』の代表であるディオ(その悪の意志)が負けるということは、この世の中を正義と悪の二元論で断罪してしまうことになってしまう。
それは荒木先生の望むところではなかったのではないでしょうか?
第1部ではジョナサンとディオが『相打ちで終わる』ということが、荒木先生の根本的なスタンスを象徴していると思うんですよね。
ジョジョっていう作品は正義の立場と悪の立場を描くことで
『正義と呼ばれているものは果たして本当に正義なのか?悪と呼ばれているものは本当に悪なのか?』
という深いテーマを読み手に考えさせるところにこそ、その真価があると私は思っています。
だって、
こんなに悪役の人気が高い漫画
もそうそうありませんから(笑)。
そういう意味ではこの第6部こそ『ジョジョの核心部分が詰まった作品』と言えるのではないでしょうか?
というわけで、本日は第6部の総論を解説してきました。
今後はキャラ解説やストーリー、名場面解説をやっていこうと思ってますので乞うご期待!
『no jojo no life!』
”JOJOなしの人生なんてありえない!”
Simackyでした。
それではまた!
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コメントありがとうございました!
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