『ネバー・セイ・ダイ』ブラックサバス オジー期最後の作品!

どうもSimackyです。

本日はオジー期ブラック・サバスが1978年にリリースした8作目のオリジナルアルバム

『ネバー・セイ・ダイ』

を大いに語っていきますよ~。

本作をもってオジー・オズボーンがバンドを脱退、すなわち栄光のオリジナルメンバー期としての最後のアルバムとなります。

このオリジナルメンバー期のサバスは後進のミュージシャンたちに強い影響力を持っており、ヘヴィメタル、ハードロックはもとより、パンク、ハードコア、プログレッシブ、グランジ・オルタナティブなどかなり幅広いジャンルにその影響を公言するバンドがいます。

それはこのオリジナルメンバー期のサバスの音楽性がどんどん多種多様なものに広がっていったからです。

とことんヘヴィさ(=怖がらせる音楽)を追求した初期の3枚から、キーボードやオーケストラなども加えてより大作主義的で荘厳な音楽を追求した4~6作目。

次に向かうべき方向性を見失いながらも、あがきにあがいてポップやジャズ要素まで試行錯誤し始めた7~8作目。

ブラック・サバスの歴史は変化の歴史です。

売れ続けなければいけないプレッシャー(5作目まですべて100万枚以上)に苛まれ、どんどんドラッグ・アルコールに蝕まれながらも、税金や法廷闘争などの問題に追われながらも、いつだって精一杯真摯に音楽に向き合い、妥協のない音楽を生み出してきました。

普段の問題行動がどうであれ、音楽に対しては決して不誠実なことはしない。

見事なミュージシャンシップ。

こんな事を言うのは、本作を聞けばそれが明らかだからです。

決して安直に作られた感じがしないからなんですよ。

6作目以降、メンバーの人間関係が悪化したり、セールスが不振に終わったりといったことはありましたが、そのミュージシャンシップはまったく衰えなかったところが、彼らが後の世代から圧倒的リスペクトを集める所以でしょう。

そんな彼らの生み出した8作のオリジナルアルバムは、『1970年代においてビートルズ並の影響力を誇った』と言われる絶対王者=レッド・ツェッペリンの8作と比べてもなんら見劣りするものではありません。

ツェップも後期の作品は評価の分かれるところではありますが、我らがサバスの7,8作目も『駄作の烙印』を押されており、長いこと不当に扱われてきた過去があります。

さらには作った本人たちでさえあんまりよく言っていないのですが(笑)、本作は決してそのような扱いを受けるべき作品ではありません(オジー、ギーザーの二人はちょっと黙らっしゃい)。

彼らがなんと言おうとも

オリジナル期サバスの作品に駄作の二文字はありません。

本作が批判された理由

本作がこき下ろされた理由は、

「サバスらしくない」

これに尽きます。

ギターリフにはかつての重々しさはないし、オジーのボーカルにもかつてのおどろおどろしさも、狂気に満ちたシャウトもありません。

なので

「これはメタルじゃない。単なるハードロックだ。そもそもポップすぎる」

という論調で語られてきたと思います。

けどね、私はそれにものすごく違和感を感じるんですよね~。

本作のキャッチーさ、とっつきやすさってオジーのソロから遡って入ってきた私なんかからすると全然違和感がないんですよ。

「別にボンジョビみたくなったわけじゃないんだから、そこまで騒ぐことなくね?」

みたいな(笑)。

まあ、1~3作目の毒素に当てられた方々が本作を聴いて憤慨するのは分かりますよ?

「あのサバスしか認めない!」って人たちの気持ちもね。

けどね、あのサバスしか認めない人は5作目「サバス・ブラッディ・サバス」でとっくに離れてると思うのですが。

メタリカでいうところのブラック・アルバムあたりで離れた人たちみたいな。

「スラッシュじゃなきゃメタリカじゃないやんけ!」みたいな人たち。

1曲目のタイトル曲「サバス・ブラッディ・サバス」はモロにサバス節ではあるけど、アルバム全体としてはとっくに3作目までの『らしさ』から脱却しているので。

もっと言えば4作目の時点からそれは始まってますから。

私の場合、3作目「マスター・オブ・リアリティ」と5作目「サバス・ブラッディ・サバス」を同時に聴いたのが大きかったのかな?

「サバスは重いだけのバンドではない」

と最初から知ることになったので。

つまり何を言いたいかというと、サバスの変化の裏にある本当の音楽性の高さに共感してきた人たちであれば、本作の『軽さ』を取り立てて騒ぐ理由にはならないはずなんです。

これまでだってさして重いと感じないナンバーはあったじゃないですか?

4作目収録で人気の高い「スーパーナート」だって結構ノリは軽いですよ?

5作目収録「ルッキング・フォー・トゥデイ」だってめっちゃ明るくて、テンポ上げたビートルズみたいですよ?

6作目収録「スリル・オブ・イット・オール」もカラッとしたハードロックテイストです(おまけに後半かなり明るくなりますし)。

でもどれもすごくいい曲だったじゃないですか?

なので今さら『軽いから駄目』とか言っている人は、それまでのサバスをちゃんと聴き込んでこなかった人に私には思えますね。

サバスの中毒性の高いドゥーミーさはもちろん彼らならではの魅力ではあるのですが、本作を「サバスらしくない」とか言ってたら、それ以外の魅力をたくさん持っていることを知らない『にわか』な人たちにしか思えないのですがいかがでしょう?

そんな人達がのたまう「駄作」という言葉に流されてはもったいないですよ。

『ネバー・セイ・ダイ』楽曲レビュー

それでは楽曲レビュー行ってみましょう。

本作の特徴として「シンプルな楽曲が多い」ということが挙げられます。

サバスならではの曲の途中から疾走したり、劇的な展開を見せたり、、、といったことはなく、凄くシンプルに仕上げてあるのでこれまでになく歌モノ感が強く感じられることでしょう。

実はボーカルメロディだけ見ればオジーのソロに限りなく近い作風になってます。

『重さ以外のサバスの魅力は昔からあった』とさきほどは語りましたが、本作はそれ以外の新しい要素が強いのも事実。

目まぐるしいくらい新しい要素がてんこ盛りのなので、サバス玄人であるほど最初は混乱するかもしれません(笑)。

けど、その当たりの試行錯誤が見えてくると、トニーが本作にかけた意気込みがよく分かってきます。

生半可な気持ちでは作ってません。

#1『ネヴァー・セイ・ダイ』

超名曲だと思ってます。

私はサバスの最初はベスト盤で入ったのですが、その中では「サバス・ブラッディ・サバス」と並んで一番好きだったです。

普遍性が非常に高いので、メガデスがカバーしたバージョンでもちょっとうるって来てしまいました。

時代は関係なく語り継がれていくべき曲だと思うのですがね。

キッスにおける「ロックンロール・オールナイト」みたいなアンセムになれなかったのは、それをファンたちが求めていなかったからか?

オジーがあの高さで歌うことができなくなってしまったからか(笑)。

今回のトニーは「とことんまで凝ってやる!」という気概で臨んでいたらしいのですが(オジー談)、それは楽曲の構成や複雑なプレイということではなく、音質や音色、聴かせ方という分野でのことだったのでしょう。

ものすごくシンプルでストレートな楽曲が多いアルバムですが、この曲はその最たるものであり、トニーのこだわった点が如実に現れているというか。

このジャーンとかき鳴らすだけのコード音の異常にかっこいいこと!

問答無用の説得力と爆発力。

これを生み出すためにかなり音を選びに選んだんだろうな~。

ラストのギターソロの導入部では私は泣きましたよ。

あそこも思いっきりソロのボリューム上げて切り込んでくるからこそ泣けるんだよな~。

ミックスの妙です。

#2『ジョニー・ブレード 』

出ました、『キーボード職人ドン・エイリー』。

明らかにリック・ウェイクマンが5作目に参加したときより貢献度が大きいです。

なぜなら本作には「彼のプレイなくしては曲が成り立たない」というナンバーが数曲あり、この曲なんかモロにそうだからです。

ドン・エイリーのキーボードが演出する世界観は見事で、オジーのソロに参加した時も3作目「バーク・アット・ザ・ムーン」では本来ジェイクのカラーでLAメタル色に染まりそうなとこを、ヨーロピアンテイストに染め上げていました。

この曲はドン・エイリーのキーボードに負けず劣らずのトニーのギターがまた凄い。

相乗効果というか、「こいつよりも目立ちたい」効果というか(笑)。

そこにドラムのビルまで対抗しだしてます。

ドラムがガッタガタ鳴ってて、なんかジョン・ボーナムが叩いているみたい。

ビルのバスドラってこんな迫力あったっけ?

物凄く存在感のある金属質なリフが曲のど真ん中に居座っていて、それをキーボードが彩っていき、ドラムがケツを蹴り上げ緊迫感を引き上げ、最後はギター自らが美味しいところを全部持っていきます。

トニー反則です(笑)。

私にとってはタイトルナンバーを追い抜き、本作の中で一番好きになってしまいました。

この曲は凄すぎですよ。

#3『ジュニアーズ・アイズ』

個人的には地味な曲に感じまあまあ好きな曲なんですが、意外にもこの曲が一番好きという人が多いのは驚きでした。

ワウ使いまくっててサイケだな~、ジミヘンだな~。

オジーのボーカルラインは完全にソロ期の雛形が出来上がってますね。

「ああ、オジーっぽい」って感じる瞬間が本作は多いです。

#4『ハード・ロード 』

凄くシンプルなシャッフルですね。

そう言えばこれまでのサバスってシャッフルやってなかったような。

こういう見えないところで新しい試みを貪欲に試みております。

最後までストレートなシンプルさで通すのが逆に新鮮。

ラストのコーラスはトニーとギーザーがバックコーラスをやるというこれまた初の試み。

そういえば、サバスのライブ見てて他のメンバーがコーラスやってるの観たことがなかったね(笑)。

#5『ショック・ウェイヴ 』

イイね~、このいきなり切り込んでくるリフ。

前作の「バック・ストリート・キッズ」でもそうだったのですが、トニーはヘヴィなリフでなくとも、正統派ハードロックの範疇でも良質なリフを生み出すことができることを証明していますね。

ヴァン・ヘイレンあたりと同じ土俵でも戦うことができるというか。

本作ではワウを駆使してるのが耳に付きますね。初めて?

めっちゃサイケでジミヘンぽくなります。

本作はこのように次から次へと意外性の塊が押し寄せてくるから、これだけ褒めている私ですら最初は戸惑いましたよ(笑)。

新しいものを受け入れるキャパをちょっと超えてくるんですよね。

なので、やっぱり本作は聞き込みが必要な一枚ではありますね。

#6『エアー・ダンス』

ヘヴィリフにオクターブ上のリードギターを重ねるというこれまた新しい試みで始まります。

かと思うと凄い神秘的な世界をキーボードが演出します。

「この人マジかよ…」

と呆れてしまうほどドン・エイリーのキーボードが才気ばしってます。

こういう雰囲気を生み出せるのであれば、思い切って20分くらいのプログレ大作に挑戦してもらいたかったと思うのは、ドリームシアター好きの私のかってな願望(笑)。

4:00あたりからガラッと雰囲気が変わり、アップテンポになるのですが、ここのギターって妙にフランク・ザッパっぽいんですよね。

ちなみにサバスのメンバーは実はザッパ好きで(特にギーザー)、ツアー先でホテルがたまたま一緒になった時にザッパ主催のパーティに参加したりもしてます。

あの辛口のザッパが4作目収録「スーパーナート」のリフを褒めたくらいなので、感性が通じるところがあるのかもしれませんね。

#7『オーヴァー・トゥ・ユー』

まったりした感じで悪くいうとちょっと緊張感がないな、って感じで進んでいくのですが、サビではまたしてもドン・エイリーのキーボードがやってくれます。

キーボードと言うよりピアノになるのかな?

サビだけ聞けば完全にバラードナンバーですね。

この曲でもオジー節が匂い立ちます。

しかし、ピアノがない部分が平坦すぎて若干退屈に感じます。

このアルバムは「かなり気合い入れて作り込んでるな!」っていう部分と、「ここはまだ作り込みの余地あるでしょ?」っていう部分が錯綜します。

これがギーザーがインタビューで語っていた

「弁護士と会ったり裁判に出たりして音楽に集中できなかった」

ことによる弊害というわけですな。

#8『ブレイクアウト』

ピアノやらメロトロンやらキーボードやらオーケストラまで。

これまでサバスは新たに色んな楽器を導入してきましたが、ここに来てついにホーンセクションの大導入。

思いっきりブラックミュージックの要素を前面に出してきましたね。

前作収録『オール・ムーヴィング・パーツ』でのファンキーなベースラインに、どうもそれらしい雰囲気を感じてはいましたが。

ほんと、色んな音楽を貪欲に吸収しているんですね。

こういう音楽的に野心的な挑戦がアルバムごとに必ずあるのがサバスのミュージシャンとして凄みです。

しかしオジーの自伝によると、この曲に代表される「サバスの音楽性とかけ離れた挑戦」が我慢できなかったらしいです。

まあ、いうても2分半程度の小曲なのですがね。

なのでソロプロジェクトでフラストレーションを発散したいと相談すると、トニーから

「そんなアイデアがあるならこっちに持って来い」

持っていったら持っていったで

「こんな曲はクソだ」

と全く取り合ってくれない。

ま、あくまでオジー側の勝手な言い分であって他のメンバー、特にトニーには言い分がまたあるでしょうけどね。

で、レコーディングの終盤で

「もう降りるよ」と。

バンド脱退はしなかったんですけど、レコーディングは離脱します。

ラストナンバー「スインギング・ザ・チェイン」のボーカルをビルが録っているのはこのためです。

まあ、それが直接的な引き金になって解雇になったわけではなく、最終的にはドラッグアルコール漬けになったオジーがライブをすっぽかして行方不明(間違って隣のホテルに泊まって2日間眠り続けた)になり、大騒ぎになったことが原因なのですが。

#9『スウィンギング・ザ・チェイン 』

本作の評価が落ちてしまった責任の一端はこの曲で終わってしまったことでしょう。

これまでドラマーでありながらバラードの名曲2曲、3作目の「ソリチュード」、7作目の「イッツ・オーライ」を歌ってきたビル。

これまでは「この曲はビルの声がハマるだろ」っていう理由で歌ったのと違い、今回はオジーが抜けてしまったから仕方なく歌っているので、曲調とビルの歌唱が全く合っていません。

というより、ボーカルラインはいかにもオジーっぽいので、作る段階ではオジーが作ってたんだと思います。

ただでさえカラッとしたアメリカンハードロックテイストのアルバムなのに、この曲の場合ハーモニカが入っているからなんかエアロスミスっぽいと感じたのは私だけ?

そこにバラード歌ってる時の輝きの片鱗さえ見えないビルのひっでぇボーカルが合わさることにより

「一体この曲はなんなんだ?歌ってるお前は一体誰なんだ?」

みたいに不可解さしか残らない結果に終わってます。

私は長いことこの曲はお遊びで入れたボーナストラックだと思ってましたから(笑)。

うーん、オジーが歌っていたら『ウィザード』みたく名曲になれたかも…残念。


はい、というわけで今回は『ネバー・セイ・ダイ』を語ってきました。

この記事が本作の再評価につながることを願います!

 

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