『ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー』メガデス:迷走の理由

どうもSimackyです。

本日は2001年にリリースされたメガデス9作目のオリジナルアルバム『ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー』を語っていきたいと思います。

最初にはっきり申し上げますが、正直そこまで好きなアルバムではありません。

結構聴き込んではきたものの、特にお気に入りの曲も出てきてませんので楽曲レビューは今回はしません。

全体的に見渡してみても人気も高いとは言えず、レビューの件数も非常に少ないですね。

しかし、私はもはや作品の善し悪しは関係なくメガデスというバンドが好きなんですよね。

というよりデイブ・ムステインというお人が好きなので、彼のいい時期悪い時期含めて、その全ての流れを聴いていくことがすごく興味深いので、これは飛ばすわけには行きません。

単なるアルバムレビューで終わることなく、彼らを見ていて感じてきたことなども語っていくのがこのブログの趣旨なので。

う…しかし…のっけからこのやる気を激削ぎしてくるジャケットときたらどうでしょう。

なんか久々にこの骸骨の奴(ラトルヘッド)出てきたな~。

「え?おまえ何?まだいたの?ごめん、忘れてた。で、誰だったけ?

と思った人は多いでしょう。

いいですか皆さん?

これは悪い見本です。

アルバムのジャケットを決める時は酒に酔った勢いで決めたにしても翌朝、冷静になった頭でもう一度そのジャケを見直してみなければいけません。

そうすればこんなことにはならないはずです。

はっきり言って二日酔いが3秒で吹っ飛ぶほどのジャケですよ。

「お、俺はなんてことしようとしていたんだ、恐ろしい。こんなもんを世に出した日にはカミさんから借りてきた赤タイツはいて撮った人みたいに向こう50年はイジられるとこだった。そんなことになったら末代までの恥だぜ…」

そうやって気づくはずなんですよ。

これは『しくじり先生』で暴露して貰わないといけないレベルのしくじり加減ですね。

え~、というわけで、前途多難な上に歯切れは悪いと思いますが(笑)、本日も語っていきますよ~!

黄金メンバーの完全崩壊

メガデスは4作目『ラスト・イン・ピース』から続いてきた黄金メンバーであるニック・メンザと7作目まで、マーティ・フリードマンと8作目まででたもとを分かちました。

またデイブブラザーズ2人っきりに戻っちゃった。

まるでいつもYOSHIKIとTOSHIだけになっちゃってたインディ時代のXのようですね(笑)。

一時はメタリカをデビュー前にクビになるピンチを乗り越え、1980年代はスラッシュメタルの隆盛という流れに乗り、1990年代はオルタナティブムーブメントという荒波を見事に乗り越え、苦難の時代を生き残った大佐率いるメガデスなのですが、8作目「リスク」ではかなりポップ・ロックな方向性にまで進めてしまったため、徐々に離れつつあった旧来ファンがいよいよ離れてしまいそうになります。

しかし、旧来ファンだけじゃなく、人気メンバーだったマーティ・フリードマンさえもがこの方向性に難色を示し、ついには脱退となってしまいました。

なんかお互いの言い分が錯綜しているので結局何が原因なのかはよく分かりません。

大佐は

「マーティがメガデスの音楽をJポップみたいにしようとした」

とか言ってるし、マーティは

「もっとメガデスらしいハードな音楽にするべきなのにすごく中途半端な作品ができあがった」

みたいなこといってるし。

「じゃあ、一体誰が『リスク』の方向性に満足しているの?俺は好きなのに」とか思ってしまうのですが、まあ色々あるのでしょう。

ここでメガデスを脱退したマーティを、まさか日本のお茶の間で目にする日が来るとは思いませんでしたが。

本作の方向性

5作目『破滅へのカウントダウン』から前作『リスク』までを私は勝手に『歌モノ4部作』と呼んでいるのですが、個人的にはこの4部作が学生時代のリアルタイムだったこともあり、私は肯定派なんですよ。

まあ、おそらくかなり少数派なのかもしれませんが(笑)。

80年代のスラッシュメタルも大好きだけど、これはこれでかっこいいっていう。

しかし、かつてのメガデスらしさを求める多くのファン層にとって歌モノ4部作は退屈だったでしょうし、『クリプティック・ライティングス』『リスク』の2作にいたってはもはや完全にメタルとは呼べない代物になっていたので、さぞ許せなかったことでしょう。

そういったファンの方たちにとって、本作は『ヘヴィメタルの音』を鳴らしてますので、その意味での一定の評価は得られたんじゃないかな。

具体的にはスピードナンバーがちゃんとあります。

ギターソロの速弾き、ユニゾンもあるし、ドラムのツーバス連打もあります。

そう、いわゆる典型的なメタルのフォーマットが本作にはあります。

もちろん全部の曲がそうだとは言いいませんがね。

しかしそれらが期待を膨らませながらも、「シューン…」と尻すぼみになるというか。

「お? おおおっ! おぉぉー…」

みたいな。

なんか中途半端な感じが拭えません。

ゴリゴリにメタルに戻したかと言えば全然そうではなく、歌モノ4部作に入っていてもおかしくないような雰囲気だって持っていたりしますからね。

「で、どうしたいの?戻したいの?路線変えたいの?」みたいな。

どうしてこんなことになってしまったのか?

新たな方向性が見えない迷子状態

これはメタリカでも起きたことなのですが、自分たちの元々の音楽性から一回完全に離れてみて、未開の領域を突き進んでみたのですが、

「さあ、時代の波は乗り越えたから一回立ち止まって次の目標地を決めてみようか」

という段階に差し掛かって迷子になってしまったというか。

「あ、あれ?そういえば俺たちってどこ目指してたんだっけ?」

みたいな。

メタリカで言えばブラック・アルバム、メガデスで言えば「破滅へのカウントダウン」あたりで止まっていれば、まだ引き返すのも容易だったと思うのですが。

メタリカは『LOAD』で、メガデスは『リスク』で、メタルを自分たちの判断軸に置くことを捨ててしまったんです。

まさしく、その先へ行ったら地獄が待っている『鬼門』をくぐってしまったんですね。

おそらくラーズが大佐に投げかけた

「メガデスはもっとリスクをとらなきゃな」

っていうメッセージはそういうことだったんだと思います。

「俺たちは鬼門くぐるけどお前たちは来ないの?」って。

この時に大佐は

「俺たちはあくまでヘヴィメタルバンドなんだから、その延長線上を突き進んでいるのさ」

っていう基本スタンスさえ捨ててしまったんじゃないですかね。

そこを捨て去った先の世界(全く新しい音楽)を見に行ってしまったんですよ、メタリカと一緒に。

そうすると逆にその後の展開を考えた場合に、選択肢が多すぎるんですよ。

だって『リスク』では「もはやU2だ!」と言われる領域にさえ踏み込んでしまったんですよ?

それなら今さらオアシスっぽくなろうが、ナイン・インチ・ネイルズになろうがエミネムになろうがなんでもござれじゃないですか?

「ここからここまではメガデスの音楽としてアリです」

っていう幅がめちゃめちゃ広くなってしまったというか。

つまり自分たちの音楽の軸となる部分を見失ったとでも言いましょうか。

軸があれば音楽ってわりかし作りやすいのに、軸がなければどこを基準に音楽性を固めていけば良いのかが分からなくなる。

だから本作は「右に行こうか左に行こうか」と右往左往した結果、ぼやっとした印象のアルバムになってしまたのかな、と。

じゃあ、メタリカはどうだったのかというと、完全に新しい方向性を見失い、煮詰まって解散寸前にまでなりました。

それが『セイント・アンガー』の時です。

メタリカ「セイントアンガー」アルバムジャケット

メタリカ「セイントアンガー」

喧々囂々(けんけんごうごう)の喧嘩をしながら、ギターソロをカットしたり、スネアのスナッピーを外したりと、かなり常軌を逸したことをやっていても、おそらく本人たちはそう思っていません。

なぜなら「良いか悪いか?」を決める判断基準(=軸)がないからです。

もちろんかつてのメタリカ(スラッシュメタル)を軸とすれば、

「ギターソロカットは駄目でしょう」

となるんでしょうが、そんなものは彼らはとっくに捨ててしまっているんですよ。

だから「これは俺達らしくないからなしね」って消去法ができない。

消去法ができないから、選択肢を絞り込むことができなくなってしまったんだと思います。

おそらく軸を持たないことの危険性を、両者とも気がついたのがこのタイミングなんじゃないかな。

「やっべ。どっかに基準置いとかないとマジで迷走しちまうわ」と。

メタリカは『セイント・アンガー』で、メガデスは本作で気がついたんでしょう。

だから両者ともに、次作でスラッシュメタルに原点回帰する、という流れになったのだと思います。

「俺たちの軸はあくまでヘヴィメタルだ」と。

そして久々にスラッシュメタルやるもんだから、どっちもなんかギクシャクしてるっていう(笑)。

いや~、ほんとこの2バンドって見ていて興味深いですよ。

 

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