JOJO第7部『スティール・ボール・ラン』(総論)~荒木飛呂彦の鬼才が炸裂する後期の隠れ名作~
本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。
最近、すっかりブログ書くのを忘れてました(笑)。
というのは冗談で、最近は”インプット期”(充電期)に入ってて、”吐き出したい”欲求よりも”吸収したい”欲求のほうが上回ってたもので。
音楽ではプリンスやディアンジェロ、エリカ・バドゥなどのブラックミュージック、本ではブッダの原始仏教やら太宰治などの純文学にのめり込んでました。
こういう充電期間で吸収したものは、そのうちしっかり消化して、笑いに変えていきますから、お楽しみに(笑)。
まぁ、締切なんぞはないのでぼちぼち行きましょうや。
今回は久々のJOJOブログですよ~。
前回、JOJO6部を記事にしたのなんて2024年6月以来。
1年半ぶり…。
長いな~。
けどね、最近、子供たちが7部「スティール・ボール・ラン」のCMを見て「かっこいい!」となり、私が電子書籍で買っていたカラー版をむさぼり読んでいるのを見て、
「もうそんな時期か、そろそろ書かなきゃないけないな…」
と重い腰を上げることになったわけです。
で、久々に読み返してみると…これがめちゃめちゃ面白い!
いや、あらためて荒木先生には感服しました。
「承太郎VSディオ」の時のような、「仗助VS吉良吉影」の時のような、「ブチャラティVSプロシュート」の時のような…
本気を出した時の荒木飛呂彦の凄みを久々に感じたと言ってもいいですね。
「やっぱ荒木マンガはこうじゃないとねぇ!!!」みたいな。
「神がかったものが何か降りてきてるぞ」みたいな。
序盤はなんだかどこに進むのか迷っているかのようなスピードで展開するのですが、途中から覚醒したかと思うと一気に最後まで駆け抜けます。
この7部は黄金期の3部4部5部に匹敵する作品、いや、40代になってしまった今の私にとっては一番感情移入してしまう作品ですね。
高校生の頃の私がこれを読んでもここまで感銘は受けなかったでしょうが、やっぱり人生色々とシャバの酸いも甘いも経験すると、そして子供から大人になり父になってみると…共感するポイントが全然違ってきますから。
とにかく…渋いんですよ。
もう大人の男にグッサグサ突き刺さる名言のオンパレード(特に父・グレゴリオ:笑)。
”いかにも少年誌的な名言”じゃあないんです。
昔のアニメで言うと、『ルパン三世』(テレビシリーズ)『コブラ』『あしたのジョー』なんかが持っていた大人の色気やいかがわしさ、哀愁が漂ってるんですよね。
ツボる人にはとことんツボると思いますよ。
なんかもう荒木先生の鬼才が爆発してます。
その画力はファッション雑誌のモデル写真のような域に達し、そのストーリーはかつてなく壮大で、キャラの持つ人間的魅力や、大コマを多用したアップの目や表情での『言葉を使わない』感情表現が素晴らしい。
そして何よりジャイロとジョニーの『主人公2人体制』というシリーズ初の試みが生み出したのは、JOJOシリーズきっての『友情劇』でした。
涙無しには読めません。
かつてのジョセフ&シーザー以上の友情劇が見れることを私が保証しますよ。
ついでに言うと、かつなかったほどヒロインが大活躍するんで、お色気シーンまで出血大サービス(笑)。
そういった諸々の魅力を、たっぷりとじっくりと語っていきましょうかね!
盛大なネタバレを含みますので、嫌な方は即ご退場を!
それではこのセリフを皮切りに、JOJO第7部『スティール・ボール・ラン』解説、張り切っていってみましょう!
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「圧迫よォッ!!!”圧迫祭り”よッ!!!」
1890年のアメリカという時代設定
さて、今回の舞台はアメリカ。
おや?そう言えば6部もアメリカだったな。
意外とアメリカが舞台になるのって多い?
ということでこれまでジョジョシリーズの舞台となった国々を、私のおぼろげな記憶で振り返ってみましょう。
第1部 イギリス
第2部 アメリカ→メキシコ→イタリア→スイス→イタリア
第3部 日本→香港→シンガポール→インド→エジプト
第4部 日本(杜王町)
第5部 イタリア
第6部 アメリカ
第7部 アメリカ
第8部 日本(杜王町)
第9部 アメリカ(ハワイ)
おお、JOJOってヨーロッパのイメージ強いけど、実はアメリカによってきてるんですね。
やっぱりそれまでのJOJOって、いや、荒木先生ってイタリア好きのイメージが強すぎましたからね。
イカスミスパゲティを美味そうにジョセフが食べたり、4部でもトニオさんのレストランとかあったし、仗助もイタリアブランドのフェラガモの靴買おうとしてるし、しまいには5部でイタリア舞台になりましたから。
っていうか、1部はイギリスだし、3部ではアジア・アフリカで固めているところからすると、荒木先生はその時々でマイブームが変わってるみたいですね(笑)。
で、この7部は6部に続いてのアメリカ舞台なんですけど、刑務所脱獄ものから横断レースものへとストーリーの共通点がまるでないこと、さらに時代が100年以上遡っていることもあり、アメリカが2作続けて舞台となっていることにほとんどの人が気がついてないと思います(笑)。
で、荒木先生と言えばルネッサンスなどの西欧文化にすごく影響受けてて、ルーブル美術館へも何度も通ってるし、しまいには先生の絵がルーブルに展示されてしまいました(笑)。
ルーブルに展示されるって一体どんな漫画家!?
そんな荒木先生ですが、実はアメリカのエンターテイメントは大好きで、特に映画には物凄く影響受けてます。
コミック見開きのコメントとかでもそういうコメントがあります。
特に第3部ではジョセフの出で立ちがまさに『インディ・ジョーンズ』だし、ホル・ホースは『夕陽のガンマン』に出てくるカウボーイですよね。
荒木先生の西部劇趣味がモロに見られました。
ただ、今回は西部劇への憧れだけで1800年代のアメリカを舞台にしたわけではなく、時代設定はその後半である1890年。
西部開拓時代は終わってるんで、『夕陽のガンマン』とかよりだいぶ後の時代設定ですね。
アメリカが世界一の大国・アメリカ合衆国として急速に発展していくその始まりの時期。
なんでその時期なの?
1890年と言えば?
察しのいいJOJOファンならば分かるでしょう。
そう、1890年というのはJOJO1部の始まりの時代というわけです。
ジョースター家にDIOがやってくる全ての因縁の始まり、あの時代を別の世界、別の国、別のキャラでもう一度描き直そうという試みがこの7部なのです。
ご存知のように、6部のラストで『世界が一巡してしまった』ため、この7部からはこれまでのJOJOの歴史とは別のパラレルワールド(並行世界)になっているんです。
つまり、JOJOの歴史を最初からやり直そうとしているわけですね。
その意味では『新・ジョジョの奇妙な冒険』の第1部とも言えるわけです。
ご覧になっていただければ分かる通り、ここではジョースター家とDIOの因縁は生まれません。
第1部でジョナサンとディオが『運命の宿敵』という関係だったのに対し、今回7部のジョニーとディオは敵対はしますが、2人のライバル関係が本題ではありませんからね。
なので、次の8部でもジョースター家とディオとの因縁はまるで関係なく、9部でもそうなります(主人公の名前はジョディオになってますけど:笑)。
これは私の個人的な見解ですが、おそらく荒木先生はJOJOを『ジョースター家とディオの因縁の物語』から解き放ち、もっと自由に表現するための基盤を作りたかったんじゃないのかな?
それはジョニーやディオのキャラ設定を見ていてもそう感じます。
ディオが全然らしくないんだけど、めっちゃ魅力的なんですよ。
”完全悪”っていう印象じゃなくて、人間臭いし、おちゃめで、ところどころ良い奴に見えちゃう(笑)。
ジョニーもこれまでの主人公で一番ヘタレな印象で、ジョナサンのあの鉄壁のジェントルマン振りとは大きく違います。
なんたって初登場が2話目からだし、その扱いときたらこれモンですから↓

かなりの小コマで、ページの左隅に脇役(野次馬)のような登場の仕方をします。
なんという扱いの酷さ…。
歴代JOJOイチの恥さらしです。
これ、主人公にする気は最初なかったよね、絶対。
『JOJOの主人公たるやかくあるべき』っていうイメージから解放されることによって生まれた新しい主人公像ですね。
そう、この7部は色んな場面で「あれ?JOJOっぽくないな」って感じるニュアンスが結構ありますよ。
荒木先生とアーティストたちの類似点
私にとって6部以降ってのはね、バンドで例えれば『黄金期が終わった後の作品』を語るみたいな感じなんですよ(笑)。
黄金期の頃の作品に比べてファン以外の一般の方々はあんまり知らないし、評価も高くない、みたいな。
でも実はファンだけが黄金期ではない時期でも傑作があることを知っている、みたいな。
そういう風に考えていくと、これって荒木先生の大好きなプリンスに、実は非常によく似ていることに気がついたんですよ。
「またまた強引な…。まいどまいど音楽に無理やり結びつけ過ぎでは?」
と思ったそこのあなた!
それがこのブログの味なんで。
こんなマニアックなサイトにあなたはこいつを味わいに来たんでしょう?
豚骨ラーメン屋に入ってきておいて「塩ラーメンが食いたかった」とは言わせませんぜぇ!?
まあ、暴論ですけど聞いて下さいや(笑)。
まず、JOJOの黄金期、黄金期後っていうのをプリンスで例えるならば、全世界で2500万枚を売った1984年『パープル・レイン』あたりから以降の1980年代の一連の作品群が黄金期と呼ばれ、1990年代の作品は黄金期が終わった後とみなされがち、みたいな。

『パープル・レイン』
けれども、‘90年代の作品だって実は『ダイヤモンズ・アンド・パールズ』『ラブシンボル』『イマンシペイション』『クリスタルボール』などなど、実は名作が目白押しで、その中でもJOJOでも絡みのある『ゴールドエクスペリエンス』のようなひときわ輝く傑作も実は生まれてます。
『パープル・レイン』のように爆発的にヒットしたとかいうわけじゃないんですが、誰がなんと言おうと名盤ですね、間違いなく。
私の場合は‘80年代よりも‘90年代のプリンスの方が断然好きで、もっと‘90年代のプリンスを多くの人に知ってほしいって思う派なんですが、これってまさにジョジョの7部みたいだと私は感じるんですよ。
黄金期と呼ばれる3~5部が終わった後の6~8部だって全部面白いし、その中には7部のような傑作も生まれているんですよ、みたいな。
さらに似ていると思う点が、”築き上げたネームバリューに頼っていない姿勢”ですね。
『ゴールドエクスペリエンス』以降のアルバムからは、『プリンス』っていう名前を伏せて変な記号(CDジャケットのあのマークね)にしちゃったから、商業的には黄金期ほどのメガヒットが生まれませんでした。
荒木先生はやっぱりプリンスを意識しちゃったりしてたのかな?
それとも偶然か?
似たようなことをしてるんですよ。
「ジョジョの奇妙な冒険第6部」とか「ジョジョの奇妙な冒険第7部」っていう「ジョジョ」っていうパワーワードを控えめにしたり、表記しなくなったりしてるところ。

コミック表紙には「ジョジョの奇妙な冒険」がどこにも見当たらない…

6部ではあったのに7部では背表紙からもなくなった
代わりに「ストーンオーシャン」「スティール・ボール・ラン」「ジョジョリオン」っていうタイトルを前面に出しちゃった。
『プリンス』というネームバリューを捨てて変な記号にしたプリンスと、『ジョジョの奇妙な冒険』というネームバリューを捨てて(捨ててまではないけど控えめにした)タイトルを変えた荒木先生。
おお!
こういう発見があるからブログはやめられない(笑)。
びっくりするほどプリンスとの共通点が見いだせるのですが、とにかくジョジョ第7部とは私の中で極めて重要な位置づけ。
まあ、JOJOでは3~5部が黄金期と呼ばれてるし、一般的な認知度も高いってのは分かります。
「全部は見てないけど3~5部だけはアニメで見たよ」
みたいな人って私の周りでも結構いますからね。
私はそういう人たちに無理に6部や8部をおすすめはしてきませんでした(ブログではおすすめするつもりですが)。
批判を恐れずに言うと、ちょっと「読む人を選ぶ作品」だと思うし、実際、アニメ5部で期待値大になっていた私の子供たちがアニメ6部で挫折しましたからね。
けどね…
7部だけは必ず読んどきぃや。
と声を大にして言いたい。
これは「読む人を選ばない普遍性」を持ち合わせた作品だと思うんですよね。
この7部はね、世間一般の評価・認知度が低い6~8部において、内容的には頭2つ分くらい抜けてる、と私は評価してます。
アーティスト作品で言うと『中・後期の傑作』とか呼ばれるような位置づけ。
「一斉を風靡(ふうび)した時期」「このアーティストと言えばこの時期」みたいな時期からはある程度の時間を置いた頃にこそっと出ていた傑作、みたいな。
プリンスで言うと『ゴールドエクスペリエンス』、デビッド・ボウイで言うと『スケアリー・モンスターズ』のような位置づけがこの7部なんですよ(奇しくもこの2人は2016年という同じ年に亡くなってます)。

『スケアリー・モンスターズ』
7部ディオのスタンド名がまさかの『スケアリー・モンスターズ』というところに、なにやら運命的なものを感じてしまいますが、個人的にはボウイで一番好きなアルバムです。
世間一般的に『プリンス』と聞けば想起するのは『プリンス&ザ・レボリューション』のころの綺羅びやかなイメージ、『デビッド・ボウイ』と聞けば想起するのは『グラム・ロックのカルトスター』だったころの宇宙人のイメージ。
それと同じで、世間一般的に『ジョジョの奇妙な冒険』と聞けば想起するのは『学ランを着た空条承太郎と絶対帝王DIO』のイメージ。
ですよね?
けれども、そういうパブリックイメージから時間が経過した時期にこそ、本当の傑作、アーティスティックな作品が出ているものなんです。
そしてJOJOで言うそれはこの第7部なのです。
ほらほら…テンション上がってきたでしょう?
ワクワクしてきたでしょう?
「プ…プリンス聴いてみてぇ…」とあなたは言う(ビシッ!)。
「プ…プリンス聴いてみてぇ…はっ!?」
フッフッフ…そうそう、それこそこのブログの狙いなのです(笑)
プリンスと荒木先生の関係を解説した記事はこちら⇩
JOJOシリーズにおける7部の位置づけ
これは第6部「ストーンオーシャン」の解説でも書いたことなのですが、実は私、この第7部を
リアルタイムでは読んでません。
5部までしかリアルタイムじゃない。
6部からはジャンプを読まなくなったし、コミックも買い揃えなくなってたんです。
5部の終わり方(ラストバトル)にちょっと納得がいかなかった私は、この時一度JOJOから離れてましたからね(JOJOから離れるのは4部の時以来)。
で、そんな当時の私から見ても、この第7部はかなりセールスに苦戦していた様子がうかがい知れました。
ブックオフやゲオなどの古本ショップに行くと、JOJOが並べてあるスペースの大半が「スティール・ボール・ラン」で、各巻20冊づつぐらい並んでたんですよ。
1巻がズラ~…2巻もズラ~…みたいな(笑)。
「ええっ!?こんな場所取ってるから50巻くらいまでいってるのかと思ったら、まだ4巻までしか出てないじゃん!それでこの量はおかしくない?」
みたいな(笑)。
状態から見てどれもピッカピカの新品だったので、あれは誰かが買って読んだものを売った、ということではなく、売れなかった在庫が流れてきたものだと思いました。
当時はあの本屋でのインパクトがあまりにも強くて、「JOJOはもう終わった…」とか思って余計に買う気が無くなったものです。
これは6部の時も同様だったんですが、『大量の在庫』という印象はここまで酷くはなかったかな?(実際、7部がセールス的には一番悪かったとか聞いたような…)。
しかぁし!
本当の傑作というのは後年になって正当な評価を受けるものなのです。
プリンスの最高傑作と呼ばれる『サイン・オブ・ザ・タイムス』だって最初はボロクソ言われたんです。

『サイン・オブ・ザ・タイムス』
そして現在2026年。
ネットでクチコミを調べると7部の評価が想像以上に高い。
いや、当時のネットでのクチコミは酷かったですよ。
「新機軸としてレースを打ち立てておいて結局はスタンド・バトルかよ…マンネリだな…」
「タイトルまで変えたんだから、もう少しレースを重視しようよ」
とか、ボロクソに言われてましたからね。
ほめてるクチコミなんか見たことなかった。
そりゃ、私だってあの破壊的な叩き売り価格(当時100円とかだった)を目にしたって買わなかったくらい、それほど印象が良くなかったんですよ?
それを知っているだけに、現代における7部の評価が高いのには驚きました。
「え!?いつのまにこんな人気になってたの?」みたいな。
水面下で、本当の漫画好きが、他人の評価に流されずに地道に支持し続けた結果でしょう。
そしてさらに驚くべきなのが、日本ではなく7部の舞台となったアメリカでの評価の高さ。
日本のアニメ・マンガとしては、ベルセルクに次ぐ人気を『スティール・ボール・ラン』単独として獲得しています(『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズとしてではなく)。
そのため、アニメがこの2026年3月にNetflixにて先行配信される予定の現在、
アメリカのファンたちが盛り上がっているんですよ。
日本ではやっぱり5部のアニメが新規ファンを大いに獲得したから、6部のアニメ化が決定した時の盛り上がりようたるや凄まじかったですよね。
けど、マックスまで膨らんだ期待で6部を観た人たちが「チーン…」ってなってる印象があって(序盤から謎理論が多いし、ちょっと難解かもね)、今回の7部アニメ化決定の時でもまだそれを引きずっている印象があります。
イマイチ盛り上がりに欠けたと言うか。
けれどもね、私とアメ公どもは大いにテンション上がっとりますよぉ!(言い方)
ま、日本ではJOJOにアニメで入ってきた人たちが6部で意気消沈しただけで、昔からのJOJOファンであれば7部アニメ化はかなりテンション上がってるはず。
最近では「どの部が面白いか?」というランキングでも上位に入ってくるようになりました。
色んなランキングを見ても3~5部が上位に来るのは昔から不動なのですが、そこに7部のみが分け入ってる光景を目にするんですよ(ちなみにやっぱり1,2部と8部は下位にランク付けされる傾向がありますね)。
まだアニメ化されていないのにこの状況ですからね。
アニメのクオリティにもよりますが、1年後にはこの7部の人気がどこまで飛躍していくのか?
もしかするとジョジョシリーズを代表する存在になっているかもしれません。
そして、8部の人気があまり高くないことを考えると、今回の7部アニメ化が『JOJOシリーズ最後のお祭り騒ぎ』になるかもしれません。
それだけに皆さん!
今年(2026年)の7部アニメはリアルタイムで追っかけて、お祭り騒ぎに乗り遅れたらいかんですよ~!
かつてない激変~かつてなかった長編ゆえに…~
ジョジョの奇妙な冒険シリーズは累計でコミック100巻を軽く超える大長編物語です。
しかしね、これは「こち亀」や「ゴルゴ13」や「はじめの一歩」なんかの長編とはちと違うのがJOJO流。
各部ごとに主人公も時代も、世界も変わってくるのがJOJOならでは。
さらには6部からはタイトルメインが『ジョジョの奇妙な冒険』ではなく、『ストーンオーシャン』に変わり、コミックは通し番号がリセットされ1巻からとなりました。
それはこの7部でもそうです。
そんなわけなので
「JOJOって一体コミック何巻まであるの」問題が噴出してます。
こち亀より長げーの?ワンピースよりは?
ということで、ちょっとおさらいがてら、ここでJOJOの全貌をあぶり出しましょう。
それにあたりここでルール説明。
ここではジャンプコミックでのカウントとします(1巻200ページ前後)。
文庫本とかは1巻のページ数が多いので(1巻300ページ前後で1.5倍)、巻数が少なくなります(このへんが混乱の原因)。
ジャンプコミックでのカウントにしないと他の漫画との比較ができません。
それから、巻の途中で始まったり終わっているものに関しては、ここでは繰り上げカウントとします。
例えば、5巻は1部と2部の境界線の巻ですが、1部にも2部にも1巻としてカウントします。
これは各部の長さを大まかに頭に入れてもらうためです。
そういう風にカウントすると以下のようになります↓
第1部 5巻(1~5巻)
第2部 8巻(5~12巻)
第3部 17巻(12~28巻)
第4部 19巻(29~47巻)
第5部 17巻(47~63巻)
第6部 17巻(通しで64~81巻)
第7部 24巻(通しで82~108巻)
第8部 27巻(通しで109~135巻)
第9部 連載中で6巻(通しで136~141巻)
ということになり、なんとJOJOはコミック140巻を数えるロングストーリーのシリーズとなっているわけです。
この長さっていうのは日本コミック史上6番目の長編ということになります(『はじめの一歩』の次ね)。
上にまだ5作品もあるのですが、それは自分で調べてくださいな。
で、各部の巻数を見ていくと、第3部から6部まではある程度似たような長さ(17~19巻)で話が終わっていることが分かるでしょう?
そこに来てこの第7部ですよ。
なんといきなり24巻の大作。
さらに言うと、第7部『スティール・ボール・ラン』は序盤だけそれまで通りの週刊少年ジャンプでの連載だったのですが、途中から月刊誌のウルトラジャンプへ移行して連載したため、リリースペースががくんと落ちます。
ここ大事な話ですからよく聞いて下さいね?
それまで3部~6部までは18巻前後なので、週刊誌ペースだと3年ちょいくらいで各部は終わっていたわけです。
しかし、第7部は途中から月刊誌へ移行したため、実際の巻数も長いけれども、それ以上に掲載期間が長いんです。
その期間はなんと
8年以上。
8年っていう期間は第1~4部までの掲載期間がすっぽり入ってしまうくらいの長さなんですよ!
ご存知のように、JOJOは他の漫画ではあり得ないくらいの変化があります。
第1部から第4部までのJOJOって激変しすぎて…
ほぼほぼ別の漫画ですからね?
DIOがジョナサンの愛犬ダニーに膝蹴り食らわしたところから始まって、吉良吉影が救急車で轢かれて死ぬところまでですよ?

懐かし!

「杜王消防署」って…
うん、共通点ナッシング。
時代も100年以上経ってるし、吸血鬼と波紋で戦ってた頃から、スタンドでの人間同士の戦いになってるし、場所はイギリスやらアメリカやらエジプトやら日本やらと目まぐるしく変わってます。
8年の間に単一のマンガとは思えないほどの変化を辿ってるわけですよ。
あなたもご自身の8年前を振り返ってご覧なさいな。
かつての自分を思い出すと恥ずかしくなるほどの昔じゃないですか?
荒木先生で言うと、4部終わってから1部を読み返してみたら
「震えるぞハート!燃え尽きるほどヒートっ!」
って叫んでるジョナサンを目にした時に、それはそれは穴があれば入りたいってくらい恥ずかしくもなるでしょうよ。
つまり何が言いたいかって言うと、
第7部『スティール・ボール・ラン』はそれほど長い時間をかけてじっくり練り上げて描かれた作品だということです。
であると同時に、8年という期間は、時代のトレンドも変われば、作者である荒木飛呂彦先生のセンスも変われば、世界情勢も大きく変わるぐらいの長さ、ということです。
だからね、その長さの分の変化が凄いっていうことは受け入れてもらいたい。
主人公ジャイロで言えばこうなります↓

劇的ビフォー…

あああああぁふたぁ~~!!!
・・・・・・
うん…、きっと時代のトレンドが変わったんだね♪
宿敵ヴァレンタイン大統領であればこうなります↓

劇的ビフォー…

ああああふぅ…たぁぁぁぁあああ?
・・・・・・
うん…、世界情勢が変わったんだね♪
んなわけあるか。
世界情勢もここまでは変化してないぞ。
かつて3部から4部での絵の変化が、芸術的に進化していった時も驚いたのですが、あれの比じゃあありません。
かつてJOJOの絵は
「独特すぎるがゆえにとっつきにくい」
と言われる絵でした。
しかし、週刊誌(毎週掲載)から月刊誌(月イチ掲載)に移行して、暇で暇でしょうがなくなった荒木先生が、他にすることもないのでじっくりと本気で絵を書いた結果、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチの領域に踏み込んでしまいました。
もうね、ほぼアートです。



ひ…暇ってすげぇな…(怒られるよ?)
とにかくここで私が一番お伝えしたいのは、ですよ。
この第7部『スティール・ボール・ラン』では、かつてないほど美麗なタッチのJOJOが味わえるってことです(掲載期間のくだりは必要だったのか?)。
絵がきれいなだけじゃあありません。
大コマでのドアップが非常に多い。
キャラに表情で、目で、語らせてきます。
これっていうのはかつての2部を彷彿とさせます。

今思えば2部も美麗だったな~

「後は任せた」セリフはなくとも伝わってくる
ストーリーが頭に入ってこなくても全然いいんです。
7部から初めて読み始めたからスタンドがよく分からなくても全然いいんです。
ただこの進化しまくったJOJO画を鑑賞するだけでも、ルーブル美術館へ足を運ぶのと同じくらいの価値があると、私が保証しましょう。
見どころはやはり…
ディオです。
荒木先生ったら、絶対にディオだけ特別に気合い入れて描いてるよね(笑)。
ディオがあまりにも美形に描かれるもので、途中から
「あ、今回のディオは最後に主役の座をかっさらう気だ。悪いやつに見せかけてきっと最後はいい奴になるんだ」
って思った読者は私だけじゃないと思うんだよな~。

でもね?
荒木先生がディオにそんなかっこいい最後を与えた試しがないじゃないですか。
荒木先生は1部の頃からディオには試練を課し続けます。
きっちり小者感を出して終わってしまうのはいつもの御愛嬌と言うか(笑)。
いや、だからこそディオが好きなんだな~。

久々に復活した熱いラストバトル
この7部が凄いのはね、この圧倒的な集中力というか、最初から最後まで読者を引き込み続けるところなんですよ。
ノンストップかつジェットコースターのようなスリリングな物語展開で読者を引き込んだと言う意味では、JOJOシリーズで真っ先に挙がるのが2部(5巻)か5部(17巻)だと思います。
けれども、7部はこの集中力でさらに長編の24巻を駆け抜けているところが凄い。
レースさながらに凄まじい勢いでね。
先述しましたが、6部以前の物語は一番長いので4部の19巻でした。
けれどもね、4部っていうのは杜王町で繰り広げられるいくつものエピソードを集めた『短編集』のような作りになっているんです。
この手の作りは8部もそうなんですけど、どれだけでも続けられるし、ストーリーはぶつ切りでも良いわけですよ。
この手の作りで8年という掲載期間、24巻という長丁場であればともかくですよ?
第5部のように怒涛のスピード感を持ちつつ実現しましたからね。
さらに言えば、後半はさらにヒート・アップしていってボス・ヴァレンタイン大統領とのバトルに突入していきます。
もうね、「こういうボス戦を待ってた!」っていうJOJOファンは多かったと思いますよ。
ここんとこ第5部あたりからは、ラスボスバトルが盛り上がりに欠けるように感じてたんで、これは嬉しかった。
シルバーチャリオッツレクイエムの登場で皆の人格が入れ替わり、「一体誰が誰の中に入ってんだ?」っていう、バトルしてんだかなんだかよく分かんないドタバタ劇になってしまった5部。
「ジョルノとディアボロの手に汗握る一騎打ちが見たかったのにぃ。これならまだリゾットVSディアボロ(ドッピオ)の方が良かったよ」
みたいな。
6部も最後は時間が加速しまくった超常現象に圧倒されてる間に、どさくさに紛れて加速しまくったプッチ相手に為すすべもなく瞬殺(全滅)、みたいな。
「もっとなんかあるだろ!?承太郎と徐倫が一緒にいるってのに親子共闘もなしかよ!ここで親子共闘しなきゃ承太郎を6部に登場させる意味なくね?」
みたいな。
そう、
最後が締まらないと、JOJOっていうマンガは締まらないんです。
DIOと承太郎のラストバトル然り、仗助と吉良吉影のラストバトル然り、「JOJOはやっぱこうじゃなきゃ!」っていう異様なテンションがあったじゃないですか。

JOJO史上最高のベストバウト

3部に勝るとも劣らない4部のラストバトル
4部なんかは途中グダグダで道草食いまくってるんですが、それでも吉良吉影戦があのクオリティでバシッと締まると傑作になる。
2部や5部みたいにそれまでが最高だったのに、ラスボス戦がガクッとなると印象がガクッと悪くなる(カーズ、あんたもだ)。
そんな『残念なラスボス戦』の流れを払拭するかのごとく、7部ではファン待望のラスボスバトルがこれでもかと描かれました。
17巻でヴァレンタインの謎のスタンド能力が現れてからは、そのまま怒涛の『ラスボスバトル4連戦』になだれ込みます。
「ディオ・ウェカピポ組VSヴァレンタイン」「ディオ・ホットパンツ組VSヴァレンタイン」「ジャイロVSヴァレンタイン」「ジョニーVSヴァレンタイン」の4連戦は圧巻。
もう吸い込まれるように読んでしまいます。
こんな感覚久々だったな~。
なんと全24巻のうち1/3にあたる後半8巻はほぼヴァレンタイン戦。
もうずっとヴァレンタインのターン(笑)。
これってのはJOJOラスボス史上最大の扱いと言っても過言じゃないでしょうね。
そりゃヴァレンタイン人気あるわけだ。
けれどもね、7部が凄いのは、ここからさらにヒートアップするとこなんですよ。
やっぱりさ、ディオを登場させておいて、あのままで言い訳がない(笑)。
まさかまさかのスペシャルエキストララウンドが最後にやってきます。
そう、ジョニー(ジョナサン)・ジョースターVSディエゴ(ディオ)・ブランドーです。
ここにきて第1部の因縁の再現、『ジョナサンVSディオ』ですよ。
さらに、ここで出てくるディオは別次元の世界からヴァレンタイン大統領が連れてきたディオ。

これはマジで驚いた…
ここでよもやの『ザ・ワールド』の復活!!!
「ここで持ってきたか!!!」
絶対に誰も予想できなかった大どんでん返し!
さっすがDIO!
盛り上げてくれるくれる!
いつだって我々ファンの期待以上のことをやってくれる!
そこにシビれるぅ憧れるぅ!!!
主人公も2人体制なら、ラスボスも2人体制って…。
もうね、ケツに向かえば向かうほどヒート・アップしていく。
尻上がりにずーっと盛り上がっていく。
これが第7部スティール・ボール・ランの真骨頂です。
今宵のJOJOは…一味違いまっせ…。
JOJO史上最も活躍したヒロイン~いたいけな少女か?稀代の悪女か?~
さて、皆さん。
この男くっさい王道少年誌まっしぐらのジョジョの奇妙な冒険において、女性キャラと言われたら誰が真っ先に挙がるでしょうか?
1部のエリナ、2部のリサリサ、スージーQ、3部のホリィさん、足がグンバツのマライア、幼児ポルナレフの面倒を見てくれたインドのオネェさんも可愛かったな~。
4部の仗助のお母さん(東方朋子)も美人だったし、杉本鈴美っていうシリーズ最高の美女と山岸由花子っていうシリーズ最恐の女もいたな~。
5部は一応ヒロイン扱いのトリッシュがいたけど、ほぼほぼ男の物語(マフィアだしね)なので女子は目立たなかったな~。
しかし、その反動からか一転して6部ではなんと徐倫が初の女性主人公になりました。
脇を固めるエルメェスもFFもいい味出してました。
個人的な推しとしては杉本鈴美とリサリサが1位争いをしてたんですけどね。
しかし、今回のヒロインはそんなかつての女性キャラたちをまとめて脇役に追いやってしまうほどの活躍を見せます。
誰も彼女には勝てません。
もうね、私の中でこの人は別格です。
6部主人公の徐倫と同じくらい目立ってます。
そう、この扱いはヒロインではなく、『もう一人の主人公』と呼んでいいでしょう。
JOJO7部はジャイロ、ジョニーの2人主人公と先ほどは言いましたけど、この人も入れて3人主人公だったのかも。
なにせこの7部自体が長いので、登場回数も多い上に、ストーリーの核心部分に位置してますので、まあ最重要のキャラですわ。
それがこの人、
ルーシー・スティールです↓

ご覧のようにいっつも泣いてます。
精神が未熟なんです。
それもそもはず。
SBRの主催者であるスティーブン・スティールの妻でありながらまだ齢14。
それって…中2!?
ちなみに旦那のスティーブンは51歳です。
37歳差…。
自分事に置き換えてみると、もし私が中2の子供と結婚するとなると、私の長女は高2なので、
娘よりも年下の女の子と結婚することになるわけです。
・・・・・・
オッケーオッケー。
・・・・・・
スティーブン、アウトぉ!!!
しかし2人の愛はどうにかこうにか本物のようです(読み進めていかないと安心できません…)。
本物の”愛”がなければ出来ないことを彼女はやってのけるからです。
このルーシーは、レース序盤の段階でたまたまヴァレンタイン大統領たちの会話を聞き、このレースの真の目的や、スティーブンは利用されるだけ利用された挙げ句おそらく殺されることを知ります。
そしてそれを知ったルーシーは、夫であるスティーブンを助けるために捨て身と言ってもいいほどの大冒険をします。
大統領の周りはスタンド使いだらけだと言うのに、スタンドも使えずに立ち向かうんです。
無謀すぎます。
けれども所詮14歳の少女なんで怖くて怖くてしかたないんですよ。
そりゃあそうですね。
成人男性でさえ、イチ個人が国家権力を敵に回した時の恐ろしさたるや想像に固くないというのに、ましてや少女なんですから。
しかも相手は世界最強の国・アメリカ合衆国の大統領なんですから。
いきなりベネズエラの大統領夫妻をひっ捕らえたり、いきなりイランの最高権力者を爆撃で殺したりできるのがアメリカ大統領なんですから。
世界規模のジャイアンです。
どんな横暴なことをやらかしても、世界中の国々がまるでスネ夫と化したかのように、ジャイアンの太鼓持ちしかできません。
ついこの前、ロシアのウクライナ侵攻を世界中で「虐殺だ~!国際法違反だ~!」って非難してたのに、経済制裁までしたっていうのに、あれは何の茶番だったの?
皆でアメリカに経済制裁しなくていいの?
侵略だし国際法違反でしょ?
各国「・・・・・・(しーーーーーーん…)」
と、そんなことが出来るのがアメリカ大統領なんです(雑だけど否定できない)。
そんなもんにたった1人で立ち向かうって…
やばないですか?
国益のためなら人を殺すことなんぞ屁とも思ってませんし、誰もそれを止めることが出来ません。
ある意味、これまでのどのラスボスよりもリアルに怖い。
吸血鬼ディオにしたって、柱の男にしたって、DIOにしたって、吉良吉影にしたって、ディアボロやプッチにしたって…国家権力に比べればその勢力は小規模すぎます。
アメリカ大統領を敵に回した瞬間、相手は何億人もの人類になるわけですから。
そんなものに年端も行かない、スタンドも使えない少女が戦いを挑むのです。
想像するだけで身がすくむというか。
なんという絶望的な、悲壮感あふれる孤独な戦いなのでしょう。
もう恐怖に震え、涙をボロボロこぼしながら、ホラー・サスペンスばりのドキドキシーンをいくつもくぐり抜けます。
そんなシーンを読むたびに毎回、毎回、ルーシーに感情移入しちゃうんですね~。
これを応援せずにいられましょうや?
「ルーシー!頼むから死なないで!危険を侵さないで!あなたは何も悪くないんだから!逃げても良いんだよ!あなたは弱くない!相手が強大すぎるだけ!」
全国の読者が彼女のことを応援したことでしょう。
頭が切れるわけでもない、度胸があるわけでもない、スタンドなんて使えない…。
もうほんっとに弱々しい、健気で可愛いルーシー。
そんなルーシーなんですが…
毎度毎度オロオロしているうちに…
なんやかんやで敵が死にます。
・・・・・・
はい?
いきなり説明が雑すぎて何のことか意味が分からない?
いえ、私だって自分が何を体験したのかさっぱりです。
だから「今起きたことをありのままに話した」だけですよ。
大統領陣営の誰かが…ですね?
・・・・・・
ルーシーが『裏切り者』であることに気がついた途端…ですね?
・・・・・・
…そいつは間違いなく死にます。
・・・・・・
序盤こそ、「ルーシー!頑張れっ!!!」って応援してるんですけど、途中から彼女の悪運の強さにだんだんと寒気がしてきてます。
なにか絶対的なものに守られているかのように、運の全てがルーシーに味方します。
なので途中から、ルーシーの正体を知ってしまう敵スタンド使いが哀れにさえ見えてきます。
「あちゃ~、気がついちゃった。死亡フラグ立っちゃった…。」
マイク・オーのあたりで誰でもそう思うでしょうよ!

死亡フラグが立つ瞬間
ブラックモアも、大統領夫人も、マイク・オーも、大統領の『冬のナマズ』側近Aも側近Bも…みんな…みんな死んじゃう世界です。

死亡フラグが立つ瞬間
ルーシーに敵対する者、災いする者はすべからく死ぬ、というデスノート使ったみたいな奇跡を起こし続けます。
いや、ヴァレンタインもジョニーもさ…遺体なんて集めなくても…奇跡起こしてるヤツがここにいるんだけども。
物語ラスト、ディオが遺体をシェルター格納する場面にルーシーが現れた時は、
死神の登場のように見えたのは私だけ?
「や、やばい…ディオまで殺られる!」
みたいな(笑)。

死神リュークのご登場
もうこの頃にはね、背中のコートが死神の羽に見えた(笑)。
そんな死神の生まれ変わりのようなルーシーなのですが、14歳とは思えない発育のため、スケベオヤジ(オバサンも)たちから熱烈なアプローチを受け続けます。
これまで大したお色気シーンがなかったJOJOリーズにおいて(少年誌だったからね)、30年分の荒木先生のうっぷんを晴らすかのように、セクシーで際どいシーンが展開されます。
いやー、描きたかったんだろうな~(笑)。
正直、アニメ化された時に子どもと一緒に見ようかどうか躊躇するくらいです。
…いや、見れるわけがない。
子供「ねぇ、お父さん、ルーシーはどうしてお顔の上に乗ってるの?圧迫って何?」
って聞かれたら一体なんて答えろってんだ…。
アメリカのお父さんたちだって
「Oh! Pressure is fantastic! yeah!」
って誤魔化すしかないじゃないか(なんだその雑な英語は)。
子供「ねぇお父さん、どうしてこのオバ様はお顔を踏まれて喜んでるの?」
私「・・・・・・・・・」
子供「ねぇお父さんったら!圧迫が圧迫祭りになるとどうなるの?」
知るかバカヤロぅ。
オレに聞いて分かるわけがないだろう?
『圧迫祭り』なんて、そんなワードは有史以来、
人類が初めて使ったワードだぞ?
日本言語学の権威でも回答不可能だぞ?
誰も圧迫の”その先”なんて知らねぇんだよ!
そんなもんは神(荒木先生)に聞けっ!!!
・・・・・・・
ちなみに、14歳のルーシーにみだらな欲情を掻き立てられた大人たちは一人残らず死にます。
ヴァレンタインも大統領夫人もディオも、あまつさえルーシーの窮地を助けに来たマウンテン・ティムまで。
ティムなんてルーシーとの接点そんなになかったはずなのに、命かけてまで守ろうとするか、普通?
しかも自分への好意をなんとなく分かってる風で、あえて助けを求めているところに悪女さ加減が見え隠れすると言うか。
大統領婦人を籠絡(ろうらく)する時も悪女丸出しだったよな~。
首筋にキスしたり乳首いじったり…
はい、100%悪女確定。
とは言え、人様の奥さんに、しかも未成年に手を出そうとしちゃあ駄目ですよ、大人の皆さん。
そんな不道徳な大人たちの不可解な死に様には、どうにも何かしらの大人の事情(圧力)が絡んでいるようにさえ見えます。
出版倫理協議会「荒木先生、いくらウルトラジャンプに移ったからって、この表現はやりすぎでは?」
荒木「死にますぅ。すぐ死にますぅ。そいつらすぐ死ぬことにしてるからエロいことしようとしてもセーフですぅ。だからこれくらいの表現はいいんですぅ。」
って感じになったのかな、と。
マンガのストーリーってそんな感じで決まんの?
スタンド以外の特殊能力
JOJOといえば『スタンド』。
マンガ界に衝撃をもたらした革新的発明です。
でも、スタンドは3部で初めて登場した能力であって、1,2部の頃は元々は”波紋”という能力で戦っていました。
この波紋もね、これはこれで非常におもしろかったんですよ。
個人的にはまた波紋で一つのシリーズを描いてもらいたい、そう思うくらい好きですね、今でも。
勘違いしてる人多いからこの際言わせてもらうけど、
JOJOはスタンド使わなくたって面白いんです。
「スタンドが登場するから3部から読むことをおすすめします」だぁ?
そんな風潮に私は堂々と反旗を翻します。
「スタンドはJOJOの魅力の一部に過ぎない」と。
第3部、ダービー兄とのバトルを思い出してご覧なさい。

純粋なポーカー勝負ですよ?
なのにあんなに面白いんです。
カイジもびっくりの心理的駆け引きを駆使しながら戦います。
この緊張感を前にしたらカイジだって、外野で「ざわざわ」しているしかありませんぜ?
花京院VSダービー弟の戦いだって、純粋にTVゲーム勝負です。
けれども未だかつて見たこともないほどのリアリティのあるゲーム勝負で、たかがゲーム勝負と言えども荒木先生が表現すると、別次元のものになるというか。

カッコ良すぎてめっちゃやりたくなります。
で、ゲームやり込んだ人にしか分からないテクニックとか使われると
「あーっ!それマリオカートのやつぅ!!!」
みたいな(笑)。
荒木先生、ちゃんとゲーマーの心理を分かってらっしゃる。
もうね、私が小学生の頃に読んでた
ファミコンロッキーなんかとは雲泥の差なんですよ。

なんなんだそれは。
戦うフィールドがコロコロだからって甘えてないか?
『つるぴかハゲ丸くん』は許してもてめぇは許さねぇからな、ファミコンロッキー。
こんなものにはリアリティの欠片もありません。
こんなマンガとは違うんですよ、JOJOは。
話が脱線しましたが、JOJOはスタンドバトルだけが『売り』ではない、ということを話したいんです(前置き長げぇな)。
と、いうわけで、この第7部では、波紋以来、ひっさびさにスタンド以外の特殊能力が登場しました。
スタンドを使わない主人公ジャイロの戦闘方法。
それが
回転(鉄球)
です。
ちなみにこんな武器を使います↓

銃のホルスターを装着する位置に身につけているので、繰り出す時はちょっとガンマンっぽくなります。
なぜか?
その方がかっこいいからです。
別にこの鉄球が特殊な作りになっているということはありません。
多分、野球ボールでも代用できます。
ただそれだとJOJOなのか巨人の星なのかが分からなくなるため、鉄球を使っているに過ぎません。
で、こいつを野球のカーブ投げるみたいに回転つけて投げるんです。
そうするとこうなります。

回転が相手の体にねじれを起こし、相手の体を自由に操れます。
ちなみにこいつはレース前に登場するチンピラ三下なんですが、ジャイロを撃とうとしていたら鉄球をくらったため、銃が自分の方を向いて自害してしまいました。
「んな馬鹿な…」
と思っても
「これが回転の技術です」
と言われたら黙るしかありません。
そして、相手を倒した後は鉄球を拾いに行くような野暮な真似はしません。
ブーメランみたいに鉄球が勝手にジャイロの手に戻ってきます。
糸が付いてるわけじゃないし、相手に当たって軌道も回転も変わっているはずなのにちゃっかり戻ってきます。

なぜならその方がかっこいいからです。
重ねて言いますけど、これは超能力とかオーラとかは一切なく、すべて鉄球の回転による技術とのことです。
・・・・・・・
応用編としては、この鉄球の回転によるねじれを使って、皮膚を硬化させることが出来たりもします。

銃に撃たれる直前、この皮膚硬化を使うと弾丸によるダメージだろうが軽減できます。
さらに『最終奥義』を使うと、爆弾の爆発だって体表を伝わらせて他の部位へ移すことも出来ます。

正面からの爆発を足へ移した
鉄球1つで攻撃から守備まで大活躍!
『回転』って素晴らしいですね。
まさに万能!
無限の可能性を秘めてます。
さらにさらに…極めてしまうととんでもないことまでできてしまうのです…。
それは医療への応用です。

なんと
レントゲン
です。
鉄球を首の上で回転させることにより、水面に骨格部分だけが投影されてます。
さらにさらに、レントゲンによって、視神経の断裂を見てとるや、針を鉄球で回転させて断裂した神経を治療しようとします。

「んな馬鹿な…」
と思っても
「これが回転の技術です」
と言われたら黙るしかありません。
黙るかバカ野郎ぅ。
『秘術』とか『無限の可能性』とか言ってればなんでもまかり通ると思うなよ。
これはさすがにファミコンロッキーの読者でも騙されねぇぞ?
はい、というわけで今回は久々のJOJOブログ楽しんでいただけたでしょうか?
私は7部が本当に大好きなんでね、こうしてブログ書きながらちょいちょい読み出すとほんと止まらなくなるんですよ。
まだ読んだことない方も、昔読んだけどよく覚えていないという方も、是非、アニメ見る前に原作は読み返してもらいたいですね。
今後も7部は各論として色んなエピソード、色んなキャラを語りまくっていきますからお楽しみに。
Simackyでした。
それではまた!


