え?森高千里を知らないって人生損してるよ?

どうもSimackyです。

今回は少年時代に結構好きだった森高千里をたっぷり語っていきますよ。

いや~、よもやこんな展開になるとは…。

まあ、昔は”結構好き”と言えるくらいのハマり方だったんですけど、今回はドハマリしましたね。

この楽しさを知らずにいたら、危うく人生を損するところでした。

先月(2025年4月)くらいからこの歳(46歳)にして森高にどっぷりハマってしまい、サウンドガーデンのアルバム解説も途中でうっちゃって森高漬けになってしまいました。

「いや、サウンドガーデンから森高千里って方向転換しすぎだろ!?」

って思われるでしょうが、森高の魔力は常軌を逸してますよ?

一瞬にして高校生の頃の自分にタイムスリップさせられた上、あの頃以上に夢中にさせられました。

自分でもなんでこんな事になったのか?一体自分が何を体験したのか?うまく説明がつきません。

「まったく理解を超えていたのだが…、ありのまま今起こったことを話すぜ!」

って感じです。

先月、4月のある時youtubeを観ていると、ふと、あるショート動画が目に飛び込んできました。

それがコイツです⇩

この動画を観た直後から、オリジナルアルバム13枚(とEP1枚)、すべてのアルバム未収録曲を怒涛のように聞き込み、youtubeにアップされている公式ライブDVD13本も貪るように観まくり…

気がつくと、時が1ヶ月経っていました。

「オレは今は4月のあたまだったと思ってたんだ…。けど、気がつくと暦が5月になってたんだ…。な、何を言ってるのか分からねぇと思うが…、オレも何をされたのか…分からなかった」

みたいな。

森高は時を操つんのか?

この1ヶ月間、森高以外の他の記憶が全てふっとばされてます。

うーむ…、とりあえず、この1ヶ月間の感想を端的に表現すると

全盛期森高やばいって。

いや、マジで。

46にもなって感性も鈍くなってきているのに、まるでギンギンの10代の頃のように一つのアーティストに夢中になってしまうなんて、そんな現象がこの歳で起こるなんて思いませんでしたよ。

私が聴いていた高校生当時も森高は人気はありました。

私が森高のCDを買い始めたのは中学3年から高校1年くらいかな?

その頃はもう超ミニもやめて、ロングヘアーでもなくなったナチュラル森高の時期なのですが、それでも相変わらずの美人だったし、紅白にもMステスーパーライブにも常連だったし、ヒット曲もみんなカラオケで歌ってたし、CMで森高を観ない日はありませんでした。

でも、その後1990年代後半に登場してくるアイドルの安室や浜崎らの特大ブレイクに比べると、あそこまでセールス規模は全然大きくないし、宇多田やZARDのように本格派ボーカルで勝負するようなタイプとも違う。

売れてるんだけど超売れっ子というわけでもない位置づけ

これが森高に対する印象でしたね、当時は。

アイドルなのか生粋のミュージシャンなのかの判別がつけにくい、境界線に立っている人というか。

けれども、今回森高にハマって思ったのは、

森高千里という現象はX(JAPAN)という現象と並ぶ1990年代日本ミュージックシーンの一大現象だ

ということ。

実は後進アーティストへの影響力ってかなり大きいんじゃないかな?

そして

私が森高を知った時(1994年)には全盛期は終わっていた

という悲しい事実も知ることになりました。

つまり、当時の私は森高のファンだったつもりなのですが、彼女の真髄、核とも言える部分に触れないまま彼女を分かったつもりになっていた、ということです。

森高の活動時期は1987年のデビューから、結婚・活動停止する1999年までなのですが(今は再始動してますけど)、アーティストとして非常に面白いのは1993年ごろまでなんですよ。

私が森高を知った1994~1995年くらいは人気・知名度・セールス的にはピークなのですが、もうその頃は、実は森高の本当に面白い時期=『社会現象としての森高』は終わっていたんだと思います(作品の質が落ちたわけでは決してないですよ?)。

森高の唯一無二のエッセンスは初期に、特に1988年から1993年の6年間に詰まっていると言っても過言ではありませんね。

それも音楽作品ではなく、ライブですね。

そのイメージがないかもしれませんが、

森高千里=ライブの女王です。

アイドルのイメージが強いでしょうが、彼女はステージでのライブこそが本当の居場所だと思います。

今どき、ロックバンドでもそこまでのサーキットやってないぞってくらいツアーに次ぐツアー。

そのツアーでの森高の成長を見守るのも一つの楽しみ方なんです。

各アルバムの解説はまた別記事にまとめようと思うので、今回は森高の魅力に関してたっぷり語ろうと思います。

『成長を見守る』というビジネスモデルの元祖

森高はまだ高校2年生(17才)の頃に、大塚製薬が主催した「ポカリスエットイメージガールコンテスト」で優勝し、芸能界入りします。

別に芸能人になる夢があったわけでもなく、たまたま同級生に大塚製薬従業員の子供がいたから、一緒に誘われただけで、野心もへったくれもないんです。

「東京のコンテストまで残ればディズニーランドにただで行けるね」

くらいの軽いノリで熊本予選に参加したらあれよあれよと優勝までしちゃった。

で、そこからポカリスエットのCMに出たり、ドラマに出演したり、バラエティに出たり、いわゆる”タレント活動”を始めます。

島田紳助と一緒にバラエティの司会したりしてますから、youtubeで探してみてください。

地元ではアマチュアバンドをやっていたとはいえ、最初から歌手としてやっていくつもりなんてなかったんですよ。

積み重ねてきたキャリアなどまったくないゼロスタートの少女なんです。

けれども、色々やってみて

「やっぱり歌ってる時が、ライブの時が一番楽しい」

ということで、事務所に掛け合い、歌手として売り出していくことになります。

ここからアーティスト森高千里の成長物語が始まります。

最初はボーイッシュな少女としての売り出し方で、Gジャン姿にスニーカー。

わりと硬派な売り出し方だったので、アイドルと言うよりはシンガーソングライター、もしくはリンドバーグのような女性ボーカルのロックバンドのようなイメージでしたね。

しかし、アルバム、シングルともにいまいちセールスが伸び悩むと、ここで思いっきり方向転換。

シングル『ストレス』では超ミニのコスプレになります。

劇的ビフォー…

アフタぁ~~!!!

いや、あんた誰だ、変わりすぎだろ(笑)。

当時、まだ少なかったコアなファンたちは、あまりの方向転換っぷりに

「今まで見てきたのは一体何だったんだ…?」

と呆気にとられるほど劇的なイメチェンを図ります。

当時のファンたちの気持ちは察するに余りあります。

皆さん、ちょっと想像してみてくださいな。

あなたがライブハウスの頃から応援していた硬派なバンドがですよ?⇩

劇的ビフォ~

いきなりこんなんなったらどうします?⇩

アァフタァ~~!!!

腰を抜かすでしょう?

いや、腰が砕けるでしょう?

ほぼ詐欺罪ですよ。

きっと当時の森高ファンも同じくらい衝撃的だったんじゃないかな~?

つまり既存ファンにそれほどの精神的ダメージを与えながらも、森高は前進を続けたということです(この頃からドSです)。

変わったのはコスチュームだけじゃありません。

それに併せて、曲調も、歌詞も、ステージングも全て刷新されます。

ここからはどんどん変化していきますよ。

衣装もウエイトレスみたいなコテコテのものから、どんどん独自のファッションを生み出していきます。

⇩これとか凄くないですか?

 

チャイナドレスとセーラームーンとドラキュラが合体して戦隊ヒーローが生まれちゃった、みたいな(笑)。

人生のあらゆる場面でTPOを考えても絶対に選択しない服装

でしょうね。

変わっていくのは衣装だけじゃありません。

まだデビュー当時18歳だった頃は、ファンにとって跳ねっ返りの妹のような勝ち気な存在感だった森高がですよ?

ステージを重ねるごとに乙女のような色気を纏うようになり、「はだかにはならないわ」「抱いて」などと男をたぶらかす歌詞を連発し、さらには理不尽な大人たちを「変態!」「ハエ男!」などとドSな歌詞で罵倒し、しまいには子供時代を後悔する大人の女として「勉強はしないよりはしたほうが良いわ」とか説教しながら、渡良瀬橋で振られた男を思い出して涙を流し、かと思えば、彼氏いない憂さ晴らしで沖縄にバカンスに飛び立ちます。

そしてそこから今度は派手な衣装とメイクを辞め、今度はまるでバンド然とした佇まいになり、自身でもドラムを叩いたりギターを弾いたりと、やりたい放題にのびのびと成長していきます。

初期からの森高を流れで追ってみると、

人間っていうのは人の成長の過程を見ることが楽しい生き物なんだな

ということが分かります。

これって実はですよ?

21世紀になって秋元康がAKBを売り出した時の手法を20年も前にすでにやっているんですよ。

秋葉原のドンキビルでまだ全然知名度のない地下アイドルみたいな存在だった彼女らを、ファンが応援することで育て、サクセスストーリーを見せるっていうやり方ですよ。

こういうビジネスモデルの元祖こそが森高なんです。

驚くことに『ストレス』のMVに反応して森高を応援し始めたのは、実は秋葉原が最初だったんですよ。

だから初期の頃のお客のノリが、やっぱり初期のAKBのそれに非常に似てる。

「俺達が応援してやる!俺達が盛り上げてやる!だからお前がナンバーワンになってくれ!」

っていうアーティストをプッシュする、本当の意味で『推している』ファンの姿がそこにはあります。

『推し』の原点は秋葉原!

そしてその元祖は森高なんです!

なので、もしあなたが森高を映像作品で追っていくのであれば、初期から順番に観てもらいたいですね。

1993年の『ラッキー7ツアーラスト』の映像までたどり着いた時に…、あなたは流れ出る涙を止めることはできないでしょう。

あんなに愛に満ちた空間(ライブ)を私は観たことがありません…。

常軌を逸した美貌とプロポーション

森高の特徴って言ったら、まず『美しさ』で異論はないはずです。

森高ってコスプレみたいな強烈な印象を残す格好をしてるものだから、あんまり気づいていない人も実は多いと思うのですが、ルックスだけとっても、はっきり言って『絶世の美女』です。

「片道1億円も支払うことになるVIP専用のプライベートジェットに乗ったら、すっげぇ美人のキャビンアテンダントが専属で付いてくれた…」

っていう妄想をした時に、その時のCAの顔がきっとこの顔のはずです。

さすがは世界三大美女の一人に数えられるだけはあります。

え?三大美女が誰かって?

クレオパトラ、楊貴妃、森高千里って歴史の教科書に書いてあったじゃないですか?(小野小町を勝手に落とすな)

まあ、同性の方にとっては度し難いほどの美人さんです。

存在されること自体が迷惑でしかないでしょう。

こんな美女が私の地元=熊本なんかで育ってしまったのは、神様の手違いでしょう。

誤解されないようにお伝えしておきますけど、森高が熊本出身だからといって熊本の女性がみんな森高みたいだということは1ミリたりともありませんからね(色々と敵に回す発言)。

その上、プロポーションも抜群。

特に強烈な印象を残すのはその”美脚”です。

その美脚をこれでもかと見せつけんばかりに、超ミニスカートを履きます。

⇧これなんてまだまだ生易しいくらいで、ライブではもっと際どいのを履いている時はザラです。

2020年代の現代において、あれを履けるアイドルなんているのかな?

いや、今ではテレビ局が許さないかも。

もうリアル・セーラームーンというか、もはやパンツ見えることを前提としたテニスやフィギュアスケートのようなノリというか。

小学校の時にテレビで初めてあの衣装(『17才』の時)を観たときは、

「え?オレ観てないよ、このチャンネルつけてないよ。最初からついてたから仕方なく観ただけだし」

みたいなリアクションになります、家族に気まずすぎて。

ジャンプ読んでたらたまたまエッチなシーンのページになって、誰かに見られてないか周りをキョロキョロ見回すみたいな(笑)。

「いや、ドラゴンボール探してたらそういうページがたまたまあっただけだって。別にこのページ読んでたわけじゃないからね?」

って誰にともなく言い訳する、というあれですね(経験ありますよね?)。

でもこれって冗談じゃなくて、実際にたまたまMステ観てたら森高出てきて、それを見たうちのばあちゃんに

「こら、こんないやらしい番組見るな!」

ってチャンネル変えられたことがあるんですよ。

大正生まれの祖母にとって、ブラウン管で歌う森高は、まるで映画で言う『濡れ場』に近いほど刺激が強すぎたのでしょう。

まさにヴィジュアル・ショック!

実は『ヴィジュアル系』の語源は森高にあるという一説も存在します(嘘つけ)。

しかし、あの際どい衣装を”着せられてる”んじゃなくて、自分もデザインアイデアに参加して作っているっていうから驚きです。

そのくせ、ライブではやたら恥ずかしそうなんですよ。

「いや、恥ずかしけりゃ着なきゃ良いじゃん」

ってツッコミを入れたくなるところなのですが、そこのところの乙女心は男にはまったく理解できません。

分かる人がいたら教えてもらいたいくらいです。

この森高の持つ最強の武器=『美しさ』、これが核になって、そこからのギャップで他の魅力も際立つことになります。

ちょっと”おかしい”歌詞

森高の歌詞は初期の2枚目くらいまではほとんど作詞家に任せていました。

初めて書いた歌詞は2枚目『ミーハー』のタイトルナンバーである『ミーハー』。

プロの作詞家のような上手い表現ができない森高は、作詞家の真似をせず、開き直って自分なりの言葉で自分の心情を歌詞にしました。

真面目な性格というか、純粋な性格というか。

あまりにも素直に、あまりにも赤裸々に、

「思ったまんまをそのまま口に出しちゃった」

みたいなその歌詞は、そこから森高のお家芸になり、強烈な印象を残すシングルを連発していきます。

当時、森高を聴いていた中高校生くらいだった私にとっても

「小学生が書いたみたいな歌詞だな。オレでも書けるのでは?」

っていう印象だったんですが、これが逆に良かったんだと思います。

なんと世間も、世の作詞家たちも、みんな衝撃を受けることになるからです。

いや、46歳になって改めてこの歌詞を読むと、当時の作詞家たちの気持ちが良く分かりますよ。

これはすごい…。

もう、痛快すぎて笑いさえ込み上げてきます。

これはやろうと思ってもなかなか出来ない。

だって裸の王様に向かって

「あ、裸の王様がいる」

って言っちゃうんですから。

そんなこと言うと処刑さるから、皆それを言えないんですよ。

けど、森高はそんなこと考えずに、ただ思ったままを口に(歌詞に)しちゃう(まあ、結果的に可愛いからすべて許されるのですが)。

これがやれりゃ誰も苦労しないのに、そのハードルを軽く飛び越えてしまった森高にプロたちが白旗を挙げてしまったんです。

直球勝負の歌詞ってともすれば、稚拙になってしまう。

言葉、文章って『知性のレベル』を見られてしまう側面って間違いなくあるわけじゃないですか?

ぶっちゃけ言うとそれが格好悪いから、それを避けるために表現を工夫し、ユーモアを交え、言葉を選び、比喩を遠回しに使いながら表現するわけじゃないですか?

けれども森高の場合は、開き直ってる。

「私は作詞もしたことないし、語彙力も大してないけど、そんな私が言いたいこと言って何か問題でも?」

みたいな。

もちろん、彼女は

「こういうのは作詞家たちが書けないよね」

って分かって書いているわけではありません。

天然で書いた結果、常識を覆している、という感じですかね。

たとえば、音楽評論の世界にだって王様=権威主義みたいなものってあるじゃないですか?

「ストーンズを分からない人間はロックを語る資格がない」

「生でストーンズを観たこともないくせに何を語ってるんだ?」

とかいう論調ってその典型だと思います。

そういう人たちがいるから、私もこのサイトでストーンズを扱うのに二の足踏むっていうのに、ですよ?

森高はそういう権威主義みたいな大人たちに向かってこう言い放つんです。

「話したいのは分かるけど、おじさん。昔話は苦手。本でも書いたらおじさん。腰をフリフリ歌って踊れば皆忘れちゃうわ。理屈ばかりじゃお腹が出るわよ誰かさんみたいに。私もぐりでいいのよ好きにするわ」(『臭いものにはフタをしろ!』

実は歌詞には

「オレは10回ストーンズ見に行ったぜ」

っていうそのままズバリのセリフも入ってます。

マジで痛快(笑)。

ある意味、パンクよりもよっぽどパンク。

あの声とあのルックスで歌ってると、こんな強烈なことを言っている印象が全くない。

で、歌詞を文章として読み返してみると「どひゃ~!」とぶっとばされる。

あのルックスやコスチュームと、この歌詞のギャップが堪んないんですよね~。

独特の”鼻声”

森高の歌手としての特徴で代表的なのがまず、あの歌い方、っていうか鼻声

鼻声って呼ぶと失礼なのかもしれませんが、本人もライブのMCで自分のことを「鼻声」って言ってたからおそらくいいのでしょう(笑)。

あれを初めて聴いた時は誰でも思うはずです。

「え、なんか素人っぽくね?」

鼻声って、歌手とかみたいに発声の訓練を受けていない人=キーが低い一般人が、高い声を無理くり絞り出そうとする時になりがちなんですが、森高の声を聴くと、そういう時の一般人を連想させるんですよ。

だから「下手なのかな?」って思うんだけど、実はこれって意図的にやってるんですよね。

その証拠に最初の2枚のアルバムでは全然この鼻声じゃないからです。

まあ、多少は鼻にかかってたけど、ここまで極端じゃなかった。

いわゆる森高の鼻声しか知らない人が、初期2枚の曲を聴いてもおそらく森高が歌っているとは分からないと思います。

それくらい全然違います。

おそらく、個性がないのよりは何かしら特徴があるもの、一回聴いたら印象に残る声を追求していった結果、鼻声に行き着いたのでしょう。

これって歌詞と同じくすごく勇気のいることで、ともすれば

「素人臭い。下手じゃん」

って言われかねないわけです。

けれども、そんなこという大人たちに彼女はまたしてもこう言い放つんですよ。

「悪いけど私は歌が下手よ。でもやるしかないの。ごめん、我慢してね。私 実力は関係ないわ。実力は縁がないもの。実力がないわ、いいわ。実力が全てじゃないの」(『非実力派宣言』)

なにこれ、舞台の台本なの?

これ歌詞っていうか、もう単なる『発言』じゃん(笑)。

あの歌詞が「書けそうで書けない」のと同様、この声も「出せそうで出せない」んですよ。

現に、森高に似た声のボーカルは後にも先にもいませんでしたからね。

そしてその唯一無二の鼻声はアルバムを重ねるごとに進化していき、セールス的にはピークを迎えるアルバム『ステップ・バイ・ステップ』、シングル『風に吹かれて』『二人は恋人』あたりのころには、超絶に美しい唯一無二の声へと昇華します。

「実力なんてない」と言い放っていた森高が、誰よりも実力を備えた女性ボーカリストとして大成する姿は感動モノですよ。

これもアルバムを順に聴いていくと9作目『ステップ・バイ・ステップ』で、森高の歌声に打ち震えますよ。

『森高』を一つの現象、ストーリーとして楽しむ

「このアルバムが良いからこれを聞こう。このアルバムは良くないから聞かない」

そんな聴き方ももちろんいいでしょう。

けど、できれば良い悪いは一旦置いておいて、最初から順に追っていってもらいたい。

長編のドキュメンタリーだと思って。

一つの長い映画でも見るつもりで。

まあ、これは森高に限らず、全てのアーティストを今では丸ごとストーリーとして楽しんでいる私ではあるのですが。

けれども森高の場合は特にそうした方が良いと感じます。

っていうかそこにこそ森高の醍醐味があるというか。

森高の場合、完全にスタートがゼロ=未完成から始まって、試行錯誤しながら成長してくので。

そしていつだって一生懸命です。

その不器用ながらも懸命にお客を楽しませようとする姿が、本当に心を打つんです(これこそ森高の魅力の核心でしょう)。

お客もそれを感じて森高を暖かく見守り応援しているのが、ライブを見ていて分かります。

時にはサプライズを意識しすぎる余り、

「これは一体どんな前衛アートを観させられてるんだ?」

ってくらい意味不明で、お客たちが「ポカーン…」となっている時もあります。

だって幼稚園のおゆうぎ会で出てきそうなハリボテの鬼とかがステージで動き回るんですよ!?

「そのクオリティにGOサイン出した責任者出てこい!」

って言いたくなります。

それから

「その振り付けを森高に教えた責任者も出てこい!」

ってくらい普通とはだいぶ程遠い振り付けで踊り狂ってる時もあります。

「1曲の中でそんなに飛ばすか?」

ってくらい歌詞を忘れることもしばしばです。

けれども、その全てを楽しめる。

それも丸ごとひっくるめて森高のエンターテイメントなんです。

こんなアーティストは稀有です。

さあ、私が保証しますので、森高千里の門をくぐってみませんか?

森高千里はきっとあなたを心の底から楽しませてくれることでしょう。

その美貌、声、パフォーマンス、おドジな三枚目キャラを心ゆくまで堪能してくださいな。

全オリジナルアルバムの解説も今後やりますので、お楽しみに!

それではまた!

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