森高千里 全オリジナルアルバム解説 

本記事はプロモーションを含みます。

どうもSimackyです。

本日は私の地元・熊本の誇る絶世の美女であり、1990年代の日本音楽シーンにおける革命児、いや、20世紀最後の女傑とも呼べる

森高千里

(もりたかちさと)

の全てのオリジナルアルバム13枚を解説していきたいと思います。

これまでの私の記事を読んでいただいた読者からは

「も・り・た・か!?おい!見損なったぞSimacky!?このサイトは男臭いことだけが取り柄だったはずだろ?っていうかドリームシアターの新譜解説を忘れてねぇか!?」

という声も飛んできそうですが、私は女性アーティストもほんの一握りだけ聴いてたりします。

その中でも最も若い頃(中学くらい)にハマっていたのが森高ですね。

あの頃はホントただのミーハー的なファンでしかなく、アーティストとしての偉大さを体感したのは

先月です(2025年4月)。

…おっそ(それで偉そうに語んなよ)。

まあ、何と言われようが大いに語りますよ。

長らく音楽を聞いている私ですが、今回は久々に脳天直撃の衝撃を受けたのでね。

この感動と温度感が冷めないうちに語っておかなきゃな、と。

前回は森高の何が凄いのか?彼女の魅力に迫りましたので、まずはこちらを先に読んでもらいたいですね⇩

今回は我がサイトの名物企画『全オリジナルアルバム解説』です。

例によってアーティスト概要やセールス分析のお話もしますので、まあ、アルバム解説に入るまでが長い長い(笑)。

これを読めば森高千里のすべてが分かる!

死ぬほど長いですが、これを読みながらどっぷりと森高千里の世界に浸ってくださいな。

それでははりきって行ってみましょう!

ジンギスカァ~ン!!!

森高千里というアーティストの特徴

森高千里(以下:森高)は1969年生れの熊本出身。

アーティストとしての活動は1987年デビュー~江口洋介と結婚し育児専念のための活動休止する1999年まで。

その後はどこからが本格的活動再開という境界線はないのですが、結婚後もCMで見かけることはありましたし、2012年あたりからyoutubeにてかつてのライブ映像やセルフカバー全200曲をアップとかし始めてます。

これって実は凄いですよ?

テレビの広告費をネットの広告費が上回り、芸能人たちが

「これじゃあ食っていけない!仕事がなくなる!」

と焦ってyoutubeチャンネルを開設し始めるのが2021年くらいなので、その10年くらい前に一人でシコシコとyoutube活動を始めていたわけです。

YouTuberの走りですよ。

なんという先見の明。

その先見の明がどれくらい凄いかというと、2012年にアップしたライブ映像『私がオバさんになっても』の再生回数が2025年現在で

4500万回を超えている

んだからびっくりです(笑)。

あれって公式DVDの映像だと思うのですが、ちゃんとレコード会社と話し合いを済ませて個人チャンネルでアップしているというところも凄いですよね。

2012年当時はレコード会社だって、まさかyoutubeにライブ映像アップして広告費で利益を上げれるなんて発想は絶対になかった時代です。

「あー?ライブ映像をアップしたい?まあ、別に本人が上げる分には著作権的に問題ないんだし、いいんじゃない?」

ぐらいの感覚で許可したんでは?

森高チャンネルのすべての動画の合計再生回数は1億回を超えているので、歌手としての活動を再開する必要がないくらいの立派なYouTuberです。

再開しなくても広告費で余裕で食っていけます。

なかなかの女傑でしょ?(笑)

それなのに2019年に全国ツアーを再開したんですよ?

つまり活動再開後は、ビジネス的側面から開放された、真の意味でやりたいことをやっているってこと。

だからあの年齢(今年56才)でもあんなに生き生きとライブができるんですね~。

ライブは楽しいけど、プロのレコーディング環境とかはもう辛いのかな?

活動再開後は、かつての未発表ライブ映像を作品化しリリースを重ねただけで、音楽作品としては新曲をリリースしておりません。

さて、話を最初に戻しましょう。

森高のデビューのきっかけは、1986年の”第1回”ポカリスエットイメージガールコンテストにて優勝したことで、熊本から上京します。

宮沢りえ、一色紗英、綾瀬はるか、川口春奈なんかの歴代ポカリイメージガールの元祖はなんと森高!

実際にコンテストで選出されるのは森高だけで、実はその後コンテストなどやっていないのですが(何が第1回なんだか)。

最初はポカリスエットのCMに始まり、映画出演、バラエティ出演と、タレント業のような活動でしたが、1987年にファーストシングル『ニュー・シーズン』にてアーティストとしてデビュー。

最初はわりと硬派なアーティスト的な売り出し方だったのですが、セールスが伸び悩んだためにシングル『ストレス』および3作目のアルバム『見て』あたりから、アイドル路線に切り替えます。

『破廉恥』と形容されるかどうかのギリギリラインを攻めた刺激的なコスチューム(超ミニスカ)は、ピンクレディ以来の衝撃をお茶の間に与えました。

その類まれなる美貌と美脚、刺激的で華やかなコスチューム、そしてまるで日記のような思ったままを口に出す型破りな歌詞、果ては自らのドラム演奏と、見るものをとことん楽しませるパフォーマンスで、日本男性のハートを鷲掴みにしました。

ただ、森高千里はミュージシャンなのか?アイドルなのか?

これは微妙なところです。

アイドルと呼ぶには、シングルよりもオリジナルアルバムをしっかり聴かせるタイプだし、ミュージシャンと呼ぶにはそもそもシンガーソングライター色が強くなく、重厚なまでの制作陣に後ろ支えされている印象です。

そう、森高はシンガーソングライターではありません。

一部ではそのような表現をされている記事を見かけますが、森高は作詞はほとんどしていますが、作曲(歌メロを作ること)は実際は数曲でしかありません。

200曲を超える森高の楽曲群の中で、たかだか数曲の作曲をしたからといってシンガーソングライターと呼ぶのはかなり無理があると思います。

さらに「マルチプレイヤー」と形容されて、全ての楽器をかなりのレベルで演奏できるかのような表現もされることがありますが、元々バンド組んでやっていたドラムと、幼い頃から習っていたピアノを除けば、エンターテイメントの一環、趣向を変える一環として一時期だけレコーディングしただけで(『ペパーランド』期)、そこまで楽器演奏に精通はしていないし、いつだっていろんな楽器をやっているわけではありません。

森高シグネイチャーモデルのギターがあるからといって、ギターをバリバリ弾けるわけじゃないですからね?

ドラムだけは8作目『ペパーランド』以降全ての楽曲でプレイしてますが、レコーディングでギターやベース、ピアノを複数演奏しているものはほんの僅かです。

なので森高を正確に表現すれば

アイドルとしては『歌手』、ミュージシャンとしては『作詞兼ボーカル・ドラム担当』というのがぴったりかな。

悪い言い方をすれば「どっちつかずで中途半端」となるのでしょうが、良い言い方をすれば「どっちも持ち合わせたハイブリッド」とも言えます。

そして実は森高は、ハイブリッドだからこそ面白いんですよ。

アイドルとしても、ミュージシャンとしても、誰も持ち合わせない唯一無二の武器(個性)を持っているからです。

アイドルとしては誰も敵(かな)わない美貌とプロポーション。

それに加え、誰も思いつかない奇抜なファッションセンス(女版X JAPANですね)。

ミュージシャンとしては誰にも似ていない声(鼻声)とぶっとんだ作詞能力。

そんな森高の個性を最大限に活かすために、所属事務所、作曲・編曲の制作スタッフ、そして森高本人が

「こういう森高が面白いんじゃない?」

と打ち合わせを重ねながら、『アーティスト森高』のイメージを皆で作り上げていっている感じです。

そうして作り上げた”森高”は1990年代初頭の日本においてはインパクト抜群で、他の誰もやっていない”ジャンル森高”をたった一人で独走していたと言えます。

こういうのを経済用語で”ブルーオーシャン”っていうんですよね。

顔だけで勝負すれば、他にも顔がいい、スタイルが良い、脱いでも凄いっていうアイドルは掃いて捨てるほどいるし、音楽的実力のあるミュージシャンだって次から次へと次代のスターが誕生しているわけです。

そこでモロに勝負するのは、まさしく潰し合って血を流す”レッドオーシャン”。

森高はその隙間を縫って

「ここは誰もやってないよね」

っていうところを狙ってやってるところが非常に賢いし、可愛い顔して類まれなる策士です。

そうして一時代を築いた森高ですが、セールス的には1990年代の中盤までくらいがピークで、1990年代後半になるとビジュアル系やら小室ファミリーやらが台頭してくるし、所属事務所自らがシャ乱Qやモー娘。やらに力を入れ始めるので、急速に低迷していきます。

それではそのセールスの流れを追ってみましょう。

音楽内容とセールスの変遷

初期のアルバム2作は腕利きのプロ制作陣によるニューミュージックに近い音楽でしたが、セールス規模としては、2作目のアルバムミーハーまでの頃はシングルヒットも生まれず、全国ツアーを行えるほどのブレイクはしませんでした。

売れてはいませんでしたが、この初期、特にファーストアルバム『ニュー・シーズン』の出来はかなり良く、これを最高傑作に推すコアファンもいます。

いわゆる皆が知っている森高の声、歌い方とは全然違い、高校生が歌っているような感じなのですが、確かに

「これがたまらない!」

という人の気持は分かります(私も個人的にかなり好きなアルバムです)。

しかし、やはり売れなければ音楽活動は続けられないので、売れるために一念発起。

路線をおもいっきりアイドル路線に舵取りします。

ウエイトレスのコスプレをしたストレスのミュージックビデオが秋葉原の大通りでヘヴィロテされるようになると、マニアックなコアファンを徐々に獲得。

シングル『ストレス』も初のトップ20位入り(19位)。

この頃から

「森高はミュージックビデオがやたら売れる歌手」

として知られるようになります。

その後リリースされる1988年リリース3作目『見て』では、森高のキャライメージがガラッと刷新され、歌詞も森高自身の作詞に変わります。

もうね、収録曲のタイトル名を見れば、それまでの2作との違いは明らかで、それまでは英語のタイトルがほとんどだったのに、『おもしろい』『見て』『出たがり』『私が変?』とか

なんか変なタイトル

にいきなり変わってて笑えます(笑)。

しかし、これが大いに当たって、なんとアルバムは初のトップ10入りである5位。

この3作目『見て』が最初に訪れるキャリアの分岐点で、ステージもエンターテイメント性を重視した衣装、振り付け、演出になりますので、実は3作目は重要です。

そして森高が日本中で知られるようになるのがシングル『17才』

ついにシングルでも初のトップ10入り(8位)、セールスも20万枚を突破することにより、ミュージックステーションをはじめとする音楽番組にも多数登場するようになり、一気に知名度が上がります。

ここが初めて”ブレイク”と呼べるくらい売れた時じゃないかな?

さらにその『17才』を収録した1989年リリース4作目アルバム非実力派宣言では、

「そこまで見せるか!?」

というほどの超ミニスカジャケで、世の男どもの煩悩を直撃!

美脚にものを言わせてオリコン2位を獲得しやがりました(言い方)。

他のアイドルが

「まあ、それやれば売れるんだろうけど…」

と分かってはいても二の足踏むようなことを、平気で出来るようなとこというか、振り切り加減がぶっ飛んでます。

思春期の中学生がCDショップでレジまで持っていくことも憚(はばか)られるようなこのインパクト大のジャケ。

しかしその裏では、実は音楽的な内容が飛躍的に充実してきているところがミソ。

森高を支える楽曲制作陣営も、どういう曲を作れば森高のキャラにはまるのか?それを掴み始めたかのように、曲のイメージと森高の独特の歌詞が見事にマッチ。

それが1つの完成を見たのが1990年リリース5作目古今東西

ついにオリコン1位まで上り詰め、35万枚を売り上げます。

なんと江戸の町娘姿という地味なジャケットで1位を獲得しました。

前作とはあまりにも対象的なジャケで、これまた驚かせてくれます。

皆が予想もしなかった角度から切り込んでくるんですよね。

もう「美脚で売った」なんて言わせません(言ったのお前だろ)。

さらに『古今東西』を挟む形で、前後にリリースされたベストアルバム森高ランド』『ザ・森高もそれぞれ30万枚超え。

 

律儀にベストアルバムに対してもプロモーションの全国ツアーをガンガン回ります。

もうなんか、ツアーを演る口実作るためにベスト盤を矢継ぎ早に出しているみたいに見える(笑)。

この頃って正式なツアーをやりながら、合間に大学の学園祭ライブとかまでしょっちゅうやってるんですよ?

どんだけライブ好きなんだ。

唯一無二の森高ワールドは、この次の1992年リリース6作目であり、代表曲『私がオバさんになっても』を収録したロック・アライブまで、無敵の快進撃を続けます。

『ROCK ALIVE』

これまたオリコン3位で30万枚超え。

自身最大規模となった『ロック・アライブ・ツアー』60本が大盛況に終わった余韻も終わらぬうちに、なんと同年1992年に2枚目となる7作目ペパーランドをリリースします。

しかし、ここでファンを驚かせたのはあまりにも地味な森高らしくないモノクロのジャケット。

そう、この『ペパーランド』が2回目の分岐点で、ジャケットにはけばけばしいメイクやコスプレをやめた自然体の森高の姿がありました。

一番大きく変わったのは見た目以上に音楽性で、それまでシンセサイザーを多用した打ち込み主体の華美なサウンドを捨て去り、生々しいバンドサウンドに変えました。

すんごい振り幅だな~。

森高自身が全ての曲でドラムを叩き、いくつかの曲ではギター、ベース、ピアノも弾いてます。

『アイドル森高千里』ではなく『ミュージシャン森高千里』を打ち出していく意思は明白で、なんと

このアルバムからはシングルカットを一切リリースしてません。

は?マジか?

いきなりレッド・ツェッペリンみたいなこと始めたぞ。

かつて『非実力派宣言』をしたお人が、真っ向から実力勝負に打って出ます。

しかし、路線を大幅に変えたにも関わらずチャート5位で20万枚セールスというのはかなり奮闘したんじゃないでしょうか?(シングルカットもなしだし)

そしてその路線は次作にて早くも開花。

レジェンド級のシングル曲である『私の夏』『渡良瀬橋』を収録した1993年リリース8作目『ラッキー7』は、

ついに40万枚を突破。

さらに、1994年リリース9作目『ステップ・バイ・ステップ』は、ソングライティング陣の絶頂期と、ミュージシャン・ボーカリストとして成長し続けてきた森高千里の絶頂期が奇跡的に重なった作品。

個人的には最高傑作に位置づけてます⇩

ここにきてついに50万枚の大台までも突破!

森高とアイドルの違いはこのあたりにあります。

アイドルはシングルに力を入れ、トップアイドルになると100万枚ヒットは珍しくもないのですが、

実はオリジナルアルバムをこんなに売っているアーティストは多くありません。

シングルヒット曲の寄せ集めであるベスト盤は売れるんですがね。

森高はオリジナルアルバムをコンスタントに30万枚以上売り続ける点で、アイドルとは明確に違う『ミュージシャン』なんですよ。

そして、シングル曲だけでなくアルバム曲にも名曲が多く、ライブにおけるハイライトになる曲はアルバム曲であることも珍しくありません(『その後の私』『夜の煙突』『テリヤキバーガー』などなど挙げれば切りが無い)。

アルバムでは目立ってなかったけど、ライブでお客さんとのコール&レスポンスや振り付けが定番となり、ライブではなくてはならない人気曲に育っていく、とでも表現したら良いでしょうか?

森高千里というアーティストの本質がライブにあるということを象徴する現象といいますか。

この頃は人気もセールスも絶好調すぎて怖いほど。

このアルバムの前後のシングルは『気分爽快』『夏の日』『風に吹かれて』『素敵な誕生日』『二人は恋人』などなど、森高のキャリアトップ5に入るセールスを記録する楽曲が集中してます。

森高のシングルで一番売れた

そしてセールスにおいて頂点に達したのが1995年ベスト盤Do the Best

134万枚セールス。

キターーーーーーーッ!!!

ついにミリオンを突破しました。

しかし、ここで痛かったのがアゴの調子を悪くし『ステップ・バイ・ステップ』リリース後からツアーが出来なくなったことです。

なんとあのライブの女王=森高が2年半もの間ライブが出来なかったんですよ。

いつだってお客の前でライブをやりながら、そのファンの反応を見ながら音楽的方向性を探ってきた森高にとって、これは’90年代後半のセールス不振に影響を与えたんだと個人的には考えてますが、その話は後ほど。

これまでは地道なホールツアーをやってきていたんですが、この時期はセールス規模がピークを迎えているため、『Do the Best』リリース後の復活ライブでは横浜アリーナで、ついにアリーナ級でのライブを実現させます。

しかし、このあたりから森高人気には陰がさし始めます。

1996年リリース10作目TAIYOは相変わらず

オリコン3位の40万枚セールスで依然として好調のように見えるのですが、この時期からシングルが30万枚に届かなくなり、『ララサンシャイン』では20万枚を割ります。

『TAIYO』ツアーでも日本武道館などのアリーナ級のみでたったの4本しか演らないんですよ。

ここで大型のツアーを演らなかったことがその後の明暗を分けたんじゃないかな?

いや、演りたくても演れなかったのか?

復活したとは言えアゴはまだ完治していない、もしくは無理できない状況だったのか?

かつての森高とは思えないほど小規模のライブ本数。

それを挽回するためか、この頃からタイアップ曲がやたらと目につき、テレビCMにもやたらと出演し始めるんですよね。

どちらかというと、コアファン好みの活動をしていた森高が、どんどん「みんなの森高」「お茶の間の森高」になっていったと言えばいいでしょうか?

ディープな森高テイストが薄らいでいき、誰にでもとっつきやすい存在にはなったけど、ファンからするとちょっと物足りなくなってきたんじゃないかな?

続く1997年リリース11作目『ピーチベリー』

オリコン4位の32万枚で依然として好調なのですが…、

『ピーチベリー』

この頃からシングルセールスがガクンと落ちます。

『レッツ・ゴー』『スウィート・キャンディ』は立て続けに10万枚に届かず。

レッツ・ゴー

スウィートキャンディ

当時、『レッツ・ゴー』なんてローソンのCMで毎日数回は聴いてたので、このセールス枚数を調べて知った時にはかなり驚きましたよ。

「これはやばい!」

と起死回生を期待し、元YMOの細野晴臣とコラボしたシングル『ミラクル・ライト』、12作目のアルバム『今年の夏はモアベター』はそれぞれ

3万枚と6万枚しか売れず大コケ。

ミラクルライト

今年の夏はモアベター

「おいおい、インディの自主制作じゃないんだから」ってくらいの数字です。

さらにその後のドラマタイアップシングル2枚『海まで5分』3万枚、『電話』6万枚…

結果的にはラストアルバムとなった13作目アルバム『SAVASAVA』

9万枚で撃沈…

『SAVASAVA』(サヴァサヴァ)

と全て10万枚に届かず、ついには6年連続で出演していたMステスーパーライブや紅白への出演さえも逃します。

江口洋介との結婚・出産・育児を理由に1999年に活動休止を発表しますが、実はそれがなくとも音楽活動をしていくことが困難なほどセールス不振が続いていたんです。

ここまでくると、レコード会社が契約を打ち切るかどうか?っていうくらいの規模なんです。

ほとんどの人が知らないショッキングな事実。

だってついこの間まで(3年前)セールスがピークだったのにですよ?

1990年代後半のリアルタイムで、森高のことを「もう落ち目だ」と感じていた人など、ほぼいないでしょう。

それくらいテレビCMで頻繁に観ていたし、Mステやらヘイヘイヘイにも依然として出ていたので。

しかしですね?

売れてないからと言って後期のアルバムが駄作ということは全くありません。

それは私が保証します。

しっかりといい作品を生み出し続けています。

けれどもアルバムから

「もっと面白いことを、ファンが驚くことをやろう!」

っていう、かつての意欲・情熱・面白さといったエネルギーは感じられないんですよね。

そのエネルギーの源泉となっていたのがライブで、森高はステージに立つことでファンたちからエネルギーを貰っていたんだと思うんですよね。

また、ホール(2000人収容)規模の地道なツアーで、全国に根強いファンたちを作ってきた森高にとって、絶頂期の頃にツアーが2年半も出来なくなったこと、そして続けて『TAIYO』ツアーでも全国を回らなかったことが、『コアファン離れ』を起こしているように私には思えるんですよね。

コアファンという母体が崩れなければ、『SAVASAVA』の9万枚セールスとかいう大コケは起きないと思うんですよ(企画色の強かった『今年の夏はモアベター』はともかく)。

『ピーチベリー』ツアー14本、『SAVASAVA』ツアー27本と、最後の方はツアー本数を増やしましたが、「時すでに遅し」だったのかもしれません。

2018年に本格的な活動再開後はかつての失敗を挽回するかのごとく、精力的な全国ツアーを行い、観客からエネルギーをたっぷりともらいながら元気な姿を見せてます。

っていうかお客から若さまで吸い取っているんじゃないかってくらい、どんどん若返っていっているようにさえ見えるのですが(笑)。

おそるべし、意地でもオバさんになろうとしない森高千里…。

それではお待たせしました。

全オリジナルアルバム13枚を時系列で解説していきますよ~!

森高千里の全オリジナルアルバム解説

『ニュー・シーズン』1987年リリース 1作目

さて、これが森高千里、若干18歳のデビュー・アルバムです。

ブレイク後から知った人からすると、ジャケの顔を見ても森高だとは分からないと思うのですが(笑)、声はもっと違います。

いかにも10代の売出中アイドルといった趣で微笑ましい。

ですが、そのあどけない声に反して、サウンドは凄腕セッションミュージシャンで固めた本格派な一枚なので、普段からロックをかなり聞いている人ほどこのプレイの妙に驚くと思います。

私なんぞは普段はロックバンドばっかり聴いてきたんで、こういうセッションミュージシャンで固めた作品(およびそういうジャンル)は実はあまり聴いてこなかったんですよ。

「セッション・ミュージシャンは腕は確かでも上手いだけで個性がない」

ぐらいに思っていたのですが、このアルバムを聞いて認識を改めましたね。

モロにAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)で、ここまで濃いAORというところに’87年という時代を感じます。

80年代リアルタイムな世代の人たちにとっては、今聞くとちょっと気恥ずかしささえ感じるレベルで、聴いた瞬間、’80年代のCMとかトレンディドラマが頭をよぎること請け合いです(笑)。

ですが、現代の感覚で聴くとこれがかえって新鮮に聞こえてしまうという面白さがありますね。

で、肝心のボーカルなのですが、このメロディラインはキャリアを通してトップクラスと言ってもいいほど秀逸です。

楽器演奏陣だけでなく、作曲陣営も相当に気合が入っていたことが聴けば分かると思いますよ。

とにかく、メロディがツボを付いてくるし、耳に残る。

悪く言えばベタベタなんでしょうが、こういうのが1周まわると再評価されるのが世の常(笑)。

再評価されるべきですよ。

なんかねぇ、心が暖ったかくなるんですよね、本作聴いてると。

特にデビューシングルとなったタイトル曲はやっぱ凄いですよ。

ヒットこそしてないので、森高の代表曲だとは認識されてませんが、これはまごうことなき名曲です。

この曲ね、ライブの時なんて、スティック両手に持って、マイクスタンド横に設置されたパーカッションを叩きながら歌うんですよ?

「なんじゃこりゃぁ!お前はシーラ・Eか!?」

とツッコミを入れたくなるんですが、途中のキーボードソロではキーボードのとこまで歩いていってササッと弾きこなしてしまう。

「え?可愛いのが売りのアイドルかと思ったらマジで楽器も出来るの?」

とファンの度肝を抜いたことでしょう(そんな忙(せわ)しないのがカッコいいかどうかはともかく)。

1曲の中でボーカルとキーボードとパーカッションを掛け持ちだなんて…そんな忙しないマネ、

YOSHIKIでもしないぞ。

他にも「涙グッバイ」「あの日のフォトグラフ」などなど良い曲揃いで、このアルバムが一番好きっていう人の気持ち分かるな~。

この頃はまだ森高は作詞をしておらず、作詞家に任せているので、「オーディスレディングに乾杯」のような、10代の少女が歌うには背伸びしすぎじゃないかな?っていう曲もあってちょっと笑えます。

「いや、あんた10代の女子がオーティス・レディングはねぇだろ!?絶対聴いたことないよな?」

みたいな(笑)。

『ミーハー』1988年リリース 2作目

前作は『あどけない少女』というイメージを打ち出していたと思うのですが、今回はもっと成熟した『大人のかっこいい女』『意思の強さを感じる女』を打ち出していると思います。

なんかやたらと『夜』が舞台の曲が多い気が。

まあ、言うてもまだ10代なのですが(笑)。

なんと曲タイトルが全て横文字ですよ。

かぁっこいい~(笑)。

曲調が前作に比べかなりアグレッシブになりました。

シンセを多用したテクノ、ユーロビートなどの色合いが強くなり、全体的にアップテンポですよね。

前作は楽器隊の演奏能力の高さに舌を巻きましたが、やっていることが違ってもやっぱりそれは感じます。

当時のダンスグループなんかのサウンドよりも、こっちのほうがよっぽど本格的で最先端なんじゃないかな?

マイケル・ジャクソンとかプリンスとかのサウンドにまったく見劣りしない、いやそれどころか、もしかしてこっちの方が上手いんじゃないでしょうか?

それに加え、今回はとにかくコーラス隊が凄まじいです。

普通、アイドルってかなりベタな音楽で始めて、可愛さだけでは通用しなくなる30代に差し掛かってくるとちょっとジャズやブルース色を出してみたりして本格派なテイストも加えたりするもんですが、森高の場合は逆なところが面白いんですよ。

まだ年端もいかない10代の少女に初っ端からこういう本格派な音楽歌わせて

「やべっ!これじゃあ売れないからアイドルらしいことしよう!」

って3作目から路線を変更するっていう(笑)。

いわゆる『森高のイメージ』はまだまったく出来上がっていない初期2作のアルバムですが、音楽的なクオリティで言えばこの2作は飛び抜けてます(この直後に出るミニアルバムも)。

最近はこの2枚ばっかり聴いてるよな~。

『ミーハー』で初の作詞に着手し、3作目以降でこの森高の作詞家としての才能が開花し始めます。

『見て』1988年リリース 3作目

このジャケット凄くないですか?

あまりにも皆が注目してくれないから業を煮やしてジャケで「見て!」って言うとりますよ(笑)。

前作と同年の1988年に3作目をリリースしました。

アルバム冒頭で気づくと思いますが、声(歌い方)がいわゆる皆がよく知る『森高の声』にぐっと近づいて来ましたね。

しかし冒頭から『おもしろいー森高コネクションー』と来ましたよ。

まずリスナー皆の頭に「?????」が浮かぶと思います(笑)。

冒頭から7分超えの長尺だし、なにやらメドレーみたいになってるし…何が狙いなのかはまったく意味不明で、けれども「これまでとは何かが違う!?」と予感させるには十分なインパクトです。

サウンド的には2作目『ミーハー』の延長上にあり、さらに洗練されてますが、アルバムとしてのコンセプトは感じられず、曲ごとに色んなことを実験しているように感じますね。

やはり群を抜いてインパクトが強かったのが『ストレス』でしょうね。

曲もこれまでになかった曲調であることは間違いないのですが、この曲の何がスゴイかって

MVが前例がないほど売れる現象

が起きたことです。

「ミュージシャンは音楽だけじゃなく視覚的な楽しませ方も全然あり」

っていうことを日本で最初に証明した革命的な曲だと言えます(アメリカではご存知マイケルやプリンスがやってましたが)。

しかしアルバム全体として見ると、まだ森高としての完成像が見えていない手探り感も若干感じ、そのため心が惹きつけられるようなメロディにやや弱いかな?と感じました。

絶対的な掴みがあるキラーチューンがないんですよ。

先行シングルの『アローン』も良いのですが、キラーチューンと呼べるほどの掴みは弱いです。

作詞に関しては前作での1曲から、本作では6曲と大幅に増え、森高の独特の歌詞世界がどんどん面白くなってきます。

『別れた女』での「別れた女だから使用済みでしょう?」や、『ストレス』での「ストレスが地球をだめにする」など、インパクト抜群の言い回しに徐々に中毒者が出始めるんですね~。

そしてライブもこの『見て』ツアーからガラッと見せ方が変わります。

それまではバックメンバーも普通のバンドみたいに観客から見える位置に配置され、ライトも当たっていたのですが、このツアーからは演奏陣は極力ライトの当たらない後ろに下がって、ステージ中央で森高がぽつんと一人舞台を行うような、『見世物小屋』みたいな印象のステージングになります。

それだけでも結構不安だと思うのですが、さらにここで

過激なまでにスカート丈が短くなります。

リアル・セーラームーン状態です。

熊本の田舎から出てきた10代の少女がですよ?

男性客たちのエロい視線をステージ中央でたった一人で受け止めるっていうのは、かなり抵抗あったんだろうな~(週刊誌とかにはパンチラ写真とかも掲載されるし)。

はっきり言って表情が硬すぎます。

だったらやらなきゃいいのに(笑)。

この頃の森高からは、売れるための決死の覚悟を感じます。

『非実力派宣言』1989年リリース 4作目

出ました。

森高千里といえばこのジャケットというほど、世間に衝撃を与えた有名なこのジャケット。

前作で「見て!」って言ってもまだ世間の皆が注目してくれないので

美脚という名の実力行使に打って出たようです。

『見て』ツアーでミニスカ・美脚に鼻の下を伸ばすアホな男性客たちを見て

「これは使える!」

って思ったんでしょうね(笑)。

いやはや、なんちゅーカッコしとんねん…。

ここにきてデビュー時の面影は微塵もなくなりましたな。

ジャケでは開き直った、吹っ切れたような表情をしてますが、この頃のライブでもまだまだ照れというか、表情に固さがあります。

そりゃ『17才』のあの衣装とあの振り付けならそうなるでしょう(笑)。

こうして観ても

ほとんど罰ゲームやらされてるようなものですから。

本人、絶対に地元の家族や友人たちには見られたくなかったと思うので、熊本公演は気が重かっただろうな(笑)。

南沙織のカヴァーなのですが、あまりのインパクトの強さに森高の曲としか認識されてないと思います。

ただ、この曲って見た目のインパクトを抜きにしても楽曲として持つパワーが段違いで、前作『見て』にはなかったキラーチューンとしての“掴み“の役割を果たしてますね。

あまりにも頼り甲斐がありすぎてアルバムを『17才』のバージョン違いで挟み込むという力技を駆使してます(笑)。

けど『17才』に頼りっきりのアルバムだと侮ってはいけません。

ほぼ全曲に存在感があるし、役割があるし、全体的に名曲だらけなんですよ実は。

よって本作は“名盤“と呼べるでしょう。

冒頭『17才』の別アレンジで変化球で入って、“森高ロボット”で歌う『これっきりバイバイ』、タイトルが過激だったり変だったりする割にはハートフルな本格バラード『だいて』、『私はおんち』、森高の“怒りソング“の先駆けになった『非実力派宣言』『はだかにはならない』、ビートルズ風ロックンロールな『夢の中のキス』などなど様々な音楽ジャンルが顔をのぞかせます。

しかし何と言っても本作のハイライトは、ライブにおける大人気曲へと成長を遂げた名曲2曲『夜の煙突』(カーネーションのカヴァー)、そして『その後の私』でしょう。

『17才』の印象に引っ張られがちですが、これほどアルバム曲がパワーを持っているアルバムはそうそうありませんぜぃ!

まあ、ライブでは映える映える。

お客のノリも最高潮になるナンバーで、コール&レスポンスやってる時の森高の表情も輝いていて、心底ライブが楽しそうです。

これを見た瞬間、あなたはもう森高の魅力の虜になること請け合い⇩

 

 

 

『古今東西』1990年リリース 5作目

 

『ROCK ALIVE』1992年リリース 6作目

 

『ペパーランド』1992年リリース 7作目

 

『ラッキー7』1993年リリース 8作目

 

『ステップ・バイ・ステップ』1994年リリース 9作目

 

『TAIYO』1996年リリース 10作目

 

『ピーチベリー』1997年リリース 11作目

 

『今年の夏はモアベター』1998年リリース 12作目

 

『SAVASAVA』1998年リリース 13作目

 

 

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